ミサトの不思議な冒険:麻吹アングル

 ナオミは下宿してるんだ。ミサトもしたいけど、中途半端な距離だから今は家からの通学。今日はナオミの下宿にお泊り。色んな話をしてんだけど、いつしか写真の話に。ナオミもデジイチを手に入れたのは大学に入ってからだけど、写真に関してはあれこれ調べて情報だけは詳しいのよね。

 「麻吹先生って、実際に会ったらどんな人なの?」
 「女のミサトから見ても目が潰れそうになるぐらいの美人で、そのうえとっても若く見えるよ」
 「それは有名だけど、三十代ぐらいに見えるとか」

 麻吹先生は四十五歳になられるはずだけど、どう見たって二十代、それも前半なのよね。こればっかりは実際に会わない限りわかんないと思うけど、

 「後はとにかく自信家で、麻吹先生にかかると殆どのプロがヘタクソにされるぐらい。もっとも、誰もそれに文句を付けられる写真家もいないけど」
 「やっぱり怖い先生」

 そりゃ、怖い先生だよ。でもナオミが思う怖いじゃないんだよね。自分の弟子の育成のためにどれほど情熱を傾けてるかわからないぐらい。ミサトは正式の弟子じゃないけど、どれぐらい熱いハートをもってるか骨の髄まで思い知らされた。

 オフィス加納でもそうじゃないかと思ってるけど、弟子が意欲を持ち続けてる限り、決して見放さないと思うし、弟子の成長のためなら、どんな手段でも使うぐらいかな。だから麻吹先生の教えを乞うなら、麻吹先生に負けないぐらいハートを熱くしてないとダメだと思う。

 「新田先生はどうなの」

 麻吹先生はどちらかと言わなくても姉御肌だけど、新田先生はまさに貴婦人。でもね、でもね、それは見かけだけで、本質は同じの気がする。ミサトの主な担当は新田先生だったけど、怖さも情熱も麻吹先生と変わらなかったもの。

 「それにしても麻吹アングルは凄いよね」

 写真界の高等、いや超高等難度のテクニックの一つが麻吹アングル。麻吹先生にも聞いたことがあるけど、

 『あれは加納先生が編み出した加納アングルだ』

 加納先生は世界の巨匠とまで呼ばれた写真界の偉人で、オフィス加納の創設者でもある。でも加納アングルの伝承者の系譜が変わっているというか、加納先生がその技術を直接伝えた弟子はどうやらいないみたいで良さそう。

 加納アングルを駆使できるのは麻吹先生、泉先生、新田先生の三人だけ、星野先生や青島先生でも無理らしい。だけど麻吹先生は、

 『加納先生のマネをしてたら出来るようになった』

 ウソと言いたいけど、麻吹先生は加納先生の死後にオフィス加納に入門し、今でいう麻吹アングルと光の写真でいきなりブレークしているのは事実だもの。そう、加納先生と麻吹先生の接点はゼロなのよね。

 『アカネも勝手に身に付けた』

 信じられないけど師匠である麻吹先生が教えたものじゃなさそう。新田先生は、

 『マドカはアカネ先生に教えてもらいました』

 これだって苦しい修業の果てに修得した者じゃなくて、新田先生が課題の克服に苦しんでいる時に、泉先生が気分転換で教えてくれた程度だって言うのよ。こんなの信じられる。麻吹アングルの秘密を解明するために世界中の写真家が分析を続けてるんだよ。

 それこそスーパーコンピューターまで使われたって話も聞いたことがあるけど、未だに半分もわからないってされてるのよ。だから今だって駆使できるのは世界でたった三人だけの超高等難度のテクニックになってる。麻吹先生は、

 『ちょっとだけコツがいるが、あんなもの基礎技術に過ぎん』
 『でも使えるのは三人だけ』
 『うむ、頭が固くなるほど難度が上がるのはそうかもしれん』

 麻吹先生の持論みたいなものだけど、写真のテクニックは質を向上させるけど、写真を固まらせてしまう傾向があるというのよね。固まらせるとは、型に嵌った小綺麗な写真になるぐらいの意味だけど。

 『オフィスの弟子になれるだけの技量を持つ者は、どうにも頭が固くなって受け付けなくなってるぐらいと思えば良い。サトルやタケシですらそうだからな。もっとも、あいつらもそれなりぐらいに使えてるよ』

 少し話を戻すけど、麻吹先生の指導が始まって一番伸びたのがエミ先輩。とくに夏休みの強化合宿の時が凄かった。

 『アカネと相性が良かったんだろう』

 細かなテクニックはミサトの方が上だったけど、そのアングルが秀逸で、ミサトもかなわないと感じたもの。二学期はチームとしての組み写真のトレーニングで絞り上げられる一方で、三人のレベルの底上げも行われてた。

 エミ先輩を担当したのは泉先生だったのだけど、あれも驚いた。エミ先輩の写真はさらに見違えるように良くなってた。ミサトより確実に一枚どころか、二枚も三枚も上だったもの。いや、もっとだった気がする。ミサトだって伸びてるはずなのにだよ。

 イブの決戦の後、正月から始まった地獄の特訓は、エミ先輩のレベルにミサトと野川部長を並ばせるもので良かったと思う。ミサトの担当は新田先生だったけど、あれこそ本当の意味の容赦無しだった。

 もう辛くて、辛くて、毎日が灰色に見えるぐらいだったけど、あるキッカケで開き直れたのよね。野川部長もそうだった。そう、あの時にミサトも見えだしたの。被写体から誘うように伸びる一本の線。それをたどって撮った写真に麻吹先生は、

 『マドカから見せてもらった。あと一息だ。線は増えるぞ』

 野川部長も同じような感覚があるって言うのよね。二ヶ月近く続いた特訓の末にミサトも野川部長も合格点をもらえたのだけど、

 『麻吹先生、あれは何ですか』
 『小林が夏休みから見えていたものだ。お前らにわかりやすいように言えば麻吹アングルの基本ぐらいに思えば良い』

 ミサトは震えてた。ミサトが麻吹アングルを使えるなんてウソでしょ。

 『だから言ったろ。あんなものは基礎技術に過ぎん。お前らの方が頭が柔らかいから身に付けやすいのだ。もっとも野川は少々手間がかかったが』

 ミサトも新田先生の指導にヘロヘロだったけど、野川部長なんて麻吹先生に殺されるんじゃないかと思うほど厳しかったものね。

 『まあ、アカネが小林にやり過ぎたからレベル調製だ。結果オーライで良いだろう。チームのバランス上、これは必要だった』

 麻吹先生や泉先生、新田先生が駆使するレベルとは段違いかもしれないけど、ミサトたちの写真は高校生レベルを遥かに超越したで良いと思う。結果も写真甲子園はブッチギリの成績だって言うし、翌年は出場するコンクールを総なめ状態だったものね。

 「ちょっと調べたけど、ミサトの高校時代の成績って、あれなによ」
 「まあね。でも、エミ先輩がいたら、ああはならなかったよ」

 地獄の特訓を経てもエミ先輩の方が上だった。エミ先輩は写真もそうだったけど、組み写真のまさに天才。さらに決勝大会に行く頃には、ミサトや野川部長の技量、その技量から生み出される写真まで把握されてた。だから決勝大会で摩耶学園の指揮を執ったのはエミ先輩。あそこまで把握していたからこそ、伝説のファイナル・ステージで、あの不滅とまでされるシンフォニーを紡ぎあげられたとしか言いようがないもの。

 「ミサト、麻吹流って凄いのね」
 「違うよ。麻吹先生が偉大なの」

 これは野川部長が言ってたけど、麻吹先生はミサトたちに何かを試そうとしているのじゃないかとしていた。それは西川流のアプローチとは違うのだけはミサトにもわかったけど、どうも成功とは言えなかったらしいって、エミ先輩は泉先生から聞いたことがあるらしい。

 これも誤解されそうだけど、ミサトたちは麻吹先生の計算通りに伸びたみたいだけど、メソドにするには無理があり過ぎるぐらいかな。これもおそらくだけど、たかが高校生三人の指導のために麻吹先生だけでなく、泉先生や新田先生まで動員されたからね。あの体制にまともに授業料を払える人なんているとは思えないもの。

 「ナオミも麻吹アングルが覚えられるかな」
 「麻吹先生ならね。ミサトじゃ無理」
 「先輩たちなら」
 「もっと無理」

 ミサトも頼まれてコーチをしてみたけど、麻吹先生が口癖のように言われた、

 『写真とはこういうものだ』

 この固定概念が強すぎるのよね。麻吹先生の指導の基本の一つに、この固定概念を叩き潰すのは確実にあったと思う。だからこそ、そんな固定概念が一番乏しかったエミ先輩が一番伸びて、一番強かった野川部長が半殺しの目に遭ったぐらいだものね。

 「ミサトにはどう見えるの」
 「じゃあ、見といてね」

 ナオミのカメラで撮ってあげたけど、

 「これでもプロじゃないの」
 「オフィス加納の弟子入りレベルにも届かないってさ」