荘園の規模のお話

平安貴族の栄華の源泉と言えば荘園になります。荘園制度もwikipediaを読むだけでも複雑で、その経緯を理解しようと思うだけで立派な学問分野になりそうなものですが、ここはザックリと律令期の公地公民制から一種のタックスヘイブンを作り出した抜け穴ぐらいに理解します。この荘園なんですが歴史小説とか読んでると日本中が荘園になったみたいなイメージがあります。恥ずかしながら私も長年そう思っていました。だって公地公民制制度を守り推進するはずの朝廷の重臣(上級貴族)が荘園利益の最大の享受者みたいな政治形態ですから、シロアリが家を喰いつくすように日本中を荘園だらけにしてしまっているぐらいにしか思えなかったからです。

ここのところ情報源として活用させて頂いている高島正憲日本古代における農業生産と経済成長:耕地面積,土地生産性,農業生産量の数量的分析に詳細な田籍の記録があり、そこから荘園がどれほどの広がりがあったかを試算できそうなのでやってみます。


人口

これがいつも難儀させられるのですが、高島氏は諸説をまず整理されています。表に歴史年表を簡単に添えて編集してみます。

人口推測仮説 出来事
鬼頭 Farris 斎藤
725 4512200 580万〜640万 729年に長屋王の変
730 580万〜640万
800 5506200 794年に平安奠都
950 440万〜560万 939〜941年に承平天慶の乱
1000 600万 995年に藤原道長右大臣となる
1150 6836900 550万〜630万 1051年に前九年の役始まる
1250 650万 1252年に鎌倉大仏建立
1280 570万〜620万 1281年に弘安の役
1450 960万〜1050万 1050万 1443年に足利義政将軍となる
1600 122730000 1500万〜1700万 関ヶ原
高島氏は諸説の論拠を比較再検討した上で、
  • 平安初期:450万人
  • 平安後期:600万人
これぐらいではないかとされています。これなら奈良時代の人口が400万人ぐらいの説にも合致します。細かい点は高島氏の論文をお読みください。


田籍

田籍とはなんぞやですが、デジタル大字泉より、

律令制で、口分田の受給戸主の姓名および町段歩を記した土地台帳。班田の終わるごとに作成された。でんじゃく。

田籍は口分田の土地台帳となっていますから、荘園以外のいわゆる国衙領の事を指すはずです。国税を取り立てる基本台帳みたいなものと理解して良さそうです。そうなれば田籍には荘園は含まれていないはずです。荘園は国からの課税対象外になっているはずだからです。

たしか荘園が非課税になる基本的なカラクリは「あれは田でなく庭である」だったはずです。無理がありそうな理屈ですが、たとえば平安京には貴族や官人、さらには庶民が住んでいますが、ここも基本は国が住宅地を配分しています。その住宅地で家庭菜園を営んでも非課税のはずです。上級貴族になれば別荘もあり、そこで同じことをしても非課税になる理屈ぐらいと思っています。でもって別荘の規模や数に制限はないってところでしょうか。そういう見方が出来る田籍の記録が残っているので長大な表ですが引用させて頂きます。

国名 平安初期 平安後期
山城 8961 7 290 8961 0
大和 17905 9 180 17005 7
河内 11338 4 160 10977 0
和泉 4569 6 357 4126 0
摂津 12525 0 178 11314 0
伊賀 4051 1 41 4055 0
伊勢 18130 6 245 19024 0
志摩 124 0 94 4917 0
尾張 11940 0 0 11930 0
三河 6820 7 310 7054 0
遠江 13611 3 35 12967 0
駿河 9063 2 165 9797 0
伊豆 2110 4 112 2814 0
甲斐 12249 9 258 10043 0
相模 11236 1 91 11486 0
武蔵 35574 7 96 51540 0
安房 4335 8 59 4362 0
上総 22846 9 235 22666 0
下総 26432 6 234 33000 0
常陸 40092 6 112 42038 0
近江 33402 5 184 33450 0
美濃 14823 1 65 45304 0
飛騨 1615 0 0 4356 0
信濃 30908 8 140 30929 0
上野 30937 0 144 28453 0
下野 30155 8 4 27460 0
陸奥 51440 3 99 45077 0
出羽 26109 2 51 38628 5
若狭 3077 4 48 3139 0
越前 12066 0 0 23576 0
加賀 13766 7 334 12536 0
能登 8205 8 236 8479 0
越中 17909 5 30 21399 0
越後 14997 5 207 23738 0
佐渡 3960 4 0 4870 0
丹波 10666 0 262 10855 0
丹後 4756 0 155 5537 0
但馬 7555 8 5 7743 0
因幡 7914 8 208 8016 0
伯耆 8161 6 8 8842 0
出雲 9435 8 285 9968 0
石見 4884 9 42 4872 0
隠岐 585 2 342 624 0
播磨 21414 3 36 21236 0
美作 11021 3 256 11616 0
備前 13185 7 32 13206 0
備中 10227 8 252 10883 0
備後 9301 2 46 9298 0
安芸 7357 8 47 7484 0
周防 7834 3 269 7657 0
長門 4603 4 231 4769 0
紀伊 7198 5 100 7119 0
淡路 2650 9 160 2870 0
阿波 3414 5 55 5245 0
讃岐 18647 5 266 17943 0
伊予 13501 4 6 14825 0
土佐 6451 0 8 6173 0
筑前 18500 0 0 19768 0
筑後 12800 0 0 11377 0
肥前 13900 0 0 13462 0
肥後 23500 0 0 23462 0
豊前 13200 0 0 13221 0
豊後 7500 0 0 7570 0
日向 7400 0 0 8298 0
大隅 3000 0 0 4707 0
薩摩 4000 0 0 5521 0
壱岐 620 0 0 620 0
対馬 428 0 0 620 0
合計 862915 4 33 956875 2
感心するぐらい細かい記録が残っています。これだけ見て正直に思った事は、荘園制度が広まったはずの平安後期でも田籍は結構あります。少なくとも平安初期より増えています。そうなると荘園の規模は私が思い込んでいたような全国を覆い尽くすみたいなものではなさそうになります。 考えてみればそうで、平安貴族と言っても五位以上の上級貴族(殿上人)は延喜式で30人ぐらいです。貴族と言っても古代ローマの様に無給のボランティアではなく、ちゃんと朝廷からお手当をもらっている訳ですから、むやみに上級貴族を増やせば人件費が嵩みます。そのお手当の源泉である公地を荘園化しているのも上級貴族ですから、そうはやたらと上級貴族を量産する訳にはいかないぐらいでしょうか。広大な荘園を保有する上級貴族や有力寺社の数は自然と限定される事になります。
では概算
概算を行うには幾つか前提が必要です。上で人口推測を出したのはそのためで、人は生きるために食糧を作る必要があります。その食糧を作るためのモトが田畑になります。もちろん田畑以外にも漁業や狩猟もありますが、これは一定の比率と考え計算上は無視します。また田畑のうち畑の生産量も無視できないのですが、これも概算するのが手間なので一定比率と見なして無視します。つまり概算の前提は単純で、
    人口が増えた分に比例して田は増えたはず
もう一つ前提として平安初期には荘園は殆どなかったと仮定しています。これもよくわからないのですが、とりあえず平安初期には荘園がゼロであったとして概算をします。まあ、無視できないぐらい荘園があったとしたら平安初期から平安後期の荘園増加率になります。こういう前提での概算は単純な算数問題になります。人口は平安初期に450万人、後期で600万人としていますから、すべて公地であれば人口に比例して田籍が増えているはずです。増えていなければそこは荘園化されたことになります。とりあえずですが平安初期から後期までの人口増加率は1.33倍になります。これを基本に置いて計算すると、
田籍(町) 計算上の田面積(町) 計算上の荘園(町) 計算上の荘園化率(%)
平安初期 平安後期
862915 956875 1150553 193678 20.2
2割ぐらいか・・・荘園主になるような上級貴族や有力寺社はどれぐらいであったかは調べてませんが、100人(100家)もあったんでしょうか。その100家が国の2割の富を支配すればさぞリッチだったと素直に感じます。ただなんですが富の偏在は平安期の特徴とは言い難いところがあります。たとえば現在のアメリカでは人口の1%で40%の富を支配しているとされます。それと較べてどうなんだろうぐらいは思うところです。もう一つ試算をやっておきます。七分法と延喜式を用いれば石高計算が可能になります。現代石で計算してみましたが、
田籍 総田面積(町) 等級 等級毎面積(町) 収穫率(斗/反) 取れ高(石)
956875 上田 136696 10 1366964
中田 273393 8 2187143
下田 273393 6 1640357
下下田 273393 3 820179
合計 6014643
荘園 総田面積(町) 等級 等級毎面積(町) 収穫率(斗/反) 取れ高(石)
193678 上田 27668 10 276683
中田 55337 8 442693
下田 55337 6 332020
下下田 55337 3 166010
合計 1217407
あくまでも延喜式の記載通りに米が収穫出来たとの前提ですが、荘園の120万石と言えば江戸期の加賀藩ぐらいです。また田籍の600万石と言えば江戸幕府の直轄領(旗本領を除く)の1.5倍ぐらいです。経済状況、政治状況が異なりますから同列に出来ないのはもちろんですが、栄華を極めていた平安貴族の取り分は案外小さく、食いつくされたと思っていた国の収入は案外大きいと感じた次第です。