黄昏交差点:帰郷

 この駅も変わらないな。でもないか。高校の時まではまだ駅員さんがいて、切符売ってたものね。自転車置き場も無くて、この駅からのスロープにビッシリって感じ停めてあったものね。あの頃は放置自転車って言葉もなかったし。

 そしてこの交差点。ここが智子の青春、神保君と一緒に歩いた道。今でもドキドキするもの。あれから二十年も経ってるのにね。あの時に智子にもう少し勇気があったら変わってたかもしれない。

 でも神保君は本当はどう想ってくれたのだろう。口にこそ出してないけど智子は彼氏のつもりだった。でも神保君は最後まで言ってくれなかったのよね。ずっと待ってたのに。寂しかったし、悲しかった。

 ひょっとすると卒業式の日に言うつもりだった気が今でもしてる。高三の三学期の授業は一月末の学年末試験で終わり、二月は授業が無く私立受験に明け暮れてたのよね。次の登校日が卒業式って感じでイイかも。

 体育館で卒業式が終わると、思い思いに記念写真を撮ってたね。クラスメートや部活仲間、友人とかとね。あの日に最後の告白をして爆沈したのもいたって聞いたもの。成功したのもいたのかな。今から思えばだけど、卒業式は高校最後の思いが交叉する日だったと思ってる。

 でもあの日はお母さんが迎えに来てたのよね。一緒に記念写真を撮りたいからってっさ。校門の前で撮って、そのままお母さんのクルマで帰ってしまった。だから神保君とは教室では会えたけど、後は離れ離れで話も出来なかったんだ。

 そうなのよ、神保君が智子に最後の告白をするにも時間が無かったのよね。それだけじゃない。あの日が神保君と話した最後になった。ずっと一緒に帰ってたから、卒業したら最後になるとは思わなかったのよね。
卒業式がラスト・チャンスと思う一方で、どこかで、まだチャンスがあると考えてた部分があったんだ。だってさ、小学校からずっと一緒だったし、高校になってからはずっと神保君はいてくれてたもの。思えば甘かった。

 出来るものならあの日の自分を殴ってやりたいよ。卒業式の土壇場になっても、何も出来なかった自分によ。もう一度会いたかった、話したかった、最後の想いを伝えたかった。なんど電話をかけようかと思ったことか。でも、出来なかった。

 手紙も書こうとした、何枚も何枚も書いたけど、やっぱり出せなかった。そして神保君は医学部に行っちゃった。智子も医学部を密かに狙ってはいたんだよ。高校がダメなら大学でってさ。でも到底無理だった。さすがは神保君だと思ったもの。

 それでも成人式でチャンスはあると期待はしてたんだ、だから探してた。でも、なかなか見つからなかったんだよね。チラッと見えても、神保君は友だちと話してたし、智子もそう。次に見たらいなくなってる感じ。

 あの年の成人式は会場がなぜか郊外のスポーツ・リゾートで、クルマじゃないと行けないところだったんだよね。だから成人式が終わった後に中学の同窓会的なものもあったけど、それこそクラスごとにクルマで散らばって行ってしまって神保君とは言葉さえ交わす時間もなかった。


 実はもう一度だけ神保君を見たことがあるの。夏休みに帰省する途中だったと思うけど、隣の車両にいるのが見えたんだ。声をかけかったし、そうしようと何度も思ったけど、結局できなかった。

 駅降りてから追いかけたかったけど、智子に出来たのは見送るだけ。いつも智子はそうだった。声をかけて一生懸命話をしてくれるのは神保君で、智子は相槌を打つだけ。でも、それがどれだけ嬉しかったことか。

 だってだよ、あの神保君が智子に声をかけてくれたんだよ。顔が赤くなっていないか心配で仕方なかったもの。ちゃんとお話しして神保君に気に入ってもらおうと思ってたけど、最後まで出来なかったのが智子だもの。あれだけ声をかけてくれた神保君に嫌われてもしょうがなかったかもね。

 学生の間はそれでもどこかで待ってたんだ。また神保君が声をかけてくれるんじゃないかって。でも来なかった。きっと大学で新しい彼女を作ってたんだろうな。そりゃ、作るよね。今なら携帯だって、メイルだって、LINEだってあるけど当時じゃね。


 智子は地元の地銀に就職して、主任だった人に交際を申し込まれたんだよね。神保君とは音信不通だったから、申し込みを受けたちゃった。いわゆるエリート・コースで同期で一番の出世頭だったはず。

 そんなスペックだけに魅かれたのじゃなく、悪い人に見えなかったし、優しかったし、智子からは大人に見えたし、なんとなく亡くなったお父さんに似てる気もしたんだよ。白状しちゃうとファザコンもあったかな。

 お父さんは思春期が来る前になくなっちゃったし、智子は一人娘だから、優しかったお父さんを理想の男性像にしてもおかしくないぐらいに言い訳にしてる。そんな事はともかく、さらさらと交際は深まって結婚した。

 ちゃんと愛してたよ。愛していたから結婚したし、幸せでもあったのもウソじゃない。みんなから祝福されたし、お似合いの夫婦だとも言われたもの。新婚生活も順調にスタートしてくれた。

 でもね、結婚生活は甘いものじゃなかった。誤解しないでね、ああなったのは旦那が悪いわけでもなく、智子が悪いわけでもなかったと思っている。別に浮気したわけじゃないし、浮気もされていない。

 ただ荒波に翻弄されるように厳しい状態に追い込まれてしまったぐらいとしか言いようがないのよね。まさにどうしようもなくなってしまった時に、突然終わりは来た。旦那が急死したんだ。

 葬式で義父母とも顔を合わせた。義父母とは別居だったし、旦那も転勤族みたいなみたいなものだったから、結婚してからも盆と正月に挨拶に行くぐらいの交流だった。ただ嫁姑戦争とまで行かずとも仲が良かったとは言えなかったな。

 旦那の家は江戸時代には武家だった家柄なんだよね。聞いたことないような大名の家来だけど顔を合わせるたびに講釈を聞かされた。智子の家もそれなりに古いのだけど、商家だから、それだけで見下されてる感じもあった。

 旦那はそこの唯一の息子。だからだけど跡取り息子が絶対って結婚する前から言われたものね。結婚してから会うたびに面と向かって言われたし、電話もかかってきた。だけど、どうしても子どもが出来なかったんだ。

 だから石女とかサゲマンぐらいの陰口は叩かれていた。あれは陰じゃなくて智子の耳に入るようにしてたものね。智子だって子どもが欲しかったし、出来てたら変わってた部分もあったはずだけど仕方ないじゃないの。

 遺産相続とかバタバタあったけど、子どももいなかったから死後離婚にした。これは届出するだから簡単で、復氏届を出して姓を上村に戻し、姻族関係終了届を出して義実家の戸籍から抜けて上村の戸籍に戻した。これで公式にサヨナラって感じかな。

 前旦那とは良い思い出もあったけど、悪い思い出の方が多いかな。そして気が付いたら智子は未亡人。未亡人でもバツイチだよね。そう前旦那との結婚生活で智子が手にしたものはバツイチの未亡人だけだった。


 遺産相続と言っても智子しか受取人がいないから簡単だった。でも住んでいた家は引き払った。最後に住んでいた家は悪い思い出しかないのよね。だから旦那の遺品的な物もすべて処分してやった。

 最後に残った荷物がスーツ・ケース一つに収まっちゃったのはちょっと笑ったかな。でもこれでサッパリした気分。旦那との愛を引きずって、懐かしむって気分になれそうにない結婚時代だもの。

「ただいま」
「おかえり」

 お母さんも歳取ったね。そして久しぶりに母娘だけで夕食。お母さんも結婚時代の事は触れずにいてくれた。そこで聞いたのが、

「そういえば神保君とこが離婚したよ。大変だったみたいで・・・・・・」

 これは初耳だったし驚いた。原因は奥さんの浮気らしいけど、あの神保君と結婚できてるのに浮気なんかするものだと正直に思ったよ。そう神保君が結婚するって話を聞いた時に相手の女に嫉妬しまくったものね。

 智子の方が結婚は早かったから嫉妬するのは変だけどやっぱり嫉妬した。羨ましくてしかたなかったもの。智子だったら浮気なんて絶対にしないもの・・・・・・さすがに夫婦を続けるのはそこまで単純じゃないのは身をもって体験したけど、神保君相手でも浮気をするのに素直に感心したぐらい。お母さんなんて、

「今でも、あのまま行ってたらと思うことがあるよ。まあ、そこまで智子も待てなかったかもしれないけど」

 神保君との仲はお母さんも認めてた。だってさ、

『母娘二代の恋が実るのもロマンチックじゃない』

 お母さんは神保君のお父さんにかなりお熱だったみたい。もちろん時代が時代だから遠くから見ていただけだそうだけど、

「同い年だったのがお互い不運だったかもね」

 同い年だから知り合えたし、智子は友だち以上の関係にもなれたと思ってるけど、次を目指すにはネックだったかもね。神保君もお父さんもお医者さんだから、待つ時間が長いのよね。

「今からでもチャレンジ出来るかな」
「それは智子の人生だよ」
「賛成してくれる」
「反対する理由なんて、どこにもないよ」

 そこから母娘で実らなかった初恋の自慢合戦。母娘でなにやってるんだろうと思ったけど、旦那と死別してるのまで同じで笑っちゃった。

「お母さんは、もし神保君のお母さんが早くに亡くなってたり、離婚していたら奪いに行くつもりはあった?」

 そしたら少しだけ寂しい顔をして、

「気はあっても会社がね。婿養子に迎えるわけにも行かないし。でもこの会社は又従兄弟に継いでもらうつもりだから、智子を縛るものはなにもないよ」

 夜は智子の部屋で寝たけど、部屋を出て行った時のままだった。疲れ切っていた心が癒されていくのと同時に、あの頃のときめきが甦って来る感じがしてる。引き出しを開けると、その奥に出せなかった手紙もそのままになっていた。

 さすがに恥しくて読めないけど、このまま人生を終わらせたくない気がする。もう一度が智子にあってもイイじゃない。もう一度がもしあるのなら、今度こそ神保君が欲しい。もうおばちゃんになっちゃったけど、神保君だっておじちゃんになってるからイイよね。

 でも若い子を選ぶだろうな。わざわざ未亡人の智子を選ばなくても、神保君なら初婚の若い可愛い子を選べそうだもの。そこはあれから二十年だよね。こればっかりは女の方が絶対不利だよ。天秤にかけられるとこまで行ったとしても、バツイチのおばさんと、ピチピチの若い子じゃ勝負にならないもの。

 でも神様、あの結婚は耐えきりました。だから次があれば神保君を・・・ここから智子にもう一度チャンスを下さい。今度こそ、今度こそ、あの時の続きを。