租庸調の復習

律令制の基本税制で中学あたりで学んだはずですが、今日は知識整理のための復習です。


とりあえず「束」と言う単位を理解しないといけないのですがwikipediaより、

束(そく/つか)とは、古代日本における穎稲の単位。1束=10把。成斤1束は1代(刈)から収穫される稲の量を示す。

これですらっと理解できれば苦労しないのですが、まず1刈とは稲束一つの単位になるそうで、1刈とは10把になるそうです。1把とは親指と中指でつかめる稲束の事で、これの10個分で稲束一つで1刈になります。この1刈の穂首で刈り取って稲穂が付いた状態の稲(穎稲)を1束としたようです。1刈も1束もほぼ同じものを指しますが、刈の場合は面積を指し、束の場合は収穫量を指すぐらいの理解で良さそうです。なぜにこんな単位が必要であったかですが、wikipediaより、

律令制下の日本においては、租税としての稲の収取は穎稲の形で行うことを原則としていた

延喜式にも束単位で書いてありました。さて1束(≒ 1刈)は具体的にどれほどの面積であったかですが、これは5歩(1歩は1間四方)となっています。口分田の単位は1段ですがこれは360歩になります。これも初めて知ったのですが当初は250歩であったのが途中から360歩に改まったようです。そうなると360歩の田から72束の穎稲が収穫できることになります。1束からは籾米で1斗取れるなっていますから、72斗(7石2斗)になります。うん! えらい多いな? どうも補正が必要なようで、wikipediaより

1束は10把に相当し、脱穀すると稲穀1斗、更にそれを精米すると舂米5升が得られる計算となっていた

舂米とは精米したものですが、精米により

  1. 籾米1合 → 精米 → 玄米0.5合
  2. 玄米1合 → 精米 → 白米5/6合
おおよそこれぐらいになります。そうなると米の取れ高としては36斗(3.6石)になります。さらに奈良期の1斗は現在の0.4斗ですから14.4斗(1.44石)・・・まだ多いなぁ。どこかで計算ミスがありそうですが、ここは延喜式に頼ります。

凡公田獲稻,上田五百束,中田四百束,下田三百束,下下田一百五十束。

これは1段ではなく1町(3600歩)単位のものと見ますが、これを1段あたりの玄米換算にすると

  1. 上田・・・50束 = 穎稲50斗 = 玄米25斗(= 10斗)
  2. 中田・・・40束 = 穎稲40斗 = 玄米20斗(= 8斗)
  3. 下田・・・30束 = 穎稲30斗 = 玄米15斗(= 6斗)
  4. 下下田・・・15束 = 穎稲15斗 = 玄米12.5斗(= 3斗)
これなら判ります。でもって租ですが、延喜式より

其租一段穀一斗五升,町別一石五斗

たぶんこれは上田に対するものと見ますが、1段につき1斗5升となっています。ここの税率計算が微妙なんですが、「其租一段穀一斗五升」が穎稲なのか玄米なのかがはっきりしません。仮に穎稲なら3%、玄米なら6%ぐらいになります。これは安いと思います。なおかつですが米はwikipediaより、

原則として9月中旬から11月30日までに国へ納入され、災害時用の備蓄米(不動穀)を差し引いた残りが国衙の主要財源とされた。しかし、歳入としては極めて不安定であったため、律令施行よりまもなく、これを種籾として百姓に貸し付けた(出挙)利子を主要財源とするようになった。

取れた米は中央でなく諸国の財源となったとされています。考えてみればそうで、奈良期に米を中央まで運ぶには運送手段がプアすぎます。たとえば江戸期の米経済は集めた米は大坂なりで現金化し、大坂に集められた米は今度は全国に運ばれますが、そういう運送手段が事実上ない訳です。それ以前に貨幣経済が実質的に成立していませんから、中央に米だけ集めたところでどうしようもないぐらいのところでしょうか。もちろん物々交換の対価としての価値はあったでしょうが、全国レベルで動かすには無理があったぐらいです。

そのうえ収穫量が極めて不安定であるため、租としての米は諸国レベルに留まったようです。この税率の7割の収入を確保するのもままならなかったとされています。そのため諸国も租による税収の不安定さに苦悩し、租よりも出挙と言って種籾を国庫から貸し出し、それの利息を主要財源にしたとなっているようです。そうなると中央の財源を支えたのは残りの庸と調になります。


庸と調

庸は元来、都での労役を指しましたが、これが変化して労役の代価の産物を収める意味に変わったようです。調は産物、主に繊維製品を収める税金です。結局のところ庸調は物納による税金と理解して良さそうです。これが中央政府の主要財源となったようです。この庸と調を運ぶを担当したのが運脚とされ、庸も調も戸別にかかるものですから、各戸の自便で中央までこれを人力で運んだとなっています。あれこれ調べても確かにそう書いてあるのですが、延喜式に諸國運漕雜物功賃の項目があります。この雑物とはwikipediaより、

雑物(ぞうもつ)とは、米や布以外の形態で賦課された野菜や紙、塩、鉄などの種々の物資、あるいはそれらを徴収するために設けられた雑税を指す。

律令制においては調の一部として鉄や鍬、塩や水産物などが雑物として賦課され、また庸の代替として米や布のほか塩などの雑物を納めることが認められる場合があった(「調庸雑物」)。また、それ以外にも交易雑物・年料別貢雑物・年料雑薬・年料雑器などの名目で徴収されるものもあった。これらをまとめて「例進雑物」とも称した。『延喜式民部省式では、庸調及び雑米以外の諸税目で都へ送られる諸品目を指して「雑物」と称している。

どうもなんですが庸や調と違って雑物の運送費は官費で出たようです。まとめるのに幻暈がしそうになったのですが、

国名 駄別稻 年料別貢雜物 交易雑物 交易雑器 年料雑器
畿内 山城 1.5束 * 大麥三石,小麥卅石,大角豆六石,胡麻子四石,荏子四石 酒槽卅一隻,圓槽七隻,臼十腰,杵十五枚,槽八口,置簀十三枚,匏三百卅柄,輦籠五十四 *
大和 3束 + 大麥三石,小麥十一石七升三合,?子六斗,大角豆四石 酒槽七隻,】圓槽二隻,槽二口,臼三腰,杵六枚,輿籠廿口,瓠三百廿五柄,置簀四枚 +
河内 3束 * 大麥三石,小麥卅五石,?子五斗,薦二千五百枚 酒槽卅四隻,臼六腰,杵六枚,輿籠卅口,匏二百廿五柄,置簀卅枚。 *
摂津 3束 * 大麥三石,小麥卅五石,?子五斗,薦二千五百枚 酒槽七隻,圓槽二隻,槽二口,臼三腰,杵六枚,輿籠十一口,匏一百五柄,置簀廿枚 *
和泉 3束 * 小麥廿五石 酒槽七隻,圓槽二隻,槽二口,臼三腰,杵六枚,輿籠十一口,匏一百五柄,置簀廿枚 *
東海道 伊賀 6束 紙麻五十斤 白絹十二疋,鹿皮廿張,樽二合,加赤漆朸 * *
伊勢 12束 筆一百管,紙麻一百十斤 白絹十二疋,絹三百疋,水銀四百斤,樽二合,鹿角菜二石,青苔五十斤,海松五十斤,凝菜卅斤,於胡菜卅斤,鳥坂苔五斤,海藻根十斤,那乃利曾五十斤 + *
志摩 18束 * 大凝菜卅四斤,白玉千顆 *
尾張 21束 筆一百管,紙麻九十斤,青木香一百六十斤,馬革六張 白絹十二疋,絹百五十疋,油三石,樽二合,苧一百五十斤,鹿革廿張,鹿皮十張,鹿角十枚,?子五石,胡麻子四石,荏子四石,鹿角菜三石,凝菜卅斤,於胡菜卅斤 * 大椀五合,【徑各九寸五分。】中椀五口,【徑各七寸。】小椀□口,【徑各六寸。】茶椀廿口,【徑各五寸。】盞五口,【徑各四寸七分。】中縕子十口,【徑各五寸。】小縕子五口,【徑各四寸五分。】花盤十口,【徑各五寸五分。】花形鹽杯十口,【徑各/三寸。】瓶十口。【大四口,小六口。
三河 33束 筆一百五十管,紙麻十斤,黄楊六枚 白絹百廿疋,鹿革六十張,樽二合,苧九十斤,黍子廿石,胡麻子三石,鹿角菜二石,海松五十斤,凝菜卅斤,海藻根十斤,青苔五十斤,鳥坂苔五十斤,於胡菜卅斤,那乃利曾五十斤 * *
遠江 35束 筆一千管,零羊角四具 絹六十八疋,苧一百卅斤,鹿皮十張,鹿革卅張,木綿四百七十斤,樽二合,凝菜卅斤,海藻根十斤,胡麻子二石,大匏卅口,干薑一百斤,種薑十石 * *
駿河 54束 筆一百管,零羊角四具 絹二百疋,商布二千一百端,端別長二丈六尺,鹿革四十張,樽二合 + +
伊豆 60束 零羊角四具,甘葛汁二斗 豬皮十張,鹿皮卅張,堅魚煎一石四斗六升,櫑子十四合 * *
甲斐 75束 筆卅管,零羊角六具,胡桃子一石五斗 商布四千一百端,履料牛皮三張,鹿皮卅張,紫草八百斤,鹿革十張,豬脂一斗,櫑子四合 * *
相模 75束 筆一百管,零羊角四具,青木香八十斤,牧牛皮數張 商布六千五百端,?二石五斗,鹿皮廿張,鹿角十枚,紫草三千七百斤,布一千五百端,鞦十具,鹿革廿張,履牛皮十二枚,櫑子四合 * *
武蔵 80束 筆一百管,膠五十斤,麻黄五十斤,麻子六斗 紬五十疋,布一千五百端,商布一萬一千一百端,?六石五斗,龍鬚席卅枚,細貫席卅枚,席五百枚,履料牛皮二枚,鞦廿具,鹿革六十張,鹿皮十五張,紫草三千二百斤,木綿四百七十斤,櫑子四合 * *
安房 100束 長海松二籠 商布二千二百八十段,鹿革廿張,櫑子四合 * *
上総 100束 筆一百管,牧牛皮六張 紬五十疋,商布一萬一千四百廿段,布一千五百九十端,腐革八張,鹿皮五十張,洗革一百張,鹿角十枚,木綿四百七十斤,鏖廿具,木綿四百七十斤,櫑子四合 + +
下総 90束 筆一百管,牧牛皮六張。牛角十二口,麻子七斗 布一千五百九十端,商布一萬一千五十段,鹿革廿張,皺文革十張,紫草二千六百斤,櫑子四合 * *
常陸 100束 筆三百管,麻子七斗 紬一百疋,布四千端,商布一萬三千端,庸布七百段,鞍橋十具,鞦廿具,履料牛皮九張,鹿皮廿張,洗革一百張,鹿角十枚,席六百枚,紫草三千八百斤,大瓢十口,櫑子四合 * *
東山道 近江 2束 筆二百管,紙麻一百十斤,零羊角四具,馬革十七張 白絹十二疋,曝鄢葛卅斤,刈安草五百圍,曝皮十張,大豆六十石,胡麻子五石,醤大豆廿石,油二石,樽二合。隔三年進醤大豆十石,大豆十四石 * *
美濃 12束 筆一百五十管,紙麻六百斤,支子二石,青木香卅斤,零羊角六具,馬革廿四張 絹二百疋,胡麻子四石,荏子十二石,鹿革卅張,油二石,白絹十二疋,樽二合。隔三年進金漆二斗 * *
飛騨 45束 * * + +
信濃 66束 筆一百卅管,零羊角六具,木賊二圍,樺皮二圍 商布六千四百五十端,熟麻十斤,履牛皮三張,鹿皮九十張,洗皮十五枚,紫草二千八百斤,布一千五百端,細貫莚五十枚,圓長豬脂一斗,櫑子四合 * *
上野 90束 筆一百管,零羊角六具。杏仁三斗,膠十二斤,樺皮四張 紬五十疋,布一千五百九端,商布七千七百卅一段二尺二寸八分,苧八十斤,席九百枚,細貫席六十枚,小町席、食筵、紫草二千三百斤,鹿革六十張,覆料牛皮廿張,櫑子四合 * *
下野 105束 筆一百管,麻紙一百張,麻子三斗 布一千四百卅六端,商布七千三段,履料牛皮七張,洗革一百張,鹿角十枚,席八百枚,砂金百五十兩,練金八十四兩,紫草一千斤,氈十張,櫑子四合 * *
陸奥 210束 筆一百管,零羊角四具 葦鹿皮,獨?皮數隨得,砂金三百五十兩,昆布六百斤,索昆布六百斤,細昆布一千斤 * *
出羽 131束 零羊角十具,紙麻一百斤 熊皮廿張,葦鹿皮,獨?皮數隨得 + +
北陸道 若狭 10.5束 零羊角十具,紙麻一百斤 烏賊三百斤,小鰯醋一石一斗,樽二合 * *
越前 24束 筆五十管,紙麻一百斤,零羊角十具,甘葛汁一斗 絹二百六十二疋,履料牛皮六張,漆一石五斗,曝鄢葛卅斤 * *
加賀 24束 絹一百六十二疋,履料牛皮二張,漆一石五斗,荏油二石,樽二合 * *
能登 78束 絹十二疋,鹿皮十張,履料牛皮四張,海鼠腸一石,櫑子四合 * *
越中 78束 零羊角二具 絹百疋,商布一千二百段,履料牛皮四張,曝鄢葛廿斤,編筥三百十九合,織筥廿八合,漆一石三斗 + +
越後 105束 零羊角六具 商布一千端,漆五斗,櫑子四合,履料牛皮八枚 * *
佐渡 108束 * * * *
山陰道 丹波 3束 墨二百廷,紙麻七十斤,漆二斗七升,柏一百廿俵。以五十把為俵,把別五十枚。掃墨一石,斐紙麻一百斤 白絹十二疋,赤絹五百五十疋,絲七百五十?,油三石,鹿革十張,粟十石,大豆卅石,胡麻子五石,栗子卅石,曝鄢葛廿斤,刈安五百圍。隔三年進醤大豆五石 * *
丹後 21束 絹二百五十疋,白絹十二疋,鹿革十張,樽二合,小鰯醋十二籠 * *
但馬 24束 筆八十管,紙麻七十斤,馬革十一張 絹七百卅七疋,絲一千斤,?皮一百五十斤,醤大豆廿六石。隔三年進醤大豆五石 * *
因幡 36束 筆八十管,紙麻七十斤 絹二百疋,白絹十二疋,席三百五十枚,荒筥廿五合,櫑子四合,?皮八百廿五斤,醤大豆廿六石。隔三年進醤大豆五石,鹿皮十張 + +
伯耆 32束 筆八十管,紙麻七十斤 * * *
出雲 39束 筆五十管 絹二百卅七疋四尺,鹿革廿張,席三百枚,青苔卅斤,海松一百斤,海藻根十斤,鳥坂苔五斤,紫草一百斤,鹿皮廿張,櫑子四合 * *
石見 90束 綿六百八十七屯八兩,青苔卅斤,海松一百斤,海藻根十斤,鳥坂苔五斤,紫草一百斤,櫑子四合,鹿革卅張 * *
隠岐 180束 * * * *
山陽道 播磨 15束 筆一百卅管,墨三百五十廷,紙麻二百十斤,掃墨二石,馬革卅二張,柏一百俵 白絹十二疋,絹三百五十疋,大豆廿六石,胡麻子三石,油二石,鹿革五十張,樽二合,小豆三石,鹿角菜二石,青苔卅斤,於胡菜廿斤,那乃利曾卅斤 + +
美作 21束 筆六十管,紙麻七十斤 絹四百七十五疋,油三石,豬脂一斗,櫑子四合,鹿革十張,鹿皮廿張,鹿角十枚,大豆十石,小豆六石,?大豆廿石。隔三年進醤大豆十五石 * *
備前 24束 筆一百管,紙麻五十斤,牧牛皮六張 絹三百疋,白絹十二疋,油三石四升,胡麻子三石,櫑子四合,苫十五枚,鹿革廿張,鹿皮十張,鹿角十枚,小豆十九石七斗,醤大豆廿五石,大豆世十四石七斗,秣料八十石。隔三年進醤大豆十石 * *
備中 24束 紙麻九十斤 白絹十二疋,油一石四升,朴消一百斤,小豆一石六斗,苫廿五枚,櫑子四合,鹿皮五十,大豆廿八石,醤大豆二四石。隔三年進醤大豆七石,小豆十六 * *
備後 33束 斐紙麻二百斤 白絹十二疋,油二石,櫑子四合,鹿角十枚,大豆十六石七斗,小豆一石七斗,胡麻子二石,醤大豆六十石。隔三年進醤大豆十石 * *
安芸 42束 零羊角四具 白絹十二疋,絲八百?,木綿二百五十斤,油三石四升,苫廿五枚,櫑子四合,鹿皮廿張,鹿革廿張 + +
周防 57束 斐紙麻二百斤 鹿革廿張,席三百五十枚,苫廿五枚,櫑子四合 * *
長門 63束 牧牛皮八張 鹿革廿張,胡粉廿斤,?青廿斤,丹六十斤,海藻一百五十斤,苫廿五枚,櫑子四合 * 大椀五合,【徑各九寸五分。】中椀十口,【徑各七寸。】小椀十五口,【徑各六寸。】茶椀廿口,【徑各五寸。】花盤卅口,【徑各五寸五分。】花形鹽杯十口,【徑各三寸。】瓶十口,【大四口,小六口。】
南海道 紀伊 12束 紙麻七十斤,鎌垣船九隻 白絹十二疋,絹二百疋,鹿革十張,鹿角菜二石,青苔五十斤,海松卅斤,海藻根十斤,鳥坂苔五斤,那乃利曾五十斤,樽二合,大凝菜一百斤,於胡菜卅斤,大豆廿石,小豆卅石,胡麻子五石,醤大豆十石。隔三年進大豆三石 * *
淡路 12束 * * * *
阿波 27束 筆八十管,紙麻七十斤,斐紙麻一百斤,馬革十張 絹三百疋,白絹十二疋,油二石四升,龜甲六枚,鹿皮十張,粟廿石,小豆十六石,秣料大豆八十石,胡麻子四石,小麥七十石,凝菜七斗,青苔廿斤,海藻根□□,於期菜六斗,鹿角菜二石,苫廿五枚,樽二合,醤大豆廿二石。隔三年進醤大豆五石 + +
讃岐 30束 紙麻百五十斤,牧牛皮十張,斐紙麻一百斤 白絹十疋,鹿革廿張,苫廿五枚,菅圓座四十枚,櫑子四合,鹿子皮十五張,金漆一斗五升,醤大豆四十二石。隔三年進醤大豆五石,大豆十八石 * *
伊予 30束 筆一百管,梹榔櫛二百枚,牧牛皮三張,斐紙麻一百斤 鹿革五十枚,鹿皮十張,砥一百八十顆,大豆十八石,海藻根十斤,那乃利曾五十斤,苫五十枚,樽二合,胡麻子五石,醤大豆卅二石。隔三年進醤大豆五石 * *
土佐 105束 零羊角四具,黄楊六枚 龜甲四枚,煮鹽年魚五缶,紫菜一百五十斤,苫廿五枚,櫑子四合 * *
大宰府 筆一千一百廿管,兔毛、鹿毛各五百六十管,墨四百五十廷。以上二種,盛韓櫃一合。斐紙一千張,麻紙二百張,斐麻二百斤,麥門冬薦二斛二斗,紫草日向八百斤,大隅一千八百斤,青砥二百顆

絹四千疋,履料牛皮廿四張,狸皮十張,銀三百兩,金漆五缶,朱砂一千兩,茜二千斤,紫草五千六百斤,豬膏二石,雜油卅石,梹榔馬蓑六十領,同螻蓑百廿領,藺帖笠百卅蓋,鄢漆鞍十具,鐵鎧廿隻。

* *
運送費は陸路にしています。海路もあって非常に興味深いのですが、まとめきれないので省略してます。他には年料舂米、年料租舂米、年料別納租穀、諸國貢蘇番次あったりしますがこれも表にしきれないので省略しています。まあ細々したものが列挙されています。笑ったらいけないのでしょうが、年料別貢雜物に筆が多いのにはビックリしました。律令制とは記録の時代である事がこれだけでも良くわかります。


感想

私が無知であっただけかもしれませんが、後世と異なり米を年貢として搾り取る体制で無かった事に少し驚かされました。税の基本は物品であった事になります。単純化すれば米を作る傍らで織物などを税のために作り納めていたぐらいでしょうか。当時の稲作技術からして不作も多かったでしょうが、後世の様に重い年貢米に苦しむなんて事は少なかった様に見えます。租庸調と雑物以外に使役があります。雑徭として60日を上限としての労役があります。これはおそらくですが農閑期を中心に行われていたんじゃないかと思っています。兵役についてはもう良いでしょう。

こういう負担が重かったかどうかですが、あくまでもなんとなくですが律令通りであればそんなに重くない気がします。軽いとは言いませんが、無茶苦茶重いとも言いにくいぐらいです。しかし史実は公民が負担に耐えかねて逃げてしまうなんて事が記録されています。理由を考えると兵役同様に私役が多かったんじゃないかと考えています。平安期もそうだったらしいですが、国司に任命されると非常に儲かったそうです。一度行けば一財産作れたとなっています。これは国司があれこれ理由を付けて臨時税を乱発していたためとされています。

正規の租庸調だけなら耐えられても、その他の臨時税の負担が非常に大きかった可能性はあると考えています。中央は地方の事情に疎いですし、それこそ大規模な反乱でも起こらない限り無関心です。そのうえ、地方で一儲けしたい同じ穴の貉がわんさかいますから、仮に国司の横暴を訴え出ても門前払いぐらいだった気がしています。ある種の無法状態ですから、国司以下は実質やりたい放題だったきがしています。そういう地方独裁者を上に持つと生活は厳しくなります。そこを監視する気が皆無に等しかったのが平安時代を含めた律令時代だった気がなんとなくしています。