渋茶のアカネ:マドカの経験

 マドカが写真に魅せられたのは写真好き父の影響もありましたが、父に感化された兄が近くの写真教室に通いだした時に、一緒に入れて頂いたのが始まりとなります。兄の方は中学に入ると陸上部に熱中してしまいましたが、マドカの方は写真に熱中しました。大学生になってからも写真熱は続き、各地のコンクールで多くの賞を頂いたりしております。次第にプロになる事を考えるようになり、父母とも相談したところ、

    「マドカさんの思う道を進みなさい」

 こういう温かい了解を頂きました。写真教室の先生にも御相談させて頂いたところ、赤坂迎賓館スタジオ勧められました。赤坂迎賓館スタジオは名門ですし、

    『東京一厳しい』
 こういう評価で有名なところございです。ここに入門し鍛えて頂ければプロへの道が開かれるともアドバイスを頂きました。ここへの入門審査は厳しく、写真知識を問われる筆記試験、屋内・屋外で、それぞれ一日かけて行われる実技試験、さらに筆記・実技の二つの試験を合格した者に対する面接試験が行われます。マドカは難関を突破し無事入門することが出来ました。


 赤坂迎賓館スタジオの育成方針は、

    『カメラマンたるもの写真道を極めるべし』
 こう謳われております。具体的には礼儀作法はもちろんのこと、家事一般が完璧に出来る事が目標となっております。マドカは礼儀作法こそ小笠原流を学んでおりますが、家事については疎く精進が必要と感じた次第でございます。

 礼儀作法と家事一般の修得のために入門生たちは先生のお宅に通うことになります。そこでは洗濯・掃除・炊事、庭の草引きから、犬の散歩、子守りまで厳しく鍛え上げられました。マドカも不慣れなことが多かったですが、これこそ写真道の始まりとひたすら修業に励まさせて頂きました。

 先生の自宅修業での成果が認められると待望のスタジオ勤務に昇格となります。ここでもまず先輩方の付き人として厳しく仕込まれます。事務所の掃除はもちろんのこと、あらゆる雑用を命じられます。スタジオでは一般教養と称されていましたが、その最高位置は先生へのお茶くみになります。

 事務所での一般教養が十分に身に付いたと認められると撮影機材の整備が許されます。これも少しでも不備があれば厳しく叱責されるだけでなく、一般教養の修得が不十分と見なされ掃除からやり直しになることも珍しくありません。指導法は、

    『見て覚えられないものにプロの資格なし』
 マドカも懸命になって頑張りました。機材整備が認められると、ついにスタジオのアシスタントに昇格となります。マドカは三年目でアシスタント見習い補佐になれましたが、同期でトップという思いがけない成績となっております。


 いよいよカメラマンとしての勉強が始まると夢を膨らませていたマドカでしたが、先生に呼び出されたのです。入門以来、

    「おはようございます」
    「おつかれさまでした」

 これ以上の会話の記憶がないぐらい雲の上の人でございましたから、緊張しながら先生の部屋を訪れました。

    「新田君、君は優秀だね」
    「とんでもございません。まだまだ修行が始まったばかりの未熟者です」
    「プロを目指すために君に特別授業を行う」
    「ありがとうございます」

 そう仰られると先生は椅子から立ち上がり、マドカの背後に回られます。

    「新田君、君は女性だ。女性としての能力を十分に発揮できるトレーニングが必要だ」
    「あ、はい」
    「そこでだが、魚心あれば水心ありという言葉を知ってるよね」

 先生は背後からマドカを抱きしめ、その手がマドカの胸にかかった瞬間に、

    「エイッ、ヤッ」

 マドカはカメラにも熱中していましたが、小学校の頃から護身術として合気道を学んでおりました。中高六年間は合気道部で主将も勤めさせて頂き恥ずかしながら四段となっております。本格的な実戦は初めてでしたが先生は、

    「こんな事をしてタダで済むと思うな」
 赤坂迎賓館スタジオは退職を余儀なくされてしまいした。父母はこれを機に写真の道はあきらめたらどうだろうかと忠告を頂いたのですが、マドカの決心は揺らぐことはありませんでした。

 しかし他のスタジオに入門希望を出させて頂いても、どこも断られてしまいます。爺やと婆やが調べて頂いたところでは、赤坂迎賓館スタジオの先生から、マドカは入門を断るようにの要請があるらしいとしていました。

 さすがに途方に暮れそうになったマドカですが、最後の希望をオフィス加納に託すことにしました。ここは世界の巨匠である加納先生が開かれたスタジオで、日本中の写真を志す者の聖地のようなスタジオです。

 ただ入門が非常に厳しいのも有名で、マドカのような未熟者には手が届くところでないと思っておりました。入門希望を出させて頂いても返事はなく、半年が過ぎ、やはり駄目かと思いかけていた頃に面接試験の連絡がありました。

 関西には修学旅行で京都や奈良こそ訪れたことはありますが、神戸は初めてですし、もし入門となれば家から離れて暮らすことになります。父母も爺やも婆やも大変心配されましたが、マドカの固い決心についに折れて頂きました。

 神戸に到着し、憧れのオフィス加納を見た時には胸躍るものがありました。一方で赤坂迎賓館スタジオでも多くの入門希望者と、あれほど厳しい入門試験があったのですから、オフィス加納ではどれほどの試験が行われるのか身の引き締まる思いもございました。

 受付で来意を告げると控室ではなく応接室に案内して頂きました。信じられない事に入門希望者はマドカだけだったのでございます。さらに応接室に現れたのは社長でもある星野先生と麻吹先生なのです。これから何が起るかと身を固くしてましたが、簡単な面接と、実技を見るための三十分ほどの写真撮影だけあり、

    「弟子にしてもイイよ。でもこれだけは言っとくね。弟子になったからってプロになれる訳じゃないからね。それで良ければ付いて来な」

 あっさり合格し、あの麻吹先生の弟子になれたのです。オフィス加納は別世界のようなところです。マドカは朝早くから出社して掃除をしたのですが、他のお弟子さんが誰も来られないのです。それでも一生懸命掃除して、買ってきた花を飾ったりしたのですが、スタッフの方々が出社してくるとちょっとした騒ぎになってしました。

    「おい、どうなってねん、これは」
    「花だぞ、花」
    「ここはどこのオフォスだ」
    「会社を間違えたかと思った」

 麻吹先生は出社してくると、

    「お~い、マドカ、悪いけど機材の準備頼む」

 麻吹先生自ら声をかけて下さったのです。それはもう張り切って、心を込めて手入れしました。そしたら先生は自らチェックされ、

    「ちょっと遅いけど、とりあえず合格だな」

 そしたら次の日にはいきなりスタジオ入りなんです。

    「なにをすれば良いのですか」
    「アシスタントを頼む」

 オフィス加納に入ったのは麻吹先生の撮影現場を見れるのも期待の一つだったのです。見れたのは感動でしたが、とにかく猛烈なスピードで動き回られ撮影されます。マドカは唖然とする思いで必死で付いて行こうとするのですが、

    「マドカ、そうじゃない」
    「こら、そこにいたら邪魔」
    「もたもたしない」

 やっているのはアシスタントじゃなく撮影の邪魔にしかなっていません。悔しくて、情けなくて、思わず涙ぐんでしまったら、

    「泣くな、止まるな、動け」

 これが連日なのです。もう申し訳なくて、申し訳なくてアカネ先輩に相談させて頂いたのです。アカネ先輩はマドカより四つ下の二十二歳。麻吹先生の弟子になられて三年目でございます。

    「アカネでイイよ、年下だし、まだ三年目だし」

 マドカは年上ですし、他のスタジオの勤務歴が三年ほどありますが、ここでは新米です。口が裂けても呼び捨てなんて失礼なことが出来るはずがないじゃありませんか。でも心の広い方で、マドカが何回お願いしても、

    「マドカさん」

 どうしても呼び捨てにしてくれません。撮影現場での醜態をお詫びして、まずは見学から始めたいと相談しても、

    「アカネもここから始めたし、もっとひどかったよ」

 アカネ先輩にはあれこれ教えてもらったのですが、ここでは先生の家どころか、オフィスの掃除も弟子の仕事ではないのです。そうお茶くみすらです。飛び上るほど驚いたのは麻吹先生や星野先生がお茶を淹れてくれるだけではなく、

    「ツバサ先生、薄いですよ」
    「そうですよ,茶っ葉のケチりすぎ」
    「そんなんじゃ、誰もお嫁にもらってくれませんよ」

 思わず飛びかかって投げ飛ばしてやろうかと思ったぐらいです。無礼にも程があるじゃありませんか。でも、

    「そうかい、ふだんアカネが渋すぎるの出すから薄めとかないと」
    「ツバサ先生、そこまで言うのだったらアカネの新兵器を・・・」
    「それはやめてくれ」

 そうなんです。ここではごく普通の会話なのです。近頃は少し慣れましたが、先生相手に軽口がなんのためらいもなく飛ぶのです。アシスタント業務では連日の悪戦苦闘なのですが、麻吹先生は、

    「マドカ、良く見ておくんだよ。あの場合はこう動くんだ。わかるか、わたしがこう撮ってるだろ、そうだったら・・・」

 そりゃもう、手取り足取り、丁寧な指導がみっちり入ります。ここでのアシスタント修業は。単にアシスタント業務を覚えるのではなく、カメラマンとして撮影する時にどう考えて、どう動くのかを叩きこまれているのです。半年ほどしてようやくドタバタがマシになったぐらいの時に、

    「マドカもやっと動けるようになったからギアあげるよ」

 そうなるのはアカネ先輩から聞いてはいましたが、聞くと実際にやるのでは大違いです、ここから四ヶ月ぐらい死に物狂いで頑張ったら、

    「じゃあ、いつものペースで宜しくね」
 早送りの動画のような猛烈な撮影ペースです。一年以上かかって、なんとかこなせるようになった次第です。ここまで体験してわかったことがあります。それはアカネ先輩がいかに出来る人かということです。

 アカネ先輩は三年目と言いながら、一年目は秋から入門されています。それも大学を中退していきなりでございます。マドカが一年以上もかかったアシスタントも、わずか半年足らずでマスターされ、二年目には麻吹先生とともにヨーロッパに長期の撮影旅行にも出かけられておられます。

 さらに二年目の終り頃には早くも指名依頼の仕事が舞い込んでおられるのです。三年目に入ると指名の仕事がますます増えただけでなく、

    『渋茶のアカネ』

 と言えばオフィス加納の三人目のエースとして誰からも認められています。あれこそ天才としか思えません。マドカからしたら、

    『アカネ先生』

 こう呼ぶのが当然なんでしょうが、アカネ先輩はそれこそ拝み倒すような勢いで、

    「それだけは呼ばないで。オフィス加納で先生と呼んでイイのはツバサ先生とサトル先生だけ。アカネなんて話にもならいなんだから」
 そのアカネ先輩の写真ですが、まさに創意工夫に富んでいます。いや富み過ぎてるものばかりです。どこをどう考えたら、こんな発想が出て来るのか感心するしかないのです。

 それもテクニックが鼻に付くようなものじゃなく、ナチュラルにひたすら楽しさが画面から噴き出す感じなのです。そこまでの写真が撮れるというのに、怖ろしいほど謙虚な方です。自分の写真を、

    「あんなものはアイデアだけで笑いを取ってるだけ。それだけの価値しかないよ」

 あれはアイデアだけではありません。この仕事ではなにを撮らなければいけないかを即座に見抜かれ、それにいかにインパクトを与えるかを考え抜き工夫を重ね上げたものです。麻吹先生にも聞いたのですか、

    「マドカもよく見てるね。アカネは自分では全くと言って良いほど意識してないけど、猛烈な速度で成長して、既に一流の域に入ってるよ」
    「どうして意識されないでしょう。あんなに凄い写真が撮れますのに」

 麻吹先生はニヤッと笑われて、

    「マドカは赤迎の時に自分より下手な先輩がいただろう」
    「えっ、その、あの」
    「ここじゃ、マドカが入るまでアカネが一番ヘタクソだった。アカネが見てるのはわたしとサトルなんだよ。これを追い抜くまでたぶん意識なんかカケラも持たないと思ってる」
    「それって」
    「それもアカネの武器であり、長所だよ。最近ではわたしやサトルでさえ、通過点と思い出してる感じさえある」

 麻吹先生や星野先生が通過点だって、

    「もちろん、やすやす抜かさせる気はないけど、アカネはすでにわたしのアングルの秘密を見抜けるぐらいになってるし、かなり使いこなせるようにさえなってるよ」
    「あの誰にも真似できない麻吹アングルをですか」
    「そうだよ、それもコピーじゃない。自分の流儀に取り込んでいるよ。もう一つマドカに教えといてやろう。アカネのイイところは、小さくまとまろうとする気が微塵もないんだよ」

 そんなアカネ先輩がウンウン唸りながら大きな仕事に取り組まれています。これも麻吹先生に聞いたのですが、

    「アカネ先輩の仕事はなんですか」
    「ああ、及川電機のカレンダーだよ」

 これは大きい仕事です。

    「テーマとかあるのですか」
    「えっと、神戸の点景だったかな。要は神戸を題材とした風景写真だ」

 異人館とか、ポートタワーとかでしょうか。

    「それだったら、あそこまで」
    「この仕事は前任者がいてね。それに負けない仕事をするのがアカネの課題だ」
    「前任者はどなたですか」
    「加納志織だよ」
    「えっ、あの、世界の加納先生・・・」

 アカネ先輩があれだけ苦悩されてる理由がよくわかりました。でもマドカは信じてます。アカネ先輩なら必ず成功されると。その時にはアカネ先輩にどう言われようが、満身の敬意を込めて

    『アカネ先生』
 こう呼ばせて頂きます。