魏志倭人伝の音の問題を少しだけやります。魏志倭人伝の記載から当時の日本語の音を探る研究も行われて言います。簡単にはwikipediaの邪馬台国の言語にまとめられています。で、読んで「なるほど!」と納得したかと言われると正直な話、砂を噛むようなものでした。理解するには音韻学の素養が乏しすぎると言うところです。素人が趣味で手を伸ばすには少々手強すぎる分野ぐらいの感じです。古代史の知識整理に欲しいのは研究課程よりダイレクトな結果ってところです。今日のテーマは、
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邪馬台国をなんと読むか?
問題は「台」です。現在の中国音は「タイ」です。これは辞書でもそうなっていますから間違いありません。では古代から同じであったかと言うと違うようです。どこかお手軽に参考になるところはないかと探していたらwikipediaの壱与のところに、
「臺」の文字は中国の時代ごとにより、また地方ごとにより異なる。昔はdəと表現していた時もあった。「ト」「ド」の音韻の音節があるとすればこれに該当する。但し一般には「ダ」が主流であり、隋の時代に「ダイ」に変化し、それがそのまま今の日本の発音になり、中国ではその後に「タイ」と変化していった。
「やった」と喜んだのですが、
「台」であれば、「と」と読めるということに異論は無いようである。しかし、「臺」と「台」は異なる文字である
これもまた邪馬台国論争の焦点の一つですが、台が「臺」なのか「壹」、はたまた「台」と「臺」は違うもあるわけです。また魏志倭人伝自体も写本による伝世本であり、写本する過程で誤りが出ている可能性はあるとされています。たしかに「臺」と「壹」は似てますからねぇ。それと魏志倭人伝(と言うか三国志)は陳寿の力作なんですが、陳寿もまたタネ本があったとされています。ほぼ同時代に書かれた魏略を参考にしていたと言われています。陳寿が魏略を引用する際に間違った可能性もゼロとは言えないぐらいです。
ほいなら魏略を見れば良いではないかと言われそうですが、魏略も既に失われています。魏略で残っているのは他の本に引用されている部分だけです。魏略の中で倭に関する引用が一番長いのは翰苑だそうですが、翰苑の倭に関する魏略の引用が残されているのも大宰府天満宮に残る写本のみだそうです。でもってそこには卑弥呼も、邪馬台国も、壱与も出て来ないのです。一応引用しておくと、
たしかに魏志倭人伝と良く似た記述で陳寿が参考にしたと言われると「そうだ」と思います。ただ「台」については謎のままになります。それでも「台」と「臺」と「壹」の当時の発音がどうなっているか欲しいところです。藤堂明保編「漢和大字典」(学習研究社)のものを魏志倭人伝の固有名詞の漢字音の推移から孫引きしてみます。
たぶん「台」と「臺」が違うとするのは「台」が指している物で発音が変わる「らしい」ぐらいが推測できます。でも魏志倭人伝に用いられたとすれば「うてな」でしょうねぇ。発音記号の知識が乏しいので難しいのですが、どうも「デ」に近い発音から「タ」に近い発音に変わったぐらいが読み取れます。もう一つの「壹」は「イェ」ってなものから「イ」に変わったぐらいに思えます。日本人は子音に弱いので難しいところです。あれこれと考察はしましたが学術論文を書いている訳ではないので
- 「壹」ではなく「臺」とする
- 「臺」も「うてな」の「台」とする
- 読み方も「ダ」に近いものとする
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邪馬台 = ヤマダ
えらく大雑把ですが邪馬台国は海際ではなく山際にあったとも読めるからです。山際なら山の麓に広がる国になります。そういう山の麓の事を山門(ヤマトないしはヤマド)と表現します。山門の意味をもう少し広げて考えると、谷間の出口みたいな意味合いも含まれそうな気はしています。谷は両方の山に挟まれた場所ですから、そこへの入り口は山門みたいに見えるぐらいの感じです。そういう谷間に川が流れていたら、古代稲作の適地ですから、そこに国が出来ても不思議はないだろうぐらいです。
これぐらいしかわかりませんねぇ。