ツーリング日和8(第18話)念願の萩へ

 この温泉のおもろいのは間欠泉があるこっちゃねん。間欠泉言うたら別府の竜巻地獄が有名やけど冷泉の間欠泉は珍しいそうや。

「たまった炭酸が噴き出すそうよ」

 二十分おきぐらいに噴き出そうやけど、

「噴水みたいね」

 そやな。最大で二メートルぐらいになるそうやけど、この日は一メートルぐらいの可愛いもんやった。そやけど見れたんは嬉しいわ。

「今日も行くで」
「らじゃ」
「がんばるぞ」

 朝は頼んで六時にしてもうたから六時半に出発や。まずは国道一八七号を北上して柿木から県道二二八号に入るんや。

「津和野街道ってことは、大鳥居のとこに出るとか」

 そのはずや。結衣が、

「今日はまず津和野ですか」

 結衣には悪いが津和野はパスや。前に行ったからな。県道二二八号も走りやすい道やな。途中でループ橋があったんもおもろかった。なんか道が狭うてヘアピンの連続になって来たけど、見えてるのは津和野の街や。近いもんやな、三十分かかってへんわ。

「これが国道九号やから左に曲がるけど、すぐに右に曲がるから注意や」
「信号ぐらいあるよね」
「あれへんから注意や」

 津和野の街の南の端を通り抜けるようにして県道十三号、通称つわぶき街道や。これから国道三一五号に入って、

「休憩しょ」

 道の駅うり坊の郷やけど、まだ開いとらへん。そやからトイレ休憩や。

「あとどれぐらい」
「ナビやったら四十分ぐらいになっとる」

 県道十三号から十一号を走って、

「萩だ!」

 前の山陰ツーリングの時は、マイのせいで涙を呑んで岩国に変更したからな。さて目指すは萩中央公園や。萩に来て歩かんかったら意味があらへん。

「バイクの駐車料金が書いてないよ」

 ほんまや。まさかバイクお断りとかやったら困るんやけど。入り口のとこで聞いてみたら、奥の方に適当に停めてくれやった。料金は驚きの無料や。むやみに観光地料金を設定しとるとこに爪の垢でも煎じて飲ましたいで。この中央公園には久坂玄瑞の像があるねんけど、

「若くして亡くなったのよね」

 ああ。蛤御門の変で二十五歳で戦死や。

「生き残っていれば維新後も大活躍だったのに」

 それは疑問や。たしかに久坂玄瑞は松下村塾の双璧とされて、松陰の妹を娶るぐらい可愛がられとるが、松陰の評価も偏り過ぎやと思うねん。だってやで双璧のもう一人は高杉晋作やんか。

 晋作と同じタイプやったら、維新の動乱期は光輝くやろうが、新政府成立後は役立たずや。つうか、平時はそれこその無用の長物や。おるだけで邪魔なタイプとしてエエやろ。そんなん幕末にも結構おったやんか。

「西郷隆盛とか、後藤象二郎タイプか・・・」

 松陰の松下村塾は、そういうタイプの過激派の養成塾やったんがようわかるわ。中央公園から続いてるようなとこが江戸屋横丁で、まずは円政寺や。高杉晋作や伊藤博文が通ったまさに寺子屋やな。

「萩も街並みが残ってるね」

 まあな。萩津和野もアンノン族が押し寄せたとこやから、早くから整備に励んどるわ。そやけど萩は他のとこに較べてアドバンテージがある。そりゃ、周期的に大河ドラマが維新物を取り上げたからな。

「龍馬が行く以外は、ハズレばっかりだけど」

 そうなる原因はいくつかあるけど、とにかく密談シーンが多くなる。顔を引き攣らせたオッサンが薄暗い部屋で膝付き合わせて陰謀巡らすもんな。それに密談で繰り広げられる尊皇攘夷論が理解しにくとこがある。

「だよね。尊皇はまだしも、攘夷なんて維新で根こそぎ消滅しちゃったし」

 それに敵役のはずの幕府を素直に憎めんとこがある。言うたら悪いが、幕府が暴政や悪政をしてたわけやない。もちろん奢侈贅沢もや。政権担当者としても寿命は尽きつつあったのはわかるとしても、シンプルな悪者にできへんもん。

「小御所会議なんか陰謀剥き出しだし」

 クライマックスは鳥羽伏見になるんやけど、天下分け目の合戦のはずやが、どうにも締まらん合戦や。攻める慶喜の腰は砕け切っとるし、幕軍は数こそおったけど戦術もあらへんし戦意も低い。

「やっぱり川中島、せめて関が原。光秀だって天王山でもっと頑張ったよ」

 材料は良さそうに見えても、いざ料理にしようと思うたらロクなもんが出来へんのが幕末や。

「木戸孝允の旧宅だって」

 コトリには桂小五郎の方がしっくりくるわ。小五郎こそが暴走しまくりの長州藩をなんとかまとめ上げた維新の功労者や。統制主義の薩摩とちがうから、少しでも油断すれば暗殺される危険の中でようやったと思うで。

「でも維新後はどうだったんだろう」

 小五郎は維新後も活躍できる人材の可能性はあったと思う。そやけどまとまらん長州を背負い続けたのは半端ない重荷やったとしか言いようがあらへん。病気がちになって、さしたる活躍もなく亡くなったもんな。

「久保家とか、菊屋家もよく残ってるね」

 あの頃を偲べるもんな。菊屋横丁もあの頃はこんなん各地にあったんやけどな。でも綺麗に残ってるのは値打ちや。次は松陰神社や。河原に大きな駐車場があるから停めさせてもうて。

「松陰は偉大だったの?」

 狂人と紙一重やろ。つうか革命家なんてそんなもんや。自分が抱いた正義は絶対で、正義を実現するためには、どんな手段でも使うし、それをなんの衒いもなく正当化できる人物や。そりゃ、行き詰ったら、

「暴発あるのみ」

 これが教え子連中から平然と出てくるぐらいや。維新全体がそうやが、暴発暴発の末になぜか成立してもうた不思議な革命や。それに間違っても市民革命やあらへん。維新に意識を持って参加していたんなんて全人口の数%やろ。

 残りは訳が分からんけど、江戸の将軍家の政権から東京の天朝政府に何故か変わっとぐらいの認識や。それで、まあまあ上手く行ってもたんが日本史の奇跡みたいなもんやろ。

「コトリも苦労したものね」

 ああそうやった。気楽な女壺振り師で終わるはずやったんが、長州志士の実質的な奥さんになって東京でお屋敷暮らしになってもたからな。東京に住んだんはあの時だけや。東光寺も見て次行くで。

 萩は阿武川の河口に出来た三角州にあるねん。阿武川は東が松本川、西が橋本川になって海に注ぐんやが、阿武川が別れるところから、橋本川沿いに沿っても見どころがあるねん。歩いて回りたいとこやけど、往復になるからバイクで回ろ。結衣のKATANAが邪魔なんは我慢や。結衣が、

「桂太郎って誰ですか?」

 そんなもん総理大臣に決まってるやろ。ほいでも知らんやろうな。ちょうど日露戦争を担当した時の首相で、ニコポンと呼ばれとった。

「総理としての力量はともかく、維新の生き残りのウルサ型を宥めすかした業績は大きいよ」

 これじゃ、わからんやろな。ここからひとっ走りして、次が旧田中別邸や。

「田中義一って田中角栄の親戚ですか?」

 ちゃう。角栄は新潟の長岡で角栄とは苗字が一緒なだけや。だったらどんな首相かと聞かれたら困るが、ちょうど日本が満州進出に積極的になろうとした頃の首相や。張作霖爆破事件が有名やな。

「そのまま軍人やってればよかったのにね」

 まあそういう人物ぐらいに思うてくれ。この辺が平安古伝統的建造物保存地区やから歩いて見て回って。

「お腹空いた」

 ユッキー、お前は歩く腹時計か。他人の事は言えんか。萩の最後はランチも兼ねて明倫館や。大人しくランチセットを食べて、明倫館を駆け足で見て、まだ十二時半ぐらいやな。早出した甲斐があったから行けそうや。