アカネの愛機の不調は微妙なもので、トコトン使い込んでるからわかると思ってた。シャッターの切れ具合、写し取った画像の映え具合が想定したものと微妙にずれる感じ。オーバーホールすればマシになるんだけど、しばらくするとまた悪くなる感じ。
カメラマンに取ってカメラは命だけど、一方で使い捨ての消耗品でもあるんだ。だからカメラマンによっては不調を感じたらサッサと買い替えてしまう人も少なくない。カメラの不調でシャッターチャンスを逃がす方が重大ってところだと思う。
及川氏が不調に気づいたのは感心したけど、どうして岡本カメラなんだろう。あそこは通販主体の安売りショップ。そもそも店舗なんかあるのかな。住所を目当てに行ってみると、やはり店舗はなく、あるのは倉庫と事務所だけ。
受付で来意を告げると話は通じてて、そのまま応接室というか、応接コーナーみたいな一角に案内された。待つことしばしで現れたのは、おそらく岡本社長。だって挨拶も抜きで、
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「カメラを見せて下さい」
そういうや、触り始め。
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「八年目ですか?」
「はい」
「オーバーホールは?」
「半年前に」
そこから考え込んで、
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「かなり悪いです。いつ止まってもおかしくりません」
「えっ、えっ、そんなに悪いのですか」
すぐさま修理に入ると言われて、社員がカメラを持ってっちゃいました。
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「直るのですか」
そしたらピクッと眉毛が動いて、
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「この岡本がたとえ命に代えても直して見せます」
おいおい、たかがカメラだぞ。それも初心者用の入門機だし、八年間使い倒した代物だぞ。ライカとかの骨董品と勘違いしてるんじゃなかろうか。
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「ああ、これは失礼。岡本カメラの社長の岡本俊作と申します」
「オフィス加納の泉茜です。よろしくお願いします」
なんか順番があべこべになっちゃったけど、悪い人ではないみたい。少し話をさせて頂いたんだ。
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「あのカメラは及川会長の最後の夢なんです」
カメラ事業に専念するために、他の業務の負担を避けるために会長になり、陣頭指揮を執ってたそうなのよ。カメラを作るためには、レンズ、本体、イメージセンサー、画像処理エンジンが必要だけど、レンズは早期に断念し、本体と画像処理エンジンの製作に専念したらしい。
及川氏の目標は一流のプロから初心者まで満足できるカメラを作る事だった。ここも言いかえれば一流のプロが使えるカメラを初心者でも使いやすく、なおかつ価格的にも手に入るカメラを作り上げることでもイイと思う。
かなり欲張った目標と思ったけど、後発もイイところの及川電機がカメラ市場に進出しようと思えば、既存製品を圧倒する性能と価格が必要なのはアカネでもなんとなくわかる。
岡本社長もその時のプロジェクト・メンバーの一人。岡本社長が今でも及川氏を会長と呼んでいるのは、カメラ事業が始まってから、その手腕を見込まれて迎え入れられたからで良さそう。
十年の歳月を経てプロトタイプまで完成したみたい。とにかくまったく新規の事業に等しいから、かなりの資金が費やされたみたい。でもそのカメラはついに及川電機から売り出されることはなかったのよ。
及川氏はとにかく技術屋気質が強くて、ある物を作ると決めたら暴走に近い状態で突撃するタイプみたい。莫大な資金を注ぎ込み、力業でもモノにしてまう感じ。何度も倒産寸前まで追い込まれながらも、最後に成功させて回収してしまう綱渡り的経営で良さそう。
これに対し及川氏の跡に社長になった娘婿は対照的な性格だったみたい。堅実と言えなくもないけど、守りの経営姿勢で、大きな投資のギャンブルを嫌い、リスクの少ない投資で確実に利益を確保しようぐらいかな。
そんな娘婿社長からすれば及川氏がカメラ事業に暴走するのは苦々しいものにしか見えなかったみたい。及川氏がカメラ事業に専念している間に、及川氏追放計画を進めていたんだ。
娘婿社長は及川氏のバクチ的経営姿勢が嫌いなメイン・バンクと手を組み、意気揚々と出来上がったカメラの発売計画を迫る及川氏を取締役会で責任追及したそうなのよ。結果は無謀な投資で会社に損害を与えた責任を取らされ、及川氏は会長にこそ留まったものの、代表権どころか取締役も解任されてしまったって。
及川氏が育て上げたカメラ事業は他社に売り渡してしまっただけではなく、社内の及川氏派を次々に追い出して行ったで良さそう。岡本社長もその一人。
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「よく知らないのですが、及川氏って大株主では」
「そうなんですが・・・」
娘婿社長のクーデターに反発する及川氏派は株主総会での巻き返しを及川氏に迫ったそうなの。岡本社長によると、本気でプロキシ・ファイトまで持ちこめば勝敗はどっちに転んだかわからなかったみたい。しかし及川氏は、
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「これ以上のもめ事は会社のイメージを失墜させるだけで百害あって一利なし。老兵は死なずただ消え去るのみ」
及川氏が会長職に留まったのは大株主であるが故で良さそう。
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「そのカメラのその後は?」
アカネが買ってもらったのは発売から八年後。実はその二年前にこのカメラの製造は中止されており、アカネが買った時には型遅れの売れ残りの叩き売り状態でイイみたい。そういえば、
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『お買い得品』
でもね、でもね、だからアカネは買ってもらえたんだ。とにかく親は渋りまくりだったんだけど、値段がちょっと高めのコンデジ程度になってくれていたから、この値段だったら仕方がないって感じ。岡本社長は、
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「技術は日進月歩で進みます。このカメラが出来た時にはまぎれもなく最先端の機能を持ってました。ところが発売されるまでの五年間で普及機レベルに落ちています。これはどうしようもないことです」
岡本カメラは中古カメラも手広く扱っているそうだけど、アカネのカメラは中古マーケットにもほどんど出回らないそう。中古で買い取って売るにも市場価格が安すぎて利益を出しにくく、人気もないからそんな値段でも買う人も滅多にいないぐらいかな。
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「でも使いやすいカメラだったでしょう」
それはそうかもしれない。中学生のアカネでもすぐ使いこなせたし、使えば使うほど、思わぬ機能が見つかったりで楽しかった。
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「及川会長から聞きました。及川電機のカレンダーを再びオフォス加納に依頼すると」
「ええ、まあ、そうなんですが」
「担当してくれるカメラマンはあのカメラを使っておられると」
「あ、え、はい、そうですが」
岡本社長の目に涙が、
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「及川会長だけではなく、あのプロジェクトに携わった者の夢だったのです。あのカメラでカレンダーを撮ってもらうことが」
ああ、やっとわかった。及川氏がカメラを作ろうとした真の目的が。加納先生に使ってもらいたくて作ったんだ。岡本社長は立ち上がって深々と頭を下げられて、
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「カメラは必ず新品同様にしてみせます。どうか良い仕事をお願いします」