ツーリング日和7(第22話)杉谷温泉の夜

 喜多方から国道四三九号を走って、

「新潟県だ♪」

 さらに国道四九号を走って、さらに国道二九〇号に、

「こんなところに自衛隊の演習場があるんだ」

 ホントだ。

「杉村温泉って書いてある方に行くで」
「らじゃだけど、これ細いね」

 バイクでも前からクルマは来て欲しくないな。

「ここや」

 へぇ、ここもシックじゃない。昨日程じゃないけど純和風の高級旅館だよ。暖簾を潜ってロビーだけど、部屋はどこかな。

「当館はすべて離れとなっております」

 ひぇぇぇ。窓から大きな庭が見えるけど、

「庭を取り囲むように客室を設けさせて頂いています」

 純和風の木造建築だけど、この客室はなんだよ。八畳の二間続きだよ。それだけじゃない、部屋を取り囲むように広縁まであるじゃない。

「国指定の有形登録文化財になっております」

 大正時代に建てられたそうだけど、今夜も有形文化財の部屋だ。窓から見えるお庭も見事だものね。今回のツーリングの宿は贅沢の極みだ。

「殿下のため」
「当然やろ。失礼があったら、両国の親善に差しさわりが出る」
「国際問題だものね」

 だから。ユリは侯爵だけど庶民の娘だって、

「特命全権大使閣下がなにを仰られます」

 ギャフン。良く知ってるよ。

「コトリらは大浴場に行くからな」
「貸切風呂でごゆっくり」

 ここはラジウム温泉だって。ラジウムって聞いたらだいじょうぶかと思うけど、

「あら、有馬温泉もそうよ」

 ならだいじょうぶか。夕食も美味しいよ。お酒もさすが新潟だ。でも話はやっぱり昨日の続き。コウもこだわってるな。

「・・・そやから社長言われても、コトリ言われても出来へん相談や」

 音楽界から追放されている飛鳥井瞬の復活は難題過ぎるものね。

「コウには悪いが、飛鳥井瞬はもう終わってもたんや。それもやで、自分で幕引きしたようなもんや。あれこそ自業自得そのもんやろが」
「終わってなんかいません。命ある限り甦ります」
「それは歌詞だけや」

 そしたらコウは、

「小山社長はどうなんですか」

 えっ、小山社長って誰なの?

「もう小山恵じゃないし、社長でもないよ。今は如月かすみで副社長なんだから」
「でも同じユッキーさんです。ユッキーさんなら飛鳥井瞬の復活は可能のはずです」
「悪いけど、コトリと同じ意見よ」
「それでも氷の女帝なのですか」

 コウの気持ちはわかるし、応援したいけど、こればっかりは無理そうだよね。でも今夜のコウは引き下がる気はないみたい。

「エレギオンHDが動けば、音楽業界も逆らえないはずです」
「アホ言うな。そんなお門違いのところに圧力かけたらパワハラやんか」
「そうよ。そんな横車は邪道だし、そんな無理して復活させる意味なんてないじゃない」

 飛鳥井瞬は極端だけど、一度落ちぶれてしまった歌手とか芸能人の復活は難しいと言うか、そもそも無理に近いものね。せいぜい、

『あの人は今』

 これでちょろっと顔が出せるのが精いっぱい。人気って落ちてしまうと、取り戻すのはそれこその至難の業。だいたいだよ、どうやったら人気が集まるのかさえ未だにわからないメカニズムだもの。

 そりゃ、人気者になった人の分析はあれこれされるけど、そんなものは完全な後出しジャンケンやってるだけ。それがわかれば、どこの芸能事務所だって苦労しないもの。わからないから、あれこれ試行錯誤やってるのじゃない。

 飛鳥井瞬はかつては大人気だったし、今でも覚えてる人も多いのも間違いない。でもだよ、その復活にどれほどの賛同が得られるかは未知数も良いところじゃない。覚えているのとファンなのとはイコールじゃないもの。

「社長も、副社長も、一度過ちを起こせば、死ぬまでそれは償わなければならないとお考えなのですか」
「悪いが飛鳥井瞬は一度やない」
「そうよ累積犯みたいなものじゃない」

 聞く限りそうだ。

「それは服役して、社会的制裁を受け、二十年の歳月を経ても償いきれないのですか」
「そうとは言わん。飛鳥井瞬かって、音楽以外の職業に就くねんやったらエエやんか」
「人の才能、可能性のすべてを取り上げられるほどの罪はまだ残ると言うのですか」

 コウの顔が紅潮してる。いつもクールなのに、

「小山社長はヤンキーだったボクをピアニストとして更生させてくれたじゃないですか!」
「コウのヤンキー時代のやんちゃと、飛鳥井瞬の犯した罪を同列にするのはおかしいよ」

 それにしてもコウとコトリさんたちは余程親しいんだな。だってさ、ツーリング仲間じゃなく、エレギオンHDの社長や副社長としてこれだけの口が利けるんだもの。なんとなく嫉妬しちゃう。

「ボクは飛鳥井瞬こそ復活させるべきだと思います。あの時の処分だってやり過ぎです。いくら罪を犯したからって、飛鳥井瞬の音楽のすべて封じ込めてしまうのはおかしいでしょうが」
「それはコトリも感じてる」
「そうでしょ。行き過ぎた過ちは誰かが正さないといけません」

 コウはチャンスと見て食い下がってるけど、コトリさんも、ユッキーさんも譲る気はなさそう。

「どうしても御協力を頂けないのなら・・・」
「アカン。それは絶対にアカン」
「それは許さない」

 な、なに。

「ユリをどうする気や」
「そうよ。捨て去るというの」

 えっ、ユリがコウから捨てられるって、ちょっと待ってよ。どうして、話がそんなところに飛び火するのよ。

「ユリは愛しています。でも、それとこれでは話が違います」
「違わへんわ」
「どう見たって一緒よ」

 話がどこに飛んでるの。

「コトリはあくまでも反対や。どうしてもやるって言うのなら、エレギオン・グループどころか、この次座の女神の力を使ってでも阻止するで」
「わたしもよ。首座と次座の女神に盾つこうとでも言うの」

 うわぁ、ユッキーさんの顔が怖いよ。ションベンちびりそうだ。

「たとえ女神に逆らおうとも・・・」
「悲惨な末路を経験したいの。今でも女神の力は昔と変わらないよ。あれだったら、この場で捻り殺してやろうか」

 話がどんどん殺伐になってるじゃない。というか、ユッキーさんの顔が怖くて見れないよ。

「女神は信じる正義を貫きますが、ボクだって自分が信じる正義を貫くだけです」

 わかったぞ。コウは自分のリサイタルなり、コンサートに飛鳥井瞬を出演させるつもりなんだ。それもサプライズ・ゲストとして。でもそれをやってしまうとコウが音楽界から追放されかねないよ。コトリさんも、ユッキーさんもそうさせたくないんだ。

「コウ、よくお聞き。あなたの気持ちはよくわかる。主張していることも間違ってはいない。でもね。正しいからと言って世間が受け入れてくれるかどうかはまったく別なのよ。飛鳥井瞬にはこれ以上かかわってはいけない」
「コウにはユリとの輝かしい未来が約束されてるやんか。そうなるのは首座の女神が既に恵みを施しとる。それを蹴るっていうのか」

 コウ、ここは退くべきだよ。飛鳥井瞬に関わるのはリスクが高すぎる。ユリのためにもお願い。

「見損ないましたよ。女神の正義ってそんなものだったのですね。ボクはボクの正義を貫きます。止めたければご自由にどうぞ。殺されたってボクは信じる道を進みます」

 やっぱりやるの。すべてを投げ捨てても飛鳥井瞬を復活させると言うの。それはユリより大事なことなの。ダメだ涙が溢れそう。コトリさんとユッキーさんは顔を見合わせて、大きなため息を吐き。

「なんでそない頑固やねん。人の短い一生を幸せに暮らしたいとは思わへんのか」
「そうよ、今からなら五十年ぐらいじゃない。こんな余計なものに、わざわざ関わるなんて信じられないよ」

 なに言ってるのだろう。

「人と女神では感覚が違います。ボクは女神の感覚に従おうとは思いません。人は女神からその短さを笑われようとも、その時間を悔いなく生きます。打算と妥協の人生なんて真っ平御免です」

 ユッキーさんが、

「本気でこの首座の女神に逆らう気なの」
「ボクの行く手を遮るなら、神であっても殺して突き進みます」

 この話し合いはどうなっちゃうの。コウはコトリさんたちと喧嘩別れするつもり。コトリさんたちもコウに本気で女神の力なるものを揮う気だとか。ユリはどうしたら良いのよ。

「ユッキー、しゃあないな」
「ダメよコトリ。ユリの幸せだってかかってるんだから」

 微笑みが消え、難しい顔になったコトリさんは、

「そこまで言うなら、知恵の女神の本領を見せたるわ。その代わり、コトリの指示に全部従え、文句は言わせん」
「コトリ、待ちなさいよ」
「女神の言葉や」

 どうなるの?