皇極紀より
六月丁酉朔甲辰。中大兄、密謂倉山田麻呂臣曰、三韓進調之日必將使卿讀唱其表。遂陳欲斬入鹿之謀、麻呂臣奉許焉。戊申、天皇御大極殿、古人大兄侍焉。中臣鎌子連、知蘇我入鹿臣、爲人多疑、晝夜持劒。而教俳優、方便令解、入鹿臣、咲而解劒、入侍于座。倉山田麻呂臣、進而讀唱三韓表文。於是、中大兄、戒衞門府一時倶鎖十二通門、勿使往來、召聚衞門府於一所、將給祿。時中大兄、即自執長槍、隱於殿側。中臣鎌子連等、持弓矢而爲助衞。使海犬養連勝麻呂、授箱中兩劒於佐伯連子麻呂與葛城稚犬養連網田、曰、努力努力、急須應斬。子麻呂等、以水送飯、恐而反吐、中臣鎌子連、嘖而使勵。倉山田麻呂臣、恐唱表文將盡而子麻呂等不來、流汗浹身、亂聲動手。鞍作臣、怪而問曰、何故掉戰。山田麻呂對曰、恐近天皇、不覺流汗。中大兄、見子麻呂等畏入鹿威便旋不進、曰、咄嗟。即共子麻呂等出其不意、以劒傷割入鹿頭肩。入鹿驚起。子麻呂、運手揮劒、傷其一脚。入鹿、轉就御座、叩頭曰、當居嗣位天之子也、臣不知罪、乞垂審察。天皇大驚、詔中大兄曰、不知所作、有何事耶。中大兄、伏地奏曰、鞍作盡滅天宗將傾日位、豈以天孫代鞍作乎。(蘇我臣入鹿、更名鞍作)。天皇即起、入於殿中。佐伯連子麻呂・稚犬養連網田、斬入鹿臣。
読めそうで読みにくい漢文ですが、とりあえずこれしか資料がないわけです。事件の概略は朝廷の儀式に出席した入鹿を中大兄・鎌足一派が暗殺したものですが、この時の儀式は、
三韓進調之日
645年、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。中大兄皇子と鎌子はこれを好機として暗殺の実行を決める
こうなっているのが通説です。今日のテーマは
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ちょっと違うんじゃないだろうか?
皇極紀で確認できるのは、
この4人は確実です。ちなみに中大兄皇子は時中大兄、即自執長槍、隱於殿側
出席していません。鎌足は
中臣鎌子連等、持弓矢而爲助衞
鎌足も出席していなかったで良いと思います。
問題はそれ以外です。通説なら重要な外交儀式になります。ごく普通に考えてこの4人しか出席していないとは考えられないと思います。三韓の使者は国使になります。国使の役割は贈物の輸送管理任務だけではなく、国書を届るのもあります。つうか国使の現実的な役割としてそっちの方が重要です。単純には相手の王に確実に国書が渡ったのを確認し、返事をもらって帰る事です。当然ですが国使は宮中に参内します。参内の時には、そうですねぇ
- 正使
- 副使
- 随行員(通訳とか)
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大王臨席の下、ずらっと群臣が居並ぶ
鎌足が入鹿に対して、
その帯剣を外させる謀略を行ったのは有名です。その結果、入鹿は暗殺犯に対して丸腰で戦う事になります。この宮中に帯剣して入っていたのは入鹿だけだったのでしょうか。たとえば武官なら帯剣する方が正装の気がします。他に帯剣して出席する者がいれば鎌足の謀略は成立しない気がします。そりゃ入鹿だって妙に思うでしょう。つまりこの儀式は入鹿以外は帯剣する者がいない事を鎌足は知っていたのだと推理します。入鹿もそうである事を知っていたので「咲而解劒」したのだと考えます。なんと言うか、
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この会の、この面子で帯剣するのは、鎌足の言う通り大袈裟かな?
話が少し戻りますが、三韓の国使を迎える場であるなら、そこでの暗殺は今後の政治的に宜しくないと思っています。入鹿暗殺は中大兄・鎌足一派に取って絶対の正義ではありますが、暗殺後は政権を握る段取りのはずです。その時に三韓の国使の前で入鹿を暗殺するのは政権奪取後の国際外交に宜しくないぐらいです。鎌足はかなりの策士(つか狸)ですから、単純バカのように入鹿さえ暗殺できれば手段は問わないなんて判断は下さない気がします。内政と外交は両輪であり、国使の前で自国の醜態をさらすような行為に賛成するかどうか疑問です。
儀式で表を実際に読んだのは、
倉山田麻呂臣、恐唱表文
そう倉山田麻呂です。さらに中大兄・鎌足一派は倉山田麻呂が表を読む事を予め知って暗殺に踏み切っています。
遂陳欲斬入鹿之謀、麻呂臣奉許焉
ここでなんですが、暗殺犯に取って倉山田麻呂が表を読む事は重要なポイントだったと見ています。倉山田麻呂も暗殺犯の一味ですから、列席者で入鹿に味方する者が減ると言う意味合いでです。暗殺犯に取って一番懸念した事項は入鹿を取り逃がすケースです。取り逃がす要因の一つに入鹿に味方する列席者の出現もあったと見ています。時の権力者は入鹿ですから、暗殺を防ぐ働きをすれば褒美も出世も十分に期待できるからです。それ以前に入鹿シンパの臣下も少なからずいるはずです。ここで列席者が多い場合、倉山田麻呂1人が暗殺グループに加担しても大勢は変わりません。
これは数少ない列席者の1人が倉山田麻呂であったと考えた方が自然です。仮にたった4人であれば皇極は無関係です。古人大兄は入鹿側になりますが、もう1人が倉山田麻呂であるのが重くなってくるわけです。多数の列席者居並ぶ中で入鹿を襲うつもりなら、誰が表を読もうとあんまり関係ない事になります。
つうか書紀は暗殺側がクーデターに成功して書かれていますから、入鹿が極悪人の様に書かれていますが、これは勝者の歴史記述です。現実的には蘇我氏支持の氏族も多かったと考えるのが自然です。蘇我氏支持が多かったから反乱ではなくテロを選択したとする見方です。暗殺事件の儀式に多くの群臣が参列していたら、テロリストが数人切り込んでも入鹿だけすんなり暗殺は難しいと考えられます。下手すりゃ大乱闘の修羅場になります。
結果として群臣がいても「そうなった」と見る事も不可能ではありませんが、大乱闘の修羅場の末に入鹿を取り逃がすリスクのあるテロに鎌足が果たして賛同するかどうかが大いに疑問です。出席者が非常に限定される儀式の会であり、入鹿をターゲットとして狙いやすいシチュエーションがあったと見たいところです。さらにを言えば
中大兄、戒衞門府一時倶鎖十二通門、勿使往來、召聚衞門府於一所、將給祿
これは入鹿の従者が宮中に入らないように中大兄が工作した部分で良いと思いますが、三韓の国使は宮中にいると言うよりも、迎賓館的な施設から宮中に向ったと考える方が自然です。国使を宮中に迎えるに当たっての警備(儀礼的な意味も含めて)があったはずであり、盛大な会であれば中大兄の工作が出来るとはちょっと思えないところがあります。
皇極紀に
必將使卿讀唱其表
これは「将に使卿、其の表を読み唱える」とでも読み下すのでしょうか。ここにある使卿とは国使で良いと思っています。三韓の国使であるなら、三韓の国使が「使卿」であり表を読むのは三韓の国使であるはずです。しかし表を読んだのは倉山田石川麻呂であり、それも予め決まっていた事もわかります。その上で、ここまでムックしたようにずらっと群臣が居並ぶ儀式ではない気配が十分にあります。これらを満たす条件は、
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使卿は倉山田麻呂であった!
鞍作臣、怪而問曰、何故掉戰
このセリフって三韓の国使が居る場では言わない気がします。せいぜい内心で嗤って済ますか、後でお小言ぐらいと思います。入鹿が声をかけたのは、儀式とは言え少人数の任命式であり、たかだか決意表明程度の事でそこまで緊張するのが不思議だったのが一つと、その程度の場であったので声をかけても不自然でなかったからと考えます。まあ、こんなに緊張症で国使の役割が果たせるかどうかの懸念もあったかもしれません。
蘇我大王ロマンでは「皇極 → 入鹿」です。もしそうであれば話に差支えが出ないかです。まずは鎌足の策略ですが、
而教俳優
これは「而して俳優にて教す」ぐらいに読み下すんでしょうか。鎌足が直接入鹿にアドバイスした訳でなく、なんらかの劇を俳優に演じさせて悟らせたぐらいで良いようです。これは鎌足が直接話す事の出来ない身分の人を相手にしたからと受け取れない事はありません。ここは「そうとも言える」程度の物ですが、暗殺の現場になったのが倉山田麻呂の国使任命式であれば、大臣も出席する必要もなかったんじゃないかは出てきます。つうか筆頭大臣1人が出席するのもある意味不自然です。国使を出すかどうかの議論に大臣は必要ですが、決まった国使の任命だけですから、大王と倉山田麻呂だけでも十分と言えば十分です。古人大兄は当時皇太子待遇でしたから出席したぐらいでしょうか。
テロ決行の日を決めた理由のところをもう一度良く読んで欲しいのですが、
三韓進調之日必將使卿讀唱其表
要は国使が表を読む時は必ず入鹿が出席するとの前提となっています。これは「入鹿 = 大王」と考えた時に、大王と言えども必ずすべての儀式に出席するかどうかが判らないのが前提となっている気がします。その中で国使任命式は国際問題ですから、必ず大王が出席する慣習があったとも解釈できます。そのうえ出席者が少ない点で決行日を選んだとも見れます。でもって
鞍作臣、怪而問曰、何故掉戰
これは入鹿大王がかけた言葉とすれば不自然さはなくなります。事実上「1対1」ですし、任命式では大王が国使になんらかの励ましの声を親しくかけるぐらいの儀礼的慣習ある方が普通です。倉山田麻呂の返答も
山田麻呂對曰、恐近天皇、不覺流汗
ある意味自然です。そう、大王を入鹿に入れ替えても支障は生じない事になります。