孫子の兵法

 孫子は2500年前ぐらいの人で、孫子が残した兵法書が孫子の兵法と呼ばれるものです。全部で6000字ぐらいのコンパクトなものだそうですが、現在ですら通用する部分が多いとされる軍事のバイブルみたいなものの評価もあります。

 中国の兵法家と言えば、孫子と並び称された呉起とか、周建国の名宰相である太公望、漢の名軍師張良、背水の陣の名を残した韓信、三国志で有名な諸葛孔明などもいますが、今に確実に残り、影響力も強いという点で孫子は偉大であるぐらいは言っても良いと思います。

 そんな孫子の兵法を少し読んでみたいと思います。今日は作戦編から抜粋です。

孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車 千駟、革車千乗、帯甲十万、千里にして糧を饋れば、則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費す。然る後に十万の師挙がる。

 意訳すると十万の軍勢を外征させるためには、一日に千金の費用が必要としています。千金とは一般に大金の意味なのですが、これが具体的にどれぐらいの価値であったのかははっきりしませんでした。そこで単純な算数をしてみます。

    10万(人)÷ 1000(金)= 100(人/金)

 単純すぎるのですが、1金で1日当たり100人の兵士を養うことになります。ここから先がさっぱりわからない世界になりますが、かなり強引ですが、

    1金 ≒ 1斤 ≒ 約250g ≒ 1万銭
 これは前漢時代の交換レートだそうですが、これをあてはめると兵士1人当たり100銭になります。兵士一人当たりの給料としてはチト高い気がしますが、軍隊は兵士だけで成り立っているわけではなく、軍馬も必要で、兵糧や武器の調達輸送費も入りますから、孫子は漠然と大金が必要と表現したのではなく、具体的にこれぐらいは必要と計算して見せた気がしています。

 外征するのに千金/日必要ですから、たとえば10日間の外征なら1万金が必要になります。それだけの軍資金を用意できて、初めて外征が可能になるとしています。当たり前そうなお話ですが、それだけ戦争にはカネがかかるものだとの大前提で孫子の兵法は、これから語られている気がします。次のところが興味深いのですが、

其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を鈍らし鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈す。 久しく師を暴せば、則ち国用足らず。夫れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈し貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。

 外征軍が勝つのに時間がかかってしまうと士気は下がってしまうとしています。また城攻めなどやれば力が尽きてしまうとしています。それだけでなく、長期の外征を行えば、国家財政が傾き、本国の軍備が疎かになってしまうぐらいに読み取っても良いはずです。

 外征軍が長期化すれば本国の国力も軍事力も衰え、それをチャンスと見た周辺諸国が牙を剥く危険性が高くなるともしています。ここも強引に読み替えると、

    軍隊 ≒ 金力
 こういう面が確実にあると喝破していると見えます。外征軍が成果を挙げずにダラダラ戦っていると、国家財政が傾き、軍資金が枯渇してしまい、軍事力が低下するだけだぐらいでも良いかもしれません。

 それだけでなく、勝利という成果を挙げないと国としての求心力を失なってしまうぐらいに読んでも良いかと考えます。孫子の時代なら君主への信頼が失われ、外部からの侵略だけでなく、内部のクーデターも発生する懸念ぐらいでしょうか。

智者有りと雖も、其の後を善くする能わず。故に兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを睹ざるなり。夫れ兵久しくして国に利ある者は、未だ之有らざるなり。故に尽く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利をも知る能わざるなり。

 成果のあがらない外征を続けると知恵者でも事態の収拾は容易なものではないとしています。だから軍事は短期決戦であるのが必要で、長期戦で成果を挙げた者は聞いたことがないと孫子はしています。軍を動かす者は、この理屈を知っていないとならないとしています。


 これって現代でも殆どがあてはまりそうです。現代ですら侵略戦争は発生します。その軍事費用は孫子の時代より遥かに高くなっています。あくまでも説ですが、15万の軍勢を動かすには1日に2兆円必要と計算する説があるぐらいです。

 2兆円なんて気が遠くなるような金額ですが、15万人の兵糧、それの調達費用、輸送コストも莫大ですが、ミサイルやロケットだって1発撃つだけで下手すれば1千万単位らしいとも聞きます。銃弾やとくに砲弾だって安いものではありません。

 戦争は破壊と殺戮しかもたらさないと言われますが、戦費とはすべて消費に費やされるだけになります。ついでに言えば、侵略にともなって行われる破壊は、占領後に復旧する必要も生じます。現代戦でも廃墟を占領するのに価値は乏しいはずだからです。


 そんなことは戦争を指導する者は十分に良く知っているはずです。だから短期決戦、短期での決着を目指す作戦を練り上げているはずです。ですが、戦争は計算どおりにすべて進むわけではありません。思わぬ誤算が生じることがあるのが戦争です。

 短期で終われそうになくなった時には、孫子はさっさと兵を退くのを上策としていると見て良いはずです。これは戦場の指揮官としてはそうであるはずです。しかし戦争は軍略だけで動かない部分があります。そう政略が連動します。

 孫子の時代でも外征軍が負けるのは国の命運に関わります。遠征先で軍勢が大損害を蒙って敗走されたら言うまでもありませんが、成果を挙げられずに戦費だけ消費して舞い戻って来ても国力は損耗し、その責任問題が発生します。そう、戦争へと旗を振った指導者の責任問題となります。

 だから退却を許さず、遠征先での勝利を後方から叱咤する状況は生じます。なんとか形勢を覆そうと増援軍を送り込もうとしたりもします。

 近代戦ではそんな大消耗戦は成立したのは否定しません。二度に渡る世界大戦なんかはそうです。ですが、あれは大消耗戦に耐えられるだけの継戦能力があったからで説明できるかもしれません。そういう意味で孫子の兵法を越える事態と言えなくはありませんが、それが現代のすべての戦争にあてはまるかと言えば疑問です。


 戦争は孫子の時代と比べても様相は変わってはいますが、本質的な部分では似ていると思います。戦えば戦うほど貧乏になるという点です。これは攻める方も守る方もそうです。

 個人的に一番変わったのは戦果の評価でしょうか。孫子の時代で価値があったのは農地です。敵国の城を破り廃墟としても農地を奪えば埋め合わせが出来るぐらいです。しかし現代は都市に価値があり、農地を奪っても莫大な軍事費の埋め合わせになるのかクビをかしげます。

 そこが一番の違いでしょうか。もう少し言えば都市を奪っても、ゲリラ戦が続くのもあります。だらだらと解説をしてみましたが、現代での戦争って孫子の時代より価値は低下している気がします。起こした向こう傷が孫子の時代より深いとしか思えないのです。

 それが人としての常識になった時に戦争の無い平和な時代が訪れるのでしょうが、私が生きている間にそれを見るのは難しそうです。未だに孫子以前の発想で戦争をやりたがる指導者は絶えそうにないですからね。