ツーリング日和9(第29話)結婚の儀

 ボクが宮内庁でシゴキ挙げられているうちに世間が動きます。陛下の思わぬお言葉が発表されたのです。

『天皇家が二つに分かれた時代はまさに悲劇でありました。幾多の血が流され、多くの民草が塗炭の苦しみを味合うことになりましたのは遺憾とするところで御座います。この分裂の傷みは明治の代でもってしても終止符とはなっておりません』

 陛下が言及されているのは南北朝時代のはずですが、

『この不毛の争いを私の代で終わらせる所存でございます。この決意を南朝四代の祖霊に皇太子と共に伝えさせて頂きました』

 これで世間の話題は南北朝一色に染まったとして良いと思います。それまで歴史オタクぐらいしか知らなかった大覚寺統であるとか、持明院統も誰もが知る常識になってしまったとして良いでしょう。

 ボクは綾乃妃殿下に呼び出されましたが、そこには綾乃妃殿下だけなく、陛下や皇太子殿下、さらには甘橿宮親王殿下夫妻も臨席され、

「鴛淵、これからが本当の本番になる。皇室の命運はすべて君にかかっている」

 数日後に喬子様と並んでの記者会見に臨みます。そう二人の交際発表であるだけでなく、結婚までのスケジュールが発表されたのです。そりゃもうビックリの組み合わせとして良く、ボクが何者かの集中砲火を浴びたようなものです。

「・・・私は一介の皇宮護衛官ではありますが、我が家の祖先を遡れば後醍醐天皇の御子であらせませられる桐良親王に当たります。桐良親王は鴛鴦宮を立てられましたが、明徳の和約に基づく南北合一に際し・・・」

 これは教えられたボクの方が仰天しました。なんとなんとボクの祖先は南朝の皇族につながると言うのです。そうなんです陛下のお言葉にあった南北の争いに終止符を打つとは、南朝の子孫であるボクと、北朝の喬子様の結婚を意味していたのです。

 結婚すれば喬子様は皇籍を離れますので、形としては南朝の嫁になり、これを南北和解の象徴にしたいとの思し召しだったのです。とはいえボクだって聞いたことがない遠い、遠い先祖の話ですから、これをマスコミや国民に納得させる役割がボクに課せられたことになったのです。

 これは半端な覚悟で出来るものではありません。それこそ国民の好奇の目に常にさらされ、遠慮会釈ない質問、さらにはボクへの論評が押し寄せたのです。ボクが求められたのはそのすべてを受け入れ、誰もを納得させることです。

 ボクの懸命な努力が功を奏したのか世論は好意に傾いて行ってくれました、喬子様は女王ではありますが、まるで南北両朝の皇子と皇女の結婚のようになって行ったのです。マスコミなんか、

『歴史的和解の結婚式』

 こうまでするのがいました。皇室の結婚手続きは覚悟はしていましたが大変なもので、まず一般人なら結納に当たる納采の儀。これだけでも大変なもので、

 ・ボクの家からの使者が供物を持って宮邸を訪問する。
 ・侍従長が使者をもてなす。
 ・使者は納采の旨を伝え、供物を進呈する。
 ・侍従長が甘橿宮親王殿下夫妻に供物を進呈し納采の旨を伝える。
 ・甘橿宮親王殿下夫妻が供物を受け取る。
 ・侍従長が供物は甘橿宮親王殿下夫妻によって嘉納されたことを使者に伝える。
 ・使者は嘉納の旨を報告する。

 まあボクが出席している訳はありませんが、使者となった叔父はどれだけ緊張したかとボヤいていました。この供物の内容も決まってまして、大物の真鯛が雌雄一対と六本の清酒と緞子です。

 緞子とはなにかですが今は絹のドレス用生地となっており、婚儀で着るローブ・デコルテなどに仕立てられるそうです。わざわざ供物の生地から仕立てるのに驚かされました。でもまだ続きがあります。

 まず喬子様が、続いてボクが皇居を訪れ陛下に正式に婚約したことの報告です。それから甘橿宮家とボクの家族と夕食会です。ボクも他人の事を笑えませんが、ボクの家族も何を食べたのか覚えていないほど緊張したと言っていました。

 ここもウソみたいな話ですが事情が事情でしたから、綾乃妃殿下に皇宮警察本部に呼びされた日から次に喬子様にお会い出来たのが記者会見で、その次が今日だったのです。喬子様は、

「鴛淵・・・」

 これだけ仰られるともう涙、涙で、やっと、

「・・・どうか宜しくお願いします」

 この言葉だけを絞り出すように述べられました。でもって笑ったらいけないのですがここから二人で披露宴や新居の準備に走り回る事になりました。正式の婚約者になれたので一緒にいるのも解禁ぐらいでしょうか。

 そこからボクの家から使者を出して結婚式の日取りを伝える告期の儀があり、結婚式前日に和歌を贈り合う贈書の儀なんてのもあります。和歌を作るのは難儀させられました。結婚当日にまず行われるのは入第の儀。これもボクの家から使者を送ります。

 ここからは喬子様の儀式なりますが、まず十二単におすべらかしで先祖に結婚の報告をする賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、そこから陛下に結婚報告をする朝見の儀です。男性皇族の場合は結婚の儀の後に朝見の儀になるそうですが、女性皇族の場合は朝見の儀で陛下にお別れの挨拶をしてから皇居の外で結婚の儀を行います。やっと喬子様と合流です。

 ここから結婚の儀になるのですが、南北朝和解と融合の結婚と言うことで、都内ではなく奈良の吉野神宮で行いました。これは衣装こそ豪華ですが、やっている事は参拝してボクが誓いの言葉を述べお神酒を頂いて終了です。

 吉野神宮での一泊二日の結婚の儀を終えて新居に戻り供膳の儀です。これは一般なら三々九度に当たりますが、儀式料理を前に夫婦で固めの杯を交わし、儀式料理に箸を立てて終了です。これでやっと喬子様と晴れて夫婦になれたのです。

「喬子様」
「もう喬子とお呼びください。私は貴方の妻でございます」

 そう簡単に呼べるものではありませんが、喬子様が小杉親子にどれほど脅迫され、それに心痛め、辛い日々を送って来たかは教えてもらっています。最後は結婚まで求められ、それを承諾せざるを得ないところまで追い込まれていたのです。

 喬子様が悪夢のような結婚から逃れられる方法はただ一つ、ボクとの結婚しかなかったのです。小杉親子さえいなければ、もっと由緒正しい家柄の立派な男と結婚できたはずなのにと思うと悔しい限りです。

「肇様、それは大きすぎる誤解をなされております。たしかに小杉との結婚は私にとって辛すぎる選択でした。ですがその結婚を逃げるためだけに肇様と結婚をしたのではありません」

 そうは言ってもボクはタダの皇宮護衛官、

「ずっとお慕い申し上げておりました。ですが叶わぬ恋と心に固く封じ込めておりました。それが綾乃様より思わぬ御提案をして頂いたのです。どれほど私の心が嬉しかったことか・・・」

 そういうとまた涙をポロポロと。

「肇様も御存じの通り、皇族の娘として生まれたからには、自由な恋は許されておりません。ですから私には結婚などないと考えておりました」

 それって、ボク以外とは結婚しないって意味だとか、

「もちろんでございます。私の叶わぬはずの願いが叶えられたのです。これ以上の幸せはございません。どうか末永く可愛がって下さいませ」

 そこから今日最後の儀式に臨みます。これは夫婦として最初の儀式として良いはずです。皇室独特の三箇夜餅の儀です。四枚の銀の皿に喬子様様の年齢の餅が盛られ、それぞれの皿から夫婦で一個ずつ食べ、残りを紫檀の箱に納め寝室に三日間飾られ、四日目に吉方に埋め子孫繁栄を祈るもだとか。

「肇様は南朝中興の祖になられるお方です。それに相応しい妻に必ずなります。それが私の使命でもあります」

 南朝や北朝と呼ばれても本当のところは困るですが、そういう名目の結婚になっている部分は大です。その辺りについてなにか明日重大発表がされるとか、なんとかの話もあるようですが、そんな事よりです。夫婦になってでもっとも大事な初めての夜に二人で臨みました。