黄昏交差点:黄昏の交差点

 初めて乗ったけどたったの四両しかないのにまず笑った。四両しかないのに女性専用車両もあるのもね。それにしても空いてるな。座れるどころか、寝そべることも出来そうじゃない。それで一時間に一本しかないから廃線になる話も出るよね。

 しっかし揺れるな。ひっきりなしにカーブがある気がする。それとかなりの急勾配のだよ。山に向かって登って行って、いかにも田舎に向かってますって雰囲気がプンプンするもの。

 あちゃ、完全に山の中じゃない。そこをなんとか抜けたら、なんかゴチャゴチャした街にある駅。そこを抜けてしばらく走ると、これって単線じゃない。駅だって古びてるというより、錆があちこちに浮かんでて貧乏くさい感じ。

 たぶん広告スペースだと思うけど、ほとんど埋まってないし、出てるのもいつからあるのかと思うぐらい汚れてるし、ペンキが剥げかけてるのばっかりじゃない。寂れてるいうより、うらぶれてるぐらいの感じ。

 なるほど山と言うか、丘の方にニュータウンが作られたんだな。その頃は、もっと乗客も多かったんだろうけど、ニュータウンって住民が歳を取ればそのままオールドタウンになっちゃうから、今はこうなんだろ。

 神戸から一時間ぐらいかかって、やっと到着。しっかし古い駅だな。古くても元が良ければ、風格が出てくるものだけど、単にボロッちいとしか言いようがないよ。駅はちょっとだけ高台にあって街並みも見えるけど、見るからに活気が無いって感じがする。

 改札を抜け、十畳ほどの待合室を出るとコンクリート舗装のスロープがある。これを下りると信号のある交差点。でも誰も歩いてないよね。店も三軒ほどあるけど、よく潰れないものだね。

 駅の前の道は県道だそうだけど、クルマはさすがにそれなりに走ってるな。そこから左に向かって進んだけど、見えるのは閉店になった店舗と、人なんて住んでいなそうな家。さらに取り壊されて空き地になってるところも目立つのよね。

 すぐに商店街の入り口に着いたけど、ホントに誰も歩いていない。商店街はカラー舗装されて、アーケードまであるけど、まさに歯抜け。閉店になってるのも多いし、取り壊されて空き地になってるところも目立つよな。辛うじて営業している店も生気を感じないもの。

 商店街のアーケードの西の端ぐらいに、あいつが通っていた塾があったのだけど、ここもまた空き地になってる。なにか庭だったようなものが奥の方に見えるけど、あれが辛うじて残された家の残骸みたいなものかもしれない。

 さらに寂れた街並みを歩いていくと、墓地に着いた。花を供えて、線香をあげて、しっかり手を合わせて祈らせてもらった。

「お父さん、お母さん、浜崎恵梨香は必ずあいつじゃなかった、神保康太さんを幸せにします」

 そう、もうあいつでも、あんたでも、こいつでもなく康太と呼んでる。今日は康太の両親への結婚の報告。お互い再婚だから、式とか披露宴も無しにすると決めたから、二人の誓いの儀式ぐらいかな。


 智子はやはり予想通りに康太のところに来たんだよ。終わったと思ったよ。もう二度と会う事もないはずだったのに恵梨香は半ば強引に呼び出されたんだ。最後のケジメのつもりぐらいと思ってたけど、告げられた言葉は衝撃的だった。そう、康太が選んだのは恵梨香だったんだ。

 でもYESと言えなかった。バツイチなのはともかく、恵梨香には致命傷とも言える不倫の過去が刻み込まれてる。これを康太に隠すのは恵梨香に耐えられるものではなかったんだよ。だから洗いざらい話したよ。

 康太は静かに聞いてくれた。そこで恵梨香がビッチにされてしまったのも全部話しても、康太はただ静かに聞いてくれた。あんまり静かだったから、怒ってると思ったし、捨てられると思ってた。

 康太の沈黙が怖かった。そのまま智子のところに行くとしか思えなかった。なにか死刑判決を待つ気分だったよ。康太は心の整理をしていたと思う。そして恵梨香の耳に届いたのは、

「ボクは恵梨香を選んだ。恵梨香なら辛い過去は乗り越えられる。どうかボクと一緒に歩いて欲しい」

 もう信じられなかった。なにが起こっているかわからなかった。でも恵梨香をそこまで愛してくれているのがわかった瞬間に涙がとまらなくなったもの。泣きじゃくってしまった恵梨香をあやしながら、

「恵梨香は来てくれるか」

 必死の思いで答えたよ。

「喜んで」

 それしか言葉に出来なかったんだ。その夜に結ばれた。康太は優しかった。ひたすら優しかった。こんなに優しく愛されたのは初めてだった。恵梨香は心も体も全部開いた気持ちになったんだ、そう、あれは開かされたんじゃない、開きたくて、開きたくて、それしか考えられなかったぐらい。

 そして一つになった時には感動しかなかった。後は夢中だった。康太のすべてを受け入れてた。あれこそ全身で感じてたでイイと思う。生きてきて最高の時間としか思えなかった。できれば永遠に続いて欲しいとしか頭になかった。

 恵梨香を縛るものは何一つなかった。ただ身を委ね、恵梨香のすべてを見せたよ。まるで波が打ち寄せるようだった。その波は次第に大きくなり、波が来るたびに絶叫してた。絶叫しながら恵梨香は求めてた。康太が来てくれるのを。

 信じられないような大きな波が恵梨香をさらおうとしていた。その時にわかった。康太が来るって。ついに恵梨香を満たしてくれるって。そして待ち望んだ瞬間が訪れたのを体でしっかり感じ、受け止めてから眠りについたんだ。

 目覚めたら朝の光の中に康太が眠ってた。昨夜のことが夢じゃなく、現実なのを改めて実感してた。良い奥様になるのが恵梨香の目標だから、ホントなら朝の支度をするべきだったけど、今朝だけは許してもらうことにした。この一緒に朝を迎えられた感激を記憶に刻み込むために。

 恵梨香はネンネどころかバツイチだし、ビッチのトレーニングまで叩き込まれてるけど、本当に心の底から愛してる人とするのが、こんなに違うものだと教えられた気分だったよ。ビッチにされた時にもよがり狂わされたけど、康太に感じたのは次元も質も違うんだ。

 もう言っちゃうけど、女の究極の喜びを初めて知ったと思う。それもだよ、まだ康太とは初めてなんだよ。これから究極のさらに先まであるかもしれないじゃない。康太となら行ける、もちろん恵梨香はついて行く。そのために恵梨香が選ばれたはず。

 その日から康太のマンションに住んでる。康太の言葉に嘘はなかった。結ばれた次の日の朝に赤い紙が出て来たんだよ。恵梨香が震えながらサインしたら、そのまま区役所に二人で提出しに行った。なにか夢の中を歩いているようだったけど、恵梨香は康太の奥さんに正式なってしまったんだよ。

 こんなに幸せな時間が突然訪れるなんて夢にも思ってなかったもの。たった一日で恵梨香のすべての夢が突然叶ってしまったんだもの。そして康太の亡くなった御両親に挨拶に来てる。


 恵梨香の疑問はなぜ恵梨香だったか。聞かない方が良い気もしたけど、聞かずにいられなかった。どう考えたって智子に勝てる要素はなかったし、由佳だって、リサリサだって敵う気がしなかったんだもの。そしたら康太はさも意外そうな顔して、

「ずっと本命は恵梨香だよ。だからデートに誘ってたし、ホテルに誘ったし、結婚だって水向けたじゃないか。ついでに言えばプレゼントも贈ったし」

 あれって本気だったんだ。てっきり冗談だと思ってたから笑いにしながら断っていたけど、まさかでしょ。

「あまりに恵梨香の反応が悪かったから、リサリサに少しだけ気が動いたのは謝っとく。あれだけ断られたら、あきらめた方が良いと思ってたんだよ」

 康太は由佳にも智子にも特別の思い入れがあったのも隠さずに話してくれた。もし恵梨香がいなかったら、どちらかを選んでいた可能性さえあるともしてた。そうなんだよ、こんなもの信じるしかないけど、康太にとって恵梨香は最初からダントツだったって事になる。

「あの交差点を見ただろ。なんの変哲もない交差点だけど、ボクにとっては青春の交差点なのさ。あれを智子と渡りたかったのが高校生のボクであり青春だった」

 でも今からだって智子と渡れるはず、

「あの交差点は二十年前に通り過ぎてしまった。さすがに長いよ。あれからもいくつかの交差点はあったけど、あの交差点はもうボクには渡れない」
「今の交差点は」
「言ってみれば黄昏の交差点みたいなものだけど、青春の交差点と渡る人が違う。この先を一緒に歩けるのは恵梨香だけだ」

 加えて青春の交差点は、相手を純粋に愛しているかどうかだけを考えて渡るもので、黄昏の交差点は人生に本当に必要な人を選んで渡る交差点としてた。そこまで選び抜かれるほどの価値が恵梨香にあるかどうか疑問だけど、選ばれたからには全力を尽くす。


 康太に結婚して求められたのは一緒に住むことだけ。さらに康太のマンションになったのは、恵梨香のマンションより広かっただけ。逆なら、恵梨香のマンションになってたかもしれないぐらい。

 仕事は続けて良いと言うか、むしろ続けてくれとお願いされた。収入だけなら康太の診療所だけでも余裕だから、あれは収入の問題じゃなくて、恵梨香に専業主婦になって欲しくないとしか考えられなかった。

 子どもは作らない事にした。恵梨香は最初の結婚の時に、さんざんと言うか、毎日のように、

『孫産め、男産め、早く産め』

 これを言われ続けたのが、ちょっとしたトラウマになってるところがあるんだよ。恵梨香だって女だから子どもが欲しい部分はないとは言えないけけど、あれだけ言われ続けたら、女の価値は子を産むことにしかないみたいじゃない。さすがに歳も歳だし、康太が子どもに消極的なのも知ってたからあっさり合意した。

 家事分担は恵梨香が全部するって頑張ったんだけど、出来る方がすることで落ち着いた。康太も離婚してから家事も一人でやってたからね。もっとも、それぞれの流儀もあるから、これについては恵梨香に基本的に合わせる方針になったぐらい。

 ただ家計管理は恵梨香になった。きっちり分けるのもあったけど、康太は診療所の経営だけで手いっぱいみたいで、恵梨香が引き受けることになったぐらいかな。お互いに小遣い制で、大きな買い物は二人で相談して家計から出す感じ。これでも恵梨香は信用金庫勤務だから、たいした負担じゃない。

 だってだよ、やり繰りってレベルじゃないんだもの。大雑把に言えば恵梨香の給料分ぐらいが二人のお小遣いになっちゃんうだよ。それに康太は恵梨香とのデート代こそリッチだったけど、普段の暮らしぶりはシンプル。

 さすがに一品、一品はイイもの買って使ってるけど、大切にするし、無駄に買い足したりは絶対にしない人で良さそう。イイものを長く使う、あれは金持ちの倹約術の見本みたいな人。

 とにかくさ、家でも飲むことがあるみたいだけど、あれだったら恵梨香が家で飲んでたものの方がはるかに高級品だもの。康太に言わせれば、安酒をバカラのグラスに入れてカバーしてるって。

 こういう条件自体は恵梨香に取って良い事ばかりの気がしたけど、同時に康太が結婚してどんな夫婦生活を送りたいかも全部わかった気がするんだよ。これって夫婦生活というより、恋人同士の同棲に近いんじゃないかって。それも、ある程度以上、結婚を意識した同棲ぐらいかな。

 たぶん、それぐらいの関係が夫婦の緊張感と言うか、新鮮度を保つのに一番良いと考えてる気がする。まあ、どんな結婚生活にするのかは、夫婦の自由みたいなものだから、康太の考えも一理あると思うし、恵梨香も大賛成で協力する。


 康太の思うようになるかは、これからの二人の努力になるけど、康太の望んだ結婚生活が智子に勝てた理由の一つの気が恵梨香にはしてるんだよね。それがすべてじゃないだろうけど、それもあるぐらいの感じかな。

 智子は初婚の時に専業主婦になり、今もいわば無職。いくら大学卒業でも、これだけブランクが空くと、これまた年齢もあってまともな職にはまずつけない。というか、康太との結婚するとなると考えるまでもなく専業主婦しか考えていないと思う。

 専業主婦となれば、家事や家計はすべて智子の担当になるのはともかく、康太の話を聞く限り、智子は子どもが欲しいみたい。結婚時代にどうしても出来なかったのを、康太相手に取り戻すと言うか、夢を叶えるぐらいかな。

 別に智子の考え方と言うか、希望のどこかが変と言うわけじゃないけど、そういう結婚生活は康太の初婚時代にやっていて、なおかつ失敗してるから、気が向かなかったのはあるはずなのよね。

 康太と智子がどんな話をしたかは恵梨香でも怖くて聞けないけど、なんとなく智子の望む結婚像を康太は聞きだした気がする。ここも言ってしまえば、康太は智子を結婚相手としてかなり意識してたはずなんだ。

 恵梨香は妬くけど認める。康太にとって智子はそれぐらいの特別の存在なのは知り過ぎてるもの。智子の結婚像は康太の希望と合ってなかったはずなんだ。ここで康太の希望を持ち出して、智子を賛同させる手段はあったはずだよ。

 もし康太が提案すれば智子は必ず賛同していたはず。智子に取って最大の目的は康太との再婚だから、それこそどんな条件でも呑んだはずなんだ。でも康太は持ち出さなかったとしか思えない。

 康太は智子の望みを捻じ曲げることを避けたんだよ。そんなことをすれば、後で必ず不協和音が出ると考えた気がする。康太は自分の希望を素直に受け入れられると言うか、同じ希望を持つ相手であることを重視したぐらいにしか思えないのよね。

 おそらく智子との高校時代の交際が順調に実を結んでいたら、智子は専業主婦になり、子どもを作っての家庭を目指したはず。別に智子じゃなくても、誰が結婚相手でも目指すと思うし、康太だって初婚の時はそうしてる。これが康太の言う青春の交差点を渡るぐらいの意味のはずなんだ。

 康太の再婚生活で望んだのは、もうこの歳から子どもを作っての家庭を目指すのが辛いぐらいかな。だから残りの人生を一緒に過ごしてくれるパートナーを求めていたぐらいで良いはず。

 そういうパートナーと一緒に渡るのが黄昏の交差点。康太ならどちらの交差点でもまだ渡れるけど、智子は青春の交差点を目指し、恵梨香は黄昏の交差点で満足した。ここでもし智子も黄昏の交差点を目指していたら・・・・・・仮定の話はキリがないからやめよう。


 それでもあの聖女智子相手に良く恵梨香を選んでくれたと思うもの。普通は並べたら恵梨香でさえ智子だと思うもの。ひょっとしたら、康太は智子を味見していて、あれの相性が余程悪かったんじゃないかと疑ってるぐらいだよ。

 別に味見していてもイイんだ。恵梨香が正式の奥さんになってるのは夢でもなんでもなく現実だもの。それと結婚はゴールじゃなくスタートなんだよ。ここからどれだけ素晴らしい夫婦関係を作れるかはお互い次第になるんだ。

 恵梨香に油断はないよ、康太を求めるものはかなり把握しているつもりだから、それを満たすのが恵梨香の役割。満たして、満たして、満たし尽くしてやるつもり。満たすのが嬉しくて、嬉しくて仕方がないもの。

 油断もないし気合も入りまくってるけど、現実はなかなか。今朝だって朝食を作ったのは康太だし、お風呂掃除も、洗濯もしてくれたのも康太。恵梨香は・・・・・・寝坊しちゃったのよね。

 でもね、ここからが肝心なんだ。恵梨香のためにやってくれたことを感謝する心を持ち続けることが重要なはず。簡単そうだけど、夫婦だからと言って、当たり前なんて思うから隙間風が吹くんだよ。

 やってもらった事を褒められて、それを嬉しいと思い続け、感じ続けることが大事だと思ってる。というか、初婚時代にはそんな優しい言葉なんて皆無だったから、恵梨香は康太に褒められたり、感謝されるだけで嬉しくって仕方ないもの。

 康太が求める黄昏へのパートナーは、親友でもあり、恋人でもあるはず。それもタダの恋人ではなく、同棲までしたい恋人。この温度を保ち続け、温め続ける相手として恵梨香が一番だと見込まれたはずなんだ。

 康太の後悔は初婚の失敗。あれも元嫁が不倫に走らなければ、ラブラブ夫婦や円満夫婦まで行かなくとも、それなりの夫婦で終わっていたと思ってる。それが離婚にまでなってしまったから、今度こそはの思いで相手を選び抜いたはずなんだ。

 恵梨香が気まぐれで選ばれていないのは、由佳や智子、リサリサを見ただけでわかる。リサリサや由佳はともかく、智子を選ばずに恵梨香なんだよ。今はそうしてくれた康太を迷わずに信じるだけ。

「もう離さないよ、何があっても離さないよ。恵梨香は康太とずっと一緒だよ。ずっとだよ、逃げようとしたって離さないからね」

 康太は微笑みながら、

「死が二人を分かつまでってか」
「死んだって天国で見つけ出して離れない。生まれ変わっても見つけ出して引っ付いてやる」

 康太は楽しそうに、

「愛してるよ」

 恵梨香は康太と黄昏の交差点を渡った。そして日没まで二人で歩いていく。