桐山教授のところには何回もお伺いした。教授はいつも歓迎してくれ、出来るだけ時間を割いてウチの質問に答えてくれた。つれづれの話でお父さんと教授は高校一年と三年が同級で、サッカー部でもあったらしい。
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「はははは、そうだよ。木村がキーパーでキャプテン。ボクがバックス。とにかく弱くて、試合となれば二人で大忙しだったよ」
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「木村は優秀だったよ。だから言ってやったんだ。なんで学校の先生なんかやるんだって。そしたらな、お前の役にも立たん考古学部なんかに、将来ある生徒が間違って進ませんように見張るためだって抜かしやがった」
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「ボクは考古学部だから直接は応援できないけど、なにか困ったことがあったら、いつでも相談においで。ボクの出来ることなら力になってあげるから。港都大の中ならこれでも教授だから力になれると思う。もっとも由紀恵君に学業の心配だけはないけどね」
そんな時に嬉しい知らせがあった。テルミが教えてくれたんだけど、カズ坊合格したみたい。テルミの話では港都大も狙っていたみたいだけど、残念ながら歯が立たなかったみたい。それでもよくあの成績から一年で合格したものだと、だいぶ見直した。もうちょっと早くエンジンがかかってくれていたら、ウチと一緒に港都大だって夢じゃなかったのに。
ただね、続く話が気に入らなかった。みいちゃんと続いているらしい。カズ坊が浪人したから、そこでプッツリ切れるのを期待してたんだけど、まだ続いてるって。テルミの話ではカズ坊が浪人して切れかけたみたいだけど、合格して再燃したらしいと言ってた。そんなに医者がエエのかと思ったけど、ヤキモチ焼いてもどうしようもないね。
カズ坊の合格の話は嬉しかったけど、お母さんの調子が悪いの。お父さんが亡くなってから本当に元気が亡くなってしまって、ウチも頑張ってたんだけど、見る見る衰えていくのよ。食事も細くなってしまい、あれだけ世話好きであちこちの会に参加していたのに、ほとんど家に籠りっきりになってしまってる。
夏休みの間は付きっきりだった。去年お父さんを亡くしたばかりなのに、お母さんまで亡くなったら大変だもの。何度も病院に行くようにいうんだけど、お母さんは病院嫌いなのよね。
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「由紀恵が立派なお医者さんになったら受診するわ」
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「お嬢さんは医学生ですよね」
「まだ二年ですが」
「もう手の施しようがありません。シグネット・リング・セルの腹膜播種です。わかりますか」
「ハリソン程度ですか」
「もう読まれてるとはさすがですね」
なんとか葬儀を終えて学校に行ったら桐山教授に呼び出された。部屋に入ったら教授は意外な話をしてくれた。
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「木村は自分の体調がおかしくなってたのを知ってたんだ。知ってただけではなく、病院に行って確認もしてた。ボクは治療を進めたが、木村は残された時間を大事にしたいって言ってた。詳しくは教えてくれなかったが、治療をしても手遅れだったみたいだ」
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「木村も由紀恵君のことを心配してた。もし奥様も亡くなったりしたら、天涯孤独になってしまうからだ。そして、悲しいことに現実になってしまった」
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「木村はいきなりボクの前で土下座したんだ。万が一、由紀恵君のお母様が早く亡くなることがあれば、力になってくれって。ボクはその約束を果たしたい」
「どういうことですか」
「うちに来てくれないか。木村の死を懸けた願いをかなえるのが、木村の長年の友人であるボクの勤めだ」
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「あなたが由紀恵さん。桐山の妻の美知子です。今日からこの家は由紀恵さんの家と思ってください。桐山と私で必ず由紀恵さんを一人前の医者にして見せます」
「ちょっと待ってください。教授にはお世話になっていますが、そこまでしてもらう訳には・・・」
「訳はあるのよ。桐山と結婚できたのは、由紀恵さんのお父様が奔走してくれたからなの」
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「桐山の家は恵みの教えの熱心な信者だったの。恵みの教えは由紀恵さんも知ってると思うけど木村一族が強い影響力を持ってるのよ」
「でもお父さんは末の末って言ってましたけど」
「それ、末の末に自分でなったのよ。本来なら最有力幹部になってもおかしくなかった家柄なの。末の末でも本来は木村一族の有力者の家柄だから、木村さんが頭を下げて回ったら、教団幹部も話を聞いてくれて、最後は教主様からのお言葉が出るように取り計らってくれたの」
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「でもそれとこれとは」
「同じよ。世の中は因果応報、助けてもらう時には素直に助けてもらいなさい。そしてね、自分が助けなきゃと思う人が出てきたら助けてあげなさい。そうやって貸し借りなしどころか、もっと温かいネットワークになってくの」
「それって」
「私も恵みの教えの信者なの」
「美知子、布教はそれぐらいで良いだろう。ところでどうだろう。うちに来てくれないか」
「少し時間を頂けませんか」
そういう場合は親に相続権が行くんだけど、既に亡くなってはる。子どもも親もいない場合はどうなるかだけど、お父さんやお母さんの兄弟姉妹が絡むことになると思うんだけど、問題はウチを置き去りにして夜逃げしたクソ実父。行方もわからへんし、生死すら不明。これには困り果てた。そう思ってたら美知子さんがいきなりウチの家に来てバリバリやり始めた。
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「そんなことまで」
「由紀恵さんは学生だから学業に専念すればイイの。こんな雑用は全部まかせといて、これでも私は法学部だったの。どうせうちの旦那は学者バカだからできないし」
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「これは旦那には絶対の内緒よ。約束してくれる」
「はい」
「木村さん、好きだったんだ」
「えっ」
「でもね、亡くなった奥さん見てあきらめた。勝てへんと思ったのよ」
「そうなんですか」
「由紀恵さんは姪御さんだけど、実質的には木村さんの娘さんみたいなものじゃない」
「あ、はい」
「お世話出来ると思うと嬉しくて、気合入っちゃう」
学費や生活費もどうしようかと思った。美知子さんがどう処理したかは不明だけど、遺産相続はウチになってた。でも二年続きの遺産相続やったから税金ってシビアだったのよ。思い出深い家を売る羽目になったのも相続税の支払い問題が大きかった。ここで桐山教授が奔走してくれた。先例がなくて大変だったみたいだけど、
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『特待生、学費免除』
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「連続満点はハードルが高すぎると反対したんだけど」
「たぶんだいじょうぶです」
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「いっつも思うけど、由紀恵さんの頭のつくりって、どうなってるか不思議でしかたないのよ。由紀恵さんに不可能なことってあるの」
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「恋愛です」
「そりゃ、エエわ。それぐらい欠点がないと人生おもろないもんね」