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「男が欲しい」
アカネはフォトグラファーになるために頑張って来たし、この仕事も大好き。仕事だって楽しいけど、仕事だけに人生を費やす気はないもの。ましてやまだ二十二歳だよ。まだまだ花も恥じらう乙女のはず。
そうよそうよ、仕事は大事だけど人生の全てじゃないのよ。そうよ、プライバシーの充実、あれっ、なんか違うな、プラモデルじゃない、プリンターじゃない、えっと、えっと、プラスチック、プライムビデオ・・・性活じゃなかった生活の充実も同じぐらい大事だ。じゃあ、どうすればだけど、手っ取り早く言えばやっぱり、
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「男が欲しい」
でもさ、あの時代はまだそういうカップルって例外的じゃない。そうでない方が多数派だったから、羨ましいだけで、そんなに悔しいと思わなかったんだ。勝負は大学に入ってからと思ってた。
大学に入るとたしかにラブラブ・カップルは増えてった。引っ付いたの、別れたの、ついに初体験だの話で大盛り上がり。子どもが出来ちゃったから、堕ろすの堕ろさないで大騒ぎとか。産科まで付いて行って、その後で慰めまくるってのもあった。
わかる、みるみるうちにアカネは少数派になっていったのよ。アカネは間違っても暗くて陰気な女じゃない。コンパも、合コンも良く誘われたし、財布の許す限り参加してた。でもね、ふと気が付くと、途中で消えてく連中がいるのよね。要は目的を果たしたってことだけど、アカネは例外なく三次会、下手すりゃ五次会までいるのよね。
どうして、どうして、どうして、アカネだけ無視するのよ。声の一つぐらいかけてくれたってイイじゃない。男友達もたくさんいたし、なんだかんだとよく遊んだけど、甘そうな雰囲気の一つなったことすらない。
大学は二年の秋に中退しちゃってツバサ先生の弟子になったんだけど、オフィス加納でも同じ。オフィスにも男はいるし、独身もいる。今だってそうだけど、オフィスで一番若いのはアカネなのよ。どうしてみんな無視するのよ。
プロになれて専属契約してからは、芸能人のグラビア撮影の仕事も多いんだ。男性アイドルだって多いんだけど、ツバサ先生から、
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『あの手の人種は、口説いて一発やるだけの連中も多いから気を付けてね。もちろん、割り切って楽しむのもありよ』
それ以前にツバサ先生のアシスタントやってる時も同様。そりゃ、ツバサ先生と並んでしまえば、どんな女だってくすんで見えるのは認めざるを得ないけど、
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『時々、そんな感じの声がかかりますが、すべてお断りさせて頂いています』
もっともあんなに虫も殺さないような顔をしながら、赤坂迎賓館スタジオを辞めた理由が、セクハラされそうになったから、相手を投げ飛ばしたっていうぐらい芯も強い。エエイ、とりあえずマドカさんは置いとく。
いろいろ考えたけど、アカネはイメチェンすることにした。とりあえず諸悪の根源は、
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『渋茶のアカネ』
これが定着してしまったことにあると見た。だってさ、だってさ、ツバサ先生は、
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『光の魔術師』
格好イイじゃん。渋さが売りのサトル先生も、
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『和の美の探求者』
どうしてオフィス加納の三枚目の看板が『渋茶』なのよ。渋茶からイメージされる女に恋愛感情なんて抱くはずないじゃんか。そこでだ、そこでだよ、他の呼び名を付けてもらうために仕事で頑張った。ちょっと仕事に偏りが出来ちゃったので、ツバサ先生は、
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「うん、まあイイか」
気づいたみたいだけど、愛に溢れる写真を量産してみたんだ。期待はラブリー・アカネだったんだけど、結果は、
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『渋茶のアカネの愛の溢れる世界』
クソっと思って、今度は幸せいっぱい路線で量産。これも、ツバサ先生は。
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「はん、ふ~ん」
期待はハッピー・アカネとか、幸せの伝道者だったんだけど、結果は、
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『渋茶のアカネの幸せ世界』
どう頑張っても渋茶が取れてくれないのよ。あれこれ傾向を変えてたらドドメは、
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『渋茶のアカネの七色世界』
アカネはイロモノか! ツバサ先生なんか、
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「う~ん、芸域の広がりが感じられる」
だからツバサ先生はほんの薄化粧。下手すりゃスッピン。アカネもそれに見習ってスッピン。ツバサ先生のアシスタントも半端じゃないからね。仕事だけならそれでイイんだけど、ここは絶対変えなきゃいけないって。
ツバサ先生が薄化粧やスッピンなのは仕事の都合もあるけど、そもそも化粧の必要もないほど元が綺麗なこと。これをアカネが真似しても意味がないだろ。うんと、スッピンでも集まって来るなら問題ないけど、集まって来ないのなら化粧するべし。
思いっきり気合入れて化粧してみた。効果はあったと思った、オフィスに出勤しただけでスタッフの反応がまるで違ったもの。ほ~ら、アカネも化粧を決めればこれだけ違うと思ったんだ。
その日の仕事は屋外のロケだったんだけど、かなり暑い日。仕事に入ると写真しか考えなくなっちゃうんだけど、いつものように大奮闘。イイ仕事が出来たと思ってるよ。帰りのロケバスの時だったけど、なにかアシスタンさんが怖がってる気がしたんだよ。おかしいなぁと思いながらもオフィスに帰ったところでツバサ先生にバッタリ。
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「アカネ、ちょっと来い」
あれ、なにか仕事でしくじったかと思ってたら御手洗に。
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「鏡を見ろ」
「ぎよぇぇぇ」
御手洗にこだまするアカネの絶叫。化粧に慣れてない上に、気合を入れ過ぎての厚化粧。それが汗と泥でグショグショになっていて、まるでハロウィンの怪物みたいな形相に。それ以来、
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『渋茶に化粧』
これだけじゃ、わかりにくいけど、同じような意味で言えば、
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『猫に小判』
『豚に真珠』
これぐらい似合っていない意味になっちゃった。ツバサ先生は、
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「男なんて、そのうち湧いて来るよ」
グスン。『そのうち』なんていつの日よ。来なけりゃどうしてくれるのよ。でも化粧には懲りた。
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『カランカラン』
ツバサ先生に誘われてバーに。
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「飢えてるな」
「さすがにお腹いっぱいです」
バーに来る前に焼肉行ったんだ。そしたらツバサ先生食べる、食べる。ツバサ先生がよく食べるのは知ってるけど、釣られて食べたアカネのお腹はパンパン。
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「男にだよ」
そっちか。でも飢えてるんじゃないよ、欲しいだけ。その差は・・・あんまり変わらんか。でも聞いてみたい、
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「アカネは綺麗ですか」
「はん、そう思う奴は少ないだろうな」
そこまで、はっきり言わなくとも。
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「でも少ないけどいる」
あんまりフォローになってない気がする。
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「いくらアカネが好き者だって、世界中の男を相手にする気はないだろ」
誰が好き者だってか。好き者どころかまだやったこともないんだから。
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「一人見つけりゃ、イイじゃないか」
「でも、一人さえいなかったら」
「いない時はいないさ。でもゼロということない。焦って飛びついたらロクな目に遭わない」
そりゃ、そうだよな。DV男とか、浮気しまくり男とか、ギャンブル狂とか、ヒモ専科とか、浪費癖バリバリとか、結婚詐欺はお断りだ。
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「加納先生の旦那さんの顔を見たことあるか」
写真でなら何度か。
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「どう思った、どう感じた」
優しそうな人だったけど、あの加納先生の旦那さんにしたら意外だった。悪いけど、もっと格好のイイ人だと思ってた。そしたら加納先生は一枚の写真を取り出してきて、
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「これが及川氏だ」
うひょょょ、なんとイケメンで格好の良いこと。アイドル顔負けじゃない。若い時はこんなんだったんだ。それにしても良くこんな写真見つけて来たな。
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「加納先生は及川氏と付き合ったおられたんだが、後の旦那さんに再会した時から、すべてを投げ捨てるように恋に走られてる」
それは及川氏から聞いた。聞いたけどビックリだなぁ。旦那さんはお医者さんだったけど、及川氏だって社長だから医者に目がくらんだ訳じゃないものね。
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「及川氏から聞いたのですが、結婚までも紆余曲目があったとか」
「それを言うなら『紆余曲折』だ」
意味が通じるからイイやんか。
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「なんか天使とか菩薩様が出てきて大変だったとか」
「そこまで聞いてるのかい」
またもやツバサ先生は一枚の写真を、
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「この仏像は?」
「菩薩様だよ。亡くなった後にその姿を観音菩薩像に刻んで祀られてるんだ」
「マジですか」
この仏像通りの女性が存在するなんて信じられない。
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「アカネはわたしの母校に鶏ガラ・ツバサの写真を探しに行ったよね」
「あ、はい」
「あの時に加納先生の特集雑誌を見せてもらったよね」
「ええ」
「あの同学年に加納先生に匹敵するほどの人気があった生徒がいてね。同じぐらい特集雑誌が出てた」
「それはもしかして、野球の応援でチア・リーダーやっていた人ですか」
「それも見たのかい。左側が天使だよ。お二人とも母校の伝説的な美人だったんだよ」
なんだ、なんだ、なんなんだ。あの優しい以外に取り柄の無さそうな加納先生の旦那さんに、これだけの美女が群がるとは信じられない。
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「人を愛するのはどこを愛するかだよ。そりゃ、見た目とか、学歴とか職業のスペックにどうしても目が行くのは仕方がないことだ。でもね、本当に見ないといけないのはハートだよ。これはわたしもまだまだ勉強中だけどね」
「ハートですか?」
「そうだよ、アカネがたとえ目を剥くぐらいの美人であってもいつかは年老いる」
加納先生みたいな例外もいるけど、アカネが例外である可能性はゼロだもんな。
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「美しさしか見てない男の愛は続かないよ。昔から言うじゃない、美人は三日で飽きるって。アカネのハートは綺麗だよ。アカネのハートの綺麗さを見抜く男は必ず現れる。それは保証できる」
「ホントにいるのでしょうか」
そしたらツバサ先生は朗らかに笑いながら、
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「いるよ。なにせ五千年の保証付きだからね」