ツーリング日和7(第14話)立石寺

 仙台からのツーリングだけど、予想通りというか、そうなるというかで、

「マスツーにしようや」

 反対するほどの理由もないし、コウも今回のツーリングで仕事は遠野と仙台だけ。これはユリとの旅行の比重を重くしてくれたから。ストリート・ピアノを弾くのは別枠だけどね。ただコトリさんたちとマスツーになると、

「ツーリングの本道の下道オンリーや」

 オンリーもクソも、そもそも原付じゃ走れないものね。だけどコウは、

「下道歓迎。今回は高速を使い過ぎてる」

 そうなると行き先も変わって来るけど、

「どうせ会津から新潟目指すんやろ」

 秋田から南にツーリングするとそうなるものね。コウとコトリさんがあれこれ打ち合わせして、

「ほんじゃ、文句は言わせんで」

 まずは仙台市内からの脱出。高速なら東北自動車道から東北横断自動車道になるけど、ガチの下道になるから、国道四十八号を西に、西に。

「作並街道ね」

 仙台と山形を結ぶ歴史的な道だそうだけど、より正確には仙台側を作並街道、山形側を関山街道と呼ぶらしい。仙台市内は少々時間がかかったけど、峠に入ってからは快調。下道でもこういうところは時間を稼ぎたいところだけど、

「飛ばせ、飛ばせ、捕まるのはどうせコトリだ」
「そんなことはインカム切ってから言え」

 相変わらずの二人の漫才だけど、そこそこ交通量があるからクルマにすぐに引っかかるからスピード違反は心配無さそう。峠を下りてきたら天童か。どこかで左に曲がるはずだけど・・・あれかな県道二七九号って書いてある。そこを曲がると果樹園みたいだけど、

「やっぱりサクランボじゃない」

 山形と言えばそうでものね。道路案内に山寺が出て来たよ。地元でも立石寺じゃなくて山寺と呼ぶみたい。谷間みたいな道になってきたら、どうも門前町みたい。どこかでバイクを停めないと行けないけど、公営の大駐車場みたいなものはなさそう。

 その代わりに小規模な民営の駐車場があって客引きやってるね。こういう時はお寺の入り口に近い方が嬉しいよね。えっと、これが登山口ってなってるけど、コトリさんが客引き相手に交渉してる。

「二台分で手を打たなしゃ~あらへんかった。とにかくコウのがデカすぎる」

 一七〇〇CCのハーレーだから軽自動車ぐらいの迫力あるものね。

「ユリのもデカいし」

 そうじゃなくてコトリさんたちのが小さすぎるのよ。いつも思うけど、よくまあ、あんな小さなバイクでロング・ツーリングやってるものだ。もっともマジになって走ったらユリのバイクでは追いつけないけどね。

「コトリ、千段だって」
「そこそこやな」

 これもあの二人の驚異なんだ。小さなバイクでロング・ツーリングするだけでも疲れるはずなのに、歩くのをまったく苦にしない。苦にするどころかルンルンしながら歩くのだもの。立石寺だって千七十段だよ。普通なら段数聞いただけでウンザリするもの。

「へぇ、立石寺の本堂って麓にあるんだ。それとお賽銭箱の上に布袋さんは珍しいよ」

 ホンマだ。賽銭箱の上に布袋さんが頑張ってる。それとこの辺は茶店が並んでるよ。玉コンニャクがこの辺の名物なのかな。山門で巡拝料を払って、ここから本格的な石段って事みたい。

「石段を一つ登ると煩悩が一つ消えるんだって」

 そんなに煩悩ってあるのかな。それより石段地獄の始まりだ。それにしてもコトリさんたちの足取りは軽いな。

「遅れても上で待ってるさかい」

 置いてかれてなるものかと思うけど、あいつら疲れってものをしらんのか。こっちは足が悲鳴をあげてるよ。

「ユリ、自分たちのペースで登ろう」

 立石寺は天台宗で、比叡山の三代座主の円仁の創建の伝承があるそうだけど、コウに言わせれば眉唾だそう。それでも円仁がなんらかの形で関与はしてるらしくて、天台宗でも重視された寺院というか、山形の布教の重要拠点と見てたんじゃないかって。

「御多聞に漏れず戦火にも見舞われてるけど、それでもこれだけの規模のものが残ってるのはさすがだ」

 ユリもそう思う。門前町も含めて活気があるものね。てな話をしている余裕もすぐになくなった。そりゃ、登っても、登っても、無限に続くような階段。コトリさんたちはとっくの昔に見えなくなり、何度も何度も休憩を取って、

「ユリ、着いたんじゃない」

 やったぁ、門の向こうに建物がたくさんあるよ。最後の根性で階段を登り切り、門をくぐると。げっ、まだ階段があるじゃない。門の中にはヘバって休んでる人も多いな。そりゃ、そうなるよ。そこからも騙されたと思うぐらい階段を登らされた。そしたら売店の前で、

「やっと来たか」

 涼しい顔の二人。ちっとはシンドそうな顔ぐらいしろよ。でも奢ってもらった冷たいジュースのお蔭で一息付けた。こいつらが実は女神なのは教えてもらったけど、とりあえず体力は化物級だ。ユッキーさんなんかあんなに華奢なのにね。


 立石寺は残っている建物だけでも立派だけど、その名前が日本中に知れ渡ったのは松尾芭蕉のお蔭だと思う。芭蕉の句の中でも屈指と名作とされてるし、学校の教科書にも載ってるから、誰でも知ってるとして良いはず。その句が立石寺で詠まれたのは有名だけど、どの辺で詠んだのだろう。

「芭蕉が山寺を訪れてるのは事実で元禄二年五月二十七日や。これは新暦で七月十三日になる。そやから蝉が鳴いとるのも間違いあらへん」

 奥の細道よね。ただし紀行中に詠んだオリジナルは、

『山寺や石にしみつく蝉の声』

 なんか粘っこい感じがする。これが改訂されたのが、

『さびしさや岩にしみ込む蝉の聲』

 なんか「しみ込む」は味気ない気がする。そこからさらに手が入ってあの句になったんだって。するとユッキーさんが、

「やっぱり蝉はアブラゼミじゃない。アブラだからしみつくのよ」

 芭蕉がどの蝉の声で俳句にしたのかも議論はあるんだって。科学的にはこの時期の山形で鳴いているのはニイニイゼミがメインで、アブラゼミには少し早いらしい。もっとも年によって差はあるはずだからアブラゼミの可能性もゼロでないぐらいかな。

 アブラゼミ説は斎藤茂吉だったらしいけど、小宮豊隆はアブラゼミの鳴き声では『しみ入る』の情感に合わないとしてニイニイゼミを主張したんだって。だけど芭蕉の原句はユッキーさんの言う通り『しみつく』なのよね。

「あれこれ頭捻ってるうちに芭蕉の頭の中の蝉の声が変わったんじゃない」

 この辺は芭蕉本人に聞いてみないとわからないのだけど、どういう情景で詠んだのかがポイントらしい。立石寺の奥の院は岩が目立つとこなのよね。そこで蝉が鳴いてた情景があったのまでは良いはずだ。

 その蝉の声が大合唱だったのか、それとも岩に止まった蝉が鳴いていたかでかなり違ってくる。大合唱だったら声が岩に『しみつく』になりそうだし、一匹の蝉やったら『しみ入る』になりそうな気はしてる。

「最初に詠んだ時はアブラゼミの合唱を句にしたけど、駄作だから変更したのよ」

 まあユッキーさんの説も一つかな。でも、そこまで考えると蝉の種類の縛りもなくなるのよね。改訂している時に聞いた蝉の声にした可能性もあるかもしれない。それだったらユリはツクツクボーシを押したいな。

「それだったらヒグラシよ」

 さっきの芭蕉がどこで詠んだかだけど、これも舞台が立石寺と言うだけで、立石寺の奥の院で詠んだとはどこにも書いていないそうで、おそらくだけど山を下りて、宿に帰ったから詠んだのじゃないかともされてるそう。

 でも実感としてはそんな感じがする。芭蕉だって立石寺の階段はキツかったはずよ。それも新暦の七月十三日だったら暑いはずだもの。汗だくになってたどり着いて、奥の院の参詣もしただろうけど、のんびり俳句を捻る余裕なんてなかったはず。

 それこそ宿について、一風呂浴びて汗を流し、夕食を食べてから、あれこれ思い出しながら俳句を考えたに違いないよ。