ツーリング日和9(第22話)南朝秘史

「でもこれは正史や。歴史には必ず裏がある。それを伝えているのがこれや」

 なになに南朝秘史だって。聞いたことがないな。それしても古いと言うかボロい本よね。中身は旧カナ遣いになってるじゃない。出版されたのは明治ってなってるけど。

「これはな・・・」

 コトリによれば南北合一に際して、南朝の歴史を後世に残すために大峰山の蔵王堂の奥深くに秘蔵されていた書物だとか。これが明治元年の神仏分離令に続き修験禁止令が出された時の混乱で流出したそう。

「これが流れ流れて南里漂山が手に入れたんや」

 誰なのそれ、聞いた事ないよ。コトリによると奈良の郷土史の先駆者の一人だとか。漂山はペンネームで本名は竹四郎、本業は小学教諭らしい。でもそんな本の事を聞いた事ないよ。

 漂山は賀名生小学校に赴任したみたい。賀名生も南朝遺跡の多いところだから、自然に南朝の歴史に興味を持ったぐらいで良さそう。研究するとなるとあれこれ資料を集めないと始まらないのだけど、当時なら古本屋が主力だったみたいだ。

「今でもそういうとこあるで」

 そうかもね。そんな漂山のところに持ち込まれたのが、

「神皇正統記や。それも大峰山の蔵王堂から流出した原本って触れ込みやったらしい」

 なんだって! 北畠親房の神皇正統記のしかも原本。そんなものとっくの昔に失われてるから、もし本物だったら国宝級じゃないか。

「本物やったらな」

 漂山が見るところ誤字脱字も多く、落丁も酷く、それより何より、筆跡がかなり拙く、どう見たって江戸期ぐらいの筆写本だとすぐにわかったそう。つまりはニセモノ。古本屋もピンキリだからね。それで追い返そうとしたそうだけど、

「神皇正統記は六冊のはずやねんけど・・・」

 漂山の下に持ち込まれたのは三冊で、そのうち二冊は神皇正統記だったのだけど、三冊目は表紙こそ神皇正統記だったけど中身は別物。つまりは神皇正統記ですらなかったんだって。だけど漂山はそこに興味を持ったらしい。

「そこからは古本屋との駆け引きや」

 ニセモノを売りつけようとした事を叱責して、出所を追求したらしい。この辺の詳細は今となってはわからないけど、

「なんだかんだでかなり安く買い叩いたとしとるけど、どっちが得したかはわからん」

 そういう世界だものね。でも漂山が買ったのは内容もあるけど、郷土史研究をやってるうちに、大峰山の蔵王堂に南朝の秘蔵書があるらしいの噂を耳にしていたらしいのよ。ひょっとして、それではないかと考えたで良さそう。

 そこから読み解いて行ったのだけど、驚くべき内容が書かれていたそうなんだ。その内容から漂山は蔵王堂から流出した物だの確信を深めていったようなの。憑りつかれたように漂山は研究を進めて発表までしたのだけど、

「誰も見向きもしてくれへんかった」

 内容の突飛さもあったけど、発表したのが専門家ではなく一介の小学教諭だったのもあったで良さそう。あの世界も権威によりかかる部分が大きいからね。悔しい思いをした漂山は、

「なんとか後世に伝えようとして自費出版をしたんや」

 とはいえ漂山もそんなにカネがある訳じゃないから、最低限の予算で百部だけ作ったそう。だからこんなにチャチな作りになったのか。漂山のその後だけど、自費出版の負担が大きすぎて、その返済に追われたぐらいしかわからないそう。

 漂山は作り上げた本を友人知人に配ったそうだけど、誰も興味を持つ人もなく、世間に知られる事もなく埋もれて行ったのか。でもどこからそんな本が、

「漂山は自分が勤務していた賀名生小学校にも寄贈してるんやが、そんな小難しい本は小学生には無理やんか。倉庫の奥深くにしまいこまれていたそうや」

 その小学校が建て替えになった時に倉庫の整理も行われ、これまた価値ないものの捨てられそうになったそう。その時に整理の手伝いに来ていた父兄の一人が関心を持ち、捨てるのならと持って帰ったそうなんだ。いわゆる古本のコレクターみたいな人だったみたい。

「その家でも本棚に並べられたままだったんや。やがて持ち主が亡くなった時に遺族がコレクションを古本屋に売り払ってるねん。値が付いたものは買い取り、そうでないものは処分する契約や」

 ここでも無価値として捨てられそうになったのだけど、

「通りがかったコトリが百円で買ってきた。あれは小島知江時代やった」

 百円って、古本屋の前にワゴンで置いてある処分品みたいなものだよね。

「なんか妙に心魅かれてな」

 その時にこの本の来歴も知ったって事か。

「たぶんホンマやと思うで」

 コトリが手に入れたのも百年以上前の話だよ。宿主代わりの時に失われそうなものだけど、その頃にわたしと四百年振りの再会があったりして記憶を蘇らせ、記憶の継承も復活させてるのよね。

「ユッキーもやんか」

 小島知江から立花小鳥への宿主代わりの時も、あれこれあって小島知江の遺品を立花小鳥がほぼ受け継いだから今もここにあるのね。いつ読んだの、

「立花小鳥の時や」

 なんかため息が出そうな来歴だよ。それがこの南朝秘史なのね。その本によると南北合一に際し南朝の正統を守ろうとしたそうなの。その中心になったのが鴛鴦宮。後醍醐天皇の晩年の息子で桐良親王の子孫らしい。とりあえずこれは何と読むの。

「ヒサナガや」

 へぇ、桐を『ヒサ』と読むのか。明徳の和約に従って後亀山天皇以下が京都に還るのだけど、この時に持って行った三種の神器は偽物で、両統迭立の約束が履行され大覚寺統の天皇が即位した時に本物を返還する計画だったとか。

「もし守られんかったら三種の神器の保持者として再び南朝に天皇を立てるぐらいや」

 なるほど、あり得そうな策略ね。でも立ってないじゃないの。

「立ったんは立ったらしいけど、北朝から完全に無視されとる。それどころか・・・」

 そういう事か。三種の神器と言っても本物じゃなく形代なんだよね。要するにレプリカ。さらに朝廷の重臣でも本物は殆ど見たことがない。つまりどれが本物か鑑定できる人がいないのよね。

 南朝が後醍醐天皇以来、当時の正統レプリカを持っているのは常識になってたけど、明徳の和約のキモは、レプリカの正統保持者から正式に返還してもらう儀式にあったのか。それが行われたらレプリカの正統の保持者は北朝になり、

「そういうこっちゃ。レプリカ自体の真贋論争なんかやりようがあらへんから、北朝が持っとる三種の神器が正統のレプリカになる」

 軍事力の優劣は既に決着がついた状態だから、今さらこっちが本物のレプリカだと主張しても誰も踊ってくれないものね。この辺は、室町幕府の内紛の方向が南朝を立てて足利将軍の地位を狙うのじゃなく、室町幕府内の権力闘争に変質していたのもあるはず。

「まあそうやろな。足利将軍家もお飾りになったぐらいや」

 それでも南朝側は執念深く天皇位を狙ったのが後南朝史になるけど、

「鴛鴦宮家は南朝を再び開くことをあきらめて、南北合一で一つになった天皇位の奪還を目指したぐらいや」

 でも無理だったじゃない、

「それは結果論や。まあそういう目的やスローガンがあらへんかったら、組織は持たへんのもあるからな」

 鴛鴦宮家は三種の神器を秘蔵しながら、自分たちの存在を表舞台から消したそう。その代わりに京都でまだしも南朝の子孫として知名度があった小倉宮家や護聖院宮家、さらに玉川宮家を利用しながら活動したんだって。

「一番成功したんは禁闕の変やろ。短期間で終息はしとるけど、有力貴族や、有力大名をかなり巻き込み掛けとるからな」

 だけど時代は南北朝でなくなり室町に移行し、鴛鴦宮家の活動も尻すぼみにならざるを得なくなったぐらいで良さそう。最初から無理あるものね。

「郷士みたいな格好で土着したんやけど、最後っ屁が西陣南帝やったとなっとる」

 あれもそうなのか。でもさぁ、でもさぁ、その本ってどれぐらい信用が置けるの。

「そう言うと思うた、これは苦労したで」

 ウソでしょ。南里漂山が見た原本があったのか。どれどれ、これもかなり傷んでるな、中も虫食いだらけじゃない。

「和紙の本やし、管理も悪かったから仕方があらへん。それでも読めるところを繋ぎ合わせるとやな・・・」

 たしかに漂山の南朝秘史と合致してるじゃない。読めないところは漂山の本に頼るしかないけど、漂山が原本を読み解いて書いたのは間違いない。でもこの原本自体が偽書の可能性は、

「言い出したらキリがあらへんけど、そんな本が大峰山蔵王堂に秘蔵されとった噂だけはあったらしい。それと本の年代測定をやってみたけど、時代的には十五世紀の終りか十六世紀の初めぐらいになるねん」

 そこまで裏付けがあるのなら本物の可能性が高いわね。そうなると後醍醐天皇の息子に桐良親王なる人物が実在し、鴛鴦宮が本当にあったことになるじゃない。

「後醍醐天皇の息子の数もよくわからんからな」

 たしかに。もっとも信用できるとされる帝系図では生涯の后妃の数は八人、皇子も八人、皇女も八人としてる。でも後小松天皇の勅命で作られた本朝皇胤紹運録では后妃が二十人、皇子が十七人、皇女が十五人だもの。

「一般的には帝系図の説を採るのが多いけど、南朝のホンマの実態はわからんとこが多いねん。後醍醐天皇が手を出した女かって后妃だけとは限らんやろ」

 それは言える。