延喜式にある商売

延喜式卷第四十二左右京職東西市司に平安京の東西の市で行われていた商売が列挙されています。東西の市は右京側の西の市が早く廃れ、左京側の東の市に収束されていったとなっていますが、延喜式の規定では

凡毎月十五日以前集東市,十六日以後集西市。

月の前半が東の市、後半が西の市の開催日とされ、市に出る商売も互いに異なるようになっていたようです。しかし延喜式でも重複する商売が既にみられています。西の市の衰えを反映しているのかもしれません。延喜式に列挙されている職業をおおまかに分けて紹介しておきます。

東の市
服飾関係 食器食品関係 馬具屋
東絁廛 あやぎぬ(絹織物関係) 漆廛 漆器屋かな 鞍橋廛 とにかく鞍関係
羅廛 うすもの(絹織関係) 油廛 油屋 鞍褥廛
絲廛 これは糸屋でしょう 米廛 米屋 韉廛
錦廛 錦だと思います 木器廛 木製食器屋 鐙廛
幞頭廛 帽子と言うより冠関係 麥廛 麦屋 障泥廛
巾子廛 これも冠関係 鹽廛 塩屋 鞦廛
縫衣廛 仕立て屋かな? 索餅廛 餅屋 その他
帶廛 帯屋でしょう 心太廛 トコロテン屋 筆廛 筆屋
紵廛 麻布系かな? 海藻廛 とにかく海草屋 墨廛 墨屋
布廛 布屋ですが麻系かな 海菜廛 藥廛 薬屋
苧廛 青苧の布かな 菓子廛 お菓子屋 馬廛 馬市かな
木綿廛 木綿を取り扱っていた? 干魚廛 干物屋 不明
櫛廛 櫛屋でしょう 生魚廛 川魚屋かな? 菲廛 ニラ屋??
針廛 針屋でしょう 醤廛 醤油屋の元祖 丹廛 水銀屋??
沓廛 靴屋でしょう 武器関係 蒜廛 ニンニク屋?
珠廛 真珠屋かもしれません 太刀廛 刀屋 香廛 香木屋?
玉廛 宝石屋ってところみたい 弓廛 弓屋 鐵并金器廛 荒物屋ないしは鉄器屋
* * 箭廛 矢屋 染草廛 草木染め屋?
* * 兵具廛 鎧屋? * *
西の市
服飾関係 食器食品関係 その他
絹廛 絹織物でしょう 土器廛 焼き物屋 菲廛 ニラ屋??
錦綾廛 錦でしょう 油廛 油屋 染草廛 染物屋かな?
絲廛 糸屋 鹽廛 塩屋 雜染廛
橡帛廛 冠関係 未醤廛 醤屋(醤油屋の元祖) * *
幞頭廛 索餅廛 餅屋 * *
縫衣廛 仕立て屋でしょう 糖廛 砂糖屋 * *
裙廛 裳裾屋、スカート屋かな 心太廛 トコロテン屋 * *
帶幡廛 帯屋でしょう 海藻廛 海草屋 * *
紵廛 麻布系 菓子廛 お菓子屋 * *
調布廛 調布取扱い 干魚廛 干物屋 * *
麻廛 とにかく麻布関係 生魚廛 川魚屋 * *
續麻廛 その他 * *
櫛廛 櫛屋 蓑笠廛 蓑笠屋 * *
針廛 針屋 牛廛 牛の市でしょ * *
「塵」ってのが市の呼称だと推測しています。つまり東の市の中にさらに塩市みたいなものがある状態です。こういう状態がやがて中世の座につながっていくと思うのですが、それは今日は置いときます。それにしても何の商売なのか判りにくいのが多かったです。たとえば韮塵。延喜式の列挙順はなんとなく類似業種毎の気がするのですが、韮塵は沓塵と墨塵の間ですから食べ物のニラとは違うらしいぐらいは考えますが、では具体的に何かと言われるとサッパリってところです。丹塵も墨塵の後ですから朱墨の可能性もありそうですが、自信がありません。それと油塵は食器食品関係に入れましたが、時代的に食用より照明用であったと考えた方が適切と思っています。

面白かったのは馬具関係で

  1. 鞍の主要部分の前輪、後輪、居木
  2. 鞍の上に敷く布団
  3. 鞍の下に敷く保護材

  4. 鞍から結び垂らして馬の汗や蹴上げる泥を防ぐ用具
  5. 「しりがい」と言う馬の尾から鞍の後輪をつなぐ用具(鞍をつなぐ紐と思うのですが・・・)
まあ細かく分かれているのにビックリしました。鞍を一つ作るだけで6つの市場を回る必要があったようです。そんなに馬具需要があったのか、それとも単価が無茶苦茶高かったのかは・・・どっちでしょう。


後は服飾関係が多いのも目につきました。まあ、中央に集められる税の主力は庸と調で、この庸と調の多くは布ですから、これに関連した産業が多いのは当然かもしれません。布がどれぐらい税として集められていたかですが、

  • 庸布・・・幅2尺4寸、長さ1丈3尺
  • 調布・・・幅2尺4寸、長さ4丈2尺
  • 調絹・・・幅1尺9寸、長さ5丈1尺(正丁6人分)
これがまず基本で、これに税を納める正丁の数をかければ良い訳です。ある研究で当時の戸数は約20万戸、でもって1戸の正丁は機械的に3人程度に割り振っていた話があります。これを前提に考えると正丁は約60万人、庸や調が布以外の人もいるので40万人が仮に納めたとすると、
  • 庸布が20万段(1段は幅2尺4寸、長さ2丈8尺で2人分)
  • 調布が6万7000反(疋)
多いようですがこれを給与としてもらう官人(地方も含めて)が1万人とすれば、単純平均で1人26枚程度です。布は官人本人だけでなく、その家族の服にも使われますし、布を通貨代わりにして食料品等との交換に使われたとすれば「そんなもの」かもしれません。少し笑ったのは西の市に調布塵ってな市があり、わざわざ調布を専門に扱う市があったんだと感心した次第です。調布は庸布より大きいですから特殊な用途があったのかもしれません。後は食料品を扱う市が多いのですが、この頃からトコロテンが売られていたのに感心しました。それはともかく延喜式で不思議に思ったのは海草屋はあっても野菜屋と言うか八百屋が無い点です。どうも野菜は市で手に入れるものではなかったようです。行商スタイルが一般的だったのでしょうか。


顧客は誰だろう?

平安京の人口推測も難問なんですが平安京の人口平安時代前期の推定として、

貴族・官人12273人、諸司厨町の人口15033人、一般市民90066人と算出

これは京都産業大学の井上満郎教授の研究だそうです。これなら平安京全体で12万人程度になります。これについても「まだ過剰」の意見もあり、私は10万人程度と考えています。市に関しては平安京周囲から集まってくる部分はどうかの問題はありますが、当時の移動手段のプアさからして1万人も平安京以外から連日流入していたかどうかは疑問です。それと市には様々な商品が売られていますが、高級品を買える層は自ずと限られます。井上教授は貴族と官人で12273人としていますが、このうち有力購買層である貴族がどれぐらいいたかです。延喜式に六月神今食ってのがあって儀式の食事に提供される人数が記載されています。

小齋給食總二百六十二人,【五位已上廿人,六位已下二百人,命婦十人,女孺采女合廿七人,御巫五人。】

五位以上はいわゆる殿上人の上級貴族と見ますがここでは20人となっています。六位以下の下級貴族も200人です。もう一つ雜給料には、

  • 五位已上,卅人
  • 六位已下,二百六十人

貴族とされる階層はせいぜい300人ぐらいだったとの見方も出来そうです。他に命婦とかの女官や貴族に匹敵する僧侶階級も含めて1000人まで数えるのは大変そうです。下級貴族では高級品購入は容易ではないでしょうから、高級品購入層は100人(= 100軒)ぐらいだった気もしないでもありません。たった100軒相手では市の規模は限定されますから、下級貴族や官人、さらには庶民も市に参加していたと考えるのが妥当でしょう。つまりは市で取引される商品もピンキリであり、さらに同じ業種の市の中でも店の格もピンキリであったと見たいところです。

市の規模は10万都市、いや5万都市ぐらいの商店街(昭和の華やかなりし頃)ぐらいの規模を想定すれば・・・当たらずとも遠からずぐらいでしょうか。


貨幣決済は?

平安期の支払いは物々交換でしたが朝廷は貨幣の流通に頑張ってはいました。皇朝十二銭の発行です。地方への広がりは乏しかったとされますが畿内、いやお膝元の平安京では確実に使用されていたとされています。ざっとした知識で良いのでwikipediaに頼りますが、

和同開珎が発行されて間もない頃には、銭1文で米2kgが買えた

舂米と考えると現在単位の4斗で60kgですから、1斗が15kg、1升が1.5kg、1合が150gです。律令期は4掛けですから、1升が0.6kgになりますが、おそらく1升0.5kg換算で4升ぐらいは買える設定じゃなかったかと考えます。結構な価値なんですが、

  • 和同開珎が発行されてから52年後、万年通宝への改鋳が行われた。この時、和同開珎10枚と万年通宝1枚との価値が等しいと定められた。この定めはその後の改鋳にも踏襲された
  • 9世紀中頃には、買える米の量は100分の1から200分の1にまで激減してしまった

どうも新しい通貨を発行するたびに発行差益を手にするためにデノミ(とはチト違う気もしますが)を乱発したようです。和同開珎の発行が706年ですが、

  1. 706年には1文で米2kg
  2. 760年には10文で米2kg
  3. 850年頃には100〜200文で米2kg
想像なんですが商品取引に貨幣は便利です。朝廷による貨幣発行は曲がりなりにも都ぐらいでは受け入れられ始めていたのかもしれません。都の市の大口取引先は貴族や官人ですから、拒否する訳にもいかないだろうからです。ところが朝廷は発行差益の確保に早々に走ってしまったぐらいと見ています。見方を変えると、和同開珎は本位通貨の位置づけになるようです。銅の価値が通貨の価値の保証みたいなものです。これをたった半世紀後に信用通貨に切り替えてしまったぐらいでしょうか。信用通貨どころか通貨・貨幣と言う概念をようやく受け入れ始めた商人に取って信用通貨への切り替えは混乱しか招かず、混乱は貨幣への信用の失墜となって定着してしまったぐらいの状態を想像します。まあ、いつの時代も
    お上の言う事は信用ならん!
これの類例の一つぐらいに感じています。