ツーリング日和13(第16話)日向三代

 今回の企画は歴史とツーリングのコラボだ。これも良くあるもので、歴史をたどりながらツーリングを楽しもうぐらいのもの。この歴史部分だけど、歴史オタク向けとまでは言わないけど、出来れば歴史に興味の薄い人でも関心が向くぐらいの内容が理想的。

「妻問婚なんだけど・・・」

 妻問婚もいくつか類型があるみたい。まず婚姻しても夫婦が同じ屋根の下で暮らすわけじゃない。今どきで言えば別居結婚みたいなものと見て良さそうだ。そこに子どもが産まれても妻の家で育てるだけでなく、妻の家の子どもになる。

「古代ほど家は重いからな」

 子どもがどの家の子どもであるかは重要なのよね。妻問婚の風習が平安貴族まで連綿とあったのは事実だけど、平安時代ともなると変形している。

「皇位継承問題があったからだと思う」

 天皇は男系で継承される、これだっていつからそうなったのかはコトリさんに言わせるとわからないとしていたけど、記録ではっきりしたのは奈良時代からで良いとしてた。もっとも男系と言うか草壁皇子系にこだわりすぎて天武の血筋は滅んだそうだけど。

 皇室には天武天智の血統問題があるのも見つけたけど、それはそれでややこしいから触れない。日向と関係ないものね。ただ奈良時代の草壁皇子系への嫡系継承に異常にこだわったのが後に大きな影響を残した説は使いたい。

 皇位の継承が男子優先になったから、妻問婚で子どもを妻の実家で育てる部分は残ったけど、育った子どもは夫の家に属するようになったと見たい。そりゃ、そうしないと男系継承なんて出来ないもの。

 そういう継承スタイルになったのが本当に奈良時代からなのかはわからない。わかっているのは、奈良時代あたりからそうなってるだろうぐらいだ。それ以前が本当はどうだったかなんてどこにも記録がないのよね。

「あれも考えれば不思議で、男系継承にしたければ、今のような嫁取り婚姻スタイルにすれば良かったはずだものな」

 そういう風に考えれば、持統が仕掛けた婚姻改革は後の影響は大きかったけど、ベースの妻問婚システムを壊してしまうまで行かなかったと見れない事はない。じゃあ、日向の神話時代は具体的にどうであったかだけど、

「ニニギから考えようか」

 ニニギの奥さんはコノハナサクヤ姫だ。これは大山祇家の娘となってるから、ニニギの息子として挙げられてるのはニニギの子どもじゃないはずなんだ。妻問婚から考えるとニニギ家の跡取りはニニギの姉なり妹が産んだ子どもになるはずじゃない。

「そっちか。今から見ると不自然だけど当時の常識ならありえるかもしれない」

 男が当主の時の妻問婚の相続は基本は従姉妹なり従兄弟だった気がする。だってだよ、子どもを正式に作るには古代でも婚姻が必要のはずじゃない。でも自分の妻の子どもは妻の家の子どもになるじゃない。

「そうなるよな。コノハナサクヤ姫が何人産んでも大山祇家の子どもだものな」

 なんか変形の極み見たいな感じがするけど、女系相続と見るとわかりやすい気がする。妻問婚では家は娘が継ぐのだよ。娘が継いで生まれた娘に家を渡していくのが本来の姿のはず。これならすっきりわかりやすい。

「でもニニギは男だぞ」

 さすがにニニギは実は女だったとするのは無理筋だ。話がこんがらがりそうだから一度整理しておくと、ニニギとコノハナサクヤ姫の子どもは大山祇の子どもになる。だからニニギの息子とされている海幸彦も山幸彦もニニギの実子ではなく、ニニギの姉なり妹の子ども、つまり従兄弟になるはず。

 今の常識からすると変に感じるけど、これが妻問婚の女系相続のルールだったはずなんだ。ここで問題になるのは家の息子の地位だ。これは古代なりの現実により本来の女系相続に変形と言うか、現実的対応を起こしたと考えたい。

「現実的対応って」

 卑弥呼の時代だってこと。卑弥呼の時代の邪馬台国は倭国大乱と記録されるぐらいの時代じゃない。あれは邪馬台国の特殊事情ではなく、人の文明の発達で起こる必然みたいなものと見るべき。

 人は仲間を求めて暮らす生き物だと思う。もっと原初的には群れをつくる生き物だ。群れが生きるためにテリトリーを設け、これが国へと発展する。国が出来れば国同士の争いが勃発するのは必然だ。

 これは有史以来、現代でさえやらかし続けている。争いとは戦争だけど、戦争に従事するのは男だ。これはジェンダー問題とは関係ない。生物学的な男女差になる。

「戦争の規模が小さいほど個人の武勇の比重は大きいだろうし、大将は陣頭に立って戦うのは求められるだろうな」

 邪馬台国もそうなのだけど、古代では祭祀はニアイコールで政治になる。これは今でも政治を『まつりごと』と読むぐらい残っている。だから祭祀の長は王だったはずで、その祭祀を司るのが女だったはずなんだ、

 だけど周辺の国々と抗争状態になると男の担当である軍事の比重が重くなったと思う。男を王として戦わないと国ごと滅びてしまうもの。だから妻問婚で家は女系相続のはずなのに、国の王になるのは娘ではなく息子になってしまったぐらいと考えたい。

「現実的にはありそうだよな。祭祀の長と軍事の長の分離みたいな体制になる方が自然な気がする」

 本当のところはわかるはずもないけど、軍事比重が重くなるほど男の役割が重くなるのは自然な気がする。ニニギ家がどうなっていたかなんてわかるはずもないけど、たとえばだけど家は女が継ぎ祭祀の長にもなるけど、軍事の長は男が継ぎ、対外的には王みたいな地位になっていたぐらいはあっても良いと思う。

「海幸彦と山幸彦は従兄弟同士の相続争いか」

 同母であったか異母であったかは不明だけど、仲が悪かったのは間違いない。でも勝ったのは海幸彦のはず。負けた山幸彦は宮崎県の南部に逃亡したと見るべきだ。海幸彦と山幸彦の話のメインは、海神である綿津見大神というかワダツミ家に山幸彦が迎え入れられたと見たい。

「夜這いの求婚が成功したとか」

 かもね。ひょっとしたらニニギの国の方が文化が高かったとか、山幸彦がイケメンだっとかもあったかもしれない。妻問婚では夜這いをしてきた男からの指名権は女にあり、豊玉姫によほど気に入られたのだろうね。

「だから青島神社にしろ、鵜戸神宮にしろ宮崎県の南部にあるのか」

 さて考えないとならないのはナンタラトリアエズだ。

「エエ加減ウガヤフキアエズを覚えろよ」

 そのウガヤだけど、ニニギの家の息子じゃなくてワダツミの家の息子になるのが妻問婚のルールなんだ。豊玉姫は綿津見大神の娘だからワダツミ家の王になったと見たい。

「ニニギ家じゃないのか」

 なれるはずがないじゃない。ウガヤはワダツミの家の王子だもの。ニニギ家から見たら他人だよ。家の相続権も王になる資格だってないよ。

「じゃあニニギ家は海幸彦の子孫だな」

 なるか! 妻問婚では男の子どもは家に残らないシステムなんだ。便宜上ニニギ家としてるけど、ニニギの直系の子孫はコノハナサクヤ姫の実家である大山祇家に残ってもニニギ家からはいなくなる。これは海幸彦も同様だ。

「わかりにくいな」

 今と逆を考えれば良いだけじゃない。女が嫁ぎ先で何人子どもを産んだって、すべて嫁ぎ先の家の子どもになるじゃない。

「そっかそっか」

 だからニニギの家と言うよりアマテラスの家とした方が良いと思う。アマテラスの女系の子孫が王となってるのがニニギの家だよ。地神五代の初代がアマテラスなのも妻問婚であったことを伏せきれていないとも言えるんじゃないかな。

 アマテラスとスサノオの争いも有名な神話だけど、弟とはいえスサノウは王となっていない。これは男系相続であれば考えられないことじゃない。もし男系相続であればまずスサノウが王となり、乱暴者だったから高天原から追放されて、その後にアマテラスが女王になるはずだもの。

「ところでワダツミ家って」

 海に強い家だったぐらいかな。ワダツミ家の本拠がどこであったかなんてわからないけど、強いて言えば志布志あたりから宮崎市ぐらいを勢力圏にしていたのかもしれない。日南ぐらいが本拠だったかも。

 あの辺はフェニックスロードになってるけど、古代にあんな道はなくて浦々を海路でつないでいたんじゃないかと思う。海路と陸路だったら陸路の方が安全そうだけど、あそこまで古代になると様相が違っていた気がする。

 まず整備された道なんてあり得ない。道というより歩けるところを選んでいたとするのが実際のところじゃないかと思う。それに川があったら橋なんてあるはずもないから、少しでも大きな川があったりすれば渡るだけでも大仕事になるはず。渡し船なんて期待するだけ無駄だもの。

 それに対して船なら、砂浜さえあれば着けられる。それはそれで制限もあるだろうけど、一概に陸路が勝ってるとは言い難いと思うのよ。とりあえず遠方に出かけるなら船の方が有利な時が多いんじゃないかな。

「だから延岡から山幸彦が逃げても、海幸彦は追いきれなかったのか」

 だと思う。今と距離感は違うなんてものじゃないはず。延岡から見たら宮崎の南部、それもフェニックスロードのあたりになると遠い国と言うより未知の世界状態であっても不思議無いと思う。