女神の休日:指輪騒動

 寄港地観光の手配は案外時間がかかるのですが、昼下がりはデッキ9のウインター・ガーデンでお茶にしようっと。

    「ミサキ、ミサキ、こっちだよ」
    「おじゃまします」

 船で知り合いになったベス。ベスにはミサキの事を社長と副社長の付き人ぐらいに思われているようです。スイートに泊ってるのは誤魔化せませんでしたが、あの見た目の若さでスイートなので、どっかの金持のお嬢さんってところです。三人の中で見た目で年長なのはミサキですが、やはり姉には見えないようです。ですから、

    「子守りは大変ね」

 こんな感じで言われます。ベスは御夫婦なのですが旦那さんはまだ会ったことがありません。

    「あなたと同じよ。少し離れてる時間がないとさすがにね」
 こうやって会えばダラダラ話しています。ベスは二十代の後半ぐらいに見えますが、旦那さんはジュエリー関係のお仕事だそうです。歳を聞くと四十歳ぐらいのようで、一回りぐらい上みたいです。聞いてると妙にマルコに似ていて笑ってます。

 仕事場では鬼のように厳しいらしいですが、家では奥様ゾッコンみたいです。それは、まあイイとして、家事がからっきし苦手。それもやらないじゃなくて、やりたがるのですが、やれば悲劇を通り越して喜劇が展開するみたいな。

    「ひょっとして、掃除は得意とか」
    「あら、どうしてわかるの。キチガイみたいにやるわよ」

 世の中には似た人がいると言いますが、ベスの旦那さんとマルコなら馬が合いそう。そこに現れたのがマリー。

    「御一緒させてもらってもイイかしら」
 マリーは若くてまだ大学を出たばかりぐらいのはず。マリーは正真正銘のお嬢様。大きなスーパー・チェーンの創業者の御一族だそうで、当然のようにクイーン・グリル。なかなか綺麗な子なんですが、ミサキというより社長や副社長をライバル視してるところがあります。

 たいした理由でないのですが、美貌のお金持ちのお嬢様ですから、神戸まではヒロインというかお姫様扱いだったようです。ところが社長と副社長が乗船されてから、人気が三分と言うより、押され気味なのが気に入らないぐらいでしょうか。

    「ミサキ、あなたもワガママ娘のお世話は大変ね」

 マリーにも付き人と思われてるみたいですが、あんたも相当なワガママ娘だと心の中で呟いておきました。でも社長や副社長よりきっとマシだとも思っています。根は善人と思っていますが、難点はとにかくマウンティングしたがること。

    「ところでコロンボから有名写真家が乗り込んでたの知ってる?」
    「そうなんですか」

 広告用の写真の差し替えを依頼されるってお話で、パンフレットも作りかえるとかです。

    「その写真家だけどマリーも知ってる人なの」
    「へぇ」
    「紹介してあげようか。前に撮ってもらったことがあるの」

 ミエミエの自慢ですが、別に紹介してもらっても損はありませんし、それでマリーの気が済むなら角も立ちませんし。

    「お願いしても良いかしら」
    「もうすぐ来るわよ」

 な~んだ手配済みか。下手に断らなくて良かった。

    「その写真家だけどマリーは世界一だと思ってる。それは、それは綺麗に撮ってくれるのよ。もちろん依頼料も超一流だけど、おカネだけ積んでもなかなか撮ってくれないのでも有名なのよ」

 いわゆる大御所ってやつかな。程なくして、

    「こっちよシオリ」

 『シオリ』って、もしかして、

    「紹介するわ、こちらがベス」
    「初めまして」
    「こちらがミサキよ」

 加納さんです。加納さんも驚いたようで、

    「香坂さんも乗ってたの。マルコ氏は」
    「今回は社長と副社長と一緒です」
    「ふぇぇ、スーパーVIPの旅行だね」

 ここでなんですが、今回の旅行では出来るだけ身分は、ばらさない様に釘を刺されています。

    「だって、エレギオンHDの社長御一行ってバレたら、色んな売込みが来ちゃうじゃない」

 これは同意です。幸いマリーもベスも日本語はわからないようですから、加納さんに頼んどきました。加納さんは、

    「スーパーVIPのバカンスも大変ね」

 さてマリーを誤魔化しておかないと、

    「マリー、ごめんね。加納さんはうちの会社の仕事もしてもらったことがあって、ミサキがお世話係だったのよ」
    「そうなんだ」

 なんとか誤魔化せました。マリーは自慢しそこなったことが、少し悔しそうでしたが、まあ日本の会社ですから、なんとか納得してくれました。

    「ミサキの会社もたいしたものね。シオリを雇ったのなら、それだけで超一流だわ」
    「いや、その、頑張ってみたぐらいで・・・」
    「そうでしょうね、無理したわね」

 やれやれ。そう思ってたら、

    「ところでこの指輪どう思う」

 やっぱりやりだした。

    「これは幻のデザインって呼ばれてるのよ」

 へぇ、このデザインで指輪を作る職人がいたんだ。良く知ってたな、ここは無難に褒めとこう。

    「素敵な指輪ですね」
    「そうでしょ、これは並の職人では作れないものよ」
    「そうなんですか」

 なんとか無難にやり過ごそうとした時にベスが、

    「ミサキも同じデザインの指輪持ってるじゃない」

 しまった。旅行前にマルコが、

    『この指輪は付けていってね』

 ミサキも共益同盟の話が気になったので付けてますし、ベスに前に見せてた。

    「えっ、ミサキも同じデザインの指輪を持ってるって。見せて下さる」
    「えっ、まあイイですけど」

 あんまり見せたくないんだけど、

    「ミサキのは似せてるだけだと思うけど・・・」

 えっと、ミサキのがホンモノですけど、ここは誤魔化しとかないと、

    「やっぱりホンモノは違いますね」

 こういうところが疲れます。ところがベスが、

    「マリー、ミサキの指輪の方が良く出来てる気がする」

 まずい、ベスもジュエリー職人の奥さんだった。

    「なに言ってるの、これはトム・サンダースの作品よ」

 トム・サンダースはアメリカで売れっ子のジュエリー・デザイナーで、ティファニーに迫る勢いがあります。

    「トムのならホンモノじゃないわ」
    「どういう意味。あのトム・サンダースだよ」

 やばい話がえらい方向に、そこに加納さんの追い討ちが、

    「ミサキちゃんのは間違いなくホンモノよ」

 必死で目くばせを送ります。なんとかこの場を逃れないと。加納さんも『しまった』と気づいてくれたようですが、そこに男が一人。

    「ベス、ここにいたのか」
    「あらトム。ちょっとこの指輪を見て欲しいの」

 なんてこと。ベスの旦那がまさかトムだとは。道理で家事音痴の掃除キチガイだったわけだ、しげしげと二つの指輪を見たトムは、

    「こちらの指輪は間違いなくボクの作品だ」

 マリーが勝ち誇った顔になり、

    「あなたがあの有名なトム・サンダースさんですか。マリー・アンダーウッドです、よろしくお願いします」

 トムはミサキの指輪を見ながら、ワナワナ震えています。

    「この指輪は、ま、まさか・・・」

 その時にようやくミサキの存在に気づいたようです。

    「そうか、そうだったのか。そうでなければならないはずだ」

 トムは恭しくミサキに、

    「御無沙汰しております。マルコ氏も来られてますか」
    「マルコは留守番です」

 そうなんです。トムもマルコの弟子だったのです。トムはかなりの才能があり、マルコにしては滅多にないことですが、一時期は住み込みの内弟子にしていた時期があります。もっとも内弟子といっても、マルコが教えたのはなぜか家事。可哀想にトムはトンデモ炊事と洗濯、キチガイのような掃除術を叩きこまれたのでした。

    「この指輪こそが正真正銘のホンモノ。これを、もう一度見れただけでも、この船に乗る価値は十分すぎるほどあった。ミサキ、ボクの指輪をどう思う」
    「良く出来てるわよ」
    「お世辞はいらない。ミサキの評価を聞かせて欲しい」

 なんという質問を、

    「お願いだ。あれからも精進を重ねたつもりだが、正直なところ自信を無くしてるんだ。神戸で修業していた時より腕が落ちてるんじゃないかって」
    「そんなことないよ」
    「いや、こうやって見比べると、明らかに落ちてるとしか思えない。頼む、言ってくれ」

 参ったな、どうしよう。そこにヒョッコリ、

    「あらトムじゃない。こちらは加納さんですね」

 コトリ副社長まで参戦とは。トムがマルコの工房に入ったのはコトリ副社長が復活した翌年、マルコもトムの才能を高く評価していたけど、彗星騒動の年にアメリカに帰っています。

    「これはトムが作ったの? ちょっと腕が落ちたんじゃない。これだったら天使の二級も危ないよ」

 トムはやっぱりと言う感じでヘタヘタと座り込んでしまいました。

    「トム、イイもの見せてあげるから部屋においで」

 それから、マリーと加納さんの方を振り向き、

    「マリーさんも是非ご一緒に。加納さんも宜しければどうぞ」

 一行はゾロゾロと言う感じで部屋に、

    「トム。あなたの才能はマルコも評価してたけど、五年じゃこんなものね」
    「すみません」
    「あなたはもう少し良いお手本を見た方が良いわ」
    「こ、これは・・・」
    「そうよ、マルコがやっつけで作ってくれた天使ウェディングのジュエリーよ。トムは神戸にいた時は、これにもう一歩半ぐらいまで迫ってたよ」

 マリーも目が点状態で、

    「なんて、なんて素敵な・・・これ売って下さい」

 コトリ副社長はニッコリ笑いながら、どこかしらに電話をかけています。

    「買ってもイイかどうかお父さんに聞いてごらん」

 そういってマリーに電話を手渡します。

    「父に電話って、どうやって・・・」
    「本人かどうかは出ればわかるわ」

 電話口から聞こえるのは猛烈な怒鳴り声。マリーもお父さんのあまりの剣幕にシドロモドロです。

    「わかった? 今回のクルーズはお忍びだから、黙っててね。言い触らしたりしたら、社長が怖いよ」
    「誰にも言いません。立花副社長、香坂常務、本当に申し訳ありませんでした」
    「ごめんね、マリー。あそこまで絡まれなければ、ここまでしなかったのだけど。ミサキちゃんの指輪にからんじゃったからね」

 マリーの顔が真っ青になっています。そりゃそうだろうな、マリーの一族の会社もエレギオン・グループだからね。マリーのお父さんも知ってるもの。

    「トムも加納さんもお願いします。そうだミサキちゃん、お詫びにあのネックレス見せてあげたら」

 トムは、

    「ああ、あのネックレスをもう一度見れるとは」

 マリーも息を飲んでいます。

    「このネックレスは・・」
    「マリー、これこそエレギオンの金銀細工師の最高傑作だよ。この完璧さ、この気品、この優美さ・・・」

 そこにユッキー社長がひょっこり部屋に帰って来て。

    「コトリもミサキちゃんも部屋に帰ってたんだ」

 マリーがそりゃもう大慌てで、

    「小山社長、数々の御迷惑、大変申し訳ありませんでした」
    「ありゃ、コトリにだいぶお灸をすえられたようね。今回はプライベートみたいなものだから、気にしてないってマイケルに伝えといてね」