ツーリング日和10(第36話)六花と杉田さん

「御期待に副えずに申し訳ありませんでした」
「なに言うてるねん。あれで十分でお釣りが出るわ」

 ライダーズ・ウェアは大ヒットは言い過ぎだけど、スマッシュ・ヒットぐらいにはなってくれたから、余裕でモトは取れたものね。あの分野は今まで専業メーカーの独壇場だったのよね。

 専業であるだけに機能性は十分あったのだけど、デザインがどうしてもバイク乗り、それも男性ライダー視線のものしかなかったんだよ。つまりは少々武骨ってとこかな。そういう指向になるのがバイク乗りなのはわかるけど、

「そこにファッション性を求めるのもおるはずやんか」

 とくにバイク女子ならね。そこにファッション専業のクレイエールに本気で切り込ませたのが今回の企画なの。元がニッチなマーケットだから大儲けには程遠いけど、コスパは良かったからミサキちゃんも満足してくれた。これで接待費に出来たし、次の長期休暇の布石になってくれるはず。


 鈴鹿の四耐だけど最後に六花が二位まで上がり、首位にも手が届きそうだったのよね。けれど残り二周でマシントラブルが起こっちゃったんだよね。失速しながらも六花は懸命にマシンを走らせて完走はしたけど五位だった。

 トラブルの程度も重くて、ゴールラインこそ越えたけど、メインストレートで止まってしまったぐらい。押してピットに戻ったのだけど、その後が大変だった。六花は泣いて謝って土下座までしてた。

 マシントラブルの原因はギヤボックスだったのだけど、トラブルを起こしたのは自分の操作ミスだってね。

「あのミスさえなければ優勝でしたのに」
「もう何度も言っただろ。あれは六花の責任じゃない。チームの限界だったんだよ」

 四耐参加チームも三つぐらいのグループに分けられるのよね。上位から優勝を目指すチーム、完走を目指すチーム、参加する事に意義があるチームぐらい。もちろんステップアップはある。

 参加する事に意義があるから完走を目指すのは誰でも狙うもの。だけど入賞から優勝を争うのは四耐と言えども大変なのよ。そりゃ、四大ワークスがバックアップしているチームまでいるからね。

 杉田さんの今回の基本戦略は優勝とか上位進出じゃなく、まずは完走の戦略だったはず。初出場だからまずは完走して、次回以降があればステップアップかな。

「その通りです。予選を見ただけでわかりました」

 上位は四大ワークスのバックアップチームだけじゃなく、ヨシムラやモリワキが支援するチームがいるぐらい強力で、明らかな差はあったのはわかったみたい。だから、中位でキープしながら完走を目指し、上位チームの脱落で順位を上げる作戦のはず。

「その通りです。後は展開の波乱待ちです」

 上位チームは速いけど、上位チームにもトラブルは発生するのがレース。マシントラブルもあるし、コースアウトもあり得るのがレースだし、とにかく耐久レースだものね。それでも順当に穏やかにレースが展開してしまえば歯が立たないから、戦力的に波乱待ちにならざるを得ないぐらいだよ。

 そういうレース戦略からすれば序盤は作戦通り、いやそれ以上だったかもしれない。十五位前後にいれば、

「上位入賞の可能性は残ります」

 四耐も六位までトロフィーをもらえるのだよ。

「笑うほどの賞金もあるで」

 八耐も優勝してもペイしないレースだけど四耐もかなりのもので、

「賞金総額七十万円、優勝者にはなんと三十万円や」

 六位の賞金なんてたった三万円だよ。タイヤ一本分ぐらいじゃない。優勝賞金でも四耐参加のための諸費用にも足りないもの。もっとも賞金のために走っているというより、鈴鹿の四耐を走りたいから走ってるのだけどね。でもトロフィーぐらいは欲しいかな。

 レース展開は色んなパターンがあるけど、やはり実力のあるチームが、どこかの時点で抜け出していくのが多いそう。他のレースでもそうだろうけど、優劣の差が時間と共に広がっていく感じかな。

「ですが今年は思わぬ展開になりまして・・・」

 四強の実力が拮抗しすぎていたのがまずあったみたい。拮抗しすぎるとお互いに牽制しあうから、そこから独走の一人旅になりにくくなり、序盤は思ったほど後続集団との差が開かない展開にまずなったで良さそう。

 それとコトリも指摘した通りに荒れる展開になっていった。イエローフラッグも三度出たけど、そのうちセーフティカーも二度出るぐらい。

「あれも先頭集団ばかりが不利益を被るものになったのはラッキーでした」

 これもその日の展開の綾としか言いようがないのだけど、四強でもやはりカルカッタ・ホンダとジャカルタ・スズキが優位だったみたいで、中盤から抜け出す試みを何度もしていたものね。現実に二台で独走態勢を築きかけていて半周はラクに離していたもの。

「残り四十分でのセーフティカーが出たのがチャンスになりました」

 セーフティカーが出るとマシンは速度を落とすことが求められ、追い越し禁止になるんだよ。そうなると開いていた差が一挙に縮まるんだよね。レースがリセットされてしまうとして良い。

 セーフティカーがいなくなると再びカルカッタ・ホンダもジャカルタ・スズキが引き離しにかかったのだけど、その頃にはタイヤが限界に達していたみたい。

「これを千載一遇のチャンスと思わないのならレーサーじゃありません」

 杉田さんのチームはそこまでじっと耐えてた気がする。四時間でワンセットしか使えないレースだから、タイヤマネージメントはシビアなんだよ。カルカッタ・ホンダやジャカルタ・スズキは先に勝負に出たツケが最終盤の競り合いに出たはず。

「まあカルカッタ・ホンダやジャカルタ・スズキよりマシ程度ですけどね」

 杉田さんは最後のライダー交代の時に、

「あそこまで上がれば、六花にGOを出しています。だから六花には何の責任もありません」
「でもトラブルを起こしたのは・・・」
「六花もレーサーならわかっているはずだ。勝利にはリスクが必要だ。カルカッタ・ホンダに迫るためには、六花のあの走りが必要だったし、あの走りをするにはリスクが高くなる」

 六花も勝つための綱渡りを行い、悔しいが渡り切れなかったと見るのか。

「なにを仰いますか。完走しただけではなく五位になったのですよ。胸を張って良い立派な成績です。むしろあそこまで傷んでいたマシンを完走させた六花を褒めてやって下さい」

 杉田さんは変わったな。これまでのステディ杉田ならタナボタの三位キープを狙ったはず。初出場で三位なら堂々と胸を張れる成績だもの。でも今回の鈴鹿の杉田さんは三位を守るのをヨシとせず逆転優勝を狙う賭けに出たもの。

「ああ立派に剥けてそそり立ち、六花を貫き通してるわ。牙を剥くステディ杉田になっとるで」

 あのぉ、どうしてそんなにコトリは下品なのよ。杉田さんも六花も顔が赤くなってるじゃない。でもそうなってると思う。待つ時には耐え忍び、チャンスがあれば猛然と牙を剥けるステディ杉田にね。守って三位より、牙を剥いての五位の方が余程価値があると思うもの。

 そこに加藤さんが加わって来たのだけど、十勝で強引に杉田さんと六花を一緒にした後だけど、松山に帰ってもしばらくはギクシャクはあったみたい。そんなにすんなり行かないか。

「そうでんねん。なんちゅう手間がかかるやっちゃと思いましたで」
「加藤には世話になった」
「アホンダラ、杉田と六花ちゃんが転んだら、こんだけの企画がオジャンになってまうやろが。遊びでモトブロガーやっとるんやないで、わいは体張ってるんや」

 ギクシャクが続く二人を見かねて加藤さんが杉田さんのところに乗り込んだのか。

「ちょっと背中を押してやりましてん」
「あれが、ちょっとか。ボロクソ言われたぞ」

 コトリの短小包茎インポ野郎までは言ってないと思うけど、加藤さんは血相を変えて杉田さんを怒鳴り倒したのか。

「加藤はオレのことを、短小包茎のインポ野郎、一生童貞で布団でマスかいて死ぬだけの能無しの臆病者だと罵りやがったんだ」

 えっと、えっと、コトリより酷いじゃない。

「もうちょい長いんでっけど、コトリさんやユッキーさんの前で下品ですから控えときま」

 関西人だからさぞモロで強烈だったんだろうな。それでも杉田さんは煮え切らなかったみたいで、

「杉田が六花ちゃんをいらんと言うなら、わいがもらうと言うたんですわ・・・」
「あれは何度も悪かったって言っただろう」

 加藤さんの言葉に杉田さんは激昂、

『お前なんかに六花を渡すか!』

 加藤さんの首を吊るし挙げぶん殴ったそう。

「壁まで吹っ飛ばされて歯が折れましたわ」
「だから何度も謝ったじゃないか」

 加藤さんを殴り倒した杉田さんは、その勢いで六花の部屋にって・・・六花、どうなったの。

「物凄い形相で拓也が部屋に来たのです。てっきり、またチームから追放されると覚悟したのですが・・・」

 杉田さんはドアを乱暴に押し開き、六花の顔をにらみつけ叫んだそうだけど、

『オレと結婚してくれ!』

 ちょっと、ちょっと、なんなのこの急展開。不和からの喧嘩状態からいきなりプロポーズって飛び過ぎじゃない。六花はどうしたの。

「その夜に結ばれました」

 はぁ、六花も六花だよ。ああ、なんて不器用な恋なんだ。高校時代にお互いが一目惚れして付き合い始めたのは良いとして、別れてから十年以上しても、その相手としか恋愛できないって冗談みたいな関係じゃない。加藤さんは苦笑いしながら、

「まったくやで。エライ手間かかりましたわ」

 やっぱり加藤さんは漢だよ。過去のしがらみに囚われ続ける杉田さんを体を張って解き放っているんだもの。加藤さんがいなかったら、二人は結ばれなかったもの。でも結ばれて良かったと思うよ。ところで次のステップは、

「さすがに緊張しました」

 やっぱりもう行ってたか。嫁さんの実家への挨拶はタダでも緊張するけど、杉田さんにとって長年のコンプレックスの源みたいなところだものね。

「ですが案ずるよりなんとやらで・・・」

 あははは、六花の父親はバイク好きだけでなくレース好き。若い頃は四耐にも出たことがあるそう。だから六花がバイクに乗り、レーサーになることも反対どころか後押ししたぐらいだったのか。

 六花の父親から見れば杉田さんはバイク界の超が付く有名人になり、それこそ下へも置かない扱いになったのか。そりゃ、なるだろう。娘が連れて来た彼氏はスターどころかヒーローみたいなものだもの。

 今回も色々あったな。杉田さんも六花も幸せそうだもの。きっと仲の良いお似合いの夫婦になれるよ。うん、これは、コトリやったな。

「旅の仲間やんか。コトリからのお祝いのオマジナイや」

 春になったらマスツーも良いかも。

「是非、ご一緒に」
「都合つけるで」
「また淡路でっか」
「逆回りで天使のパンケーキを狙うのもありますよ」
「淡路で解散にせずに夜は宴会とか」

 気持ちの良い仲間たちだよ。そうよわたしは永遠の時を旅する女。その旅の途中で出会う人こそ喜び。これがある限り、わたしは先に進んでいける・・・邪魔されずに言えたぞ、

「チンチクリンのメーテルはやめへんか」

 ほっといてよ! このスタイルはわたしのお気に入りなんだから。