アングマール戦記2:老将軍

 十年かけてシャウスを奪還したんだけど、兵力としてマシュダ将軍の三個軍団と合わせて五個軍団としたの。これはせっかく奪い取ったシャウスを手放したくないのと、シャウスの防衛力強化に人手が必要だったから。

 それでだけど指揮官はマシュダ将軍にしといた。パリフは五年間頑張ったから、そろそろエレギオンで休養してもらい、ユッキーとも燃えて欲しかった。シャラックはそのまま指揮官として置いておくのも一つだったけど、第三広場の奪取失敗の埋め合わせを、ちゃんとやった実感を持たせてやりたかったの。

 パリフとシャラックの凱旋式は華やかに行ったわ。組み合わせ的にも良くて、高原移住者のパリフと、エレギオン人のシャラックだから、エレギオン中が熱狂してた。いや、熱狂させるように工作してた。ここのところ高原移住者への配慮政策が多くて、エレギオン人にちょっとした不満が出かけていたけど帳消しになってくれたと思ってる。

 将軍は三人しかいないから、パリフとシャラックをエレギオンに戻したらマシュダ将軍が指揮を執るのは当然なんだけど、さすがに今回の人事はコトリも迷ったの。マシュダ将軍の能力を疑ったわけじゃないけど、とにかくお歳。なにせエレギオン軍の最年長だからね。

 マシュダ将軍が将軍に抜擢されたのはエレギオン軍に常設将軍位が設けられた時。あの頃はズダン要塞の防衛戦を延々とやってたんだけど、ユッキーが持ちだした人事案を見てコトリも考え込んじゃったぐらい。

    「ユッキー、こんなものしかいないのはわかるけど、マシュダ上席士官が次席将軍なの?」
    「防衛戦は忍耐強い人が向いてると思うから」
 マシュダ将軍の手腕は堅実というか、手堅過ぎるというか、とにかく地味。当時の年功序列でも将軍位だって抜擢の印象が強かったし、その上で次席はどうかと思ったもの。もっとも、『ほんじゃ』って程の人材もいないのも確かで、コトリは若手登用のアピールぐらいで納得したぐらいやった。

 アングマールにズダン要塞攻略のための対抗拠点を築かれた責任を負って、当時の主席将軍であったズカキブが更迭された後は、単純に繰り上がってマシュダ将軍は主席将軍に昇格となっちゃった。以後、今までずっと主席将軍のままなの。

 マシュダ将軍の見た目の印象は謹厳というより厳つくて強面。今ではすっかり禿げあがってしまって兵士からは、

    『ヤカン親父』
 てな呼び方もされてる。よく付けたもので、少々短気なところがあって、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴り上げちゃうものね。でも兵士からは嫌われてないの、むしろ愛すべき稚気ぐらいに受け取られてる。

 マシュダ将軍の最大の長所はその統率力。単純化すると自分に厳しく、意外と思われるけど他人にはかなり寛容なところがあるの。とくに兵や下級士官への目配りが行き届いていて、活躍すればどこで見ていたかと思うほど必ず褒めるの。一方で、やって当然のことをサボろうものなら、ヤカンが沸騰するぐらいかな。

 戦場で大事なことは、目覚ましい働きをすることより、出来ることを確実にこなす事なのよ。当たり前に出来ることの集積が結果として現れ、そのうえで目覚ましい働きのプラスアルファがあるぐらいかな。だから、当たり前に出来ることが満足に出来ないのは敗北に直結しかけないことをマシュダ将軍は良く知ってるぐらい。

 ヤカンはすぐに沸騰するのだけど、それでも部下は簡単に見捨てない事もよく知られてる。必ず名誉挽回のチャンスを与えてくれるし、成功すれば、あの強面から信じられないぐらいの笑顔を見せて、

    『よくやった』
 これが絶妙の求心力になってるぐらい。この辺は歴戦の強者だから戦争の機微を知り尽くしたぐらいにコトリは思ってる。指揮官は甘ちゃんじゃ務まらないし、怖いだけでも務まらない。日常的には怖い顔で指揮して、時に人間味を見せるぐらいの芸を身に付けてると思ってる。

 コトリは軍事の担当だから、将軍を送り出す前に今度の派遣の意味や、向こうで何をして欲しいかなどの指示を必ず話してる。将軍の現地での裁量権は広いから、その大枠を嵌めてるぐらいの意味合い。今度のマシュダ将軍のシャウス派遣については、近いうちにあると予想される、アングマール軍による奪還作戦への対抗策になるけど、これは既にユッキーが基本的な指示を出しているから、アッサリ終わったわ。そこから雑談になったのだけど、

    「今回はシャラックもパリフも一度エレギオンに帰したかったから、将軍の御出馬になっちゃうけど、ヨロシクね」
 そしたらマシュダ将軍怒っちゃって、
    「次座の女神様でも言って良いことと、悪いことがあります。このマシュダは現役の主席将軍であります。たとえこれから魔王の首を取って来いとお命じあれば、必ず成し遂げます。シャラックやパリフ如き若造にまだまだ負けませぬ」
    「そうだったわ。ところで将軍は結婚しなかったね」
 コトリの何気ない一言から話は思わぬ方向に、
    「次座の女神様におかれましては、ベル三席士官を覚えておられますか」
    「忘れるわけないじゃないの」
 ベルはコトリの男。あれもイイ男だった。
    「ベルは将軍と士官養成所が同期だし、幼馴染だし遠いけど親戚よね。たしか・・・」
    「さすがは次座の女神様、よく覚えておられます。我らエレギオン人は、人としての姿かたちは変わろうとも、中身は同じ女神であることを良く知っておりますが、何代もの次座の女神様にお仕えさせて頂いても、どうしても別人と思ってしまいます」
 でもベルの話がこんなところで出て来るとはコトリも意外だったの。マシュダ将軍の同期であり幼馴染だから出て来ても不思議ないけど、コトリならともかくマシュダ将軍にとっては遥か昔の話のはず。
    「ベルは優秀でした。なにをやってもベルには及ばないと思ったものです。三席士官に昇進したのも同期で一番でしたし、私がなんとか三席士官に昇進した時には次席士官も時間の問題と言われていました」
 ベルは生きていれば将軍は間違いないと思ってる。あのセカにも匹敵する才能もあったかもしれない。
    「恋でも敵いませんでしたわ」
    「それって・・・」
    「もう時効で良いでしょう。もっとも、私やベルだけでなく、エレギオン士官が全員で狙ってましたから、私も例外でなかったぐらいで、はははは」
 マシュダ将軍もコトリが好きだったんだ。
    「ベルは次座の女神様の男になられてからさらに研鑽を積んでおりました。もともとの性格もそうでしたが、自分に飛び切り厳しく、他人には寛容であろうとしておりました」
 ベルはそうだったわね。いや、ベルだけじゃなくて女神の男はみんなそうだった。やがて話はベルの最後となった戦いになったの。
    「・・・今から思えば誘導作戦だったのですが、乗せられてしまいました」
 ズダン要塞守備戦も時期があって、ベルが死んだときは、エレギオン軍も、もう一度アングマールまで攻め込む気概があった時期なの。アングマール軍が攻め寄せてくれば、守備一辺倒じゃなく、相手の状況によっては積極的に打って出る感じ。
    「あの時は、チャンスと誰しも気負い立っていました。逃げるアングマール軍を追いまくったって感じです。峠道を下り、さらに追いたてて行きました」
    「思えばあれがアングマールの地をエレギオン軍が踏んだ最後の時だったわね」
    「御意、あれから誰もあそこまで攻め込んでいません。ただし、すべてが罠だったのです」
 アングマールの地に攻め込んだエレギオン軍だったけど、気が付けば退路を断たれ包囲されてたの。エレギオン軍が生き延びるためにはズダン峠に引き返すしかないのだけど、そこはガッチリ抑えられてた。
    「ベルは凄かったですよ。浮足立ち、崩れそうになるエレギオン軍の中で軍勢をまとめ上げ、ズダン要塞への血路を切り開いていったのです」
 あれはまさに血路だって聞いた。アングマールの誘導作戦は巧妙だったけど、一つだけ失敗があったのかもしれない。殲滅のためには完全包囲が有効なんだけど、逃げ道は一点だったから、そこに死に物狂いのエレギオン軍が突撃したって感じかな。

 ああいう時は、あちこちに逃げ道があるように思わせて、相手の軍勢がバラバラになるように運ばなきゃならないんだけど、アングマール軍も地形上の制約で出来なかったぐらいに見てる。

 ズダン峠への血路を切り開こうとするエレギオン軍と、これを阻もうとするアングマール軍は大激戦になったんだ。それでも数の差はあるし、エレギオン軍の後方や側面からも攻撃されて、見る見るエレギオン軍は減って行ったみたい。そりゃ、そうなるやろ。

    「ベルと私が率いた部隊は辛うじてズダン峠の入口までたどり着きました。後ろを振り返ると、他に生き残っているエレギオン軍は完全包囲で全滅は時間の問題状態。私は救いに引き返そうとしましたがベルは、

      『無念だが見捨てざるを得ない』

     正直なところ救いに行ける余力は到底ありませんでした」
 あの時は全滅に近い損害を受けてた。この戦いを機にズダン要塞の攻防戦は守備一辺倒に変わったぐらいだったのよ。ひたすら城壁を守り、敵のあらゆる動きに反応しないみたいなんて消極戦法に変わってしまったの。
    「峠道に入ってからもアングマール軍の追撃は執拗でした。あの道は御存じの通り、登るほどに狭くなり急になりますから、戦い疲れた私も部下たちも疲労困憊状態でした」
    「そこでベルが殿を引き受けたのよね。ベルは、

      『次座の女神の男の真の勇気を見せて進ぜよう』

    そう言い放って隘路で血刀を振るいアングマール軍をしばらくの間食い止め、なんとか将軍たちは生き延びたって」
    「私はそう報告しましたし、大筋ではそれで正しいのですが、少し違う部分があります」
    「違うって」
    「私の寿命もそうは長くないので、次座の女神様に是非あの時の真相を聞いておいて欲しいと思います」
 あの時に居合わせた者で生き残ってるのはマシュダ将軍のみ。ベルとマシュダ将軍の最後の会話はこうだったみたい。
    『マシュダ、ちょっと後ろのウルサイのを追っ払ってくる』
    『ではオレも行く』
    『いや、お前は部隊を率いて要塞を目指せ。二人で引き返せば全滅するだけだ』
    『それは次座の女神様の男としての勇気か』
そこでベルは朗らかに笑ったそうなの。
    『オレかお前が引き返して支えないと全滅する。二人で引き返しても全滅する。いや、悪いがお前では無理だ。これは次座の女神の男の真の勇気なんて御大層なものではなく、エレギオン士官としての単純な判断だ。先に行って待ってるぞ、ただしできるだけゆっくり来い』
 マシュダ将軍は昔を思い出すように、
    「生き残ったのは私が率いた部隊のみ。死んだベルは女神の男の証を立てたと称賛され、私は『お蔭で生き残った男』のレッテルを貼られることになりました。どの戦いで私が死ぬかの注目を浴びたものです」
    「知ってる」
 あの戦いで生き残れたのはマシュダ将軍が率いていた部隊だけだった。マシュダ将軍に対して『卑怯者』と嘲る者さえいたのよ。でもマシュダ将軍は黙ってこれを耐え忍び、自分でもベルに救われた命と言ってた。
    「ベルが次座の女神様の男になった頃に、女神の男の真の勇気とはなんだと聞いたことがあるのです」
そんな話もしてたんだ。ベルはマシュダ将軍にこう話してたそうなの、
    『真の勇気を死ぬこととしているのは間違いだ。本当の勇気は立派に生き残ること。見栄を張って死ぬのは真の勇気とは言えない。マシュダ、難しく考えることはないんだよ。エレギオン士官として果たすべき義務を果たせば良いだけさ』
 さらに、
    『ボクの考える女神の男の真の勇気とは、生き延びなければならない時には、どんな恥を忍んでも生き延びる勇気だと思ってる。命は無駄に使うものじゃないよ。次座の女神様もそう望んでおられると思ってる』
 ベルはわかってくれたてたんだ。
    「私はベルの最後の言葉を胸に留め、今まで戦い抜いてきました。そう、

      『真の勇気とは生き残ること』

    これをベルの遺言と思って生きてきました。次座の女神様、一つ聞いても良いでしょうか」
    「イイよ」
    「私はベルの境地で生き残っているのでしょうか、それとも単に卑怯者として生き延びただけでしょうか」
    「言うまでもないわ。ベル以上の境地に達している」
    「ありがとうございます。長いことベルを待たせていますから、そろそろ会いに行きます」
    「待ってよ将軍、それじゃあ」
    「誤解無きように。戦場で死ななくとも、寿命が来ますよ」
 そう言ってマシュダ将軍はシャウスに向かっていった。マシュダ将軍もイイ男になったわ。親友であるベルの死を代償にして生き残ったのはさぞ辛かったと思うわ。でもそれを糧にして、女神の男に相応しい男の中の漢になってる。バドがいなけりゃ、今すぐにでも男にしたいぐらい。でも死んだらダメよ、エレギオンが勝つにはマシュダ将軍の力がまだまだ必要なんだから。