ツバル戦記:宣戦布告雑談

 ツバル問題は戦争のはずですが、

「そりゃそうよ、潜水艦は出てくるし、上陸戦はあったし、軍隊はフナフティを占領してたじゃない」
「でも戦争って、宣戦布告してからのものでは?」

 ユッキー副社長は笑いながら、

「今の戦争はルールがあるのよ。まあ西洋流の慣習から出来てるけど、騎士道に則った決闘みたいな扱いと思えば良いかもね」

 西洋流の決闘は、えっとえっと手袋を投げつけるんだっけ。他にもや申し込み方法はあるはずですが、原則はフェアにやるはず。

「イメージとしては、ちゃんと決闘の申し込みをして、立会人の下で一対一で対決するぐらいで良いと思うよ」

 でもそんなにキチンとやった決闘がどれだけあるかは疑問です。

「その辺はさすがに詳しくないけど、日本でも戦国時代の末期から江戸時代の初めぐらいまでなら全然違ってたよ」

 その時代は日本の剣術の黎明期であり、幕末と並ぶ黄金時代でもあります。有名なものとしては巌流島の決闘もありますが、

「当時は剣術じゃなくて兵法なのよ。兵法の意味は広くて個人の武術から、合戦で軍勢を動かすのも含まれるものだったの」

 兵法は簡単に言えば相手に勝つ技術です。当たり前に思うかもしれませんが、勝つための手段は選ばないのです。それこそ助っ人を百人連れてこようが、鉄砲を持ち込もうが、大砲をぶっ放そうが勝てば良いぐらいの考え方です。

「幕末でも気風は残ってるよ」

 幕末の剣術はさすがに命を懸けての決闘でなく、竹刀と防具を付けての道場試合が多くなりますが、稽古ではなく道場破りが来ると殺し合いに近くなります。試合の前夜に寝所を闇討ちされるぐらいは心得として警戒するのは当たり前だったようです。

 試合当日も挑戦者の体力を消耗させるために弟子が総出で順番に相手するぐらいは常套手段で、お茶にクスリを仕込んだり、一人ずつではなく総がかりで襲い掛かったり、道場側が負けようものなら、弓矢や本物の槍を持ち出して来て殺そうとしたのもあったそうです。

「道場側も負けたら商売あがったりになるから、兵法を駆使したってこと」

 それでも西洋流の騎士道的な宣戦布告の国際ルールが一九〇七年に出来ます。開戦に関する条約と言うのですが、

「だけどね、決闘と戦争は違うのよ。まあ本質は同じ殺し合いだけど、戦争の方が背負ってるものが桁違いに大きいの。それこそどんな手段を使っても勝てば官軍なのが戦争の本質」

 これはわかります。個人の生死を懸ける時には美学に殉じるのは勝手ですが、戦争に懸けられる物は国の命運です。負ければ国土は蹂躙され、最悪で国は滅びますし、国は残っても領土を奪われ賠償金まで取り立てられます。

 兵士どころか住民も大きな犠牲を受け、略奪はもちろんですが、とくに女は酷い目に遭います。そうやってようやく生き残った国民も悲惨な生活が待ち受けます。戦争で負けるとはそういうことなのです。

「戦争も流れがあってね、先手を取る方が絶対有利なのよ。受け身に回ってしまうと、どうしても後手後手に回って、これを挽回するのは大変になるの。先手を取るためには、相手の準備が不十分で油断しているうちに奇襲をかけるのは古来からの常套戦術よ」

 この辺は一対一の決闘でもそうで、先手を取られると実力で上回っていても後手を踏んで思わぬ敗北を喫することがあるとされます。決闘じゃイメージしにくいですが、個人格闘技戦でもいかに先手を取るかで工夫を重ねる部分は多いはずです。

 もっとわかりやすいものなら野球やサッカーでもそうです。実力では上回っていても先取点を奪われると追いかける展開となり、焦りから主導権を握れずに思わぬ番狂わせが起こることはしばしばあります。

「戦いごとで先手必勝は鉄則なのよ」

 宣戦布告ルールは考えようによっては先手必勝を封じるものとも言えます。そうなると、

「戦力の劣る国には絶対の不利になるのよ。これは戦力の勝る国だってあって、先手を取った方が損害は少なくなるし、勝利までの期間が短縮できるもの」

 そのせいか宣戦布告に関する国際条約こそ出来たものの、これを破る国が続出したで良さそうです。

「そういう事。騎士道精神なんかじゃ戦争なんて出来ないよ。それとだけど宣戦布告ルールを破って罪に問われるのは敗戦国になった時だけ。戦勝国になれば敗戦国がいくら騒いでも負け犬の遠吠えにしかならないってこと」

 この宣戦布告のルールですが、

「現在は建前上は使う必要のないものになってるよ」

 国連は、憲章第二条第三項・第四項において加盟国間での戦争そのものを実質的に禁止しています。これは、

「国際連合と日本語訳にしているけど、あそこはユナイテッド・ネーションズ、つまり連合国軍なのよ。連合国同士で戦争したら枢軸軍に負けちゃうじゃない」

 なるほど。でも今は、

「そういうこと。国連に加盟していない国を見つけるのが難しいぐらいだから、今の戦争は連合国軍同士の内紛みたいなもの」

 現在の戦争は当事国同士の戦闘での勝敗もありますが、それ以外の要素も重視される時代になってるそうで、

「起こした戦争の正当性を国際的に認めてもらうのも重要になってるの。それをアピールする小道具に今でも宣戦布告は使われることはあるかな。切り札的な効果はないけど、色んな駆け引きの一つとして使われてるぐらい」

 これも妙な言い方ですが、現在の戦争は戦争に至った必然性とか理由をアピールして国際的に認めてもらう必要があるで良さそう。そうしないと国連憲章違反を理由にされて経済制裁とか、下手すると大国が介入してきて懲罰のために攻められるぐらいです。

 ミサキが覚えているのならクウェートをイラクが占領した時に、アメリカが多国籍軍を編成してクェート解放どころかイラクに攻め込んで政府ごと潰しちゃってます。こういう時代の宣戦布告の使い方として、

「たとえばね、対立関係にある国があるとするじゃない。片方の国が相手の国を非難したら、それを宣戦布告されたと受け取ったと宣言し返して、攻め込んだりはあるのよ」

 この事例は詭弁として認められなかったそうですが、たとえば自国が非難されたら、

『この非難は宣戦布告である。必ずや無慈悲な報復を行うであろう』

 こんな感じの恫喝外交をやってる国もあります。現在の宣戦布告の解釈は、

「そうね、後で侵略と言われないための予防策の一つぐらいかな」

 この辺も国連加盟国間では侵略戦争は行わないが原則になっているで良いかもしれません。ですから戦争が起こったとしても、それは戦争じゃないと言いくるめようとするケースも多いそうです。ですから逆に宣戦布告を行わないとかです。

「今回だって中国は、悪政に苦しむツバル人民の要請を受けての解放運動の手助けであるとか言ってたじゃない」

 そうだった、そうだった。とにかく男の子が戦争ゴッコをする時に、双方の準備が整ってから、

『戦争開始』

 こんな感じにならないのが戦争で良さそうです。ちなみにミサキの子ども時代は香坂岬時代ですから、こんな昭和の遊びは聞いたことがあるだけですけどね。

「あんまり変わらないと思うけど」
「まったく違います!」

 戦争はミサキも嫌いですが、戦争一つするのにも弁護士が必要な気がした次第です。

「そうだよ。現在の戦争は、実際の戦闘と法律戦争もミックスされてるよ。それに国際世論を如何に味方に付けるかもポイントよ。それを実現させるための外交交渉とか、宣伝力も欠かせないよ」

 ユッキー社長に言わせると戦争は中小国同士なら、いかに大国の支持を集めるかが古来より定石だったとしています。

「それが中小国の生き残る道ってこと」