ツーリング日和9(第17話)綾乃妃殿下

「悪いなユリ」
「これぐらいはお安い御用です」

 綾乃妃殿下への謁見にはユリも付いて来てくれた。あは、さすがはユリだね。入る時から出迎え付きじゃない。控室で待っていると定刻キッチリに呼び出された。ユリから紹介してもらったのだけど妃殿下は、

「田中、下がって宜しい」
「そう申されましても」

 田中と呼ばれた女はお付きの侍女とか、女官のようなものだろう。この対面が公式であれ、非公式であれ謁見なのであればこれに同席するのが業務になるはず。

「ユリア殿下は私の友人であり、ユリア殿下が連れて来られた月夜野社長も、如月副社長も同様。気楽なガールズトークを楽しみたいだけであるから下がって宜しい」

 なにが気楽なガールズトークだ。だけど妃殿下がこの対面を謁見でなく、極めてプライベートの歓談に定義されると侍女も引き下がらざるを得なくなるな。部屋の中が四人だけになると、

「ようやくエレギオンの女神とお会いできて嬉しく存じます」

 おっと、これは油断ならないな。綾乃妃殿下はなかなかの切れ者との評判があるけど、その通りかもしれない。今の皇后さまは大きな声では言えないけど認知症を患ってらっしゃるらしい。

 だから天皇家の女の実質的な差配者は綾乃妃殿下だとされている。これは地位だけでなく、その切り盛りもそうらしく、他の宮家の妃や、内親王、女王を抑え込んでいると言われてるもの。

 わたしたちの事をエレギオンHDの社長や副社長として話すのではなく、エレギオンの女神と話をすると言う意思表示は何を意味するのだろう。

「綾乃妃殿下におかれましてもご機嫌麗しゅう」

 コトリが無難に返しているけど、こりゃ、今日の謁見は波乱含みになるかもしれない。だって、綾乃妃殿下ならエレギオンの女神についての知識は十分と見ないといけないもの。こういう皇族が謁見する時には事前に謁見相手の下調べを入念にするんだよ。政府資料だって駆使していてもおかしくない。

「こうやって実際にお会いしますと、エレギオンの女神が歳を取られないのがよくわかります」

 妃殿下はどこまでカードを握ってるんだろう。こういう時のカードの使い方は駆け引きそのもの。持ってるカードの枚数にもよるけど、先に開いて圧倒するのもあるし、相手の出方で変えるのもある。とくに切り札はどこで切るかは勝負の分かれ目になる。

「なぜか皇室に近づきたがらない女神が、ここまでの手間をかけられてお会いに来られたのですから、なにかお話があるので御座いましょう」

 向こうから誘ってくれたか。これなら余計な四方山は不要で良いと思う。コトリも、

「日頃の不調法、深くお詫び申し上げます。なにぶん野人であり、このようなところは不慣れであり、どうしても居心地が悪くございます」
「なにを仰られます。この程度のあばら家など気にもなされないはずで御座います」

 かなり知識を仕入れてるな。でもこっちだって腹の探り合いに時間を費やすのはもったいないよ。

「妃殿下には敵いませぬ。本日、不躾ながら伺わせて頂いたのは甘橿宮家についてで御座います」

 コトリも見切ったな。ズバッと切り込んだよ。妃殿下の表情にわずかに曇りが見えるもの。

「我らとて日の本の臣民で御座います。尊崇やまない皇室の穏やかならない噂に心を痛めずにおられません」

 問題はどれほど妃殿下が知ってるかなのよね。肇さんの話では天皇家の宮家同士の関係も普通の家の親戚付き合いと似ているところがあって、仲の良いところ、逆に仲の悪いところもあるそう。

 要は東宮家といえども各宮家の内部事情のすべてを必ずしも把握していない可能性があるそうなんだ。とくに甘橿宮家問題はスキャンダルに発展する危険性を孕んでいるから、知っていても知らん顔するのもあるのよね。

「甘橿宮家になにか問題でも御座いますでしょうか」

 やっぱりね。コトリはどうする。

「御座います。これは皇室の危機であると申し上げても過言では御座いません」

 妃殿下は少し考えられた後に、

「天皇家と言えどもマスコミの好奇の目にさらされ、時に心無い噂も立てられることも御座いますが、皇室に危機が迫っているとはお戯れも過ぎまする」

 これは妃殿下も知ってる。コトリのツッコミに少し考えたのは受けるか、トボけるかを考えた時間のはず。まずはトボけるを選んだな。そりゃ、妃殿下にしたらわたしたちは得体の知れない相手だものね。安易に心を許して話せるものじゃないもの。

「こうやって拝謁させて頂き、貴重な時間を費やして頂いているのに、戯言などどうして申せましょうか。陛下は国の象徴、皇族はそれを支える御一族。これが常しえに続く事のみが私どもめの切なる願いでございます」

 飾り言葉だけじゃ限界があるけど、

「天皇家を思うわれる言葉は有難く頂戴します。ですが根拠なく不要な疑惑を申されるのは宜しく御座いません」

 こっちがどれだけ知っているかの探りだな、

「根拠で御座いますか。妃殿下に置かれましては、私どもめを呼ばれますに、あえてエレギオンの女神を持ちだされました。しからば女神としてお答えせねばなりませぬ」

 コトリ、そこまで踏み込むの。

「人が永遠にも等しいと感じるであろう千年でも、女神にとっては欠伸をするにも短い時間、ましてや人の一生など瞬きする間で御座います」

 コトリはどこに話を、

「そんな女神が興味をもった人に対する言葉は絶対となります。これを戯言とは妃殿下であられても礼に適ったものとは受け取れませぬ」

 妃殿下はぐっと考え込んで、

「エレギオンの女神については政府でさえ十分に情報を把握しているとは言えませぬ。もっとも天皇家に対して伏せられている情報もあろうかとは存じます。一つお聞きします。女神とは人なのですが、それとも神なのですか」

 コトリはどこまで読んでるつもりかな。

「妃殿下の目の前の月夜野も如月も寿命を終えれば土に還る人ではあります。ですがその記憶は悠久なる時を遡ります。我らを神に擬する人もおられますが、それは知識と経験と思われれば宜しいかと」

 妃殿下は苦笑しながら、

「すべてを語られていないのはその容姿でわかります。では神としてお聞きします。なにを御懸念されておられます」
「絹子様事件の再来でございます」

 さっと顔色を変えられた妃殿下は、

「さすがは女神としては失礼になりますが、実際に見聞されたで宜しいでしょうか」
「言うまでも御座いませぬ」

 妃殿下は呟くように、

「かの事件は皇室の汚点であり、二度とあってはならぬものです」
「では何ゆえに看過なされておられるのですか」
「そ、それは・・・」

 天皇家は古い、それこそ日本一古く未だに家父長制が強固に残る家だとしても良い。だけど天皇家とて時代の波の影響を受ける。これは本家である天皇家と分家になる宮家の関係もそうで良いみたい。

 陛下が家長であり、本来であれば家長である陛下の意向は皇族すべてを統括するのだけど、そういう家長制を好ましく思わない風潮も広がってるで良いみたい。とくに宮家がこれだけ増えると宮家の独自性を尊重すべしの空気が強くなっているところもあるとか。

 陛下の言葉はある意味、何があっても絶対なんだよね。発せられたら後戻りは絶対に出来ないもの。もしこれに宮家が従わなければ権威の失墜になるで良さそう。昔であればそういう行為に対する制裁力がセットであったけど今はないものね。

 これは天皇家は日本の最高権威であるけど、それに権力が伴っていない。今回のような事件が起こっても、これに対応できるだけの具体的な手段がない。たとえば皇宮警察を動かして邪魔者の排除なんて到底できないということ。

「だからと言って、喬子女王様を人身御供に差し出しても一時凌ぎにもならず、かえって事態を悪化させるものとしか見えませぬ」
「そ、そこまで・・・どうして知っておられるかを聞くのは愚問でありましょう。遺憾ながら我らとて手を拱く以外の手立てがありませぬ」

 コトリは静かに微笑み、

「だからこそ、わたくしどもは妃殿下に謁見させて頂いております。女神があえて動く時は必ず実を伴いまする」

 妃殿下は何かを思い出すように、

「エラン宇宙船事件、怪鳥事件は誠のことなのですか」

 エラン宇宙船事件だけではなく、怪鳥事件も知っているのか。コトリはどう答える。

「ツバル戦も含めて御知りの通りで御座います」

 ここまで来たらそう答えるのが正解のはず。妃殿下はまるで吟じるかのように、

「女神は逆らう者を決して許さない。逆ら者の末路は悲惨」
「いえ自ら信じる正義を貫き通すだけで御座います。我らは妃殿下の意向と関係なく、我らの意思で排除いたします」

 妃殿下はじっと考え込まれた後に決然と、

「何を望まれる」
「排除への御内諾です。それと・・・」

 あんな凄味のあるコトリの微笑みを見るのは久しぶりだ。だけど妃殿下は難しい顔をされ、

「陛下の御内諾はこの綾乃が責任を持って承ります。しかし、さらなる願いについては一存では答えられませぬ」
「ではお聞きします。妃殿下が考えられる条件とは何で御座いましょう。これは皇太子妃殿下としてではなく一人の女としてお答え頂きたい。家柄、釣り合い重視のみが幸せと言えるでしょうか」

 内親王や女王の結婚は難しいのよね。どうしたって釣り合い問題が出て来るもの。これはそういう家の娘として生まれた宿命としか言いようがない。ではそうやって釣り合い重視で行われた結婚が必ずしも上手く行くわけでない。

 これは菊のカーテンで隠されてる事が多いけど、残念ながら不幸な状況になっているカップルも少なからずいる。普通ならそれで離婚になるのだけど、背負う家の重さから、せいぜい別居で余生を過ごさざるを得なくなっている者もいるのよね。

「皇室の姫君たちは教養は申し分は御座いませぬ。しかしあるのはそれのみで御座います。実社会の荒波に到底耐えられるものではありません。だからこそ、これを嫁に迎える男が重要になります。そんな資質の男を見つけ出し選ぶことが肝要とは思いませぬか」
「その言葉は皇族の女だけではなく、いかなる結婚でもそうであろう。もっとも、皇族の女であればより重要となるのは間違いは御座いませぬ」

 ここで言葉を一度切られた妃殿下は、

「いかに資質重視と言えども、その話は余りと言えば余りでは御座いませんか」

 妃殿下が躊躇う気持ちもわかるよ。こんなもの迂闊に答えられものじゃない。

「ではお聞きさせて頂きます。資質ある男が他の条件に適えばなんの問題も御座いますまい」
「そうなれば天皇家としてもむしろ歓迎ではありますが、私も知っているのですぞ。世の中には無理なものはどうしてもあります」

 これぐらいの返答になるよね。

「妃殿下が見えられているものがすべてではありませぬ」
「他になにがあると言うのです」

 コトリは婉然と微笑み、

「失礼ながら誰に対して仰られているかです。しばしお時間を頂きます」

 終わったか。晩御飯は何にしようかな。