ツーリング日和13(第10話)青島

 青島と言えば青島ビールだ。

「つまらん冗談だ。文字は青島だが読みはチンタオで大陸の地名だぞ」

 あのね、もうちょっとノリが良くてもイイじゃないの。コトリさんたちは、

「コトリも初めて?」
「こんなに近いのにな」

 神戸からでも宮崎は余裕で遠いと思うけど、出張で宮崎には来たことはあるそう。

「仕事ばっかりで愛想もクソもあらへん」
「ホテルと出張先しか行ってないのよ」

 それはご愁傷さま。朝食を済ませたらまず青島訪問だけど、

「歩きや」
「そのためにこの宿に泊ったようなもの」

 青島にはクルマやバイクで入ることは出来ず、青島参道から橋を渡って歩いていくのだけど、民宿から参道の入り口までなんと三分だ。もっともそれは結果的にそうなっただけと思うけどな。

「宮崎と言えば新婚旅行のメッカ」
「そんなもん昭和の人間でも大昔の話や」

 そんな時代があったそう。今なら結婚と言えば結婚式から新婚旅行がセットのようなものだけど、それがポピュラーなものになったのは一九五〇年頃からなんだって。

「戦後復興が進んだからとなっとるが終戦は一九四五年やからな」
「朝鮮特需もあったと思うけど」

 朝鮮特需とは朝鮮戦争による日本での物資調達が大規模に行われたからのものだって。まだまだ貧しい時代だったけど、ささやかな贅沢ぐらいの位置付けだろうな。

「だろうね、関東なら伊豆箱根、関西なら南紀白浜がメッカだったもの」
「海外なんて夢のまた夢の時代だものね」

 宮崎が新婚旅行地として注目され出したのは一九六〇年代に入ってからになるそう。伊豆箱根や南紀白浜に較べるとドンと遠隔地になるけど、どうして宮崎が脚光を浴びたんだ。

「島津貴子様と平成天皇の皇太子時代の訪問とされとる」

 平成天皇は名前は知ってるけど島津貴子様って誰だ。

「島津貴子様は昭和天皇の第五皇女でお相手は旧華族の島津久永氏や。ちなみにやけど旧佐土原藩主の家系や。肩書だけやったら皇族と旧華族の結婚やねんけど・・・」

 夫の久永氏は旧華族とは言えタダの銀行員であり、新居もお屋敷ではなく公団住宅みたいなところだったらしい。つまりは皇女なのに庶民の家に近いところに嫁いだので国民に親近感をもたれ人気があったぐらいだそう。

 その島津夫妻が新婚旅行代わりに宮崎の島津家の実家に里帰りをしたのだって。それもお忍びみたいなスタイルではなく、記者が同行するようなもので、これが今ならワイドショーで注目されまくる状態になったそう。

「それよりミッチーよね」
「あれで完全に火が着いたんやろ」

 島津貴子様の結婚もインパクトがあったけど、もっと衝撃を与えたのが平成天皇のお后に選ばれた美智子様だったんだって。貴子様のお相手はそれでも旧華族だったけど、美智子様の家は日清製粉の社長令嬢とは言え平民の出身だったからだそう。

 美智子様の結婚は貴子様より早く一九五九年だけど、当時の皇太子夫妻が宮崎を一九六二年に訪問された時にも大きく報道されたそう。

「貴子様夫妻が火を着けて、美智子様ご夫妻が炎上させた感じだね」
「ああそうやった。いわゆる『あやかる』で宮崎が新婚旅行のメッカになっていった」

 ピークは一九六〇年代後半から一九七〇年代後半までの十年間とされていて、頂点だった一九七四年には百万組の結婚のうちの三十七万組が宮崎に新婚旅行に行ったぐらいだそう。その頃はそこら中に新婚さんがウヨウヨいたんだろうな。

 もちろん青島も新婚旅行コースの定番だったろうし、だから参道商店街も形成されたと思ってるけど、

「どうしたって今や昔やな」
「でも頑張ってるじゃない」

 商店街を抜けると弥生橋があり島に渡るのだけど、商店街から橋まで舗装された遊歩道が続いていて、橋の左右に広がるのが鬼の洗濯岩と呼ばれてる。青島はかつては島ごとが禁足地だったらしく、今でもすべて青島神社の境内になっているとか。橋を渡ってしばらくすると遊歩道が途切れて砂浜になるけど、

「あそこやな」
「ここも古いのよね」

 古い記録が火事で失われてはっきりしないそうだけど、それこそ古代からの神聖地帯であったで良さそうで、記録に残っているだけで平安時代から尊崇されてたとか。祀られてる神様は、

「アマツヒダカヒコホホデミノミコトや」

 な、なんだって、その舌を噛みそうな寿限無みたいな名前は、

「わかりやすく言うたら山幸彦や」

 山幸彦と言えば、えっと、えっと誰だっけ、

「天孫降臨したニニギノミコトの息子や」

 伝承では山幸彦が海の神に招かれて地上に戻った時に住んだのが青島だそう。海に関連するから青島でも良いと思うけど、ニニギノミコトがいた延岡からエラい遠いな。あれかな山幸彦はニニギノミコトの後継者にならなかったとか。

「なっとる、なっとる。山幸彦はいくつか呼び名があるけど、ホノオリノミコトとしてニニギノミコトの後継者や」

 たくややこしい。そしたらコトリさんの目が細くなり、

「これも見方やねんけど、ニニギノミコトは延岡におったけど、山幸彦は宮崎に移ったんかもしれん」

 海彦と山彦の争いを兄弟による後継者争いと見るのか。

「それもあるけど政略結婚もあるで」

 亡命貴族を婿に迎え入れるパターンもあるのか。神話ではあっさり海幸彦が退治されてしなう展開だけど、実話がベースにあると考えると海彦山彦の神話はもっとドロドロしたものだったのかもしれない。そう考えると山幸彦が住んだとされる青島だって、

「そうも見えんこと無いな。今と古代がどれだけ違うとったかまで知らべてへんけど、ある種の城塞機能も考えとったんかもしれん」

 青島神社は古社なんだけど、現在の社殿は昭和の再建。でも朱色が生える綺麗なものだよ。それと建物は純日本風なんだけど、いわゆる鎮守の森が異風だ。青島はヤシ科の群生地の北限ともされてて、南洋風の感じなんだよね。

「こういうとこは唐風の竜宮城みたいな建物が似合いそうや」

 かもね。神門から本殿。さらに元宮もお参りして、産霊紙縒。これは『むすびこより』と読むのだけど、夫婦枇榔にこよりを結び付けて願い事をするところなんだ。こよりは願いによって色分けされていて、

 ピンク・・・良縁、夫婦円満
 紫・・・・・・・心身健全
 緑・・・・・・・生業成就
 黄・・・・・・・商売繁盛
 白・・・・・・・その他の心願成就

 ピンクが多そうな気がする。そこから宿まで戻ってツーリングスタートだ。