あれからマリーの態度はすっかり変わってくれたのですが、今度はベッタリ引っ付かれるようになりました。
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「香坂常務」
「だからここではそれはやめて」
「では香坂さん」
「ミサキでイイよ」
歳もバレちゃいましたから、やたらと丁重です。
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「マリー、お父さんになにか言われたの」
「はい、うちの会社を潰す気かと」
「だいじょうぶだよ」
「クルーズ中は死ぬ気で御接待申し上げろと」
「そこまでしなくて良いよ。社長も、副社長も気にしないって言ってたでしょ」
マリーは相当どやされたようで、いかにユッキー社長が怖い人かをコンコンと叩き込まれたようです。
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「あんなに可愛い方が本当に怖いのですか」
「でしょ、でもね、仕事場では怖いのよ」
「やっぱり氷の女帝」
「そこまで聞いたんだ。あんな楽しそうな顔はマイケルには想像もつかないと思うわ」
この辺は良かったのですが、
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「それにしても、社長や副社長もそうですが、ミサキさんもどうしてそんなにお若く見えるのですか」
ここはどう誤魔化そう、
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「えっ、そうかなぁ。そうそう加納さんは幾つに見える」
「ミサキさんと同じぐらい」
「今年で六十五歳だよ」
マリーの目がシロクロしています。そりゃそうだろ。そこにベスが、
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「ミサキ、御一緒してもイイ」
「どうぞ」
ベスの表情がイマイチ冴えません。
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「どうかされました」
「トムが・・・」
聞くと、ここのところトムはカジノにはまっているようです。
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「トムったら、ずっとカジノばっかりで、私のことをほったらかしなのよ」
「そんなに?」
「昨日も夫婦喧嘩になっちゃって・・・」
そこに社長と副社長が現れて、
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「トムがはカジノにはまってるの」
「そうなんです」
お二人は妙に乗り気になられて、
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「見に行こうか」
またカジノの奥はロイヤル・コート・シアターですが、ここに行くときにもカジノを通り抜けることがあるのですが、いつも素通りです。ミサキも賭け事が大好きって訳じゃありませんし、どちらかといえば嫌いな方ですが、一度ぐらいやってみたいと思ってました。こういう時ぐらいしか出来ませんし。
ベスとマリーも連れだって女五人組でカジノに入ると、やっぱりトムがいました、
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「は~い、トム」
「ミサキにコトリ、社長まで」
「勝ってる」
「勝負はこれからさ」
ベスが厳しい顔をしています。
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「なにしようかな」
「見てみて、ルーレットだよ」
「あれ、やりたかったんだ」
「トム、ちょっとルーレットを教えてよ」
ここのルーレットはヨーロピアン・スタイルのようで、ゼロも含めて三十七区分のようです。
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「トム、賭け方は」
ルーレットは数字が書かれたシートの上で賭けられます。まず横三列、縦十二列の罫線に区切られたインサイドベッドと呼ばれるゾーンがあり、
- 一つの数字に賭けるストレートアップが三十六倍
- 横一列の三つの数字に賭けるストリートが十二倍
- 四つの数字の真ん中に置くコーナーが九倍
- 横二列の六つの数字に賭けるダブル・ストリートが六倍
アウトサイドベッドは数字の表の周りに賭けるもので、
- 縦一列の十二個の数字に賭けるカラムが三倍
- 数字の大中小に賭けるダズンが三倍
- 数字の大小に賭けるハイ・ローが二倍
- 数字の奇数か偶数に賭けるオッド・イーブンが二倍
- マスの赤か黒に賭けるカラーが二倍
ゼロは親の総取りになるのだけど、逆にゼロに賭けるのも可能です。ただしゼロはストレートアップ以外での当りはありません。ルーレットはカード・ゲームに較べてディーラーとの心理戦の要素が少ないので初心者向きとか、カード・ゲームで神経をすり減らした時の気分転換ぐらいに位置づける人も多いそうです。
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「まずね、ルーレットは専用チップが必要だから・・・」
プレイヤーごとに色分けされたチップを交換します。ここのチップは一枚一ドルとなっています。
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「そんじゃ、一人百枚ずつにしよう」
ボールはしばらくウィラーをグルグル回りますが、その時でも賭けられますし、賭けた場所を変更することも出来ます。ある一定時間を過ぎた頃にディーラーがベルを二回鳴らすとベッドは締切になります。
今日は勝つというより、賭け方の勉強みたいな感じでミサキはやってました。社長も副社長も見る限りそんな感じで『勝った、負けた』で大はしゃぎ状態です。
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「トム、あそこに並んでる数字はなに?」
「あれは、今まで出た数字だよ」
なるほど一度出た数字はしばらく出ないだろうから、賭ける時の参考にするようです。トムから基本的な必勝法の説明は聞いたのですが、
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「ゼロを除いてホイールを四分割して考えるんだ。四分割だから数字が九つだろ、つまり四分の一の確率で当たることになるんだ」
「それで」
「チップ一枚単位で説明しとくけど、四回かけると三十六枚いるだろ、一回当たるだけでチャラで、二回当たるとチップは倍になるんだ」
ネイバーベッドというそうですが、これをするためには、シートのあちこちに散らばってる数字の位置を覚え込む必要があります。トムは手慣れたもので、ポンポンとチップを置いて行きます。
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「大勝ちするには、ここぞと感じた時に多目に賭けるんだ」
一方で社長と副社長は、
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「行くわよスプリット」
「こしゃくなコトリはダブル・ストリートよ」
「おぬし、やるな」
「ユッキーもなかなか」
初心者まるだしでひたすらキャー、キャー。もっともミサキも含めて初心者そのものなんですが、女三人組が妙に盛り上がってるのはやはり注目を浴びます。勝ったり負けたりもありましたが、一時間もすると三人ともスッカラカン。
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「ああ、おもしろかった。ところで賭け金の上限ってあるの?」
「ここの上限は五百枚、つまり五百ドルだよ」
「ひぇぇぇ、そんなに賭ける人いるの」
まあ、三人とも『決死の覚悟の大勝負』と騒ぎながら、一番多くて五枚ぐらいでしたからね。
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「真のギャンブラーにとって物足りないぐらいだよ」
「きゃぁ、トム、カッコイイ」
トムはかなり勝ってたようです。もう少し遊ぶかと思っていたのですが、
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「ミサキちゃん、帰ろ」
夜は、
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「今日はフォーマルだろ。着替えるのメンドクサイから部屋でメシ食おう」
ディナーを部屋にサーブしてもらい、まったり過ごしていたのですが、
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『コンコン』
部屋を訪ねてきたのはベスです。
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「実はトムのことで御相談に乗って頂きたいことがありまして・・・」
トムはカジノに相当入れ込んでるようで、
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「どれぐらい負けたの」
「はい、もう十万ドル以上に」
「それは熱くなってるねぇ」
話を聞くと最初は勝ってたそうです。それが途中から負けが込むようになり、それを取り戻そうと頑張ってるうちにズルズルって感じのようです。
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「そりゃ、典型的なカモにされてるわ」
「そうなんです。私も、やめるように言ってるのですが、聞いてくれなくて。無理なお願いなのはわかってますが、あなた方なら、まだ聞いてくれるのではないかと」
ベスは本当に困ってるようでした。
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「トムは元社員だけど、今は独立してるからね」
「そうなんですが、他に頼れる人がいなくて・・・」
ここまでも負けが込んでいるのですが、赤道祭の時にカジノの賭け金の上限があがるそうです。トムは、その時に今までの負けを全部取り返すと張り切ってるのに困り切ってるようです。
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「トムは勝てないよ」
「そうなんです。ギャンブルなんて胴元が勝つに決まってますもの」
「それだけじゃないんだけど・・・」
ベスがあまりにも悄然としているので、社長も副社長も考えておくとだけ伝えて帰ってもらいました。
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「コトリ、トムは負けるね」
「素人が玄人に勝てるわけがないし」
ミサキたちも素人のはず。
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「ミサキちゃん、あのルーレットを見てなにか感じなかった」
「はぁ、とくに」
「あれは操作されてるよ」
「それって、ディーラーが狙ったところに投げ込むってやつですか」
ミサキは映画や小説ぐらいしか知識がないのですが、狙ったところにボールを放り込める神業のようなディーラーがいたはずです。
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「あれはそんな神業じゃないよ。プロのディーラーなら、かつてはある程度は出来たはずだよ」
「じゃあ、今は」
「出来なくなってるし、ここのカジノのルーレットじゃ無理」
かつてそんな神業が出来たのは、今よりマスが深かったそうです。それが、今では浅くなりディーラーが狙って投げてもボールが思うように止まってくれなくなったそうです。
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「じゃあ、なにかルーレットに不正が」
「それもたぶんないよ」
「では、どこが不自然なのですか」
「トムの勝ち方」
コトリ副社長によると、あの時の数字の出方はネイバーベッドで勝負してくるトムが勝つように、勝つように出ていたとしています。
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「たまたまじゃないのですか」
「数字の出方が不自然過ぎるのよ」
コトリ副社長によるとカモにも適当に勝たせるそうです。ある程度勝たせて、
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『今度こそ』
こういう気持ちを客に持たせ続けるのが玄人のやり方だそうです。単純には小さな勝負は勝たせて、大きな勝負で巻き上げる感じです。
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「ユッキー、勝っちゃってイイ」
「やるつもり?」
「トムの負け分ぐらいはイイでしょ」
「わかったわ」
それにしてもコトリ副社長はギャンブルに詳しいな。
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「やったことあるのですか」
「えっとお・・・」
ユッキー社長が悪戯っぽく、
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「わたしは大聖歓喜天院家の娘ばっかりだったけど、コトリはね」
「しょうがないじゃない、どこに生まれるかギャンブルみたいなものだったんだから」
やっぱり、どこかでやってたんだ。