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「カランカラン」
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「山本君の順調な回復と二人の再会を祝して乾杯」
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「よく来るのか」
「ううん、たまに」
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「木村さん。山本君を助けてくれて本当にアリガトウ」
「私は医者よ。病人が来れば治すだけ。特別なことはしていない。シオリが写真を撮るのと同じ」
「でも木村さんの力がなかったら危なかったって看護師さんが言うてたよ」
「ちょっと重症やったから、手間がかかっただけ」
「それだけ?」
「他にはない」
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「それよりシオリに驚いた」
「泣いちゃったこと?」
「シオリが泣くとは思わなかった」
「そりゃ、泣くよ。山本君が助かったんやから」
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「どうしてあそこまで泣いた」
「だって小学校からの友だちやん」
「それだけか?」
「それだけよ」
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「ウソだな」
「ウソじゃないよ」
「では、なぜカズ坊の面倒を一生見るって言った」
「聞いてたんだ」
「聞こえただけ、あの大声だからだ」
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「うふふふ、氷姫」
「なに」
「笑わん姫君」
「なにがいいたい」
「氷の女帝」
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「聞いたわよ」
「なにを」
「ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけ」
「ちょっと待て」
「氷の女帝がユッキー・カズ坊時代に戻っていたって」
「それは弱っている患者を元気づけるために・・・」
「じゃ『私の命と引き換えに』は」
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「好きだったんだね、木村さん」
「ただの友達」
「ただの友達に不眠不休で一週間?」
「それは重症だったから仕方なく」
「外来も他の受持ち患者も全部放り出して?」
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「あれに不正はない」
「そうかしら。じゃ、どうしていつもいつも木村さんと山本君はセットだったの」
「あれは偶然」
「偶然が十回以上も続く」
「続いただけ。あの乱数が作為によるものでないのは数学の先生も認めた」
「確かに乱数に作為はなかったけど、木村さん、あなたは作為を加えていたのよ」
「どうやって」
「あなたは前日のくじ引き段階で山本君の番号を確認していたの」
「番号に意味はない」
「それがあったのよ。木村さんは、自分と山本君がセットになるような組み合わせを探し出して席順にしていたのよ」
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「でも誰からも不満は出なかった」
「そりゃ、ユッキー・カズ坊の夫婦漫才を聞きたかったから」
「夫婦漫才は・・・シオリ、この辺で堪忍してえな」
「やっとユッキーになったわ」
「こら、ユッキーと呼べるのは」
「カズ坊だけね」
台本を書いたのはカズ坊。芸名を考えたのもカズ坊。ユッキーのキャラは凄く恥しかったが、カズ坊と一緒にやれる方の喜びが勝り、短い間だったけど一生懸命練習した。本番はあの氷姫がって意外性と、カズ坊の台本が良かったのもあって大爆笑。以来、二人は普段でもユッキー、カズ坊と呼び合うようになった。ちょっと嬉しかった。もちろん他の人にユッキーと呼ばれるのは恥しかったので、呼ばれるたびに漫才の調子で
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『ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけ』
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「でも、あの氷姫が山本君に、こんなにお熱だったなんて驚かされたわ」
氷に閉ざされた私を救い出したのがカズ坊。私を氷の世界から陽の当たる世界に連れ出してくれた白馬の王子様。私がユッキー様になる時、恋する女に変わる。だがユッキー様に変われるのはカズ坊の前だけ、この世で愛せる男はカズ坊だけ。
カズ坊のためならなんでも出来る。漫才だって、席替えの細工でも。カズ坊がユッキー様として振る舞って欲しいなら、いつでもユッキー様になれる。他人の目なんか気にもならない。命だって惜しくはない。カズ坊に必要ならいつでも捧げる。カズ坊こそ私のすべて、生涯でたった一人だけ私に与えられた男。
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「悪いか?」
「悪くないよ。実は私もそうなんだ」
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「坂元は?」
「キャプテンね」
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「好きでなかったといえばウソになるけど、どちらかと言うと被写体。絵になるやん」
「それだけか?」
「付き合ってたよ。でもね」
「でも?」
「振った。もっとイイ男が欲しかった。坂元君じゃなにか足りないの」
「坂元では不足だったのか」
「だって私は女神様」
「そうかもな」
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「坂元はどうした」
「天使に乗り換えたけど、振られたみたい」
「コトリか?」
「そう」
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「なんでカズ坊が良いのだ」
「命の恩人。今の私があるのはすべて山本君のお蔭」
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「でもさ、木村さんも人気あったんだよ」
「冗談。誰が氷姫を」
「そこがクールで良いんだって」
「からかうな」
「ゴメン。氷姫の時はさすがにだったけど、ユッキーの人気はなかなかやった」
「それこそ、からかうな。それとユッキーと呼んで良いのは」
「カズ坊だけ」
それでいて、カズ君以外の時は氷姫。うっかりユッキー様扱いしたら、あの冷たい目でジロリってやられるんだ。あの目は相手の心を震え上がらせ凍らせてしまう怖い、怖い目。でも氷姫の目が変わる時も知っているよ。それはユッキー様やってるとき。あれ以上、楽しそうな目を見るのは不可能じゃないかなぁ、まさしく恋する女の目だったもん。
好きだったんだろうな、それも半端なく。いや今だってそうに違いない。高校の時でも相当だったけど、あれから何年経ってるんよ。お互いアラサー越えちゃったやん。あんな立派な病院の部長になって、みんなから氷の女帝と畏怖されてるんだよ。それでもカズ君がいれば躊躇なくユッキー様になれるんだ。
カズ君がみいちゃんを好きだったのは間違いないけど、木村さんはどうだったんだろう。木村さんがカズ君を好きだったのは良いとして、カズ君はどうだったんだろう。ホントにただの友達だったんだろうか。あの頃の二人の関係は奇妙だったわ。
どこに行くにも、何をするにも二人は常に一緒だった。そういうと、堂々と手でも組んでいたように思われちゃうけどちょっと違うの。たしかに二人が口を開けばユッキー・カズ坊だったけど、木村さんはカズ君の後をそっとついていく感じだった。ふと見ると端っこに必ず木村さんがいるような。影のようにカズ君の後ろをいつも見守ってた気がする。
それでいてカズ君に何かあった時には、ユッキー様の憎まれ口を叩きながらサッと助けちゃうの。そうだそうだ、木村さんのユッキー様は毎日じゃなかったはず。木村さんがユッキー様になるのはカズ君が困った時、弱った時だけなんだ。それ以外はそっと付いていくだけ。カズ君を助けるために木村さんはユッキー様になってたんだ。
だから私が面会の時にはユッキー様にはならないんだ。私がいるから十分って事なんだろう。逆に入院してからずっとユッキー様だったのは、弱っているカズ君をなんとか励ますためだったんだ。
なんて恋なんだろう。どうしてそこまで人に尽くせるの。私を呼んだのも、木村さんだけじゃカズ君を励ましきれないって思ったからに違いない。せっかく二人の時間が過ごせててるのに、自分じゃなくてカズ君のためだけに私を呼んだんだ。
カズ君がみいちゃんを好きになった時もそうだったのかもしれない。自分じゃ喜んでくれないなら、みいちゃんを認めちゃったんだ。どんなにユッキー様で頑張っても振り向いてくれないから、カズ君のために身を退いたんだ。
カズ君は気が付かなかったのかな。あれだけ周囲に心配りが出来る人が気付かなかったのが不思議だ。それだけ、みいちゃんしか見えてなかったとしか言えないか。それは仕方がないかもしれないけど、カズ君があの頃にもうちょっと見えていたら変わっていたかもしれない。
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「木村さん、今でもでしょ?」
「何が」
「山本君」
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「はっきり、言っておくけど、始まってもないから終りも今もない。それだけだ」
「どうして始めなかったの?」
「始めなかったんじゃなくて、始まらなかっただけのお話」
「今からでも始められるじゃない」
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「始めたきゃ、シオリが始めれば良いだろう」
「私はもう始めて、終わっちゃったの」
「もう一回だって始められるでしょ、あんたなら」
「もう無理。まだ始めていない木村さんなら出来るかも」
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「私は始める事さえ出来なかった女だよ。あの時でも無理なものが、今から始めれる訳がない。それだけ」
「ホントにそれでイイの」
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「だって悲しすぎるやん。山本君が困った時だけユッキー様で現れて、済んだら去っていくなんて。退院したら山本君いなくなっちゃうよ。二度と帰ってこないかもしれないよ。ホントにそれでイイの」
「患者は良くなれば退院するだけ。それに病院なんて帰ってくるところじゃない」
「そういう意味じゃないよ・・・」
「どうしても言わせたいのか。聞いてどうするつもりだ」
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「ところでシオリ。あの電話は悪いけどあんたを呼び出すためのものじゃなかった」
「あれっ、違ったの」
「ちょっと計算違いがあった。まあ結果オーライでもあるのだが」
「本当の目的は?」
「カズ坊には恋人はいないのか。アイツには家族がいないから、こういう時に恋人がいて励ましてくれたら効果的なんだ」
「効果的って・・・木村さん本気で言ってるの」
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「幸いカズ坊は古い友達だからある程度は代役が出来るのだが、最後のところがな。シオリがそうだったら話は済んでだんだけど、どうも違うようだし」
教えたくない。教えたら木村さんは間違いなく連絡を取るし、取ればコトリちゃんは必ず来る。来れば誤解が解けて二人は元通り。そうさせたくて動いていたかもしれないけど、それが正解なんだろうか。どっか違う気がする。
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「ゴメン 知らない。今はいないんじゃないかなぁ」
「そうか、知らないのか。それは仕方がない。もうちょっとユッキー様で頑張ってみるか」
「それが絶対イイよ。山本君も一番喜ぶと思うよ。私も出来るだけ時間を作ってお見舞いに来るから」
「そうしてくれたら助かる。なにしろ女神だから効果はあると思う」
「もう女神はやめてよ」