平安期ぐらいまでの野菜事情

延喜式の東西の市に記載してある商売は並べて見るだけで面白かったのですが、野菜関係が少ないのが気になりました。野菜に関係しそうなものは東市の蒜塵ぐらいです。これも「たぶん」字からしてニンニクを売っていたんじゃなかろうかぐらいです。延喜式に記載されていないからと言って東西の市で野菜が売られてなかったとは言えませんが、記載されていないので、もしあっても規模はささやかだったぐらいは言っても良い気はしています。そうなるとどうやって野菜を都の人間は入手していたかに興味が移ります。

歴史で調べるのが難しいのは生活史で、食べ物を調べるのも容易じゃありません。市で野菜を売ってなかったら行商であったぐらいは想像の裡ですが、もう少し補強したいところです。しかしググってもそうは簡単に出て来ません。そこで視点を変えて平安期ぐらいまでどんな野菜が栽培され(もしくは採取され)、食べられていたかをアプローチしてみます。こちらの方はそれなりに情報があります。今日は野菜はどこから来たの ?という簡潔にまとめられたページがあったので引用させて頂きます。


日本原産の野菜

引用資料に上げられていたものは、

日本原産となってますが違う意見もあるようで、野菜の歴史によりますと野菜の歴史の記述は微妙で伝来時期なのか、食用時期なのかは判断に迷うのですが、とりあえずこんなところです。


外国原産の野菜

江戸期ぐらいまでを「野菜はどこから来たの?」から引用します。

太古 カブ(蕪)・ハタケナ(畠菜)・オカノリ(わからん)・シソ(紫蘇)・シロウリ(白瓜)・マクワウリ(真桑瓜)・ユウガオ(夕顔)・ゴボウ(牛蒡)・クワイ慈姑)・ハチク(淡竹)・マダケ(真竹)・サトイモ(里芋)・ネギ(葱)・ワケギ(分葱)・ニンニク(大蒜)・ショウガ(生姜)
奈良時代前後 カラシナ(辛子菜)・ナス(茄子)・トウガン(冬瓜)・キュウリ(胡瓜)・食用ギク(食用菊)・カキチシャ(掻萵苣)
平安時代 フジマメ(藤豆)・ササゲ(大角豆)・ウイキョウ茴香
室町時代〜江戸初期 ホウレンソウ(菠薐草)・日本カボチャ(日本南瓜)・ツルムラサキ(蔓紫)・ミブナ(壬生菜)・キョウナ(京菜)・フダンソウ(不断草)・カエンサイ(火炎菜)・ナタマメ(鉈豆)・リョクトウ(緑豆)・インゲンマメ隠元豆)・エンドウ(豌豆)・ハチショウマメ(八升豆)・ソラマメ(空豆)・ニンジン(人参)・パセリー・サツマイモ(薩摩芋)・トウガラシ(唐辛子)・ジャガイモ・スイカ(西瓜)・ニガウリ(苦瓜)・トウモロコシ(玉蜀黍)
江戸中後期 イチゴ・ベニバナインゲン・ライマビーン・セルリー・ヨウサイ・チョロギ・トマト・ヘチマ・クリカボチャ・シュンギク・キクジシャ・チコリー・スイゼンジナ・キクイモ・モウソウチク・アスパラガス・ナガイモ
後半は漢字名を探すのにヘバったので手を抜いています。こうやって見ると茄子と胡瓜は平安期に間に合いますが、他は根菜類で大根、蕪、慈姑、牛蒡、里芋ぐらい、豆は藤豆と大角豆以外に小豆、大豆があったぐらいに見えます。残りは自生に近いような葉物です。情報ソースが狭い点を割り引いても平安期ぐらいまでの食用野菜の種類は乏しかったように見えます。


ちょっと推理

野菜は収穫期が限定され、穀類と較べると保存期間も短くなります。端的には冬には新鮮野菜なんて殆ど手に入りません。冬季の野菜は保存形態にされたもの、具体的には漬物とか干し大根の類でしょうか。でもって当時の下級官人の食事は米と塩と青菜汁ぐらいであったの説があります。この青菜も常にあった訳ではなく、おそらく季節ごとにそれこそ自宅の庭や近所から採ってきたきたんじゃないかと想像しています。要するに青菜は市とかで売買される様なものではなかった可能性です。

ほいじゃ漬物屋ぐらいあっても良さそうなものですが、これも良くわかりませんが漬物は買うものではなく、自分で作るものが常識だったぐらいを想像します。それより以前に漬物にするような蕪とか大根の様な根菜類を入手できるのは上流階級しか無理だったのかもしれません。あくまでも推測ですが市に八百屋系が見当たらない理由は、

  1. 葉物は自宅や近所から季節に応じて自力で調達
  2. 根菜類は上流階級限定で自領(荘園)から搬入
こういう状態じゃなかったかと考えます。葉物に較べて根菜類は日持ちはしますが、運ぶとなると重量があり輸送コスト(これは前にやってます)を加味すると市での商品として成立しにくかったのかもしれません。そのコストを押してでも都に運び込めるのが上流階級だけであったぐらいの想像です。下流階層になるとわざわざ根菜を買うより他の物、食糧なら米を買うとか、他の生活必要物資が優先されていたために野菜の市の成立は遅れたのかもしれません。