ツーリング日和7(第12話)お寺のピアノ

 毛越寺まで来たのは観光のためでもあるけどピアノのためでもある。毛越寺の貫主、まあ住職さんのことだけど音楽が大好きみたいで、本堂の前に期間限定だけどピアノを置いてるんだよ。浄土寺庭園を回ってる間も時々ピアノの音がしてたものね。

「これだけのお寺とお庭をバックに弾きたいじゃない」

 こんなところにストリート・ピアノが置かれるって珍しそうだものね。それにコウの言う通り、シチュエーションとしては気持ち良さそうだもの。音響はネックだけどね。ユリたちがピアノのところに行くと何人か先客がいた。

 これもよくあることで、人気の高いストリート・ピアノなら列が出来てる事もあるもの。もちろんちゃんと並ぶよ。コウは有名人だから気づかれたら順番を譲られたりもあるけど、まずは受けない。

 どうしてもって時は連弾にしてしまうかな。コウは相手の技量を良く見てキッチリ合わせるのよね。ユリもやったことあるけど、びっくりするぐらい弾きやすくて、まるで腕が何段も上がった気がしたもの。

 コウの前の人の順番が来たのだけど、どうだろう五十歳、いや六十歳ぐらいにも見える。申し訳ないけど服もくたびれてるし、白髪混じりの髪の手入れも良くない。外見で判断するのは良くないけど、しょぼくれたおっさんって感じだ。猫ふんじゃったでも弾くのかな。そのおっさんは弾き始めたのだけど、そしたらコウが、

「まさか、そんなことが・・・」

 えっ、どういうこと。コウの知ってる人なの。でも上手いというか弾きなれてる。でも、この曲はなんだろう。聞いたことがないけど、

「ユリなら知らないか。千里の想いだよ」

 なんだその曲。でもどこか哀愁を帯びてるメロディーだな。それだけ弾いておっさんは立ち上がったのだけどコウは歩み寄って、

「一曲とはもったいない。それにあなたはピアノじゃない」

 おっさんはちょっと驚いたように、

「後も並んでいますから」

 コウは立ち去ろうとするおっさんに、

「ボクが弾くので歌ってもらえませんか」

 おっさんは背中越しに、

「歌、そんなものは忘れたよ」
「お願いします。歌が無理ならせめて聴いて行って下さい」

 コウが弾き始めたのだけど、この曲もなんだ。聴いたことがない。でもなに、聴いているとなぜか涙が。なんて美しくて、繊細なメロディー。たしかコウは歌って下さいと言ってたから、この曲には歌があるとか。

 おっさんは背中越しに聞いていた。なぜか肩が震えている気がする。それだけじゃない、小声であれは歌ってる。これってこの曲の歌なの。弾き終わったコウはおっさんに歩み寄り、

「飛鳥井さん。お会いできて光栄です」

 おっさんはうるさそうに、

「そんな人は知らん。ほっといてくれ」

 それだけ言うと歩み去っちゃった。コウも立ち尽くしてた。なんか失礼なやつ。でも誰だろう。

「あれから二十年だから、出て来ていてもおかしくない。生きてたんだ」

 ふと見るとコウの目に涙がポロポロと。そんなに良く知っている人なんだ。でも泣くほどってどういうこと。

「あの人は飛鳥井瞬、見間違えるものか。ボクが大ファンだった歌手だよ」

 それってコウが遠野で言っていた不滅のメロディーの歌手とか。

「そうだよ。ボクの耳に永遠に残る不滅のメロディー、彼こそ真の天才」

 たしかにあの曲のメロディーは良かったけど。

「あれは歌が入って完成する。それも飛鳥井瞬の歌が入ってこそだ。ボクのピアノだけじゃ、あの曲の良さを一割も伝えていない。ああ、もう一度聴きたい、あの不滅の名曲を」

 そんなに。そこまで言うとコウは唇を固く噛みしめちゃった。あのしょぼくれたおっさんが信じられないよ。そこに声をかけられた。

「やっぱりコウか」
「ユリも一緒とは珍しいね」

 あっ、まさか、こんなところでコトリさんとユッキーさんに会うなんて。聞くと一日早いフェリーだったみたいで、

「まずは八幡平のアスピーテラインを走ってやな。そこから魹ヶ埼や」

 どこだそれ。

「本州最東端なの」

 聞くと宮古の近くらしいけど、駐車場からも片道三十分ぐらい歩くそう。

「これで本州最北端の大間崎、本州最南端の潮岬に続いて制覇したことになるのよ」

 ほんじゃ本州最西端はどこかって聞いたら、下関の毘沙門ノ鼻っていうところらしい。それにしても原付二種でよく走るもんだよ。

「ほんでコウはどないしたん」

 飛鳥井瞬なる人物に出会って様子がおかしくなったって言ったら、

「ホンマにおったんか」
「わたしも会いたかった」

 えっ、知ってるの。いや、この連中なら知ってるか。下手すりゃモーツアルトの子ども時代だってリアルタイムで知ってそうだものね。

「そんなもん知っとるはずないやろ」
「そうよそうよ。モーツアルトの生まれた頃には日本に来てたもの」

 理由はそっちかい。ここから早めだけどお昼にしようって話になって、

「蕎麦でエエか」

 山門近くの御蕎麦屋さんに。

「ここは暮坪蕎麦や」

 聞くと大昔のグルメ漫画にも取り上げられた蕎麦屋さんらしくて、薬味に大根じゃなくてカブのおろしを使うのだとか。このカブが暮坪カブというらしくて、カブなのに大根みたいに細長いんだって。

「暮坪蕎麦の松」
「わたしも」

 やると思った。松は天ぷらにざる蕎麦二枚の大盛りコース。ユリとコウは竹。これはノーマルの天ざるだ。

「今からどうするんや」

 今夜のコウはお仕事。仙台のウエスティンでコンサートなんだ。だから、今から仙台に向かう予定。

「ウエスティンは気が向かへんけど、コウのコンサートを聴くのも悪ないな」
「そうだねぇ。仙台泊りが気に食わないけど。コウのコンサートは魅力だね」

 聞くとお二人は、

「昨日は吉里吉里から遠野回って花巻やってん。今日は平泉から鹽竈神社や」

 どんだけ回る気。だってだよ、この二人は原付だから高速使えないんだもの。それはともかく、ウエスティンで付き合ってくれたら嬉しいかも。だってさ、コウがピアノを弾いてる間は一人で待たないといけないもの。

「スケジュールは」

 十六時開演で十八時からディナーの予定。コンサートは二十五階の雅の間で、ディナーは二十六階のレストラン・シンフォニーに移動するってなってる。

「そういうことでコウ、頼むわ」
「ディナーもコウとユリと同じ席なら割り込めるでしょ」

 割り込みなら自分たちでなんとかせいと思ったけど、会社の名前を出すと騒ぎになるからか。コウは、

「かしこまりました」

 VIPも大変だ。

「ユリもでしょうが!」

 出るとこに出ちゃうとね。日本じゃハインリッヒが来日でもしないとまずないはずだけど。仙台のウエスティンで合流を約束してユリたちは東北道へ、コトリさんたちは、

「ツーリングの本道の下道や」

 ホントにタフだ。