不思議の国のマドカ:麻吹アングル

 マドカさんの表情が苦しそう。そりゃそうだと思う。でもアドバイスしようがないのよね。そう言えばアカネの時にも同じような状況があったような。あの時はアカネ・ワールドを作って対抗するにもアイデアが浮かばず、正面から立ち向かうには時間が足りずで苦悶してたんだ。

 それを見取ったのか、ツバサ先生は気分転換をさせてくれた。あの時は余計な事をと思ったけど、あそこが転機になった気がする。あの時は一週間の遊園地の仕事だったけど、そこまでは今回は時間がない。でも一日でも気分転換をさせると変わるかも。

    「マドカさん、言ってもイイ」
    「なんなりとお願いします」
    「ちょっと休んだ方がイイと思う。あんまり根を詰めると、かえってよくない事があると思う」

 とは言うものの、気分転換になにしよう。今から遊園地も変だし、飲みに行くのもどうってところ。

    「それなら少し教えて頂きたいことがあります」
    「なに」
    「麻吹アングルを」

 麻吹アングルか。まあ、これでもいっか。とにかく他の事に気を向かすことが出来ればイイ訳だし。ただ別に隠すようなものじゃないんだけど、教えるのが難しいのは確か。この辺はアカネが理論派じゃないのも大きいかな。もっともツバサ先生によると、

    『アカネは全部カンで撮ってるようなものだ』

 全部とは言わないけど、ハズレてもないとは思ってる。とりあえず見てもらうことにした。

    「テーブルの上の花瓶を撮ってくれるかな」

 マドカさんの写真は基本通りってところかな。これはこれで合格点なんだけど、

    「これがアカネの撮ったもの」
    「あれっ、こっちの方が明らかに良いですね」

 麻吹アングルのベースはもちろん加納アングルなんだけど、あの考え方の基本は、

    『基本アングルは合格点だが、満点ではない』

 もちろん満点アングルが基本アングルの時もあるけど、まったく違う見方で満点アングルを探し出してるんだよね。それも満点アングルは一つじゃないんだ、

    「マドカさん、こういう撮り方もあるの」
    「こ、これも良いですね」
 被写体のベスト・アングルが満点アングルなんだけど、ベスト・アングルがこれまた常に満点アングルじゃなくて、カメラマンの撮りたいイメージが入ってくる。ロケとかだったらお天気の影響もあるから、常にクルクル変わって来るんだよ。

 加納アングルとは被写体に対するベスト・アングルとカメラマンが撮りたいイメージを合わせての満点アングルをいつでも見つけられる、いや、自然にそうなってるテクニック全般のことを指すで良いと思ってる。

 マドカさんは西川流出身だから、どうしても写真を理詰めで考えるし、理詰めで考えるのは悪くないと思うけど、加納アングルは理を越えたところがあるから、なかなかキモの部分を教えて理解してもらうのは大変なんだよね。

 ついでに言えば麻吹アングルは加納アングルをさらに進化させたもの。わざと満点アングルを微妙に外して、そこから生まれる意外性を狙ったもの。ちなみにツバサ先生とアカネでは使い方が微妙に違うんだ。この辺になると感性の差としか言いようがない。ツバサ先生にも聞いたことがあるけど、

    「あははは、あれを駆使できるようになったアカネの方にビックリするわ。あれは光の写真の応用技術だからね」

 ツバサ先生によると光の写真もゴチゴチの写真理論から生み出されたものみたいで、

    「写真の素人でも撮れる」

 ツバサ先生の加納志織時代の旦那さんが産み出したものだそうで、

    「カズ君の写真は、入門時のアカネが見下せるぐらいヘタクソだった」

 ただ習得するとなると半端じゃなぐらい難しく、ツバサ先生も使いこなすまで一年ぐらいはかかったとしてた。そこからの応用技術だからツバサ先生も弟子に教えるのは難しいんだって。

    「じゃあ、アカネも光の写真を撮れるようになるかもしれないのですね」
    「撮れるよ。アカネが撮れなきゃ、誰も撮れない」

 マドカさんの方だけど、マドカさんなりに加納アングルの考え方を理解してくれたみたいで、

    「アカネ先生、アングルっておもしろいですね」
    「マドカさんも、そのうち見えて来るよ」
    「どんな感じに見えるのですか」
    「被写体からすうっと線が伸びてる感じかな」

 そうそうツバサ先生に聞いてみたんだけど、

    「カレンダーの時にツバサ先生が想定していたアカネの答えはなんだったのですか」

 ツバサ先生はおもしろそうに笑って、

    「課題への答えは一つとは決まっていない。とくにアカネの場合はそうだった。むしろどういう答えを見つけ出すかに注目してた。とりあえずわたしが想定していたのは、その奇抜な発想力で、まったく違う世界を出現させるぐらいかな」

 それは途中まで考えてた。

    「それも合格だったのですか」
    「もちろんだ。当時のアカネでは加納志織との差は悪いがかなりあった」

 そうだったと思う。あんなもんに正面から対抗するなんて、さすがのアカネでも無謀すぎると思ったもの。

    「だから、わたしは加納志織を交わし、アカネ・ワールドを作りだして壁に挑むと見てたんだ」

 そこまで計算してたんだ。でも無理だったんだよね。交わすにも加納先生の壁は巨大すぎて、逃げ場が見つからなかったんだ。

    「アカネに心底驚嘆したのは、交わしきれないと判断した点だよ」
    「交わせない課題だったのですか」
    「ちょっと違うかな。もし交わして、アカネ・ワールドを作っていても一流のプロになっていただろう。でもアカネは交わした世界が許せなかったんだよ。それじゃあ、加納志織を越えていないし、そんなものは交わしたことにならないってね」

 ちょっと話が複雑だなぁ

    「あの時に交わしていても、それが不十分だと気付くフォトグラファーはまずいないよ。交わした世界でアカネ・ワールドやっていても十分売れっ子で食べて行けたはずだ。でも、アカネはその世界を嫌ったんだよ。ホントにアカネらしいと思ったよ」

 これは褒められてるんだよね。

    「あのカレンダーの仕事でアカネが踏み込んだ領域は、プロの壁のレベルじゃない。あそこまで踏み込んだフォトグラファーは知る限り一人しかいない」
    「誰ですか?」

 ツバサ先生はニコニコ笑いながら、

    「そんなものわたしだけだ。一流とされてるプロでもほとんどがプロの壁を越えたあたりに留まってしまう。その先があるとは思えないんだよ。それぐらい越えるのが難しく、越えた時に写真の頂点を極めた気分になるものさ」
    「ツバサ先生もそうだったのですか」
    「そうだよ。そりゃ、その上なんてあると思えなかったよ。せいぜいあるのは同じぐらいの高みの写真だけ。西川大蔵が写真の究極と考えて西川流を作った気持ちが少しはわかる。加納志織は西川大蔵への対抗心から西川を見下ろすところまで自分を高めたのさ」

 そこから昔を思い出すように、

    「しかし加納志織もそこまでだった。それ以上を目指すモチベーションをもてず、晩年はカメラを置いた時期まであった。そんな加納志織をアカネは二年で追い抜いてしまったんだよ。わたしは嬉しくてしかたがない」
    「そんなライバルを育てて損したとかの気分は?」

 ツバサ先生は大笑いして、

    「どうしてだ。加納志織は孤高だった。孤高だったが故にあの歳までかかって、あそこまでしか登れなかった。でも麻吹つばさは幸せだ。これ以上は無いライバルが、この先死ぬまでいるんだぞ。これからどれだけ高みの登れるかと思うと興奮してしかたがない。アカネはそうじゃないのか」

 ツバサ先生は偉大だ。ライバルの出現なんて、自分のモチベーションの糧ぐらいにしか考えてないんだ。アカネに抜かれるなんて微塵も考えてない。ただ上を目指すだけ、

    「そのうち追い抜いてやります」
    「はは、楽しみにしとく。その前に男作れ、恋もまた写真を高みに登らせる」

 それはそうかもしれないけど、なかなか出て来ないんだよな。

    「さて、今晩はどこまで高みに登れるかな」

 う~ん、エッチの喜びはツバサ先生のアドバンテージが高すぎて、追いつくのは無理だもんね。あっちは一万年だし、日々離されてるもんな。これ以上離されないためには、まず初体験が必要だけど。

    「とりあえず一発やったら報告に来い。ゆっくり聞いてやるぞ」
 タンマリ仕返ししてやる。なんか燃えてきた。