アングマール戦記2:エピローグ

 アングマール戦が勝ちこそしたものの救いようのない結末で終ったのを知ることが出来ましたが、コトリが去って行った使者の時の話を確認しないと、

    「コトリは自分の本性を・・・」
 この質問に小山さんは違う話を始めました。
    「あの時の戦争の殆どの指揮を執ったのはコトリ。コトリはエレギオンの男も女も殺し尽くし、敵とはいえアングマールの男も女も殺し尽くした末での勝利を得たのよ」
    「でも戦争だから・・・」
    「そうだよ、それが戦争。綺麗ごとなんかどこにもないの。相手を騙し、相手の弱みにトコトン付けこみ、勝つときには相手の『戦力削減』のために情け容赦なく皆殺しの応酬。奪い合いを繰り返していた都市も、敵の拠点に利用されないように破壊合戦になってた。兵站線の襲撃も常套戦術で、敵の輸送能力を削ぐために双方とも皆殺しになってた」
    「女でもですか」
    「そうよ、だからコトリの憂鬱はひどかった。コトリは、その時の体ではついに部屋から出て来なかった。次の宿主に代わっても出て来なかった。そうね、五十年ぐらい籠ってたよ」
 五十年も・・・、
    「やっと部屋から出てきて嬉しかったんだけど、微笑みは消えうせ、一言もしゃべらなかった。コトリの声を聞くまで、そこから五十年かかったかな」
    「じゃあ、百年も」
    「そこから微笑みが戻るまで百五十年。ちょうどアングマール戦と同じぐらいかかったわ」
    「二百五十年・・・」
    「あの頃からだよ、宿主代わりの度に神の自殺を試みだしたのは。今だって、それは続いてる」
 でもどうしてコトリばかりが戦場の指揮を、
    「将軍は他にもいたんじゃ」
    「魔王は指揮官としても手強くてね。人の将軍じゃ勝てなかったのよ。ほとんど叩きのめされてた。メッサ橋の一戦の話も聞いたわよね」
    「ええ」
    「あれだけコトリが知恵を絞っても魔王とやっと互角だったのよ。人の将軍では歯が立たなかったの。コトリでも勝ったり、負けたりの延々たる繰り返し」
 ユッキーさんは大きなため息をつき、
    「コトリは知恵の女神だけど、元は普通の女の子なのよ。それはわたしも似たようなものだけど、あれだけ凄惨な戦場で二百五十年も過ごしたらおかしくなっちゃうよ」
    「ユッキーさんは代わってあげなかったのですか?」
 ユッキーさんはギュッと唇を噛みしめられて、
    「コトリは絶対に代わってくれなかった、宿主代わりの不安定期でさえ殆ど指揮を執ってたわ。

      『ユッキーがやる仕事じゃない』

    こう言ってね。わたしはアングマール戦ではコトリに大きな借りがあるの。柴川君ならわかると思うけど、女神はすべてを覚えていて、忘れることが出来ないのよ。だからコトリはアングマール戦のことを話したくないのよ。せいぜいエレギオン包囲戦ぐらいまでかな。その先を聞いたのは、おそらくだけどわたしを除いたら柴川君だけよ」
 そんな気がボクにします。
    「コトリは柴川君を愛するあまりに話しちゃったんだろうね。でも、話せば話すほど、思い出しちゃったんだと思うよ。ちなみにどこまで話した?」
    「メッサ橋までです」
    「だろうね、あそこが限界だと思うよ。あそこまでならまだ普通の戦争だからね。あそこから十年ほどの間にシャラックもパリフもエルルも死んじゃうの。ひどい戦いだった、魔王に物の見事に裏をかかれての惨敗また惨敗」
 ここで聞いておきたいことが、
    「コトリは女神の真の力を使わなかったのに後悔してましたが」
    「あの時に魔王を仕留めるのは無理だったよ。まあ、四座の女神の一撃が当たっていたらともかくだけど、あのコントロールじゃね。コトリがあの時にトドメを刺さずに引き上げた判断は正しかったよ」
    「その後は?」
    「使えてたら使ってたよ。コトリは使えてたはずと今は思い込んでるけど、はっきり言うよ、無理だった。そんなものが使えるなら、エレギオンはあの時に落ちてたよ」
 ここでユッキーさんは悲しい顔をされて、
    「たぶんだけど、コトリは柴川君にバドを見た気がしてる。可愛い子だったよ。わたしも好みだったからね」
    「ボクがバドですか?」
    「並べりゃ姿形は似てないけど、心がね。バドみたいなタイプはわたしもコトリも好きだけど、コトリの方がなおさらかな。コトリは猫可愛がりしてたもの」
 小山さんはロックグラスを静かに傾けながら、
    「メッサ橋の後の相次ぐ惨敗でエレギオンは追い詰められていたの。高原から追い落とされるのも時間の問題ってところだったのよ。そこでコトリは起死回生の作戦を練り上げたわ」
 メッサ橋の後はそこまで苦戦し追い詰められてたんだ。
    「コトリが立てたのは、バドを使った作戦をだったんだ。バドがコトリの男であることはアングマールにも知られていたからね。バドを餌にして魔王を罠にはめる作戦だったの」
    「そこまでの作戦を」
    「わたしはリスクが高すぎるからと思って止めたんだけど、戦況の苦しさから、やらざるを得なくなったの。それぐらい切羽詰まっていたのよ。魔王は罠にはまってくれて、かなりの損害を与えたんだけど・・・」
 ユッキーさんが手をきつく握り締めています。
    「あれはバドを犠牲にすることで成立する作戦だったからね。コトリもバドをなんとか助けたかったみたいだけど、後一歩のところで逃げ切れず魔王に切り刻まれて死んだよ。それもコトリの見えるところでね」
    「・・・」
    「作戦は成功したものの、コトリの自己嫌悪は凄かった。そして柴川君が聞いた通り、あの使者の時の後悔が手を付けられないぐらい強くなっちゃったの」
    「でも大昔の話じゃ」
    「そう三千四百年ぐらい前の遠い昔のお話よ。でもね、現実に存在し、体験し、記憶しているのよね。柴川君は開けてはならない扉を開いたのよ」
 ユッキーさんは遠い遠い目をしていました、
    「コトリの男は数いるけど、バドだけなの、コトリが自分のために犠牲にしたのは。バドを思い出すのはコトリにとっては最悪の追体験で、しばらくは男を寄せ付けなくなるわ。柴川君が見た通りよ」
    「ボクはコトリを愛してます」
    「頑張るのを止める気はないけど、ああなったコトリは、わたしでもどうしようもないのよ」
    「なんとかならないのですか」
    「最初の質問に答えてあげる。コトリの本性は超尽くし型のラブラブ・マシーンみたいなもの。コトリはわたしとキャラが違うって言ってるけど、一皮剥けば同じよ。

      『ホンマに相性悪い』

    こう言い合ってるのも聞いてると思うけど、あれも相性が良すぎて摩擦が起るだけのお話」
 やはり、そんな感じがしてたんだ。
    「女神なんてものになってなかったら、エレギオンなんて背負ってなかったら、アングマール戦なんてなかったら・・・」
 あの小山さんが嗚咽を。それをぐっとこらえた小山さんは、
    「これも聞いたかな。アングマール戦の途中で神同士の争いのない世界をわたしが見えたお話」
    「はい、聞きました」
    「あれから三千四百年もかかると思わなかった。でも、やっと来たと思ってる。因縁の魔王にもケリを付けられたし、エレギオンを滅ぼしたデイオルタスにも引導を渡したわ」
 その話もコトリに聞いた。目ぼしい神は悉く死に絶え、手強いのはイスカリオテのユダぐらいとしてた。そのユダでさえ、コトリと小山さんがコンビを組めば歯が立たず、さらに神としてユダはかなり変わっていて、戦いよりも共存を望んでるって。
    「でも長過ぎた。生きることに倦み過ぎるぐらい倦んじゃった。それはコトリも同じ。二人が想うのはどうして生き残ってしまったのか、どうやったら死ねるのかって。いつこの永遠の記憶の放浪者の旅に終りが来るかなの」
 そんなぁ、
    「ボクでは女神の男になれないのですか」
 小山さんが、ふっと笑って、
    「なれるよ。女神の男と言ってもタダの恋人よ。エレギオン時代みたいな男になる必要なんてどこにもないの。でもね、柴川君は開いてしまったの。コトリの決して開けてはならない秘密の扉を」
    「閉じられないのですか」
    「人の一生は短いわ。コトリは柴川君にとって何が一番幸せかを考えたのよ」
    「そんなもの、コトリといるのが一番幸せです」
 小山さんは寂しそうに笑って、
    「その言葉だけでコトリは満足するよ。コトリはね、柴川君があの叙事詩を研究することで学者として成功することが見えたのよ」
 そうだ、小山さんは首座の女神として先が見えることがあるけど、コトリだって見えることがあるのだった。
    「でも話してしまうと・・・」
    「コトリには見えてしまったんだよ、柴川君の隣に自分がいないことをね。だから最後の愛を込めて話したのよ」
 茫然とする自分がいました。漠然と頭に浮かんでいたのは鶴の恩返しのお話です。ボクは聞いてはならないもの、見てはならないものを知ってしまったんだとヒシヒシと感じています。

 聞かなければコトリとずっとラブラブだったかもしれません。でも聞いてしまったのです。なんとかしたいの想いは胸にいっぱいですが、コトリはボクの下から飛び去ってしまった感じが強烈に襲ってきます。

 でもこの先も聞かずにおられたでしょうか。あの大叙事詩に手を付けた時からこの運命は決まっていたのでしょうか。答えの出ない想いが頭をいつまでも回り続けるだけでした。

    「ところで小山さん、もう一つ聞いてもイイですか。あれだけの大叙事詩なのに断片的にしか残らなかったのに理由はあるのですか」
    「あ、それ。コトリが、すべて壊しちゃったの。壊した時は無言だったけど、ずっとずっと後で理由を聞いたら、

      『あんなものは全部ウソ』

    それでも人々はあの叙事詩を語り継ぎ、壊されても、壊されても刻み続けたの。だからあれぐらいは残ったのかな」
    「だからコトリは叙事詩ではなく、実際の戦争の方を」
    「たぶんそうだと思う。お茶を濁すつもりなら、叙事詩自体を教えても良かったのに、それはコトリには許されない事だったでイイと思う。だからあえて柴川君にはアングマール戦争の方を話したのよ。これは強制する気はないけど、出来たらコトリからのプレゼントを活かして欲しいな。コトリもそれを望んでると思うよ」
    「ボクはどうしたら良いのでしょう」
 小山さんはロックグラスに残っていたスコッチを一気に飲み干し、
    「柴川君がどうするかは柴川君が決めること。わたしが決める事じゃない。すべては君の人生だから、好きにしたら良いよ。そうやって、自分の人生を好きに決められる時代が幸せなんだよ」
    「コトリはどうなるのですか」
 小山さんはニッコリと微笑んで、
    「柴川君、誰がコトリに付いてると思ってるの。わたしは首座の女神だよ」