ツーリング日和6(第6話)なまはげの石段

 市街地抜けたら二車線や。左が海で、右が山のシーサイド・ロードがウキウキさせてくれるわ。鵜ノ崎海岸って書いてあるから、

「パーキングに入るで」
「らじゃ」

 海岸から見えるのが日本奇岩百景の小豆岩や。ここは遠浅の海岸になっていて今日は大潮やねん。

「あんなとこまで歩いて行けそう」

 この海岸も鬼の洗濯岩と呼ばれとるけど、見どころは。

「ボールみたいになっている岩がここにも、あそこにも・・・」

 地元ではおぼこ岩とも呼ばれてるそうやけど、干潮の時しか見れへんねん。今日はラッキーやで。歩いても行けるそうやけど、今日の装備やったらやめとく方が無難そうや。ここはこれぐらいでエエやろ、

「コトリ、菅江真澄って誰なの?」

 コトリも知らんかってんけど、江戸時代の旅行家やそうやねん。ただし旅行したのが出羽、陸奥、さらに蝦夷が中心やったから全国的な知名度は低いぐらいや。旅行するたびに旅行記を遺し取ったみたいで、当時の様子を知る貴重な資料ぐらいになっとるぐらいかな。

「なんかドヒャとした業績は」

 悪い。それぐらしかわからんかった。そやけど菅江真澄の墓は秋田市史跡第一号に指定されとるそうやから、こっちの方では有名人やぐらいはわかる。柳田国男の先駆けみたいな人かもしれへんな。とにかく仰山旅行記書いとって、男鹿だけでも、

 ・男鹿の秋風
 ・男鹿の春風
 ・男鹿の鈴風
 ・男鹿の島風
 ・男鹿の寒風

 こんだけあるらしくて、旅行記に書かれてるところを観光名所としてピックアップしてるようや。

「ユッキー、あそこのパーキングに入るで」
「うわ、大きななまはげ」

 これを見るのが目的でもある。ここは門前いうとこやけど、なまはげ発祥の地でもあるねんよ。

「へぇ、こんなとこだったんだ」

 あくまでも伝説やけど、漢の武帝が五匹の蝙と男鹿半島に移ってきたとなっとる。なんで漢の武帝かは聞かんでくれ、あくまでも伝説や。その武帝が連れて来た蝙やけど男鹿に来たら鬼になってるんよ。

「それって式神みたいなもの?」

 コトリもイメージとしてはそうやけど、武帝は五匹の鬼を使役して暮らしとったらしい。そんな武帝やけど年に一日だけ鬼に休みを与えとったんや。

「ブラック企業も良いとこね」

 時代がちゃうからな。休みをもろた鬼たちは里に下りてきて悪さをしまくり、里人は困ってしもたんよ。そこで鬼と交渉したんや。一晩のうちに千段の石段を完成させることが出来たら、毎年娘を差し出す。その代わりに出来なかったら二度と里に下りて来ないで欲しいってな。

「なんか無理やりの設定ね」

 伝説やからしゃ~ないやろ。鬼たちはそれぐらいは簡単と石段を作り始めたんやけど、九九九段まで出来た時に、

『コケコッコー』

 鶏の鳴き声を聞いて山に尻尾を巻いて逃げて帰り、二度と里には来なくなったとなっとる。

「それって定番の・・・」

 そや。鬼たちが千段の石段を完成させそうになったから、里人の一人がモノマネをやったとなっとるわ。

「でも逃げて帰って、鬼が二度と里に下りて来なかったら話は終わりじゃない」

 そうやねんけど、里人は鬼を懐かしんだのか、それとも鬼の恐怖を忘れんようにするためかはわからんけど、なまはげが里に現れた正月十五日に鬼の扮装をして家を回るようになったのが、

「なまはげの始まりか」

 そうなっとる。昔話や神話に合理性を求めたらあかんけど、かなり無理があるのはコトリも同意や。そやけど、その鬼が作った九九九段の石段は今でもあるんよ。

「登らなきゃ」
「もちろんや」

 パーキングからほど近い時に赤神神社遥拝殿があるんやけど、その右側から石段は始まるねん。草も生えとるし、ガタガタやな。

「いかにも急いで作った感じが出てるよね」

 登って行くと見えて来たのは山門やろな。

「仁王さんが石像なのを初めて見た気がする」

 コトリもや。ほいで見えて来たのが長楽寺や。実はここまでクルマで来れるし駐車場もあるから、石段の終点にある五社堂に行く人はここから登るのが殆どや。九九九段の石段はシイドイし時間もかかるからな。

 鳥居を潜って宝物殿をパスして、御手洗の池、中島、姿見の井戸とあって五社堂や。伝説では漢の武帝と鬼たちが棲んどったとこになる。

「鬼とか天狗伝説って、あれよね」

 ああ全部がそうとは言わんけど、漂流者って説はあるねん。とくに白人やったら背も高いし、色も白い、それに日本人から見たら異相やし、

「とくに鼻が高く見えたはず」

 当然やが言葉も文化も、着てる服かって、持ち物かって違う。人間には見えへんかっても不思議あらへんもんな。それに食い物がなくなれば村も襲うやろし、女だってそうや。

「良い事とは言えないけど、異国の地というより、異星に漂着したみたいなものだろうね」

 そんな気がするわ。中にはなんとか交流しようとしたのもおってんやろけど、難しいよな。どっちか言うたら山賊とかになって生き延びようとしたはずや。

「鬼退治伝説もそうかもね」

 含まれてるのはあると思うわ。それとやけど、男鹿の鬼は暴れたってなっとるけど、考えようによっては交流しとるとも言える。そやから鬼退治伝説にならんかったんかもしれへん。

「鬼が来たのを懐かしんでの伝承が残ってるぐらいだものね」

 伝説や神話に合理性を求めたらアカンけど、案外真実が含まれてる事も多いんよ、長い歳月のうちに変形しまくってるからわからんようになっとるけど、大元の話があったケースもあるぐらいや。

「ひょっとして秋田美人の血のルーツの一つだとか」

 そういう説もないことはないけど、そこまで漂流者が多かったかと言われるとわからんとこや。さすがに歴史の霞の先の話やからな。