渋茶のアカネ:アカネ2の秘密

 相変わらず打倒! 加納志織に悪戦苦闘中なんだけど、カメラはアカネ2がメインになってきてる。同型機のはずだけど、どうにもこっちの方が良い気がしてる。どういうのかな、撮った画像のヌケが格段にイイ気がするんだ。

 どうしてだろうと思うのよね。どうしたって古い機種だから画像処理エンジンの能力は現行機より劣るんだ。ここについては、PCでロー画像を処理すればカバーできるけど、イメージセンサーだって古い。

 でもさぁ、でもさぁ、これだって必ずしもハンデにならないって今度の仕事で勉強した。そうだよあの加納先生の作品。あの作品は何年前の作品よ。このカメラが出来る前に撮られてるじゃない。そりゃ、まったく同じ力量の人が競い合ったらカメラがイイ方が有利だけど、その差なんて思うほど大きくないってこと。気になるのはアカネ2に付いてるレンズ。岡本社長に聞いたら、

    「本体しかなくて、レンズは申し訳ありませんがあり合わせのオマケです」

 でもロッコールじゃないかと言ったら、

    「ロッコールといえば高級品のイメージがあるかもしれませんが・・・」
 ロッコールのレンズといえば加納志織モデルを筆頭にとにかく高級品ぞろい。加納志織モデルの正式名はR100って言うんだけど、R80でもぶっ飛びそうな値段。普及品とされるR60でもアカネではちょっと手が出にくい感じ。

 このロッコールだけど潰れそうになった時期があったみたい。どういうのかな、ロッコールブランドを使って粗悪品を販売していた感じ。この頃はロッコール・ブランドは地に堕ちそうになってたらしく、その頃の中古品はまさに二束三文の価値しかないらしいの。だからアカネ2のオマケにくれたってお話。

 でも使うと明らかにイイ。だったらとアカネ1に付けてもやっぱりイイ。やっぱりイイけど、アカネ2の方がはるかに相性がイイのよね。もっと不思議なのは今までアカネが使っていたレンズをアカネ2に付けるとイマイチ過ぎるんだよ。


 ツバサ先生にも相談したことがあるんだけど、アカネ1と2を使い較べて、

    「サウザンド・オブ・ワンじゃない」

 なんのこっちゃと思ったけど、量産品でもやっぱり微妙に製品ムラがあるんだって。サウザンド・オブ・ワンは銃の話だそうだけど、千丁に一丁ぐらいムチャクチャ精度の良い銃が出来るところから付けられたみたい。

    「今は製品管理が良くなって少なくなったけど、かつては多かったそうよ」
 いわゆる同じ製品を買ってもアタリ・ハズレがあるってやつ。にしては極端な気がするけど、他に適当な理由が思いつくわけでもないから、今のアカネのカメラ使いは二刀流。アカネ2で出来るだけ撮ってるけど、とにかくパンケーキ・レンズ一個しかないから、他のレンズを使う時にはアカネ1を使ってる。


 カメラの方はそれでイイんだけど、カレンダーの方は完全に行き詰ってる。あの華麗で美しい加納先生の写真に太刀打ちする突破口がどうしても見つからない感じ。ずっとあちこちの風景を撮って回ってるんだけど、悔しいぐらい差があると認めざるを得ないのよ。

 そりゃ、十年先とまで言わなくても、五年先、いやせめて三年先なら話は少しは変わるかもしんないけど、この限られた期間じゃ、埋めようもない差なんだ。だから目先を変えて勝負したいんだけど、チャチな思いつき一つじゃ話になんない。

 でもね、目先を変えるのはポイントだとは思ってる。そう言えば感じが悪いけど、同じ土俵で勝負しても仕方がないぐらい。あっちが加納先生の世界なら、こっちはアカネ・ワールドで勝負するしかないって。

 どう言えば良いのかな、写真というジャンルは同じだけど、写真と言うジャンルの中でさらに違うジャンルで勝負する。この辺までは浮かんできてるんだけど、そもそもアカネのジャンルってなんなのよ。


 ひたすら撮りまくって今夜もオフォスで撮った写真のチェック。ツバサ先生も気になるのかよく顔を出してくれる。

    「おっ、写真が良くなってるじゃない」

 風景写真ばっかり朝から夜まで撮りまくってるから、ちょっとは腕も上がってるみたい。

    「この辺なんか、アカネにしたらよく撮れてる方だと思うよ」

 これも最近になって気が付いたんだけど、ツバサ先生が主に褒めるのはアカネ2で撮った写真が多い。それを言ったら、

    「道具には相性があるんだよ。アカネにはよほど相性が良かったんじゃない。こういうものは思い込みも入るから、これで上手く撮れると思えば、余計に上手く撮れることもよくある話だよ」

 ここのところツバサ先生はアカネの写真を見ても褒めることはあっても、前みたいにガンガン指摘の山を気づくことが少なくなってる。

    「あははは、だいぶ煮詰まってるようだね。ちょっと飲みに行こうか」
    「いや、そんな時間は・・・」
    「焦る気持ちはわかるけど、あんまり根を詰め過ぎると見えるものも見えなくなるよ」

 近所の居酒屋かと思ったら、なんとタクシーで三宮に。なんか裏通りみたいなとこに入り込んで、怪しげなビルの二階にすたすたと。木製の重々しそうなドアを開くと、

    『カランカラン』

 カウベルが付けてあるみたい。中は長いカウンターがあって、

    「いっらしゃいませ」

 品の良い白髪の老紳士。及川氏ぐらいかな。最近の年寄りは元気だな。カウンターの向こうがはお酒がずらりと並んでる。話に聞くバーッてやつかも。

    「なんにいたしましょう」

 何って言われたって、バーならカクテルを注文しなくちゃいけないだろうけど、メニューもないし、壁に張ってあるわけでもないし、えっと、えっと、えっと、

    「この子にはフルーツでなにか作ってあげて。そうねぇ、パイナップルにしとこうか。わたしはダークラムをロックで。後は任せるわ」
    「かしこまりました」

 うわぁ、格好イイ。あんなアバウトなオーダーが出来るんだ。まさに大人って感じだよね。しばし待つうちに。

    「お待たせしました」

 うひょ、本格的。なんかドラマのワン・シーンみたい。

    「こちらは」
    「わたしの弟子。渋茶のアカネよ」

 だから『渋茶』は余計だ。

    「へぇ、それはユニークなお名前で」

 ほっとけ。

    「カンパ~イ」

 うわ、美味しい。酎ハイより美味しいし、お酒の感じがしないもの。

    「アカネのカメラだけど」
    「どっちですか」
    「アカネ2」

 ツバサ先生は遠くを見る目をしていた。

    「あれは特別製だよ。アカネ1と違うのはアカネが感じた通り」
    「そうでしょ、そうでしょ、同じカメラとは思えませんもの」
    「そう、あれはわたしが知っているアカネ2ですらない」

 えっ、どういうこと。どうしてツバサ先生はアカネ2を知ってるんだ。

    「さすがのわたしも驚いた。小次郎もよほどアカネを気に入ったんだろうなって」
    「小次郎って」
    「ゴメンゴメン、及川さんの事だよ」

 うん、前もこんなことがあったぞ。えっと、えっと、そうだ東野の野郎ともめた時に祝部先生のことを弦一郎って呼んでた。

    「あれはね、正真正銘のルシエン。世界でたった二つだけ作られた本物のルシエンなんだ」
    「それって及川氏が作り上げたっていうプロトタイプですか」

 そこからの話は驚愕の世界だった。あの及川氏と加納先生が付き合ってた時期があったって言うのよ。

    「加納先生の旦那さんがお医者さんなのは知ってるよね」
    「ええ、旦那さんが学生時代に同棲されてて、その時にあの光の写真を会得したって」
    「でもね、同棲からそのまま結婚したわけじゃないんだ」

 加納先生の旦那さんは一浪だそうで、医者になったのは二十六歳になるけど、卒業の時に一度別れたんだって。あんなに綺麗な加納先生を振る男は存在しなだろうから捨てられたんだろうな。それがヒョンな事から再び巡り会ったんだって。

    「でもね、その時には加納先生は及川さんと付き合ってんだ。及川さんが加納先生に惚れて口説き落とした感じかな」

 及川氏は加納先生の二つ下だから、ちょうどカレンダーを初めて依頼した年になりそう。

    「ちょっと待って下さい。そうなると加納先生は及川氏を捨てて、旦那さんと結婚したのですか」
    「そうなる。及川さんはショックだったんだろうな。ついに結婚しなかったぐらいだよ」
    「えっと、でも及川さんの次の社長は娘婿だって」
    「そうだよ養女だよ」

 うわぁ、知らなかった。そうなると娘婿はもちろんだけど、娘も孫も血のつながりはないんだ。

    「その辺が及川電機の内紛に発展したで良いと思う。赤の他人だからね。そこはまあ、置いとくけど、まだ及川氏と加納先生が付き合っていた時に、ある約束をしていたんだ」
    「なんですか」
    「世界一のカメラを作ってプレゼントするって」

 なんか話がつながってきたけど、

    「及川氏はまず及川CMOSを作り上げたんだけど、さすがにカメラ本体まではなかなか手が回らなかったんだよ」
    「だから六十歳で会長になって専念したとか」
    「そうなる」

 でもさぁ、でもさぁ、加納先生は及川氏を振って捨ててるんだよ。どうしてそこまで、

    「最後のところはよくわからないけど、及川電機のカレンダー依頼は加納先生が引退するまで続いてるよ。それに加納先生は及川電機のカレンダーのすべての写真を撮られてる」

 たしかにそうだ。

    「まさか不倫関係だったとか」
    「男女の仲だから最後のところはわからないけど、たぶん無いと思うよ」

 アカネも無い気がする。加納御夫妻の仲がいかに睦まじかったかは、今でもオフィスの伝説として残ってるぐらい。

    「先ほどプロトタイプは二台あったってお話ですが」
    「及川氏は一刻も早く撮って欲しかったんだろうね。出来上がったプロトタイプを加納先生に渡したらしい」
    「もう一台は?」
    「カメラ事業を売り払われてしまった時に一緒に持っていかれたそうだよ」

 じゃあ、そのプロトタイプは加納さんのが持ってる事になるけど、十年前に亡くなった時にどうなったんだろう。

    「加納先生は亡くなる前に形見分けしてたんだ。子どももいなかったからね。わたしが使っているレンズもその時の遺産さ。どうもそのカメラも及川氏に返したらしい」
    「加納先生はそのカメラでカレンダーを撮ったのですか」
    「撮らなかった。とにかくあの騒ぎになったものだから、カメラは使われずにそのままだったでイイみたいだよ」

 アカネにとっては複雑すぎる話だけど、加納先生が結婚されてからも、どこか心の奥底でお二人は通じ合っていたんじゃないかな。強いて言えば良き異性のお友だちって感じかな。たぶんだけど四十年越しのカメラのプレゼントを喜ばれたと思うけど、及川氏があんなことになってしまって使う気にならなかったのだろうって。

    「でもアカネ2がその時のカメラの証拠はあるのですか」

 ツバサ先生はグラスを静かに傾けながら、

    「プロトタイプと後に発売されたカメラでは微妙に仕様が異なるんだ」

 たしかにちょっと違う。

    「それだけじゃない、アカネ2にはさらに改造が施されている」
    「改造ですか」
    「そう、プロトタイプのイメージセンサーは及川CMOSだけど、アカネ2のは及川の新型センサーだよ。そんな事が出来るのは及川電機の関係者以外には不可能なんだ」

 えっ、えっ。えっ、あの新型センサーが組み込まれてるって。

    「レンズもそうだよ」
    「岡本社長はロッコールの粗悪品のマシな方のオマケって言ってましたが」
    「あははは、粗悪品だって。紛れもない加納志織モデルだよ。新型センサーに組み合わせるなら、このレンズを使わないなと真価を発揮しないからね」

 なんちゅうこと。アカネ2もタダ同然で買ったようなものだけど、このレンズだけで百万円どころじゃないじゃない。カメラ本体だって新型センサーが搭載されてるのはロッコール・ワン・プロ以外ならこのカメラだけだよ。

    「及川氏にカレンダー撮影をアカネに任せたいって言ったら最初は渋ったんだ」

 そりゃ、そうだろ。

    「でもね、アカネが使ってるカメラを聞いたら目の色が変わったよ」
    「ではアカネ1で撮った方がイイのですか」
    「勘違いしたらいけないよ。及川氏は加納先生に最高のカメラをプレゼントすると言ったんだ。あの時は最高だったかもしれないけど今は違う。及川氏がアカネに贈ったのは今の最高のカメラだよ」

 ツバサ先生は次にオーダーしてたマンハッタンを飲みながら、

    「カメラにアカネの名前が彫ってあるだろう」
    「はい」
    「でもアカネ2の方はアルミ・プレートが貼ってあるだろう」

 そうなんだよな。買った時には、そこまで手が回らなかったって言ってた。

    「剥がしたらシオリの名前が刻んであるよ。及川氏も削り落とすのに忍びなかったんだろう」
    「なんかカメラ負けしそうです」
    「ほう、おかしいな。これぐらいのプレッシャーじゃ、ビクともしないように鍛えといたはずだけど」
 ツバサ先生は次から次へと飲むものだから、アカネもつられて飲んでたら酔っちゃった。でもお酒にも酔ってるけど、ツバサ先生の話の方がもっと酔ってる気がする。加納先生と及川氏とアカネのカメラの因縁話に。

 見ようかもしれないけど、これって一種の壮大なラブ・ロマンスだよね。もしかしたら、及川氏は加納先生の旦那さんが早くに亡くなるとか、喧嘩して離婚するのを待ってたのかもしれないね。とにかく加納先生はウルトラ美人の上にちっとも歳を取らないし。

 でもなにか引っかかるものが。そうなのよ、どうしてツバサ先生はそこまで知ってるんだ。ツバサ先生と加納先生の接点なんてないはずなのよ。オフォスの昔からのスタッフにしても、ここまで立ち入った話を知ってるはずがないじゃない。可能性としてはサトル先生が聞いていた可能性があるけど、加納先生がここまで話すかな。

 なにより不可解なのは間違いなくアカネ2を知ってるってこと。そりゃ、今のアカネ2に新型センサーが搭載されてて、あのレンズがロッコールの加納志織モデルであるのを見抜くのはツバサ先生なら可能だよ。

 でもその改造前のプロトタイプを実際に見て、触れていたとしか思えないもの。でもそんなことは加納先生以外に不可能じゃない。アカネ2はツバサ先生の話を信じれば、ほとんど使われなかったで良さそう。使ったとしても及川氏が取締役を解任される前ぐらいまで。

 その後はお互いの苦い思い出とともにしまい込まれていたとしか思えないもの。次に出て来るのは死期を感じた加納先生が取りだした時。贈られた及川氏が使いまくったとも思えないし。

    「ま、アカネ、頑張りな。難しく考えることないよ。アカネが今できる事をひたすら突き進めば答えはあるよ」
    「あるのですか」
    「ああ、答えって言うのは正しくないけど、アカネが進むべき道がきっと見えて来るはずだよ」
 この仕事を始めてからツバサ先生はアカネにすごい期待を寄せているのだけはわかる。きっとこの仕事でアカネがなにか掴むはずだと確信されてるんだ。とにかく明日考えよ。今日はもうなにも考えたくない。