ツーリング日和3(第24話)越前一乗谷

 来たぁ、ついに来たで一乗谷。越前の地形の特徴はど真ん中に福井平野が広がってることや。九頭竜川、足羽川、日野川の沖積平野やけど、この中でとくに九頭竜川が暴れ川として有名やってんよな。

「だから一乗谷だったとか」

 水害回避もあったとは思うけど、こんな谷がたまたまあって、そこに目を付けたんやと思てるわ。まさに谷間やけど、そこそこ幅があってかなりの長さがある。南北の出口を塞いでもたら、それで守れるのは天然の要害そのものやもんな。

「思ってたより広い気がする」

 朝倉氏は戦国初期に急拡大した家で、とくに孝景って英雄が出て栄えとる。これも七代目と十代目に孝景がおるからややこしいんやけど、どっちも英雄や。とくに十代目の方は今でも語られる一条谷の栄華を作ったとしてもエエ。

「華やかだったんだよね」

 京都は応仁の乱から続く混乱で朝廷は衰微する一方やってん。食うに困った公家たちは有力大名の下に転がり込んで庇護されるのがブームみたいになっとったんよ。孝景も積極的に保護したから華やかな文化が花咲いたぐらいや。

「復元家屋で十分しのばれるものね」

 谷間やからスケール感はあらへんけど、戦国の世とは別天地の感じがあった気がするわ。朝倉氏は頂点を極めた十代孝景の次の義景の時に滅亡してまうけど、

「相手が悪かったものね」
「時代の巡りあわせぐらいしか言いようがあらへんわ」

 義景かって相手が信長やなかったら、次代に朝倉家を受け継がせるぐらいの器量はあったと思てる。世襲は英雄も出現するけど、ボンクラも出るのが宿命や。そやけどボンクラが出たから言うて家が滅ぶわけやらへん。ボンクラに強敵が組み合わされた時に滅ぶぐらいや。

「弱い国じゃないものね」

 浅井朝倉同盟は強力やった。金ヶ崎の退き口の時も、信長のクビまで後一歩まで迫ったし、姉川かってどっちに転ぶかわからんぐらいの大激戦やった。浅井朝倉が滅んで信長は天下は握れたと思たんちゃうやろか。

 惜しむらくは浅井朝倉には戦略がなかったわ。戦略いうより、英雄がおらんかった。戦国時代もトレンドがある。室町幕府が衰えて各地の大名が勢力拡張に励んだのが初期やろ。近隣の家を併呑して大きくなることや。

 次の段階は大きくなった家同士の対決や。家同士の規模が大きうなっとるから大規模な合戦になる。群雄割拠時代としてもエエ。そこまでは浅井も朝倉も勝ち残って来てるんよ。

「時代は次の段階に進んじゃったものね」

 大きくなった家の果てが天下統一や。このビジョンを真っ先に抱いたのが信長やろ。戦国の英雄はたくさんおったけど、天下を取るのを明確に意識し、行動に移したのが信長や。信長が義昭を奉じて上洛戦を成功した瞬間に、戦国時代の目的は天下争奪戦に様相が変わったと見とる。

 浅井も朝倉も群雄割拠時代の発想から変われんかった。これは浅井と朝倉が悪いとは言い切れん。不幸やったんは時代の革命児である信長と正面対決する場所におったことやろ。

「浅井の裏切りをどう見る」

 コトリは必然と見てるわ。信長は尾張・美濃・近江・京都のラインを戦略として重視しとった。自分の根拠地である尾張美濃と京都の連絡や。そやけど、北近江の浅井を叩き潰す余裕はさすがにあらへんかった。京都を信長が制したことで、敵が一遍に増えたからな。

 そやから家康同様の取り込みをしようとしてたでエエやろ。そやけど長政は家康役にはなれんかった。家康は今川を敵にするのに躊躇いはあらへんかったけど、長政は朝倉を敵には回せんかった。

「信長の真意はわからないけど、長政を朝倉担当と言うか、北陸担当にしたかったのかもしれないね」

 そんな気はしとる。でも長政と言うか浅井家は出来るようなもんやなかった。そこに信長の敦賀急襲が起こる。あれは奇襲としてもエエぐらいやと思う。あのままやったら、朝倉はあの時点で滅んだ可能性もあると思てる。

「信長軍の先鋒は木の芽峠を越えかけていたって話だものね」

 言い換えれば若狭と越前の要衝である木の芽峠を朝倉は戦いもせずに明け渡してる状態や。そのまま福井平野に雪崩れ込まれたらもたんやろ。もちろん信長はそういう意図で大軍を敦賀に送り込んどる。

 ここやねんけど、そのまま朝倉が滅んだらどうなるかや。浅井から見たら東の美濃、南の南近江、北の若狭から越前まで全部織田になるやんか。その次は浅井も滅ぼされるって感覚が出ん方がおかしいで。

「信長も長政をそれだけ信用していたんだろうけど、朝倉の工作も入れば動揺するよね」

 唇滅びれば歯寒しと判断したのはわかるし、信長も浅井工作に手抜かりがあったと思てる。そやけど、これによって浅井朝倉と信長の全面対決にならざるを得んようになった。それも含めての決断やったはずやねんけど、

「受け身に終始したものね」

 後出しジャンケンやけど、全面対決とは信長を滅ぼすか、滅ばされるかの状態やんか。国境を接した隣国やし、浅井かって信長が北近江を放置するなんて思わへんやん。一遍に岐阜城までは無理でも南近江に進出せんでどうするねん。

 南近江を押さえたら、東山道の関が原だけやのうて、伊勢経由の東海道も抑えられるんよ。金ヶ崎から京都に逃げ込んだ信長は本国と分断されてまうことになる。もちろん、そこから信長の反撃はあるやろけど、まずはそう動くべきやんか。

「同盟軍の弱点よね。同盟の主導は朝倉だし」

 朝倉の戦略としては浅井を前面に立てるや。地理的にはそうなるんやけど、ここはもう一歩踏み込んで、浅井を完全に取り込んで南下し京都を制するべきや。そうやな信長と家康ぐらいの関係に浅井をして、一体となって南近江戦を戦い抜く覚悟や。

「いなかったのよね」

 そうなる。義景では荷が重すぎたとしか言いようがあらへん。

「一乗谷が栄え過ぎてたかも」

 それもあるやろ。持たざる者は成り上がろうとし、持つ者は守ろうとする。これはいつの時代もそうや。戦国のあの時点で朝倉氏は満足してもたんはある気がするわ。そういう空気の中で冒険的な外征による勢力拡張は疎まれたぐらいや。

「朝倉家に英雄が出現していたら朝倉幕府になってたかもね」

 可能性だけはな。雪国の悪条件はあったけど、北近江の浅井氏との結束は固いから、近江に出るのは容易や。

「だから義昭も来てたのよね」

 そこまでカードがあっても活かせんかったからな。やっぱり雪国はあったんやろな。浅井朝倉同盟は織徳同盟に匹敵するほど機能しとうけど、裏返せば朝倉は浅井を滅ぼして北近江に進出できへんかったと見れんこともあらへん。

 雪が降れば木の芽峠は閉ざされるから、近江に出た軍勢が孤立するのを恐れたんはあると思う。似たようなシチュエーションで、三国峠を越えて関東に攻め込んだ謙信も苦労した部分でもあるもんな。

 朝倉氏に時代の女神は微笑まんかったとしか言いようがあらへんよな。その栄華の跡がこの一乗谷や。

「見てて思ったのだけど、一乗谷は守るには良いけど、ここに閉じ籠っちゃう空気も出来ちゃうんじゃないかしら」

 ユッキーの言う通りかもしれん。一乗谷が朝倉氏のゴールみたいに感じてもた気がする。まさしく閉じこもるの感覚や。ここがあったら京都まで望むのは贅沢かな。そうやって、あれこれやと考えるのが歴女の楽しみやからな。