ツーリング日和13(第8話)民宿の夜

 美々津からも延々と国道十号を南下して一時間ぐらいした時に、

「一ッ葉有料道路に入るで」

 えっ、有料道路と思ったけど、有料道路でも自動車専用道路じゃなければ走れるのか。双葉のZ900RSは二百円だけどコトリさんたちは驚異の二十円じゃない。

「小銭を用意するのが面倒やねん」

 それぐらいやったらタダにして欲しいとか。気持ちはわかる。ETCが使えるところなら良いけど、バイクで料金を払うのは面倒だものね。一ッ葉有料道路から国道三七七号線に入りついに青島市内だ。ANAホリーデーインリゾートでしょ、青島グランドホテルでしょ、

「死んだ子の歳を数えるようなことをするな! これは仕事だぞ」

 それはわかってる。わかってるけど宮崎までツーリングに来てるじゃない。それもこんな妙齢の若い娘がだよ。一泊ぐらいオシャレなホテルに泊まっても良いじゃないの。

「ここみたいや」

 う~ん、古ぼけた三階建てのビルで、一階のビニールの軒先テントがチープさを強調してるよ。一階のロビーだって帳場だもの。部屋に案内されたけど、これって普通の畳の部屋じゃない。それが民宿だと言われたらそれまでだけど、

「風呂行くで」

 ちょっと広いけど普通のお風呂。青島には温泉があるんだよ。なのに普通の風呂って悲しくない。気持ちは良いけどね。それにしても二人のボディってなんなのよ。ユッキーさんは華奢な感じがするけどガリじゃない。ガリどころか服の上からじゃ想像できないぐらいのナイスバディだ。

 コトリさんは引き締まってる感じ。まるで若鹿のようで、アスリート感さえあるって言えば良いのかな。タイプは違うけどこれほどのナイスバディは女優とかアイドルでもいないんじゃないかな。

 それより驚かされるのが素顔の美しさ。というか、殆ど化粧してないのじゃないのかな。それでいて肌の綺麗なこと。本当に普通のOLなんだろうか。モデルをしていないのが不思議過ぎる。

「メシや」

 ここもお食事処なんだよな。う~ん大衆食堂というか、どこかの合宿所の食堂みたいだ。まずはビールで、

「カンパ~イ」

 へえ、これはチキン南蛮だ。鶏の唐揚げに甘酢をからめてタルタルソースで頂くのだけど、これは宮崎が発祥なんだって。なんでも延岡の洋食店のまかない料理から始まったそうだけど今や全国区だものね。

「これ美味いで」
「甘酢ダレが違う気がする」

 こっちはレタス巻きだ。エビ、レタス、マヨネーズを使った巻きずしだけど、これも全国区も良いところ。でも宮崎のお寿司屋さんから始まったんだって。

「こっちは肉巻きやな」

 おにぎりに味付けした豚肉を巻いて焼いたものだけど、これも宮崎発祥なんだよね。どれも美味しいよ。料金が料金だからドヒャとしてものはないけど、宮崎の名物料理を楽しめて合格だと思う。部屋に戻ると、

「天ぷらもうてきた」

 これは天ぷらじゃなくてさつま揚げだと思うのだけど、九州で天ぷらといえばこれになるらしい。魚のすり身に、豆腐、黒砂糖、味噌を加えて揚げたもの。

「宮崎で焼酎を飲まんかったら話にならん」

 だからって瓶ごと持ってきてどうするんだよ。焼酎と言えば鹿児島ってイメージもあるけど、一番多く作られてるのが宮崎だそう。つまりは日本一の焼酎王国ってことだよね。うわぁ、ストレートで茶碗酒ってか。双葉は六四のお湯割りで。

 話は歴史談議に。なんとなくわかってきたのだけど、コトリさんは古事記神話と実話のつなぎ合わせをやってるみたいだ。

「神話や民話、伝承なんかは事実を反映しとる部分はあるはずやねん」

 まずだけど神武一派は大陸からやって来たと見ているよう。卑弥呼の時代は三国志の時代だから亡命者が日本に来てもおかしくないか。だけど北九州では受け入れられなかったと考えてるようだ。

「余所者は嫌われるのは古今東西一緒や」

 それでもテクノラートとして優遇されるのはありそうだけど。

「こればっかりは証拠があらへんねんけど、宗教が違うた可能性はあると思うねん。風俗でもエエ」

 宗教はあるかもしれないけど風俗って、

「刺青や」

 魏志倭人伝には、

『男子無大小 皆黥面文身』

 男は誰もが刺青をしているとなってるのよね。さらに、

『諸国文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差』

 刺青は国によって異なり、さらに身分差も現わしているとなってるの。つまり邪馬台国を中心とし北九州では男なら誰でも刺青をしていたことになる。じゃあ神武一派は刺青をしていなかったとか。

「それがわからんのや。刺青は儒教で禁じられたさかい、大陸でも貴族階級は無くなっていたはずや。日本かってその影響は受けたはずで、貴族や武士は原則として刺青なしや」

 コトリさんが読む限り古代の貴族階級で刺青をしているの記録が見つからなかったそう。もちろん誰もが当たり前にしていたから書かれなかった可能性はあるとしてた。こんなもの神武天皇のミイラでも見つからない限りわかんないよね。

「とにかく神武一派、この場合はアマテラス一派でもかまへんけど、北九州に居場所を失って南九州、それも日向に流れ着いたと見とる」

 この亡命劇が天孫降臨か。

「そやから高千穂峡が有力な気がしてるねん。あそこやったら天然の要害みたいなとこやし、狭苦しいとこやけど、米かって獲れるやろ」

 平家の落人みたいなもんだな。だけど高千穂じゃあまりにも狭隘の地だったから、日向の延岡に進出したのか。これがニニギノミコトになりそうだ。というか、高天原が高千穂峡で、天孫降臨がニニギノミコトの延岡進出が天孫降臨ぐらいだよね。

「日本書紀にははっきり書いてあるけど、延岡かって無人やあらへんかった。先住民がおるねんよ」

 これは延岡だけでなく他の日向もそうだったと見るべきよね。だったら、

「そういうこっちゃ、ニニギノミコトの子孫は延岡を中心に勢力を広げたやろうけど、神武の時代にヤバくなったでエエはずや」

 だけど敵対勢力がどこから来たかは微妙としてた。日向の南から攻め寄せられたが妥当そうな気もするけど、

「それやったら神武は延岡から美々津に動いたのが説明つかん」

 たしかに。じゃあ、北九州の勢力が押し寄せて来たとか。

「否定はせんけど遠いねん。大分あたりからの可能性もあるけど、コトリは仲間割れの可能性があると見てるんや」

 神武一派は延岡に根拠地を移してるけど高千穂だって無人にしたわけじゃないはずよね。延岡朝廷内の権力争いが激化して、高千穂派と手を組んで延岡に押し寄せようとしたしたぐらいか。

「神武にしても敵わへんと判断して、畿内への逃亡を決断したんちゃうか。延岡に船を集めとったら間に合わへんから、美々津までとりあえず逃げたんやと思うてるねん」

 そんな切迫した状態だから船出の時の慌ただしさが伝承として残ったのかも。ここでユッキーさんが、

「でもさぁ、どうして畿内にしたんだろ。中国でも四国でも適当なところはありそうじゃない」

 神武の東征も一直線に畿内に向かったわけじゃない。当時の航海技術問題もあるからあちこちに寄港してるし、とくに吉備では三年も過ごしてる。

「あれもわからん。三年もおってんやったら吉備でエエはずやもんな。吉備かって古代王権の地やから争いにならへんはずがないんやけど」

 この辺は脚色もあるはずだから額面通りに受け取れないとこもあるぐらいだけど、日向にいた神武が一族を引き連れて畿内を目指したのは間違いないと見て良いと思う。そこから作り話にするのは無理があり過ぎる。

「そうやねんけど、畿内も無理があり過ぎるんよ」
「だよね。どうして畿内だったのだろうね」