氷姫の恋:ユッキー様の誕生

 スタンツは大成功だった。始まると『あの氷姫が』のハイテンションに誰もが驚き、つかみは完璧だった。後はひたすら乗るだけ、途中でカズ坊がアドリブを入れて来たから、ウチも入れ返してやった。そうしたらしばらくアドリブ合戦になって、ここが受けに受けた。とくに、

    「ユッキーと呼んで良いのはカズ坊だけ、カズ坊と呼んで良いのはユッキー様だけよ」
 このアドリブは受けたし、ウチも気に入ってる。おかげで時間は十五分にもなってもたけど、誰も気にもしなかった。それぐらい受けまくったってこと。でもね、ウチは変わり切れなかった。漫才が終わると氷姫に戻っちゃうの。うちがユッキー様になれるのはどうもカズ坊と漫才してる時だけみたい。それ以外の時は出来ないのよ。

 それと、とにかく受けた漫才だったので、ウチのキャラが変わったかと思って気楽に声をかけてくる男がいるの。その中には坂元までいた。とにかく芝居がかった野郎だから、

    「木村君、君に笑顔が出来るのなら、ボクに相応しい人だ」
 うるさいわ。なにが『君』じゃ、なにが『相応しい人』じゃ。カチンと来たから憎悪を思いっきり込めて睨んでやった。そしたら坂元は腰が抜けたみたいでヘタヘタと座り込み、そこから這いながら逃げて行った。他にもいたが全部睨んで追い払ってやった。ウチに必要なのはカズ坊だけ、他はなにもいらないのよ。


 七月には正統派の大事件が起きた。正統派っていうのも変だけど、あれはまさに正真正銘の正統派の大事件。部員が四人にまで減って、廃部まで噂されてた弱小野球部が奇跡の快進撃を見せたの。立役者は部員をかき集め、監督まで引っ張り込んだジェネラル・マネージャーのリンドウ先輩と、請負助っ人稼業のあの水橋先輩。準々決勝、準決勝、決勝とまさに学校は興奮の坩堝と化したの。

 ウチですら明石球場に行った。いや、準決勝、決勝に行ってなかった者はいなかったんじゃないかと思う。その時に驚いたのは、リンドウ先輩は加納と小島を左右に従えてチア・リーダーやられていたけど、どう見たって加納や小島より輝いてた。

 これはウチの目の錯覚じゃなかった。あの決勝以降、男子生徒はリンドウ先輩、女子生徒は水橋先輩の追っかけになり、加納や小島の追っかけがほとんどいなくなってしまった。これはウチも仕事が楽になったし、加納や小島も喜んでた。


 七月は野球部の快進撃に学校中が浮かれていたが、八月になって一挙に深刻化したのは夏休みの宿題。これも去年に学んだことやけど、この学校の夏休みの宿題は解いて提出すればオシマイじゃなく、このレベルの宿題考査を行うの参考資料に過ぎないのよね。だから提出さえ不要。

 その宿題だけど、去年と比べてもさらにハイ・レベル。いや超ハイ・レベルとして良い。こんなものを高二の宿題に良く出すわとウチでも思たぐらい。テルミとモモコは悲鳴を上げ、さらにサチコとクルミも加わって、図書館でまたもや家庭教師やってた。

    「委員長、ここまでせんとアカンの」
    「そうだ。それぐらいレベルが高い」
    「委員長は解けたの」
    「もらった日に終った」
 ウチが解けたのはウソじゃないが、このレベルが宿題考査となるとレベルが高すぎるのよ。ここまで出来れば東大でも余裕で行けるんじゃないかと思うぐらい高い。
    「追試がイヤならガンバレ」
    「ひぇぇぇ」
 泣きそうな顔しながら四人は頑張ってくれてる。そのレベルの高さゆえか、図書館の利用者は例年以上に多そうな感じ。噂では進学塾の講師でさえ解けないって話が流れてるぐらい。図書館にいる連中だって解けたというのを聞いたことがない。そういう連中を見ているとカズ坊も混じっているのが見えた。

 仲間と一緒だけど、言ったら悪いがあの面子じゃ、まず解けないと思うし、ましてや同じレベルの宿題考査となると追試のクリアさえ難しいかもしれない。ホンマ、この学校は何を考えてるのかと思うことが多すぎる。テルミたちはウチがなんとかするけど、このままじゃカズ坊が危ないじゃない。一緒に勉強してくれたら良いのだけど、なんとなく呼び入れにくい。

 こういうものはあんまり数が増えすぎると効率が悪くなるの。今年のレベルを目指すのなら、無暗に増やせないのよ。カズ坊は飛びっきり大事だけど、テルミもサチコもクルミモモコも大事な大事なお友だち。そこでウチはノートを作ることにした。問題の解法のポイント、派生して覚えておくことのリスト、さらにやっておくべき問題集。これをビッチリ書き上げてカズ坊のところに、ここでウチはユッキー様になる。

    「そこの低能馬鹿のカズ坊。こんな便所虫でも解けるアホみたいな問題もわからへんのか」
 いきなり言われてカズ坊もちょっとムカッときたみたいだけど、さすがはカズ坊すぐに気が付いてくれた、
    「ユッキー様、どうか哀れな便所虫に御恵みを」
    「お前みたいな低能馬鹿になんで恵まにゃならんのだ」
    「ではでは、哀れな子羊にどうか御恵みを」
    「子羊なら丸焼きに決まってるやろ。あれは大好物じゃ」
 ノートを机に叩きつけて贈ってあげた。今、ウチがカズ坊にしてあげれることはこれだけなの。どうかカズ坊頑張って。夏休みが明けて宿題考査の結果は、
    『ジェノサイド』
 こう語り継がれるものになった。五教科七科目千点満点で六百点が合格ラインだったけどテルミとモモコは辛うじてクリア、坂元だって八百点台をキープするのがやっとこさ。三組ではウチを入れて四人しか合格しなかった。サチコとクルミもクリアしてくれた。ちなみに全体でも八百点台を取れたのは坂元だけで、七百点台も四人だけ、後の合格者は六百点台の前半を辛うじてぐらい、追試を免れたのは一割にも満たなかった。担任教師は、
    「こんなんじゃ、うちの学校で生きて行けんぞ。それにしても、木村の頭はどんな作りになってるんだ」
 ウチは入学以来の連続満点。これも実しやかに囁かれたけど、ウチの連続満点を阻止するために夏休みの宿題レベルを思いっきり上げたともいわれてる、ウソかホンマかわからへんけど、もしそうだったら他の生徒はえらいトバッチリやと思た。それでもここの教師連中ならやりかねないと思ったのは確か。

 カズ坊は頑張ってた。一発合格は出来なかったけど、五百点台を叩きだしていた。これだって今年にすれば優秀な方で、余裕で上位三割以上に入るのよ。あのノートを渡すのがもう少し早ければ一発合格も夢じゃなかったのにと後悔してる。追々試で合格したけど、追々試時点でも全体の四割ぐらいしかクリアしてなかったからね。


その頃だったけどモモコが言うのよね。

    「委員長、恋人同士って二人だけの特別の呼び名で呼び合うものなのよ」
    「二人だけとは」
    「他の友だちとかとは別の呼び名で、他の人には呼ばせないって感じ」
    「たとえば」
    「三年のリンドウ先輩と水橋先輩は誰もが知ってるゴールデンいやプラチナ・カップルだけど、水橋先輩のことを

      『ユウジ』

    と呼べるのはリンドウ先輩だけだし、リンドウ先輩を

      『カオル』

    と呼べるのも水橋先輩だけ」
 妙に心に響くものがあった。あの人が付けてくれたユッキーはウチだけのものにしたいって。もちろんカズ坊もそう。まだ恋人でもなんでもないし、ユッキーもカズ坊も芸名だけど、これはあの人、いやカズ坊が付けてくれた大事な大事な呼び名。他人には絶対に呼ばせたくないって強く思ったの。その日から行動を起こしたわ。誰かがウチのことをユッキーと呼べば瞬間にユッキー様モードに入り、
    「ユッキーと呼んで良いのはカズ坊だけ、カズ坊と呼んで良いのはユッキー様だけよ」
 こう言い放って女王様の高笑いをして、すぐさま氷姫の睨みをやってやった。二度と呼ばせたくないから渾身の睨みだった。カズ坊の時も同じ。カズ坊は迷惑そうな顔をしてたけど、これは絶対に譲れないと強く思ったの。教師だって容赦しなかった。しばらくしたら、少なくともウチの聞こえる範囲でユッキーと呼ぶ者も、カズ坊と呼ぶ者もいなくなった。

 席替えはウチの策略もあって相変わらず、前後左右でいつも一緒。頑張って朝の挨拶をするようにした。

    「おはよう」
 なんか怖がられた。モモコに聞いたら、
    「委員長、そらそうよ。そんな怖い目で睨まれながらされたら、モモコだってビビりそうだもの」
 どうにもユッキーとかカズ坊と呼ぶ奴を封じるために睨みを続けてるうちに、戻ってなかったみたい。それにユッキー・カズ坊を守るためにやってた行為にビビったのか、肝心のカズ坊がウチのことをユッキーと呼んでくれなくなってた。どうして良いかわからなくなったウチは十月の席替えの時に思い切った手段に出た。
    「こらカズ坊、なんでウチにつきまとうんや」
 ウチは祈るような気分やった。これで乗ってくれなかったらすべては裏目で終ってしまう。お願いカズ坊、リアクションして、そして、そして、ユッキーと呼んでお願い、
    「なんやと、それはこっちのセリフじゃ。毎度毎度引っ付き虫みたいにいやがって」
 カズ坊はリアクションしてくれた。ホントに嬉しかった。カズ坊ありがと。
    「引っ付き虫やとはエライ言い草やんか。ウチの近くにおれるのを感謝せんかい」
    「感謝? これから十月やで。夏ならまだマシやけど、寒い時にユッキーの近くなんかにいたら凍死するわ」
 ついにウチのことをユッキーと呼んでくれた。ありがとうカズ坊、ウチは嬉しい、感謝してる。この席替えの漫才は毎回のように炸裂し、クラスの名物行事になっていった。そしてね、ついに言ってくれたの、
    「ボクがユッキーと呼ぶのはエエんやな」
    「そうだ」
    「じゃあ、ユッキーもボクのことをカズ坊って呼べる」
    「呼べる」
 この夜は興奮して眠れなくなったちゃった。やっと、やっとだよユッキーとカズ坊の関係になれたんだって。普段は無理でもユッキー様モードに入りさえすれば、カズ坊とタメ口利けるようになったし、普段だってユッキーと呼んでくれるし、カズ坊って呼んでもイイんだよ。
    「カズ坊、おはよう」
    「おはようユッキー」
 これが自然に、たぶん自然になってると思ってるけど、すんなり出来るようになって毎朝が楽しみで仕方なくなったの。ここまでやっとたどりつけのよ。でも、肝心なのはこの先。テルミやモモコから聞く限り、この次のステップは、
    『告白』
 みたいだけど、これをユッキー様モードでやるのはイヤだ。下手すりゃアドリブとして逃げられてまう。でも氷姫でやったら怖がられて逃げられる。ウチは、ウチは、どうしたらイイのだろう。カズ坊から言ってくれたら・・・きっとその時は可愛いユッキーになれるはず・・・たぶん。