シオリの冒険:予感

 サトルがたんまり作ってくれた借金も、三年かかって返す目途が付いてホッとしてる。それだけ仕事やりまくったんだけど、名前も売れてくれた。これはサトルに秘密だけど、サトルの技をだいぶ盗んでるんだ。

 サトルの持ち味はしっとり感。どういうのかな、シックで渋い絵が撮れるのよね。これが渋すぎて人物写真、とくに若い女の写真を苦手にしてるんだけど、上手く活かせれば艶やかな写真になってくれるのよ。

 加納志織の写真はひたすら華やかだったけど、渋みのエッセンスを注入したら、今までよりグッと深みのある写真が撮れるようになってる。これも入れ加減で、サトルみたいに無暗矢鱈に注ぎ込んだら人物写真には逆効果の時が多いんだよ。

 時と場合に応じて加減して、隠し味にするとかなり効果的。もっともだけど、これはわたしにとっての使い方で、サトルの場合は渋みを極めないといけない。そこが難関だけど、だいぶわかってきたみたい。最後の壁を突破するのは大変だけど、サトルなら出来る。この加納志織じゃなかった麻吹つばさが付いてるんだから、必ず突破させてみせる。

 サトルの事はともかく、渋みを駆使できるようになって依頼件数も加納志織時代並みにもうなってくれてる。依頼件数が増えれば依頼料も上がるわけで、サトルが削りまくったスタッフの給料もだいぶ元に戻ってくれた。アイツらもよく耐えたものだよホント。

 ただ名前が売れると雑用が増えるのよねぇ。講演依頼とか、コンクールの審査員とか。あんなものは大御所クラスの仕事のはずだけど、売れてるだけじゃなく、若くて美人だから話題作りに呼びたがるところが多いんだ。

 それでもサトルの作った借金返済のために、そんなものに出る余裕もなかったし、同業者との付き合いもほとんどしてなかった。でも今回のは断りにくいのよね。これもサトルのせいだけど、経営の苦しい時にかなり融通してもらってるんだよ。もちろん返したけど、頼まれると無碍にしづらいってところ。


 コンクールを主催しているのは及川電機の及川会長。カメラ関係ならイメージセンサーで独特の地位を築いてる。及川CMOSって言えば、カメラ好きなら有名なセンサーなのよ。この辺も良く知られてる話だけど、写真好きが高じて従来のイメージセンサーじゃ物足りなくなり、自分が満足できる物を作り上げたのは有名。

 及川会長との付き合いも古いのよね。会長は及川電機の二代目社長。初代の父親が急死して急遽二代目を継いだ格好。会社を継いでからは次々と世間をアッと言わす新製品を送り出し。業界の風雲児って感じだったんだよ。

 自分の方はと言えば、やっと名前が売れ始めたころ。そこに及川電機からカレンダーの製作依頼の話が舞い込んできた。当時としては大きな仕事だったんで張り切ってやったのを覚えてる。完成した時に及川氏に呼び出されて、

    「期待通り、いやそれ以上の出来栄えに感謝している」

 嬉しかったな。だってあっちは新進気鋭の社長さん、こっちは駆け出しだったからね。あれからずっと及川電機のカレンダーを請け負ってる。オフィス加納が大きくなり、他の大きな仕事がテンコモリ状態になっても、及川電機のカレンダーだけは自分で撮ってた。及川会長は、

    「加納先生は見込んだ通りでした。わたしは嬉しい」

 カレンダーが出来上がるたびに呼び出されて会食するのは楽しみだった。及川会長も若いころはギラギラしてた。伸し上がってやるってオーラがプンプンしてたもの。もっともそれはわたしも同じだったと思う。オフィス加納も成長期で、

    「加納先生のオフィスと私の会社のどちらが大きくなるかで競争だ」
 こんな話もよく出てた。そんな及川氏も社長を息子に譲り会長に。会長になってからはまさに好々爺になっていた。相変わらず写真も好きだけど、写真が好きな若者も大好きみたいな感じ。

 及川会長がオフィス加納の経営危機の時にサトルを助けてくれたのも、わたしとの長年の付き合いもあったけど、サトルの才能を惜しんだのもあったと思っている。及川会長は本物を見る目は確実にあるし、今だって衰えていないと思う。

 そんな及川会長が会長になった時に作ったのが及川賞。目的は若手カメラマンのための登竜門。実はってほどの話じゃないけど、わたしが加納賞を作った時のモデルなんだ。賞としては加納賞の方が大きくなったけど。

    「加納先生にはかないません」

 及川会長は自分の賞の位置づけを加納賞と被らないようにアマチュア・カメラマン対象にしてくれてた。なんだかんだと良く助けてもらったけど、サトルを助けてくれた件も、

    「加納先生に恩返ししたかったけど、私ができたのはあれぐらいで精一杯で申し訳ありません」

 こうやってサトルに頭を下げられたって聞いて参ったよ。その及川会長からの審査員依頼だよ。これを断れるわけがないじゃない。それでもって今回の会場はホテル浦島。この話をユッキーにしたら、

    「ミサキちゃん、シノブちゃん、この際だから一緒に行こうか」
    「そうですね、かなり伸ばして引っ張り切ってますから、そろそろ行かないと」

 聞くとあの熊野古道を巡った温泉旅行の時の後始末みたい。あの時はホテルを浦島から中の島に急遽変更したけど、エレギオンHD社長御一行様がキャンセルしたのでちょっとした騒ぎになったみたい。

    「ユッキーどうやって行くの。また特急くろしお」
    「あれは旅行気分を盛り上げるために、コトリがわざわざそうしたけど、今回は出張扱いにする。ミサキちゃんイイわね」
    「では神戸空港から白浜空港まで往復ジェットで一泊二日で、視察プランも盛り込んでおきます」
    「ありがとう。そうだシオリも一緒に泊りなよ」
    「でも・・・」

 審査員は招待だから部屋も用意してあるけど、

    「どっちでもイイけど貴賓室だよ。ホテル中の島とのバランスで、贅沢だけどそうしないと都合が悪いし、向こうがうるさいのよ」

 うぅ、心が揺らぐ。そういう贅沢な部屋は加納志織の時もほとんど縁がなかったし。

    「それにさぁ、料理だって、お酒だって気合入りまくりのはずだよ」

 だろうな、だろうな。中の島への対抗意識バリバリだろうし。

    「じゃあ決まりね。ミサキちゃんよろしく」
    「かしこまりました」

 ここでシノブちゃんが、

    「社長、悪いのですが」 「そうだった、そうだった。シノブちゃんは今回は無理ね」

 旦那さんの調子が悪いらしくて、本当の仕事ならともかく、今回のは出来れば遠慮したいとのこと。

    「じゃあ、今回は三人ね。浦島は不満かもしれないけど、そこのところもミサキちゃんよろしく」
    「かしこまりました」

 プランとしてはプライベート・ジェットで白浜空港まで飛び、そこからわたしはホテルに行って審査員の仕事、ユッキーたちは視察。夜に落ち合うぐらいだけど、

    「忘れてた。夜は及川会長の接待があるのよ」
    「断ったら」
    「そうはいかないよ」
    「ミサキちゃん、なんとかしといて」
    「かしこまりました」

 香坂さんは凄いよな。この程度の事なら眉毛一つ動かさないんだもの。ここでユッキーが御手洗に、

    「加納さんじゃなかった麻吹先生」
    「もうシオリでいいよ。わたしも仲間に入れてよ」
    「失礼しました。では私もミサキとお呼びください」
    「わかった、これからはミサキちゃんと呼ばせてもらうよ」

 香坂さんじゃなかったミサキちゃんはちょっと肌合いが違う気がする。でも、こういうキャラが入っているのもチームとしては大事かもしれない。

    「シオリさん、ありがとうございました。社長はああ見えて、本当に寂しがり屋なのです。コトリ副社長がいないのが寂しくて仕方がないのです。ミサキやシノブ常務では慰めきれませんから、シオリさんが一緒に来てくれて感謝しています」
    「コトリちゃんは呼べないの」
    「社長からエレギオンに戻ってくるまで、余計な雑務をさせるなの厳命です」

 そう言えばわたしの大学時代も、仕送りこそ十分だったけど、途中で連絡を取ったりとかはしなかったよね。

    「シオリさんがこの仮眠室に来て頂くまで大変でした」

 へぇ、わたしも役に立ってるんだ。そこにユッキーが御帰還。ボトルとカナッペ持ってる。

    「たまにはシャンパンどう?」

 シャンパンで乾杯し直して、カナッペをアテにしながら、

    「ところでわたしに居る主女神だけど、百二十人の愛人抱えて疲れ知らずんやりまくる以外に、なにかやらかすの」
    「シオリが抱えてる主女神はイナンナ、アッカド語のイシュタルの方がまだ通りがイイかもしれない。とにかく強大な神で、力はわたしとコトリ、さらにはミサキちゃんやシノブちゃんを合せたより強いのよ」

 それって桁外れじゃ、

    「イナンナは愛欲の女神であり、豊饒の女神でもあるの。この辺は平和だけど・・・」

 愛欲の女神はあんまり平和そうじゃないけど、

    「戦いの女神でもあり、残忍な野心家でもあるの。神が多面性を持つこと自体は形而上の宗教的概念として良くある話だけど、実在するから大変なのよ。わたしもコトリも長いこと付き合ったけど、あれは完全な多重人格だった」

 戦いの女神までならギリシャ神話のアテナみたいな感じだけど、残忍な野心家ってのは怖そう。

    「アラッタに来た時も気に入らない神を抹殺したり、人を犬に変えて番犬にしたりがあって・・・」

 人を犬に変えるってすげえな。しかもこれは実話だものね。

    「・・・わたしとコトリが知っている初代主女神時代は、それはもう慈悲深い神だったし、死ぬまで変わらなかった。力だってエレギオン移住時に恵みの力こそふんだんに注いだけど、争い事には一切使わなかった」

 そういう面が出ることもあるんだ。

    「おそらくだけど、初代の主女神はイナンナの凶暴な一面を良く知ってたし、それが害をなすことを知っていた。それだけでなく、その凶暴な力を二度と出さないようにするために努力してたのよ」
    「たとえば」
    「記憶の継承を自ら封印したのもそう、もし暴れ出したらわたしとコトリで封じられるように力を分割したのもそう」

 そこまでやってたんだ。

    「でも慈悲深いだけの主女神は初代だけだったよ。その後は、気まぐれで暴れ出そうとする主女神のコントロールに振り回され続けた」
    「どれぐらい」
    「千年」

 ひぇぇ、ユッキーもだけどコトリちゃんも苦労してたんだ。

    「今は眠ってるらしいけど、もっと早くに眠らせれば良かったのに」
    「そうはいかなかったのよ。眠らせるためには主女神を取り込まないといけないんだけど、とにかくわたしの二倍ぐらいはラクに強いの。当時のコトリと二人でタッグを組んでようやく五分程度」
    「どうやったの」
    「とにかくおそろしく強かった。延々と死闘を繰り広げて弱らせて、一瞬の隙を見つけてなんとか取り込んだのよ。二人とも良く生き残れたと思うもの。あれをもう一度しろと言われても自信がないわ」

 わたしも目覚めて欲しくない感じ、

    「わたしじゃコントロールなんて出来ないよねぇ」

 そしたらユッキーはちょっと考え込んで、

    「これはやってみないとわからないし、やりたくもないけど、シオリなら出来そうな気もしてる。今までに二百人ぐらい主女神を宿らせたけど、あれだけ穏やかに馴染んだのはシオリぐらいよ。眠っていても宿らせてしばらくは大変なのよ」

 どう大変かは聞くまでもないか。

    「とにかく不確定要素がテンコモリあって、今はシオリの記憶と人格だけど、主女神が目覚め、記憶を取り戻した時にイナンナの人格も甦るはずなの」

 言われてみれば、イナンナの方が長いもんね。

    「二つの人格が共存した時に何が起るか予想がつかないのよ」

 イナンナになってしまう可能性も十分にあるってことよね。とにかく目覚めない方が無難なのはわかる。別に目覚めて欲しいとも思わないけど、ちょっと気になることが、

    「そうだ加納志織は不妊症だったけど、主女神は全部そうなの」
    「違う、主女神は子どもも産める。不妊症なのは宿主依存性だよ」

 じゃあ、避妊もちゃんとやらなきゃ。ここでユッキーはまた考え込んで、

    「コトリと二人で主女神に記憶の継承を出来るようにしたけど、ちょっと気になることがあるんだ」
    「なに」
    「コトリも言ってたけど、ちょっと変だって。わたしもそう感じたし、今もそう感じてる」
    「まさか目覚めるとか」
    「それはだいじょうぶのはずだけど、力がちょっと・・・」

 どういうこと?

    「以前に比べると眠っているはずなのに強くなってる気がする。かつては四分の一ぐらいだったはずのなのに、今では三分の一ぐらいかな。それもだんだん強くなってる気がしてる」
    「それって・・・」
    「どうしてそうなってるかわからない。力が強くなれば、どうなるかもわからない。それにこれがどういう意味を持つのかもわからない。五千年も女神やってるけど、神ってわからない部分がとにかく多いのよ」

 ユッキーでも知らないのなら、誰もわからないだろうな。

    「ユッキー、もし悪いことが起りそうなら躊躇なく取り込んでね」

 ユッキーはますます考え込んで、

    「なにかが起ろうとしているのかもしれない。でも、それが何かが見えない。でも、何かがありそうな感じだけはしてならない。とにかくコトリが帰るまで起らなければ良いけど」

 ミサキちゃんに、

    「何が起るのかな?」
    「起るとすれば女神の仕事です」

 なんだそれ?

    「大変ですよ。社長が本気で取り組む真の仕事はこちらかもしれません」
    「危ないの」
    「はい、常に女神の生死を懸けて行われます。もちろん社長だけでなくエレギオンの四女神のすべての命を懸けるぐらいです」
    「ミサキちゃん、間違ってるよ」
    「えっ?」
    「四女神じゃないよ五女神よ。仲間はずれにしないでね」
 ウィーンの夜の時にパリでやる仕事みたいなものだろうね。温泉旅行の時の浦島がらみのものでもイイかもしれない。そっか、これからはこういう女神の仕事もあるんだ。勝浦で何かがあるのかもしれない。