渋茶のアカネ:ルシエン

 アカネの手元にはオーバーホールの終わった愛機が。それにしてもピカピカに磨き上げられてる。修理期間も通常は十日以上かかるんだけど三日で仕上がってた。お代を払おうとしたんだけど、

    「すみません。修理中にカメラに傷をつけてしまい、帳消しということでご容赦ください」

 たしかに大きな傷がついてた。製品名が削られ『Lucien』と変わり、さらに『Akane 1』と新たに刻み込まれてる。

    「こ、これは」
    「つい手が滑り申し訳ございません」
 ルシエンは当時の開発コード名だったらしく、発売時にも使われる予定があったそうなの。アカネ1の掘り込みはオマケのサービスみたいで、ちなみにアカネ2もある。これは、やはり予備機が欲しかったので中古の同じカメラを探してもらってたの。

 きっとプロタイプはこんな感じで出来上がっていたと思うのよね。さっそく使って見たんだけど、すこぶる快調。まさに新品同様の感じ。よっしゃ、これでカメラの不安はなくなった。

 でも解消したのはそれだけ。カレンダーの仕様は二ヶ月で一枚の表紙も入れて七枚。果たして何をどう撮るのか。何と言っても神戸の風景なんだけど、撮影地域が神戸というだけで、後はフリーみたいなもの。

 それにしても加納先生のカレンダーは凄かった。初期のものから凄いんだけど、後期のものになるほどさらに凄味を増してるんだもの。あれを見るだけで加納先生が死ぬまで進化を続けていたことが実感できる。さすがは世界の巨匠と呼ばれてるだけの事はある。

 感心したって始まらないなんだけど、今のアカネの実力じゃ、同じ土俵で勝負しても勝ち目はゼロ。これは諦めてるんじゃないよ、冷静な戦力分析。そもそも同じ土俵で勝負すること自体に意味がないとも言える。

 仮にだよ、加納先生とまったく同じテクニックを身に付けたころで、どこまで行っても劣化コピー。加納先生を越えるなんて不可能だよ。そういう世界はツバサ先生が一番嫌う世界じゃないの。

 冷静に考えれば今のアカネに勝機はないのだけど、今回の仕事はツバサ先生が仕組んでるのは間違いない。そりゃ、請け負った仕事をアカネに回した時点でそうなんだけど、あえて加納先生の過去の作品をアカネに見させ、及川氏に引き合わせ、カメラの話を持ち出させたのも全部計算のうちで良さそう。

 そうなのよ、そこまでしてもアカネは加納先生に勝てる要素があると見ているはずなんだ。ツバサ先生はアカネの何を見て、それをどうすれば加納先生の作品に太刀打ち出来ると判断してるのだろう。

 答えが見つからないアカネはひたすら神戸の街を歩き、ひたすら撮りまくってた。でも撮っても、撮っても、頭に浮かぶのは加納先生の作品。思い浮かべたって勝負にならないと思っても、どうしたって浮かんでくる。PCの前で苦悩してたら、

    「頑張ってるね、アカネ。お茶淹れて来たよ」
    「すみません、先生・・・ぐぇ、渋い」

 やられた。アカネ特製スペシャル極渋茶だ。

    「やっぱ、渋茶のアカネでも渋く感じるんだね」
    「あったりまえです」

 それからアカネの撮った写真をチェックしながら、

    「アカネはこの路線で行くつもりかい」
    「行きません」
    「じゃあ、どうするつもりだい」
    「それを考えてるのです」

 まったく無理難題吹っかけやがって。そないにホイホイ、加納先生の作品を凌ぐアイデアが出てくるわけないじゃろが。

    「そういえばカメラ変えたのかい」
    「いいえ同じです」
    「誰かが変わったって言ってたけど」
    「ロゴが変わっただけで同じです」

 アカネ1を見せたんだけど、

    「ルシエン・・・アカネ1ってあるけど、アカネ2もあるのかい」
    「ええ、この際だから予備機も中古で調達してます」

 それも見せて欲しいと言われたから見せたんだけど、

    「これがアカネ2・・・ちょっと撮ってもイイかな」
    「どうぞ、どうぞ」

 アカネ2はアアネ1と同型機のはずなんだけど、ちょっと感じが違う。岡本社長は、

    「発売中に細かなモデルチェンジがあったので・・・」

 操作フィーリングは同じだけど、筐体もスペックも微妙に違うところがある。というかアカネ1より使いやすいというか馴染む気もしているぐらい。この辺はハンドグリップが付いてるのも理由だと思ってる。ツバサ先生はしばらくカメラを触った後に、

    「こっちもキチンと整備してあるね」
    「絶好調です」
    「アカネはルシエンの由来も聞いた」
    「ええ、なにやら及川氏の夢の跡とかって」

 ツバサ先生は愛おしむようにカメラを抱いて、

    「頑張りなよ、答えまでもう少しだよ。アカネならきっと出来るはず。それとこのカメラだけど、大事にしてやってくれ。きっとアカネの力になってくれるはず」
 それだけいうと、どっかに行っちゃいました。わかるのはツバサ先生が答えを知っていること。ツバサ先生の弟子育成法だけど、基本技術はそれこそ手取り足取り、ガンガン説教付きで教えられるし鍛えあげられる。

 いわゆる『見て覚えろ』的な回りくどい方法を取らないのだけど、次のステップに登るのは放置。自力で上がって来いぐらいの姿勢。ツバサ先生は、

    『当ったり前だろ。受験勉強の手伝いは出来ても、試験本番は独りでやるに決まってる』
 ちょっと違う気もするけど、見方を変えればそのステップに上がれるかどうかは本人の努力と持って生まれた才能で良さそう。でもだよ、でもだよ、今回の相手は加納先生だよ。ツバサ先生がアカネの力量を買いかぶり過ぎてる気がどうしてもしてしまうんだ。

 あかん、あかん、弱気は禁物。アカネの武器は根拠なき自信じゃない。遮二無二頑張って、もがき苦しんで、開き直って今までも難題を突破して来たんだもの。今回だってゴールじゃないよ、及川氏が言う通り通過点なんだ。

 アカネの夢はもっと、もっと、もっと大きいんだよ。世界一のフォトグラファーになるんだよ。そしてね、そしてね、ロッコールに泉茜モデルを作ってもらって、タダでもらうんだ。カメラだって渋茶のアカネ・モデルを作ってもらってタダでもらうんだ。