シオリの冒険:審査員

 当日は神戸空港からプライベート・ジェットで白浜空港へ。リッチだ。そこからはユッキーとしばらく別行動になり、

    「ユッキーの予定は」
    「白浜商工会議所で会議があって、お昼は町長主催の昼食会。午後は商工会議所の案内による視察。午後三時には白浜空港に戻りヘリで勝浦に飛ぶわ」

 さすがはエレギオンHD社長だ。白浜町だってエレギオン・グループからの投資を呼び込みたいだろうから、それぐらいはやるか。それにして白浜から勝浦までヘリ移動とはさすがね。

    「あ、それ。とにかく電車が少なくて、午後四時からの勝浦商工会議所での会議に間に合わないのよ」

 白浜空港に着くとユッキーの迎えが来てた。そりゃそうなるよね。わたしはユッキーと別れて白浜駅にタクシーで移動して特急で那智勝浦に。これが一〇時一二発で十一時半ぐらいに勝浦に到着。一時間二十分ほどだけど、今回で一番旅行らしいところかもしれない。那智勝浦駅に着くとホテル浦島からの迎えが来てた。船でホテル浦島に渡ると玄関に、

    『歓迎 美人フォトグラファー麻吹つばさ様』

 おいおい、そっちじゃなくて、写真コンクールが目玉だろうと思ったけど、その横にさらに盛大に、

    『歓迎 エレギオンHD小山社長』

 ダブって悪いことしたかな。玄関ホールには、

    「これは麻吹先生、お初にお目にかかります。及川電機の及川です」

 お初って・・・そっか、そっか、麻吹つばさとしては初対面か。

    「うちの星野がいつもお世話になっております」

 及川会長も老けたな。加納志織の二つ下だから八十七歳だものね。

    「加納先生もお美しかったですが、こうやって実際にお会いすると麻吹先生も勝るとも劣りません」
 口も上手くなったものね。とにかく加納志織は歳を取らなかったから、どれだけ魔女呼ばわりされたことか。えへへへ、もう時効だから白状しとくけど口説かれたこともあるし、付き合ってた時期もあったよ。もちろんATMじゃなく、恋人としてね。

 今回のコンクールで気になるのは審査員。どうもわたしだけじゃないみたい。審査員が複数いるのは妙じゃないけど、及川賞は会長が個人的な趣味でやってるようなもので、運営経費も会長の負担。及川電機の最近の業績もイマイチらしくて、運営もちょっと苦労しているみたい。だから審査員も数は頼めないとか言ってたのよ。

 及川会長の頼みだからアゴアシ代だけのボランティアで引き受けたけど、どうも最終的に複数になったみたいなんだ。審査員が複数になってもイイようなものだけど、及川会長の表情が冴えないのが気になる。

    「今回は麻吹先生に審査をお願いするつもりでしたが、事情によりもう二人加わって頂くことになります」
    「どなたですか?」
    「これから昼食にさせて頂きますから、御紹介させて頂きます」

 個室に案内されたんだけど、及川社長が部屋に入ると、

    「麻吹つばさ先生が来られました」

 見回すとテーブルに座った男が二人。立ち上がりもせずに、

    「東京写真芸術協会理事長の西川です」
    「東日本写真協会副会長の竜ケ崎です」
 げっ、どうしてコイツらが。西川は大御所、わたしじゃなかった、年齢は西川が加納志織より一回りぐらい下だから七十代の後半、竜ケ崎は六十過ぎだったはず。こんな小さな、それも和歌山で行われるアマチュア・コンクールにノコノコ顔を出すのが不思議過ぎる。それにしても立ち上がって挨拶しろよな。

 会食が始まってもどうにもギゴチない。及川会長があれこれ気を使って座持ちしてくれるんだけど、あの二人の視線が冷たい。やがて竜ケ崎が、

    「最近の写真界では、ちょっと売れただけで、チヤホヤされてのぼせ上がるのが多くて困りますな」
    「あははは、竜ケ崎先生もそう感じられますか。写真より、カメラマンが美人かどうかが話題になるなんて世も末ですし」
    「まったく、まったく。ロクな写真も撮れていないのに」
 あちゃ、もろアテコスリかよ。西川も竜ケ崎も初対面だと思ってるかもしれないけど、良く知ってるんだよ。ちなみに竜ケ崎は西川の愛弟子。西川は東京で大勢力を誇っていて、西川一門なんて呼ばれてる。ちなみに江戸紫こと桃屋も西川の弟子。

 西川とはとにかく仲が悪かった。西川の腕自体は一流だったけど、弟子の扱いで意見が水と油。西川のやり方は極端な教条主義。ガチガチのマニュアルで弟子を型に嵌めこんじゃうんだよ。

 そうすりゃ、ある一定レベルまでは伸びるには早いのは早いんだが、西川の写真しか撮れなくなってしまうんだ。わかるかな、出来上がる弟子は西川のコピーばかり。それも、そんなやり方じゃ、永遠に師匠を越えられないから劣化コピーしか出来上らない。

 もっとも西川の写真には人気がある。人気があるから、西川に近い写真を師匠より安く撮れる点で、独立してもそれなりに食えるシステムと言えば良いかな。とにかく弟子は西川の写真しか撮れなくなってるから、西川の写真の価値を守るのに必死になって一門の結束は西川を頂点にして固いんだよね。

 まあ西川がブレークした頃は一世を風靡したのはウソじゃないし、その頃に写真を目指した者が猫も杓子も西川の写真を目指した時代があったのはわたしも覚えてる。それをマニュアル化して固定したものが西川流ってところかな。

 大勢力となった西川は天下統一まで夢見てたんだと思うよ。だけどだよ、この辺は助かった部分もあって、東京で西川流の写真以外を望むのが難しくなって、関西まで依頼が押し寄せてくれるキッカケにもなってる。何事もやり過ぎるとそうなる見本。

 そしたら西川の野郎、神戸まで押しかけて来やがったんだ。あの野郎はオフィス加納まで顔を出して、口では共存共栄、本音はモロで、

    『西川一門に入れ、そうしないと覚悟してもらう』
 加納志織は西川の一回り上の先輩だから、口先だけはもっと慇懃だったけど、やろうとしていたのは無礼千万でカチンと来たから叩きだして塩ぶっかけて叩き出してやった。どうしてわたしが西川の写真のマネをやらないといけないんだよ。

 あんな野郎になにも出来るはずもなく影響なんてなかったけどね。それ以来、不倶戴天の仇敵同士ってところだよ。やがて食事も終り及川会長が、

    「審査委員長を決めて頂きたいと思います。今回の審査員は私も含めて四名ですが、審査委員長はプロの方々の中からなって頂くのが順当かと考えております」

 この面子なら肩書的にも年齢的にも西川だけど誰が認めるものか。

    「ではわたしでイイですか」

 西川が異議を唱えるかと思ったけどまず竜ケ崎だった。

    「麻吹君、この三人の誰がなっても良いのは及川会長の仰ったとおりだが」
    「ではわたしで異議はございませんね」
    「こういう時には年功序列が・・・」

 西川が出てきた、

    「君のような駆け出しなら、年長者であるボクをまず立てるのが筋だろう」
    「あら、年長者が優先であれば及川社長の方が適任では」
    「社長はたしかに写真はお好きだが、審査となればプロの目が必要だ」

 ひっかかった、ひっかかった。

    「では写真の腕が基準ですね。だったら審査委員長は譲れません」
    「それは君の方がボクたちより上だとでも言いたいのか」
    「それ以外にどう解釈されますか。日本語ぐらい理解できるかと思っておりますが」

 ここで竜ケ崎が、

    「麻吹君、それは無礼だろう」
    「いえ西川先生は審査委員長に求められるのはプロの目とはっきり仰いました。他の事ならともかく、この麻吹つばさ、カメラの腕で誰にも負けるつもりはありません」

 及川会長が思わぬ展開にうろたえています。

    「玄関を見られませんでしたか。わたしの歓迎の垂れ幕はあっても、お二人のものはありません。理事長や副会長と威張られても、既に過去の人になられた明らかな証拠じゃございませんか」

 西川の奴、カンカンに怒ってるな。おっ、声もプルプルふるえてやがる。

    「言って良いことと、悪いことがある。そこまで言うのなら覚悟はあるのだろうな」
    「覚悟? なんのことやら。かつて西川先生は同じセリフを弊社の先代社長に仰ったそうですが、困ったことなど、何一つ無かったと聞いております」

 たく進歩がない。同じ脅し文句を使うとは、

    「君は加納志織じゃない。あの時みたいにならないぞ」

 及川会長ゴメン。こんな奴らに会長のコンクールの審査をやらせるわけにはいかないんだ。

    「あははは、写真は年齢と偉そうな顔じゃ撮れないよ。腕で撮るんだ。東京じゃ、そのクソエラそうな顔にヘイコラされるんだろうが、この麻吹つばさの前じゃ通用しないよ。味噌汁で顔洗って出直しな」
    「そ、そのセリフは・・・」

 あちゃ、あの時と同じになっちゃた。ま、いっか。

    「まだ審査委員長やろうっていうのかい。トットと東京に帰って、自分の遺影でも撮っときな」
    「許さんぞ」
    「はっきり言わなきゃわかんないのかい。あんたの写真は死んでるよ。死んだ写真しか撮れないようなヘタクソに審査されるのが可哀想ってことだよ。このコンクールは若い芽を伸ばそうとするために及川会長が作ったんだ。芽を潰すのしか能がないアンタらは写真界の疫病神、死神ってこと」

 西川と竜ケ崎がなにか言いかけたけど、立ち上がって怒鳴りつけてやった。

    「トット帰りやがれ、この穀潰し。この麻吹つばさの目の黒いうちは二度と勝手なマネをさせないよ。誰か塩持ってこい」
 誰も持ってくるわけがないから、卓上の塩の蓋を開けて、ぶっかけてやった。量としては不満だけど、加納志織でやった時には慌てたスタッフがアジシオ持って来やがったから、奇しくも同じようになったのは笑った。


 オフィス加納の経営が傾いたのはサトルが女の写真を苦手にしたのもあるし、経営手腕が甘ちゃんだったのもあるよ。でもそれだけじゃないんだ。サトルの写真を猛烈にバッシングしやがったんだ。

 これは西川にとって目の上の大きすぎるタンコブだった加納志織がいなくなり、恨み千万のオフィス加納を叩き、自分の支配下に置こうとしたんだよ。加納志織亡き後の写真界は西川が絶大な権力を誇っていたから、サトルの写真の評価は急低下し、依頼件数も減り、依頼料もガタ落ちになってしまったんだよ。

 サトルは悔しかったろうな。サトルの性格とポジションじゃ、言い返せなないもの。それで経営が苦しくなって弱り切ったところに出された条件が、融資する代わりに西川の下請けになれだった。でもあのお人よしのサトルはそれを敢然と蹴り飛ばしたんだ。サトルはね、

    「腐ってもここはオフォス加納、日本一のスタジオです」

 この話を聞いてサトルを見直したよ。でもね、そんなことがあったなんて、これまで一言も愚痴をこぼしたことが無いんだよ。サトルが口にするのは、

    「オフィス加納の経営を傾かせたのは、すべてボクの責任」
 サトルは立派な男だよ。いや漢だ。そんなサトルの心意気に、あそこまで給料を削られ、最後の方は遅配、遅配で無給状態でも、残っていたスタッフは働いていたんだと思う。わたしだって弟子にはなったものの、小遣い程度の約束の給料さえ出なかったからね。

 それでもサトルの不思議なところは、そこまでの漢なのにどうして苦手の女の写真の克服が出来なかったんだろう。アイツのわからんところだ。


 西川と竜ケ崎が憤然として席を立ち、驚いた及川会長が追いかけて宥めてるわ。ケッタクソ悪いから追い討ちかけといた。

    「及川会長、玄関がわからんぐらい耄碌してそうだから、ちゃんと案内してやって。まったく手間のかかる連中だ」

 悪いねぇ。でもこれは必要だったんだ。でもさすがに拙いとは思ったよ。思いっきり及川会長の顔潰したようなものだからね。やがて戻ってきた及川会長に、どう言い繕うと考えていたんだけど、

    「さすがは麻吹先生です。加納先生の生まれ変わりとの噂は本当だったと確信しました」

 なんだって!

    「もし麻吹先生が加納先生の生まれ変わりなら、必ずあの二人と喧嘩されるでしょうし、追い出してしまわれると信じていました」

 さては仕組んだな。

    「私の写真の腕は素人の横好き程度ですが、写真を見る目を持っているつもりです。西川先生は東京の写真界を停滞させたと思っています。でも関西は加納先生がおられ、西川先生の影響を寄せ付けませんでした」
    「ひょっとして、今回の審査員は押し売り」
    「さすがですね。麻吹先生が審査員として参加されると聞いて強引にでした」

 及川会長もさすがだねぇ、そこまで見てるとは。

    「つきまして麻吹先生にお願いがあるのですが」
    「なんでしょう」
    「今年から麻吹賞に名前を変えさせて頂けませんか」
 あは、さすがは及川会長だ。老いてもタダの好々爺じゃないわ。でもどうしようかな、加納賞とは縁が切れちゃってるから、新しいのを作ってもイイかもしれないけど、オフィスの経営にそこまで余裕はないし。とりあえず返事は保留にして、夕方までコンクールの審査をした。

 こういう審査はメンドクサイけど楽しみでもある。まだ原石のような才能を見ると嬉しくなっちゃうんだ。ちょうど熊野古道でサトルの才能を見つけた時のような感じ。さすがにサトルほどの才能は見つからなかったけど、イイ刺激になったと思う。

    「夕食は御一緒出来ないとお聞きしていますが」
    「悪いわね、ちょっと昔の友だちと会いたんだ」
    「もし良ければ御一緒できないでしょうか。食事代ぐらいは御馳走させてもらいます」

 なんとなく及川会長と久しぶりに酒でも酌み交わしながら話したい気分もあるし、

    「ちょっと待ってね」

 ミサキちゃんに連絡を取って、

    「ちょっとこっちで思わぬ展開があって、及川会長も夕食を一緒にしたいと思ってるんだけど」
    「かしこまりました」
 ミサキちゃんはさすがだな。これだけで何も聞かずに即答できるとは。