氷姫の恋:受験勉強

 二年以上もこの学校で暮らしているとわかるんだけど、とにかくオンとオフをバチッと切り替えないと生きていけない学校だって。浮かれて遊ぶ時にはトコトン遊び、勉強する時には死に物狂いで集中する。校風の『自主性』と『自由闊達』やけど、より重いのは自主性で、オフをより楽しくさせている調味料が自由闊達ぐらいやと思う。

 そういう観点から言うとカズ坊はアカン。浮かれ騒ぎは大好きだけど、切り替えての勉強への集中が身に付いとらへん。そりゃ文化祭の時には大車輪で働いてくれて賞まで取れたけど、一学期の中間試験、期末試験の成績は低空飛行も良いとこやないか。浮上の気配すらあらへんし、むしろ落ち込み傾向すらある。

    「カズ坊、医学部あきらめんたんか」
    「なんであきらめなあかんのや」
    「カズ坊のとこは金持ちか?」
    「ただのサラリーマンの家やけど」
    「なんや、てっきりカネ積んで裏口入学狙うんかと思てた」
 カズ坊の家はごくごく普通のサラリーマン。裏口入学狙える隠し財産があるわけじゃなさそう。
    「宝くじ買うたらどうや」
    「どういう意味や」
    「当たったら裏口入学の資金ができるやんか」
 カズ坊の頭は悪くない。それだけはわかる。集中力だってある。そりゃ、漫才台本書かせれば一晩で仕上げるぐらいやから。ただただ勉強が好きやない。まあこれはカズ坊だけやないけど、出来るだけ後回しにしてしまう。後回しにしてもやれば良いんだけど、後回しにした末に結局やらないタイプや。

 これぐらいでも、どっかの文系の大学に潜りこむぐらいなら不可能やない。でもカズ坊が目指しているのは医学部でなおかつ国公立。カズ坊の家では私立医大の学費は無理やろ。これはうちだって無理がある。ただやねんけど、国公立になったら偏差値七十ぐらいは最低でもいるのよね。カズ坊の実力じゃ偏差値七十どころか、試験で七十点取るのが四苦八苦。

    「ユッキー、ちょっとエエか」
    「なんやねん」
    「どないしたら満点取れるねん」
    「そんなもん、カズ坊が遊びに使うパワーを勉強に向けたらすぐ取れるわ」
 夏休みは嫌がるカズ坊を書館のミーティング・ルームに引っ張り込んだ。そしたらすぐ逃げやがる。それぐらいで、へこたれるウチやないから、ホームセンターで買ってきた縄を首にホンマに付けて引っ張り込んでやった。これで逃げられへんやろ。ギタギタに搾り上げたるで。
    「ふう、出来たぞユッキー、見てみい」
    『ドスン』
    「なんやねん、このバベルの塔みたいな奴は」
    「次よ。あんな幼稚な基本問題集ぐらい出来たぐらいでエラそうな顔するな。ヘソが茶沸かすわ。これぐらい明日までに仕上げて来い」
    「ユッキー、冗談やろ」
    「その次も、その次も、その次も用意してあるから死ぬ気で来い」
    「マジで死ぬ」
    「トットと死ね」
 夏休みの図書館のミーテイング・ルームの家庭教師だけど、テルミ、サチコ、クルミ、モモコのいつも四人組に加えて加納とコトリまで顔出してる。加納とコトリはリンドウ先輩がブレイクしたお蔭で二年の二学期からは平穏だったんだけど、リンドウ先輩が卒業しちゃうと再び追っかけの山、山、山。

 加納やコトリも受験があるからあちこち逃げ回った末に、ウチの家庭教師に逃げ込んできたったところ。そりゃ、ウチはカズ坊のレベルアップに命を懸けてるようなものやから、加納やコトリの追っかけが押し寄せてきても、それこそあらん限りの力を込めて睨みつけて追っ払ってる。だから最近では加納とコトリが図書館入ったら、追っかけは遠慮するのがルールになってるみたい。誰もウチの睨みの餌食になりたくないってところかな。

    「委員長。山本君が逃げた」
 あのクソ野郎、カッターを用意してやがった。クソッタレがウチの油断やった。それでもカズ坊、ウチを甘く見てもうたら困るで、今度は首輪と鎖買ってきた。首輪かって錠でガッチリ止められるタイプを神戸まで行って買ってきた。ペットショップじゃ売ってなくて、妙な店に行く羽目になってもたし、変な目で見られたけどカズ坊の為やったら気にもならへん。
    「ユッキー、これはいくらなんでも」
    「うるさいわ」
 これで逃げられへんやろ思ったウチが甘かった。トイレに行きたいと言うから、仏心を出して鎖を外したんが失敗やった。あんチクショウ、これ幸いと逃げやがったんだ。だから今では首輪だけでなく足にも鎖巻き付けて机に南京錠付きで繋いである。おかげでトイレ行くときには一騒動。足の鎖の南京錠を外した後に、首輪の鎖もってトイレに。
    「ユッキー、いくらなんでも」
    「なんか言うたか。トイレって言うて逃げたんはどこのアホや。聞く耳もたん」
 まあ、これもユッキー・カズ坊漫才ってみんな思ってくれてるから、変にも思われへんのは助かってる。一歩間違えればSMショーに見えるもんね。
    「信用してえな」
    「するか。エエこと、思いついた。トイレ行く時間も惜しいから、オムツ買って来るわ。そしたら、垂れ流ししながら勉強に専念できるやろ」
    「堪忍」
 因みにだが、このメンバーの中で理系はウチとカズ坊とテルミの三人。テルミは三年でも同じクラスになれて嬉しかった。テルミの志望は西宮学院の薬学部、ここもレベルが半端ないから、
    「木村さん、出来ました」
    「テルミ、頑張ったわね」
    『ドスン』
    「次も頑張ってね」
    「ひぇぇぇ」
    「ファイトよテルミ、ちゃんと合格できるようにプログラム組んでるから」
    「わかった、頑張るわ。木村さんのプログラムが完璧なのは良く知ってるもの」
 そしたらカズ坊がすぐに口を挟みやがる、
    「なんでテルミには、そないに優しい口利くんや」
    「シャラップ」
    『ドスン』
    「余計な口利きやがったから、追加サービスよ」
    「ぎょぇぇぇ、夜寝る間もないやんか」
    「寝るな。お前のゾウリムシみたいな脳みそを鍛え上げるにはまた足りんぐらいじゃ」
 コトリは聖ルチア女学院、加納は京都芸大志望で現在の実力相応ってところ。コトリは港都大も考えたみたいだけど、
    「木村さん、港都大は難しいかな」
    「頑張ればなんとかなるよ。港都大狙うんだったら、とりあえず」
    『ドスン』
    「ひぇぇぇ、コトリは聖ルチア女学院が憧れやねん」
    「本当にそれで良いの。わたしは付き合ってあげるわよ」
    「でも、その・・・」
 そこでまたもやカズ坊が、
    「コトリちゃん、夢はあきらめたらアカンよ」
    「シャラップ、カズ坊」
    『ドスン、ドスン、ドスン』
    「黙っとれ言うたやろが、この低能バカが。お前には余計なおしゃべりしてる間なんて一秒もないんじゃ。今度口挟みやがったら、糸で縫い付けてまうぞ」
 たくカズ坊の野郎、加納とコトリが並んだもんやから、なんやかやと口出ししやがる。今だけでもみいちゃんにのぼせとけ。加納とコトリに色目使う余裕があるんやったら、ウチに使わんかい。なんでウチだけ無視するんや。ホンマ腹が立つ。なんでこんな奴のために必死こかなあかんねん。
    『ドスン』
    「ユッキー、なんもしゃべってないやんか」
    「シャラップ、単細胞生物の相手するだけでイライラするんや。まだ喰らいたいか」
 はぁはぁはぁ、どう頑張ってもカズ坊の合格ラインまで遠すぎる。わかっとんのかこの極楽トンボ。三年までツケをこんだけ溜めまくったてたら、夏休みぐらいで払いきれるか。カズ坊の自業自得やで。自業自得やない、とっく昔に自己破産してるんや。クソッタレ、もう一発食らわしたろか。

 だいたいやなぁ、医学部目指すちゅうのに、英語と、数学と、物理と、化学が苦手ってなんやねん。入試科目が全部苦手って事やんか。苦手の程度も下位低迷どころか、欠点ラインの攻防戦レベルやんか。

 それにやなぁ、カズ坊が比較的得意にしてる現国や社会だって、医学部の一次試験レベルやったら、満点近くいるんやぞ。社会やったら満点必須や。いいや、カズ坊の他の苦手科目も同じや。そんなもん夏休みだけで足元にも近寄れんわ。口先だけで医学部なんか合格するか。わかっとんのか、このクソ野郎。

    「木村さん、できました」
    「どれどれ、よくできました。でもシオリやったら、他も狙えたのに」
    「やっぱりデザイン関係やりたいし」
    「なら次はこれね」
    「はぁ~い」
 この瞬間に口を挟みそうなカズ坊と目が合って、
    『バチバチバチ』
 思い切っり睨んだった。ここでモモコが、
    「ところで委員長はどこ、やっぱり東大」
    「東京まで遠いから港都大にする」
    「担任の先生がっかりするかもね」
    「医者なるんやったら、どこもあんまり変わらんやろ」
 ここでカズ坊を思いっきり睨みつけて、
    「どこ入っても医者になれるのに、どっこも入られへん便所虫は黙っとれ。お前はちょっとでも油断すると頭やなくて口動かすし、すぐに逃げ出す最低野郎や」
 毎日集まってるんだけど、まずやるのは昨日の課題のチェック。サチコ、クルミ、モモコ、加納、コトリと確認していったけど、なかなか頑張ってくれてる。
    「みんな頑張ったね。この調子なら合格出来るわよ。油断せずに続けようね」
    「はぁ~い」
 テルミがちょっとモジモジしてた。全部出来へんかったか、
    「テルミ、大変だと思うけど、やっぱりちゃんとやって欲しかったな」
    「ゴメンナサイ、委員長」
    「ちょっと多かったかな、今日は調整しておくわ。だいぶ力も付いたし」
 さて問題のカズ坊だけど、なんかソワソワしてるやないの。まさかこの野郎。
    「カズ坊、見せんかい」
    「いや、その、頑張ったんよ。でも時間がちょっと足りなくて・・・」
    「なにお! ウチが折角出してやった課題をやり残した言うんか」
    「だって昨日はユッキーの機嫌がちょっとアレやったし、出し過ぎだと思うんだけど」
    「あんなもん全然足りんわ」
    「でもテルミだってやり残しがあったし」
    「テルミをダシに使うな、この愚図野郎が。どんだけツケ溜めて来てると思とるんや。お前が溜め込んだツケは、これから受験の日まで一睡もせんと払い続けても全然足らんのじゃ。お前みたいな北京原人以下でも、医学部に入れるように組んでやったプログラムにケチ付けるとは何様のつもりやねん。ちょっと待っとれ」
    『ガラガラガラ』
    「ユッキー、台車に本積み上げて廃品回収か?」
    「何寝言うてるねん。お前の明日までの課題じゃ」
    「そ、それ全部・・・」
    「少ないか」
    「ひぃぃぃ」
    「トットとやりやがれ」
    「死ぬ」
    「死ね」
 こうして穏やかに三年の夏休みは過ぎていきましたとさ。ちょっとはカズ坊も力が付いてくれたかなぁ。