続孫子の兵法 謀攻編

 蛇足みたいなものですが、もう少しだけ孫子の兵法を読んでみます。これは謀攻編なのですが、

孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。 旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。 卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。

 ここだけ読むと孫子の兵法を読み誤るような気がします。孫子が用いる兵とは作戦編にある、

馳車千駟、革車千乗、帯甲十万

 これがどの程度の規模かですが、敵国を圧倒するほどの大軍と解釈すべきだと考えています。それだけの大軍で攻め込むから1日に千金の軍費が必要ですし、軍事行動が長引けば国家財政が傾きます。孫子は戦争をするならば圧倒的な大軍を形成するのが必要だとしていると見ています。

 孫子は短期決戦というか短期決着が必要としていますが、短期で戦争を終結させるためには、大軍を形成するだけでなく、

    可能な限り戦わない
 こうしているように感じます。長々とした比喩が行われていますが、出来うるなら小隊規模の局地戦さえ避けたいぐらいでしょうか。ましてや主力同士の死力を尽くしての決戦は避けるものとしている気がします。このあたりをより具体的に書いているのが、

是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。 故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。城を攻むるの法は、已むを得ざるが為なり。

 百戦百勝とは敵地で当たるを幸い敵軍をなぎ倒し敵首都を攻略しての勝利ぐらいと考えて良いはずです。それが出来れば戦争は勝利になるでしょうし、兵を率いた将軍は名将と称えられるかもしれませんが、そういう勝利は孫子はあまり評価していません。

 孫子は敵を圧倒する大軍を起こすのが戦略の始まりですが、その狙いは兵力差を利しての戦場の勝利ではないと考えているとして良いはずです。戦場は生き物ですから、そうなってしまう時もあり、そうなっても負けない軍勢を動員してはいますが真の狙いは異なります。

 圧倒的な大軍を敵に見せることにより、敵軍に「とても敵わない」と思わせることです。勝てないとなれば動揺が走ります。軍勢から逃げたりもあるでしょうし、敵将や有力者に裏切りが生じるのも戦争です。それを極力利用して無血開城で敵国の首都を征するのが理想ぐらいです。

    其の下は城を攻む。城を攻むるの法は、已むを得ざるが為なり
 これは現代でも示唆深い気がします。孫子がいう城とは、日本の城とは違い都城になります。都市を防壁で囲んだものが城です。そこは生活の場でもあり、城が落ちれば住民は略奪や虐殺にさらされるのは当時の常識のはずです。

 攻城戦に至ってしまうと、防壁を攻める不利だけでなく、それこそ都市住民が一木一草に至るまで抵抗の牙を剥くことも起こります。そんな都市攻略戦は下の下策と孫子は説いています。

 都市攻略戦は現代でも凄惨な戦いになります。戦車や装甲車両でも至近距離からの攻撃に耐えきれないところがありまあす。それは21世紀でも起こっています。

 もし戦争になっても、都市攻略戦に至らないように、そこまで追い込まないようにするのが戦略だと孫子は説いていると思います。

 そこまで言って良いかは私にはわかりませんが、戦争を起こしたからには、進軍しただけで相手は降伏する状態まで整えてするべき、いや、それだけの大軍で攻める姿勢を見せるだけで、交渉で相手を屈服させるのが戦争だと孫子はしているように見えます。


 中国も幾多の王朝が成立しています。その王朝が反映するのは平和な時代です。戦をせず、平和を謳歌した時代が全盛期だったと見て良いはずです。ですが平和は守らないと破れます。この辺はあれこれ例外がありますが、統治が緩んでの内乱もあり、外寇もあります。

 よく歴史は繰り返すとしますが、人類は戦争という凶器をいつになれば克服できるのかと嘆息する事があります。