アングマール戦記2:最終決戦

    「ユウタ、ごめん。もう話せないよ」
 コトリは本当に辛そうでした。
    「まだまだ続くの?」
    「そうね、後百五十年ぐらいかな。シャラックも、パリフも、エルルもみんなこれから死んじゃうの。バドもそうだし、その次の男も、その次も、みんな、みんな・・・」
 コトリの眼に涙が、
    「みんなね、エレギオンを守るために、エレギオンにいる愛する家族を守るために、エレギオンにいる友人知人を守るためと信じ込んで死んじゃった」
    「でも、そうじゃないか」
 コトリは寂しそうな顔をして、
    「ユウタにはわからない?」
    「なにが」
    「コトリはあの戦争の本質を知っていた。神である魔王を倒すことのみが勝利であり、いくらアングマール軍を殺そうとも戦争に終りが来ないことを」
 コトリの顔から微笑みが消えています。
    「コトリは使者の時に逃げちゃったのよ。あの時にケリを付けられたはずなのに」
    「それは結果論だろ。あの一撃が神に効くかどうかさえ未知数だったし」
    「そういう間違いを戦争では冒してはならないの。神々の戦いでもね」
 コトリはどうしたんだろう。三千五百年も前の話じゃないか。
    「あの時にトドメを刺せなかったのは、コトリのせいよ。それがどれだけの悲劇をもたらしたことか」
    「でもコトリだって一撃を放ってフラフラで、あの場から逃げるのが精一杯だったって」
    「意識もあったし、動けたし、魔王の力も計れた。あの時ならコトリの方が間違いなく強くてトドメも刺せた。なのにコトリは逃げてしまったの。コトリはあの時に人としての死、神としての死を怖れちゃったのよ」
    「誰でも死ぬのは怖いよ」
    「コトリは司令官であり、指導者よ。司令官は兵士を死地に赴かせ、殺すことによって勝利を得るのが仕事。指導者は国民を幸せにし、不幸を防ぐのが仕事。そのためには自分の死を惜しんではならないの」
    「そりゃ、建前はそうかもしれないけど、自分の命より重いものはないじゃない。司令官や指導者である前に一人の人間じゃないか」
    「コトリは人じゃない、女神なの」
 コトリはドンドン厳しい顔になっています。
    「指導者であり司令官だから大きな権限を与えられているし、それに相応しい待遇ももらってる。それに応えるのが仕事。その中で自分の命も支払わねばならない時は、支払うと義務付けられている。いや、進んで支払うのがお仕事よ」
    「それは理想論に過ぎないよ」
    「そう理想論、人ならそうだけど、女神はこれを実践してこそ女神なの。その義務をコトリは怠ったわ」
 こんなに厳しい顔のコトリを見るのは初めてです。
    「使者の時だけじゃない、その後もコトリは自分の死を怖れたの。魔王との神としての対決を怖れたの」
    「魔王と神としての対決と言っても、魔王にはアングマール軍がいるし、これを排除しないと魔王と神としての対決なんかできないじゃない」
    「違うわ、あれはそう自分を騙していただけ。コトリは女神よ。たとえアングマールに十個軍団がいようともコトリの前には無力なの。それこそが女神の真の力」
 ボクはコトリがエレギオンでの反乱を一網打尽にした話を思い出しています。
    「あの力はそこまで広範囲に使えるとか」
    「一撃前の魔王なら無理だったけど、一撃後の魔王相手なら可能だった時期もあったのよ。それを知っていたのにダラダラと人と人との戦争を続けてた」
    「でもそんな力は殆ど使ってないじゃないか」
    「人相手には原則として使わないの。人同士の戦争にも出来るだけね。でもアングマール戦は神との戦争だった。なんの躊躇いもなく使わなければならないのに、コトリは使わない過ちを犯したの」
 コトリの顔が厳しいを通り越して怖いものになっています。
    「あの失策、あの保身がもたらした結果は重大過ぎた。高原都市の住民は皆殺し状態になり、最後にアングマール本国を落とした時も廃墟同然だった。従属都市もそうだった。エレギオンやエルグ平原都市もそうよ。廃虚にこそならなかったけど、なんにも残ってなかったよ」
 今日のコトリはおかしい。なんとかしなくちゃいけないんだけど、
    「首座の女神である小山さんもやらなかったじゃないか」
    「ユッキーには主女神を守る義務と、エレギオンを守る義務がある。ユッキーはエレギオンが最後の日を迎えてもなお主女神を守る使命が課せられてる。安易に自分の命を扱えない立場なの」
    「そうは言っても二人は対等」
    「対等じゃないわ。そんなユッキーを守り、盛り立てるのが次座の女神の仕事。魔王との対決は五分の勝負、そんなリスキーな勝負はコトリの役割」
    「そうしろと首座の女神は命じてない・・・」
    「首座の女神は次座の女神に命じたりしない。次座の女神は命じられる前に動かなければならないの。それが二人の関係」
 コトリの余りの気迫に声が出しにくい、
    「そんなに自分を責めたらダメだよ」
    「二百五十年よ。どれだけ死んだと思ってるの。一つの判断、一つのためらいがあの結果を産んだの」
 コトリは寂しそうに、
    「神はウソをつく、神は決して真実を話さない。もちろん、その正体も教えない。でもユウタ、あなたは知ってしまったの。コトリの本性は、男を操り、死に追いやり、弄ぶこと。自分のやるべきことをやらずに、逃げ回った卑怯者。コトリが生きる価値はあの時に無くなったの。男に愛される価値もね。聞いてもらえてありがとう。もう会うこともないわ」
 それだけ言うと振り返りもせずにコトリは部屋を出て行きました。呼び止めようとしても声も出ませんし、引き留めようとしても体がピクリとも動きません。まさかこれは話にあった女神の力。それをこのボクにコトリが使ったとか。


 それからコトリに連絡しようとしても、シャット・アウト状態です。もともと大学院生であるボクが、クレイエールの副社長であるコトリに会う事さえ大変だったのですが、コトリにその気がなくなれば、文字通りの門前払い状態です。

 困ったボクは小山さんに連絡を取る努力を重ねました。小山さんに至っては社長ですからコトリ以上に会うのが困難なのですが、コトリの秘書がボクに同情してくれて、密かにアポイントメントを取ってくれました。

    『カランカラン』
 やっと会えたのはコトリに何度か連れて行ってもらったバーです。
    「・・・そっか、柴川君は話させてしまったのね」
    「そんなに大変な事なのですか?」
    「コトリが話した男は柴川君だけかもしれない。あの時代は重かったの。いや重すぎた時代だった。わたしにもコトリにもね」
 小山さんも難しい顔になり、
    「あの戦争は悲惨すぎたのよ。それも後になればなるほど。シャウスを奪還した頃には七個軍団がいたって聞いたかな」
    「聞いてます」
    「あそこから百五十年ぐらい戦い続け、ズダン峠を越えアングマール本国に達して最終決戦になったんだけど、十歳以上の足腰の立つ者を根こそぎ動員して二個軍団を送り込むのがやっとだったのよ」
    「十歳なんてまだ子どもじゃないですか」
    「そう、まともな軍団兵なんて半分もいなかったよ。その頃には騎馬隊もいなくなってたし、重装歩兵だって二列並べるのがやっと。一個軍団といっても四千人もいなかった」
 最終決戦に臨んだエレギオン軍は八千足らずしかいなかったたんだ。
    「最終決戦も苦戦したそうですが・・・」
    「どう聞いてる」
    「魔王の最後の抵抗に苦戦したけど、最後は巧みに誘い出して首座の女神とコトリの一撃で勝利を得たです」
 小山さんはスコッチを静かに傾けながら、
    「ウソじゃないけどだいぶ違う。あれは誘い込んだんじゃない、押しまくられて、そうなるのを予想しての待ち伏せ戦術だった。最後の戦いでもエレギオン軍は劣勢で、魔王に次々と蹴散らされ、ついにコトリのいる本営に迫って来たの」
    「じゃあ、ほとんど負けてた」
    「合戦としては完敗。エレギオン軍はズタズタになってた。コトリはそうなることを予想して、わたしと四座の女神を密かに呼び寄せてたの。そこからは聞いた通りで、四座の女神の一撃は魔王の親衛隊を吹き消し、わたしの一撃で勝負を決したわ」
 土壇場勝負どころじゃない、最後の最後の奇策で魔王に勝ったんだ。
    「魔王が倒れたから全滅は逃れたけど死傷率は最終決戦全体で延べ六割。子どもと老人が半分以上だったから、薙ぎ払うようにやられた。最後までアングマール軍は憎たらしいぐらい強かった」
    「でも勝ったんですよね」
    「勝ったか・・・だからここでスコッチ飲んでるんだけど、その後も酷かった。アングマール本国に入城したエレギオン軍は、アングマールの住民を皆殺しにしてたよ。アングマールも最終決戦のためにすべての従属国の住民を引っ張り込んでたから、あの最終決戦でアングマールは消滅したよ」
    「皆殺しですか」
    「仕方ないでしょ。二百五十年だよ。十世代以上にもわたって憎み合い、殺し合いしてたんだから。わたしもコトリも止め様もなかったわ」
 なんという結末。
    「そこから帰国になったんだけど、冬だったんだ。食糧も乏しくなってて。腹ペコ状態でズダン峠を越える時に猛吹雪になったのよね」
    「女神なら気候のコントロールは・・・」
    「わたしもコトリも一撃放った後でそんな余力は残ってなかったの。吹雪の中でバタバタと脱落者が出たけど、誰も助けようとはしなかった。助けたら共倒れになるのはミエミエだったから」
    「そんなぁ」
    「ズダン峠からエレギオンまでも遠いでしょ。ろくろく食糧も無しで歩いて帰ったのよ。やっとエレギオンにたどり着いたのは二千人切ってたよ」
    「二千人って、三割も生きて帰れなかった」
 ここで小山さんは少しためらってから、
    「悪戦苦闘の末にズダン峠を突破しアングマール本国に迫ったのだけど、あれも魔王の作戦だったんだ。魔王はエレギオン軍に消耗を強いながら余裕をもって退却し、一挙に叩き潰す腹積もり。それはわたしもコトリも読んでた」
    「そういう時は態勢を一度立て直して・・・」
    「それが出来ないぐらい戦力が枯渇してたんだ。だから魔王の作戦に乗る形で本国での最終決戦にあえて臨んだ。あの決戦は本当に後がないものだったのよ。どんな犠牲を払っても勝たねばならない状況だったのよ」
 かもしれない。国民の全男性を根こそぎ動員してやっと二個軍団を切る戦力しか残ってなかったのだから。
    「魔王はエレギオン軍の弱点の伸び切り過ぎた兵站線を良く知ってたわ。だからあの無謀な兵糧輸送をやらざるを得なかった」
    「無謀って」
    「軍団八千の一日の必要食糧は小麦だけで七トンぐらいになるのよ。その他の食糧や必要物資を含めて一日十トンぐらいは運ばなければならないの。ハムノン高原の農園は既に荒れ果ててたから、すべてエレギオンからね」
    「十トンって・・・」
    「十トン自体は当時の荷車でも十台分ぐらいなんだけど、エレギオンからモスランまででも二週間ぐらいかかるから、三百台以上の荷車が必要だったの」
 壮大な輸送作戦だけど、これだけではまだ無謀とは言えないような。
    「モスランまでは女神街道もあったから、まだなんとかなったんだけど、荷車はズダン峠を越えられないのよ」
    「じゃあ、どうやって」
    「人が担ぐしかなかったの。それも男なんて残ってなかったら女が担いだの。モスランからアングマールまでの二週間の道のりを」
 人が、それも女が担いで二週間の道を。
    「人が担ぐと食べるのよね。往復するために女でも二十キロぐらいは必要なんだけど、担げるのはせいぜい二十キロぐらいなのよ」
    「ちょっと待ってください。それじゃ、アングマールに食糧は届かないんじゃ」
    「だから持ってきた食糧は、五キロずつ置いて行ってもらった」
    「えっ、そんなことをしたら、帰りの食糧は・・・」
    「一~二キロだよ。人によっては無しの場合もあったわ。でも、そこまでやって一日二百人、これも半分ぐらい襲われたから五百人体制で運ばせた」
 連日五百人ということは、
    「魔王も良く知っていて長期戦に持ち込まれてね。最初の予定では二週間ぐらい、八千人ぐらいで済むと思ってたんだけどね」
 えっ、えっ、えっ、
    「女たちは」
    「みんな途中で倒れたよ。モスランまでの輸送も強化したけど、追いつかなくて、兵站線の食糧も削りまくった。それだけやっても前線の兵士は飢えてた。兵站線の女はもっと飢えてた」
 だから無謀なのか、
    「そんなムチャクチャな」
    「そうよ、ムチャクチャよ。でもこれが戦争なのよ。やらなゃ負けるし、負けたらこっちが皆殺し。勝つためにはいかなるものでも犠牲にするのが戦争。女たちが飢え死にしたら勝つのなら、それを選ばなければならないのが戦争なの。最終決戦では女が犠牲になるのが必要になっただけのこと」
    「そんなぁ・・・まさか二千人って、女も含めてですか」
 小山社長は上を向いています。涙をこらえてるのでしょうか。声が涙声に、
    「そうよ、三万人。モスランからアングマールまで、いやエレギオンからアングマールまで女の死体を並べるような食糧輸送だったのよ。それを考え、選び、命じ、実行させたのはわたしとコトリ」
 最終決戦には男女合わせて四万人ぐらいが動員され、生き残ったのがわずかに二千人足らずだったんだ。
    「そこから復興が始まったのですよね」
 小山さんは寂しそうな顔をしながら、
    「復興ね・・・最終決戦の頃にはベラテもリューオンも存在してなかったの。すべてエレギオンに引き取ってた。ハムノン高原の都市群も放置され、復旧する事はついになかったわ」
    「エルグ平原の都市の復旧は」
    「なかったわよ。ハムノン高原やエルグ平原だけではなく、アングマール支配下の都市もすべて廃虚になって滅んだの。エレギオンだって残っていたのは、十歳未満の子どもと足腰の立たない老人だけ」
 これがアングマール戦の真実。殺し合い、破壊し尽くした不毛の消耗戦の果ての勝者の姿。これを勝利と言えるのでしょうか。女神はその戦争のすべてを指揮し、すべてを見届けてるんだ。コトリがあれだけ話したがらなかった理由がようやくわかった気がします。