純情ラプソディ:第41話 カルタの聖地

 大学選手権は近江神宮である。ここはカルタの聖地とも呼ばれてるけど、近江神宮自体はそれほど古い神社じゃないのよね。神社って言えば、奈良時代や平安時代からとか、遅くとも江戸時代からってイメージがあるけど、近江神宮はなんと昭和の創建。

 出来たのは昭和なら十五年、西暦なら一九四〇年だけど、第二次大戦前に使われていた皇紀なら二六〇〇年になるのがミソかもしれない。つまりは皇室的には節目の年ぐらいで良いと思う。

 達也が妙に詳しかったけど、第二次大戦で有名なゼロ戦も正式には零式艦上戦闘機って言って、零式のゼロって皇紀二六〇〇年の末尾二桁から取ったんだって。皇紀なんか今じゃ誰も使わないけど、第二次大戦前は歴史の年号も皇紀で覚えたって言うから驚いた。

 それはさておき、近江神宮は創建こそ新しいけど神社としての格が高いのよね。神社にも格があるのに驚いたけど、たしかに六甲八幡より生田神社の方が格が高そうな気がするし、初詣客も全然違うものね。

 神社の格を決める要素はいくつかあるらしいけど、昔と言うか第二次大戦前は皇室なり国なりからのお供え物の量とか金額で決めてたんだって。これを順番に並べると、

 官幣大社 〉 国幣大社 〉 官幣中社 〉 国幣中社 〉 官幣小社 〉 国幣小社 〉 別格官幣社

 こんな感じで社格が序列化されて、なんとなんと近江神宮はトップの官幣大社なんだ。もちろん官幣なり国幣がない神社が圧倒的だけど、それらはさらに格下になる。ちなみに官幣は皇室からお供え物が出て、天皇・皇族を祀る神社など朝廷に縁のある神社で、国幣は各国の一宮や地方の有力神社だって。達也に言わせると、

「官幣は天津神、国幣は国津神で良いと思う」

 天津神とは神武天皇の東征で来た連中で、国津神とはその他の地生えの神って説明されたけどヒロコには良く判らなかったからこれぐらいにしとく。

 さらにがあって、ただの神社なくて神宮なんだよ。神宮とは天皇とその祖先を祀っている神社で、トップは言うまでもなく伊勢神宮。神社と神宮なら神宮の方が上だそう。ちなみに近江神宮が祀っているのは天智天皇なんだ。

 そのさらにがあって、勅祭社でもある。勅祭社とは祭祀の時に天皇から勅使が遣わされる神社の事で、全国で十六社しかなってレア物。つまり近江神宮は、

 ・官幣大社
 ・勅祭社
 ・神宮

 このトリプル・コンボの有難いお宮さんってこと。ヒロコも高校の時に連れ来てもらった時には一の鳥居から入ったんだよね。一の鳥居は木製の立派なもので、両側にどでかい石灯篭がある。

 一の鳥居を潜ると広い参道になってるんだけど、参道の両側は森になってる。いかにも神社って感じで、少しカーブしてるかな。だから歩いて行くと階段が見えてきて、階段の上に二の鳥居。

 二の鳥居から右に曲がると、エッてぐらいぐらい立派な手水舎があって、さらに階段。この階段の上がったところにあるのが楼門だけど、これが艶やかに朱色に塗られて派手。近江神宮のPR写真に良く使われるところかな。

 楼門を潜るとぐっとシックな外拝殿。外拝殿はグルッと回廊が巡らしてあるのだけど、その回廊に続いてあるのが内拝殿。外拝殿から見ると中庭を挟んで正面に見えるだけど、普通の神社なら御祈祷とかに使われるところで一般参拝客は入れないようになってる。

 その内拝殿のさらに奥に本殿があるらしい。大会があると、みんな必勝祈願を必ずするところだよ。もちろんヒロコもしたけど、天智天皇もあれだけ頼まれたら困るだろうな。

 この外拝殿の右側にあるのが神楽殿らしい。らしいというのは見たことがないからね。さらに進むと立派な木造の建物が見えてくる。最初に来た時なんか、その風格から、これこそ会場と思ったぐらいだけど、正式には社務所。カルタ大会のある勧学館は社務所からさらに一段下がったところにあるんだよ。


 神社の功能書きじゃなかった、一番の御利益とされているのが時刻。天智天皇は日本で初めての時計である漏刻と呼ばれる水時計を作ったことに因んだもの。だから境内に時計学校まであるぐらいなんだ。もちろん時計博物館みたいなものもある。

 じゃあなぜカルタの聖地であるかだけど小倉百人一首の巻頭歌に因んだものとされてる。

『秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ』

 これを詠んだのが天智天皇だからカルタの聖地とされてるらしい。だからお正月にはカルタ開きをやるし、一九五五年から名人戦、一九五七年からクイーン戦を近江神宮でやってるけど、なんとなく後付けの感じもヒロコはしてる。

 でも後付けで構わない。なによりカルタに聖地があることに素直に感謝してる。高校野球で言えば甲子園みたいなものだものじゃない。カルタみたいなマイナー競技に聖地があって、立派な施設があるんだよ。


 さて聖地のさらに聖地である近江勧学館だけど、鉄筋の二階建ての建物。先に言っておく、決して過剰な期待をもたずにいて欲しい。建物の第一印象は研修施設とか、セミナー・ハウスぐらいかな。

 実際にもそちらの用途でも使われるし、貸し出しもしているもの。玄関を入ると右手に受付兼事務室があり、左側はちょっとしたロビー。そこから二階に階段で上がるのだけど、途中から靴を脱いで廊下を歩いた突き当りに畳敷きの大広間があるんだ。

 浦安の間と豊栄の間として二つに分割することもあるそうだけど、大会の時は一つの大広間になり、八十畳の大広間になる。床の間もあって、大広間の周囲は純和風の作りになってるよ。畳は横に五畳敷で、それが浦安の間が九列、豊栄の間が七列。名人戦やクイーン戦は浦安の間でやるそう。

 これこそがカルタの聖地の中の心臓部分。この二つの間の雰囲気はリッチと言うより品格があって、カルタをやるものなら、入っただけで身が引き締まる思いをすると思う。甲子園ならグランドに降り立った気分かもしれない。


 でもだけど、それ以外に少々困るところがあるのがカルタの聖地。とりあえず食事に困る。勧学館は研修施設でもあるから食堂もあるのだけど、あそこは常設じゃなくて予めオーダーしておいたら稼働するシステム。だから高校カルタでも、大学選手権でも使えないんだよ。

 境内には二の鳥居の近くに、近江神宮が作られた時から続くお蕎麦屋さんがあるけど、少々高いのと、とにかく押し寄せる人数が多い。そうなると一の鳥居を出る事になるけどファミレスは愚かコンビにさえないんだよ。

 近江神宮の周りは基本的に住宅街で、これだけの神社ならありそうな門前町みたいなものが存在しないってこと。あっても地元の人用のこじんまりした店ばっかりで、観光客用の店がないのよね。

 それと聖地の大広間は立派だけど、八十畳しかないのもネック。カルタの試合に必要なスペースは三畳なのよね。これは札を置くのが半畳、対戦者が座るスペースが半畳ずつ。それととにかく横に薙ぎ払うことが多い競技だから、左右に半畳ずつ。

 勧学館は座敷だからまず窓側と廊下側の半畳を空けなければならないのよね。団体戦は横一列に並ぶからまともに座れば四人だけど、少しづつ詰めて五人座るようになってる。縦は八畳分あるけど、

「あれもまともなら五試合分ぐらいしかないけど、詰めて詰めて六試合やるよ」

 つまり勧学館の大広間では目いっぱいやっても団体戦なら六試合、個人戦なら三十試合が限界になる。

「大会の時には一階の朝日の間も使うよ」

 朝日の間は普段はカーペット敷きで椅子で使われるホールなんだけど、ここに畳を八十畳敷くんだって。二階の浦安・豊栄の間がそのまま一階の同じ場所にあると思えば良いぐらいかな。

「勧学館で目いっぱい試合しても、団体戦で十二試合、個人戦で六十試合ぐらいだよ」

 だから大会となると周囲の施設も使って分散してやることになるのだけど、それが運が悪いと遠いのよ。これは距離の時もあるし、交通手段の時もある。

 だから高校カルタとか大学選手権に出場したと言っても、近江勧学館でカルタを出来た人は少ないはず。ヒロコも高校の時の個人戦は近くの幼稚園みたいなところで試合したものね。

「大学選手権の第二会場は武道館ですよね」
「あそこは広いから、事実上のメイン会場みたいなもんよ」

 滋賀県立武道館には柔道場があるのだけど、正式の柔道場って広いのよね。八間四方って言ってもピンとこないかもしれないけど、一間は一畳だから百二十八畳の広さになる。これが四面続いてるから、

「八間かける三十五間だから五百六十畳になるうえに、一番端までフル活用できる。これは単純計算だけど、一度に百八十六試合も可能ってこと。それでも団体戦なら三十六試合が限界なのよね」

 一度ぐらい勧学館の二階の大広間で戦ってみたいもんだ。