日曜閑話83-2

久しぶりに本題の蘇我大王ロマンを追ってみます。まずは定番の隋書倭国伝より、

  • 開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕
  • 王妻號雞彌、後宮有女六七百人。名太子為利歌彌多弗利

開皇二十年とは600年です。ここに出てくる大王名の読みですが、隋唐期の音は日本語の音に近いそうです。言われてみればそうで、隋唐期には大陸文化を必死になって輸入していました。交流のために音は必要ですし、書物を読むにも音は必要です。でもってその後は大陸文化の国家レベルでの輸入は中止されています。そのため日本では隋唐期の音が割と残っているそうです。もちろん全く同じではないでしょうが隋書の大王の読みは、

    アメノタリシヒコ
これに近い音で読んでいたと考えて良さそうです。この「タリシヒコ」に近い大王名なんですが書紀ではどうも5人いるようです。
漢風諡号 名前 読み
景行天皇 大足彦忍代別天皇 オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト
成務天皇 稚足彦尊 ワカタラシヒコノミコト
仲哀天皇 足仲彦天皇 タラシナカツヒコノスメラミコト
舒明天皇 息長足日広額天皇 オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト
皇極天皇 天豊財重日足姫天皇 アメノトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト
景行・成務・仲哀は実在が疑われている上に実在が確実視されている舒明・皇極(斉明)と時代がかけ離れているのでwikipediaには、

「タラシヒコ」という称号は12代景行、13代成務、14代仲哀の3天皇が持ち、ずっと下がって7世紀前半に在位したことの確実な34代舒明、35代皇極の両天皇も同じ称号を持つことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであり、12、13、14代の称号は後世の造作ということになり、仲哀天皇の実在性には疑問が出されている(仲哀天皇架空説)。

こういう見解も出てくるわけです。私は蘇我大王ロマンを追う者ですから見解が少し変わります。記録された情報の正確性は基本的に

こう考えています。当時の隋が日本如きの事で捏造創作する可能性が低い点でそう考えています。ここでまず注目したいのは景行・成務です。もちろん両者ともタラシヒコ(≒ タリシヒコ)がありますが成務には「ワカ」もあります。この「ワカ」が隋書倭国伝にある

名太子為利歌彌多弗利

これに関係しないかです。「利歌」を「ワカ」とするのは少々強引な気がしますが、私がここまで書紀を読む限り「リカ」がつく名前を見つけられないからです。隋書を書く時に聞き違えたか、書き間違えた可能性はゼロではないぐらいです。字で言えば「利」と「和」は似ていると言えば似ています。皇帝との会見の記録は速記ないし記憶で書いたものをとりあえず下書きするはずで、その時に少し字を崩したら後で間違う可能性もあるんじゃないかぐらいです。

それと「タラシヒコ」の「タラシ」も「ヒコ」も尊称です。「ヒコ」は魏志倭人伝にもあるように元は位を現していたと考えられ、その後は尊称になっています。「タラシ」は満ち足りたの意味で、これもまた尊称と解釈するようです。太子から大王になる時と言うか、公式名になる時の飾り言葉みたいなもの「らしい」です。つまり太子の利歌彌多弗利が大王位になった時に「ワカタラシヒコ」になったと見れないだろうかです。


創作のための投影

仮に景行が大王であり成務が太子の時代に遣隋使を送っていれば名前だけは不思議に符合する部分があります。ただいかに書紀の記録を疑うと言っても遣隋使の時代と景行・成務の時代はかけ離れています。成務の次が仲哀であり、さらにその後に応神・仁徳朝を挟み、さらにさらに継体朝が成立してから100年後ぐらいして漸く遣隋使だからです。景行・成務の時代を推古の時代までずらすのはさすがに無理と考えます。ただし投影は不可能ではないと見ています。wikipediaでは景行・成務・仲哀の名前が舒明・皇極の時と同じだから景行・成務・仲哀不在説があるとしていますが、蘇我大王ロマンを追う者とすれば推古・舒明を蘇我大王と仮定していますから、同じ流れで「タラシ」が使われたの仮説もまた成立する訳です。その思い入れで見ると仲哀が筑紫で客死し神功皇后が事実上の大王として君臨した話も気になってくるわけです。

書紀の編纂方針の一つに始祖を遡らせると言うのは事実です。どう見積もっても3世紀後半ぐらいの神武即位を紀元前660年まで遡らせています。遡らせる一方で万世一系論の縛りもあって1000年近くの産みだされた空白を連綿と埋める作業が必要になります。そのために在位期間を延ばすのは基本的な手法ですが、大王の創作も避けられません。創作された大王にも系譜は必要ですし、名前も親子関係も必要になります。そういう作業の中で蘇我大王の系譜(推古・舒明・皇極 = 馬子・蝦夷・入鹿)を景行・成務・仲哀にそのまま投影したんじゃなかろうかと考えています。