女神の休日:マリー

 指輪騒動でミサキたちの正体を知ってしまったマリーは朝早くから、

    「おはようございます」

 当たり前のように部屋に入ってきて、ミサキたちの準備が整うのを待ってます。なにをしているかですが、

    「マリーは皆様方の秘書でございます」

 社長も副社長も断るかと思っていたら、

    「やりたいなら、やってごらん」

 えっ、あの連中の秘書なんてと思いましたが、クルーズ船内ではさしたる用事があるわけではないので、金魚のフンみたいに付いて回ってるだけの状態です。どうして、そんな事をと思ったのですが、マリーにとってユッキー社長は文字通りの立志伝中の人であり、マリーの憧れの人でもあるようです。ちょっと気になったのは、

    「マリーにだって秘書ぐらいできるわよ」

 こんな呟きがふと耳に入ったのですが、社長と副社長が許しているのなら、ま、いっかってところです。最後の寄港地はグラン・カナリア島だったのですが、

    「マリー、案内役してくれる」
    「もちろん秘書の務めでございます」

 やばいコトリ副社長の目が細くなってる。でもグラン・カナリア島はそんなに大きな島じゃないからなんとかなるか。

    「御希望はございますか」
    「とりあえずペゲタ地区とトリアナ通りは定番やろ」
    「そうね、教会巡りもしたから、サンタ・アナ教会とサン・フアン・バウティスタ教、ピノ教会ぐらいは見ておきたい」
    「カナリア島博物館は外せへんし、カサ・デ・コロン邸も行っておかないと」
    「マスパロマス砂丘は絶対よ」

 マリーは一生懸命メモを取っています。

    「ランチに御希望はありますか」
    「店は任せるけどコトリはモホソース食べたい」
    「わたしはカルネ・カブラ」

 マリーは張り切ってまして、

    「お任せください、必ず御満足してもらいます」

 それからマリーは一生懸命になって情報を集めたり、地図とにらめっこして観光プランを立ててました。ミサキも社長と副社長の要望を聞きながら、それぐらいなら、なんとかなると思ってたのですが甘かった。お二人は観光となるとローラー作戦ぐらい見て回られますし、その場で、

    「あれ面白そう」

 すぐに脱線、いや暴走されます。それを宥めすかし、時に叱りつけながら、タダでも目一杯のスケジュールを守らせなければならないのですが、マリーにそんな芸当ができるはずもなく、予定の半分もこなせない内にタイム・アップ。それどころか出航時刻に遅れそうな状態に。

    「ミサキちゃん、悪いけど、後は頼む」

 まあマリーならそうなると準備はしていましたから、なんとか駆け込みセーフ。そんなドタバタの翌日です。ミサキはマリーとデッキ10の船首方向にあるコモドア・クラブに。ここは、昼間は展望ラウンジ、夜はバーになります。

    「ミサキさん、昨日はすみませんでした」
    「謝るほどのことはないよ。社長も副社長も楽しんでたし」
    「でも、小山社長や立花副社長のご要望の半分も満たせませんでしたし、船だってミサキさんがいなければ乗り遅れていたかもしれません」
    「でも間に合ったから問題ないよ」

 マリーはすっかりしょげかえっています。

    「それにしてもミサキさんは凄いですね」
    「なにが」
    「あそこから船まであんなに手際よく」
    「ああ、あれ、あんなのはお二人と一緒にいるとしょっちゅうあるから」

 マリーにいきなりは無理だろうし、お二人はマリーが慌てふためく様子を楽しんでいたらしいのは伏せときました。

    「ミサキさんは木曜会のメンバーなのですよね」
    「まあね、一応エレギオンHDの役員だから」
    「木曜会のメンバーは一応なんかじゃ、絶対なれません」

 まあ、そうなんだけど、

    「父だって木曜会のメンバーじゃないのです。父の親HDの社長でやっとです」
    「ミサキはクレイエールが大きくなる時に、オマケで引っ付いていったタナボタ昇進みたいなものよ」

 そしたらマリーが憤然としながら、

    「そんなことはありません。木曜会のメンバーはエレギオン・グループの最高峰ですが、エレギオンHD側から出席される四人は能力・見識とも卓越してるどころか、あれは常人じゃないって父は言ってました」
    「そりゃ社長や副社長はそうだけど、ミサキはそうではないよ」
    「どれだけミサキさんが凄いかも聞いてます」

 ありゃ、なにを勘違いして聞いたのだろ。

    「ミサキさんのなにが凄いって、あの小山社長や立花副社長でさえ逆らえないって聞いてます」
    「まあ、これでも監査役だからね」
    「それだけじゃなくて、エレギオン・グループで唯一、社長や副社長の意見を却下できる人間と聞いています」

 ああ、あれか。女神懲罰官としてお二人のワガママに付き合ってるのを、外から見ればそうなるのかもしれない。

    「昨日だって、ミサキさんが指示を出し始めたら、あのお二人は何の文句も言わずに従っておられました」

 あれは社長と副社長がマリーを余りにもからかいすぎて、タイム・アップどころの状態じゃなくなっただけ。大慌てになってのSOSサインだからなぁ。

    「マリーはエレギオンHDに勤めたいのです」
    「でもエレギオンHDに勤めるのは大変よ」

 エレギオンHDは社長の方針で、まったくの新入社員は原則として採用していません。グループの中の精鋭中の精鋭を集めています。だからこそ、あの規模で成り立っていますし、それだけに求められる業務量も質も桁外れになっています。

    「それも父から聞きました。今度、社長に頼んでみます。こんなチャンスは二度とないかもしれません」

 若いってイイな。目標を決めたら夢中になれるもの。こういう夢中さは嫌いじゃないけど、社長も副社長も情実人事は絶対にしない人だからねぇ。それでも、こういうやる気は助けてあげたいけど。

    「ミサキさん、助けて下さいますか」
    「無理だよ。社長もそうだけど、副社長もそういう点は厳しい人だから」
    「でもマリーはエレギオンHDに勤めたいのです」

 この辺はまだまだお嬢様だわ。そこでふと思ったのですが、グラン・カナリア島の観光案内役をどうしてマリーにさせたんだろうって。というのも、これまでの寄港地観光ではミサキも振り回され続けてはいますが、かなり大事に回られていたからです。これってもしかしてマリーを気に入ってテストされてたとか。

    「マリー、思うだんけど、グラン・カナリア島のガイド役だけどマリーへのテストだったかもしれない」
    「えっ、あれがテスト! それじゃあ、ダメですよね」
    「とは限らないよ。チャレンジしてごらん」

 ディナーの後に頑張るとマリーはファイトを燃やしています。

    「ところでですが、社長が仕事場では氷の女帝になられるのはお聞きしましたが、副社長はどんな感じなのですか」
    「コトリ副社長は普段からあんな感じのキャラで、微笑みを絶やされたことがないとまで言われてる人だよ。でもね、仕事となるとあまりに鮮やか過ぎるのよ」
    「どういうことですか」
    「あまりに簡単にこなしちゃうから、どう見ても遊んでいるようにしか見えないのよ。でもね、そうしか見えないのに信じられないぐらいの量の仕事を終わらせちゃってる感じかな」
 マリーにはどんなコトリ副社長像が思い浮かんでられることやら。


 クイーンズ・グリルでのディナー後に四人が向かったのはゴールデン・ライオン。これがデッキ2のカジノの隣にある英国風パブです。ここは船内でもちょっとくだけた雰囲気のところで、サッカー中継の放映で盛り上がったり、ビンゴ・ゲームが開催されたり、ダンスも行われることもあります。

    「わたしはロンドン・プライドをパイントで」
    「コトリはゴーストシップをパイント」
    「ミサキはJHBをパイント」
    「マリーはアスパルをハーフ・パインとで」

 ジョッキが来ると、

    「カンパ~イ」

 マリーの顔が真剣です。

    「社長、お聞きしたいことがあるのですが」
    「な~に」
    「マリーをどう見られておられますか」

 ユッキー社長はグイッとロンドン・プライドを一飲みして、

    「オーダーに対する立案力はまずまずね。でも要求を受け入れすぎて、冗長性が乏しすぎたかな。その辺は実行力次第だけど、そっちは経験が足りなすぎるわ。もう少し勉強しなさい。努力を怠らなければ二十年後ぐらいには、木曜会のメンバーだって夢じゃないわよ」

 やっぱり社長は見てたんだ。続けるようにコトリ副社長が、

    「物事の重要性、優先性の見極めが甘すぎるよ。だから段取りが悪いってところ。それと突発事態への対応力もね。もっとも、そんなものが最初から出来れば誰も苦労しないのよ」
    「やはりグラン・カナリア島の案内役はテストだったのですか」
    「マイケルに頼まれたからね」

 ん、どういうこと。

    「たくマイケルもタヌキだよ。天下のエレギオンHDの社長と副社長に娘のプライベート・レッスン押し付けやがったんだよ。今度あったらタダじゃおかないよ」
    「ホントよねぇ、レッスン料はいくら頂こうかしら」
    「そんなぁ、父は決して悪気があってやった事じゃないないはずです」
    「あははは、タダじゃおかないは冗談だよ。ユッキーもノリノリだったから喜んで協力したよ。安心しといて」

 ホッとするマリーにコトリ副社長は、

    「秘書ぐらい簡単って、マイケル啖呵に切ってたみたいだけど、秘書業務には色んな要素が入ってるんやで。秘書はどれだけ先が見れるか、どれだけ上司の行動・クセを把握してるか、そのうえでどれだけ上司をコントロールしてコキ使えるかが求められる業務なのよ」

 これはコトリ副社長の秘書に求める業務の持論です。

    「今回のもそう。クライアントの要求を聞いたうえで、限られた時間内に、どれだけ要求を満たせるかが求められるってこと。これは経営者であっても同じよ。コトリとユッキーに付いて今まで何を見てたの」

 しゅんとなるマリーに。

    「エレギオンHDに勤めたいなら自力で勝ち取るのよ。コネとかで入ったって、そう見られて辛いだけだし、仕事だって邪魔者扱いされるだけ。わたしもコトリもマリーのことは、ちゃんと見ておくのは約束するわ。ほんじゃ、そういうことでミサキちゃん、マリーの希望だけは覚えといて」

 後はいつものように底なしと大ウワバミの競演となりました。マリーもそれなりに飲めるようですが、

    「ミ、ミサキさん。エレギオンHDに勤めるにはこれぐらい飲めないといけないのですか」
    「社長と副社長のお酒に付き合いたいならね。でも勤めるだけなら関係ないから安心して」
 後で社長と副社長が笑いながら教えてくれたのですが、マリーにエレギオンHD就職をせがまれたマイケルは、お二人の秘書を勤められたら頼んでやると言ってたそうです。そりゃ、ハードルが高すぎる条件やわ。