プロ野球選手の練習

どこで読んだかすっかり忘れてしまいましたが、「伝説の長距離砲」とまで言われたスラッガー田淵幸一(頑張れタブチくんのイメージで思わないように)が、

    一流選手は練習などしない
補足するとプロでレギュラーを張るような一流選手は、生まれ持った才能、素質、体格でそんなに練習しなくとも余裕で一流だと言うわけです。練習に励むのは一流半から二流の選手であり、もし一流選手が「普通」に練習したら超一流になってしまうです。田淵らしいユーモアがしっかり散りばめてあると感じます。

ただその気で拾うと田淵の言葉を裏付けるような傍証はあります。一流選手でも練習熱心な選手はもちろん存在します。そういう選手を「他の選手の模範となる」とか「若手のお手本」と賞賛する記事は割りと見かけます。選手の練習風景なんて、そうは見る事はないので、そういう選手は普通よりさぞ猛烈な練習を重ねているのイメージは出てきます。ただ取り様によっては、

    いかに他の選手は練習していない
こうとも取れない事はありません。この延長線上で、選手は練習熱心な監督を嫌うと言うのも事実としてあります。これも記憶に頼るのですが、今年のオリックスの後継監督を巡る話題で、選手が「もしアイツが監督なら練習が増えるからヤダ」的な声が出ていました。プロにあるまじき発言とするのも一つですが、これも練習が好きでない一つの傍証になりそうな気がします。


プロ球団の戦力差はありますが、戦力の導入源はドラフトです。最近はFAがあってややこしいので、FA以前を考えてみます。FA以前もトレードはありましたが、あれは建前上プラマイ・ゼロぐらいとしておきます。ドラフトの指名順位は選手のモロの実力差です。チーム力が保たれるには、ドラフト1位選手が順調にレギュラーになってくれる事が望ましい事になります。大雑把に言うと10年で10人のレギュラーが戦力として注入されれば、戦力はそろいます。

ただそうはいつも上手くは行きません。期待ハズレもありますし、短期間で選手寿命を終らせる事もあります。ドラフト2位以下は1位が転んだ時の保険の側面もあると思っています。ドラフト2位と言っても、その時点でその年の評価の13番目以下の選手です。ドラフト3位になると25番目以下です。評価が低いところほど、化ければ儲け物の位置付けになるのは致し方ないでしょう。しかし、そうやってある程度選手が公平に球団に配分されても、明瞭な戦力差が生じるのがプロ野球です。


次は落合監督のエピソードに進みます。落合は中日監督を引き受け、確たる成績を残したのは周知の事です。落合のチーム強化の特徴はFAやトレードに頼るのではなく、自前の戦力アップを基本に据えた事です。当初は危ぶむ声もありましたが、落合が監督在任中は常に優勝を争える戦力を整えていたのは事実です。落合が用いた手法は、これもどこで読んだか忘れましたが、

    選手にちゃんと練習させる
これも判り難いのですが、プロは一流に近づくほど巧妙に練習をサボるそうです。監督の目を避けたり、練習を指名されても遁辞を構えたり、ベンチ裏とか、トイレに逃げ込んで行方をくらましたりです。落合も元選手ですから、そういう選手の行動原理を十分に知っているわけです。そこで、そういう選手の逃げ道を遮断していったとされます。

プロが練習をサボると言っても、あくまでも見えないようにサボるだけで、見えているところでは練習せざるを得ません。隠れ場所を監督に封鎖されたら、嫌でも練習せざるを得なくなります。その結果として

    プロが普通に練習したので、FAやトレードなしでも戦力がアップした
こんな単純化したら落合に怒られそうですが、それを最初から目論み、実践して、成功したのが落合流では無いかと見ています。ではでは、そんな単純な事で強くなれるのなら、他の球団や監督もそうすれば良さそうなものです。


これが出来ない原因として考えられるのは、監督も多くは元一流選手であり、練習しなくとも成功した経験者なのは一つあると見ています。つまりその程度の練習で必要にして十分としか思えないです。さらに現役時代の監督の練習を知っている選手も少なくないと思います。監督になって急に練習を厳しくする方針を打ち出しても、「あんたはどうなんや」と見くびられ、巧みに練習からサボる手法のみが横行して実を結ばないです。

それと練習の強化は無条件に嫌がられます。頭ごなしに強制しようとしても、かえって反発を招き、チームが空中分解します。それこそあんな監督の下でやるより、成績を低迷させて首にしてしまえぐらいでしょうか。選手にサポタージュされたらペナントレースを戦う事は出来なくなります。こういう練習のサボり様は弱小球団ほど気風は強いと考えても良いかと思っています。だからいつまで経っても弱いです。


なんとなく思うのですが、プロ野球史に名を残す大監督は「いかに選手を練習させるか」の手法に長けていたんじゃないかと思っています。それも練習したくない選手に前向きに取り組ませ、さらにチームとしての求心力を保つ手法です。弱小球団を叩き直して強豪にしたてた監督は何人か挙げられます。かなり古いですが例えば西本幸雄

西本が再生させたチームは「灰色阪急」と「お荷物近鉄」です。ニックネームを聞いただけで弱そうで、なおかつ弱小が骨の髄まで沁み込んだチームです。西本が取った手法は熱血ゲンコツ野球です。これも時代背景的に言うと1960〜70年代の指導法で鉄拳制裁なんて日常風景で、西本のみがゲンコツの雨を降らしていたわけではありません。ただ西本は大戦中にニューギニアで歩兵中隊長だったはずで、そういう意味でゲンコツが多かったであろうは推測できます。

西本のゲンコツは伝説的ですが、ではゲンコツによる恐怖統制でチーム強化に成功したかと言われるとチト疑問です。ゲンコツだけで出来たのなら、他のチームの監督も安易に真似できるからです。たぶんですが西本流儀を形だけ真似した監督もいたはずですが、そういうチームは選手の反発を呼んだだけで、空中分解して惨憺たる成績で監督は解任されています。

西本が熱血とゲンコツで選手に教え込んだのは選手がプロ野球選手である事じゃなかったかと思っています。プロの目的は単純化すると「野球で飯を食う」です。ですから入団して最大の目標はレギュラーになるです。レギュラーになれば報酬と翌年の契約が保証されます。問題は弱小球団ほどこれで終ります。西本が叩き込んだのはプロならもっと稼げるであった気がしています。

レギュラーになるための成績は、そのチームのポジションの1位であれば事足りますが、リーグの1位を目指せる成績になればさらに報酬はアップします。誰もがそれを目指せばチーム力は上り、チーム成績が向上します。チーム成績が向上すればマスコミ露出も増え、人気選手・有名選手の道が開け、それも報酬アップにつながります。さらに優勝でもしようものならお祝儀的なボーナスも転がり込みます。

簡単に言えば弱小より強豪になった方が儲かるから「練習せい」の精神でしょうか。これもその程度の事は監督なら誰しも目指しますが、多くは失敗します。原因は選手が監督の成績のためにやらされていると思うからの気がしています。プロ野球監督は選手より地位はシビアで、成績不振は即解任に直結します。選手が「監督は保身のために練習させている」と思えば実を結ばないです。

そうではなくてあくまでも選手の為である事を心で伝えたのが「熱血」であったと考えています。西本流のゲンコツは真似できても、熱血は真似る事は非常に難しかったと考えています。


西本のゲンコツ熱血指導の次に一世を風靡したのが広岡−森と受け継がれた冷血管理野球と見ます。これも実態は良く知らないのですが、西本流に較べるともっとドライな手法であったように想像しています。どう言えば良いんでしょうか、選手個々の練習メニューを徹底させ、それが確実に遂行されているかの完全管理方式じゃなかったかです。選手がサボるためにどこかに雲隠れしても、決められた練習を監督なりコーチの目の前で行わない限り無意味だとした感じです。

サボってもツケが残るだけであり、またツケの支払を徹底して行わせたために、選手が逃げ回ってサボる事に意味を見出さなくなったぐらいです。もう一つのポイントは、そういう練習による成果を公平に評価して選手起用を行った点もあるかもしれません。プロは実力の世界と言いながら、やはり過去の実績は考慮されます。それを現在の実力評価主義を徹底すれば、選手のモチベーションが変わってくるです。

ただこの管理野球方式も万能とは言えなかったと思っています。広岡はヤクルト、西武と成功しましたが、森は西武で栄光を極めた後に横浜で大失敗をします。森管理野球は横浜ではまったく根付かず、チームは空中分解し、以後森に監督を要請する球団はなく、横浜も凋落を重ねて身売り、身売りに至っています。

グルっと回るのですが、この後に位置付けられるのが落合式です。時代は西本流のゲンコツ熱血野球は終わり、広岡式の冷血管理野球さえ陳腐化させていたとしても良さそうです。それでもチーム強化のためにやりたい事は「普通に練習させる」です。(実際は知りませんが)落合はゲンコツも用いず、冷え冷えした管理方式も使わなかったと見て良さそうです。



そうそう、もう一つポイントがあって、練習が成績と報酬に直結する事です。平たく言えば、せめて2年ぐらいのうちに優勝もしくは、優勝に近い位置にチーム成績を持って行くことも重要と見ます。最初は嫌々でも、結果が成績と報酬で目に見えて現れれば選手の意識は変わります。現金といえば現金ですが、これもプロの一面である結果がすべてと言うところです。まあ、西本が阪急を指揮した時には優勝まで5年、近鉄では6年を要しています。これは当時も現在もそこまで監督を信頼したオーナーがいてこそのもので、そんなオーナーもまた珍しいのが現実です。

結果さえ伴えば、それを守り、さらにアップさせるための練習は言われなくとも重要と自覚します。また周囲が普通に練習してしまえば、練習しない者はレギュラーから滑り落ち、報酬を失います。練習せずとも一流であるの「実は」の大前提は、レギュラークラスがそろって練習しないです。控えクラスも同様であるからこそ、練習しなくてもレギュラーなのですが、ライバルが練習されたら自分も練習せざるを得ない事になってしまいます。

そういう好循環に乗せてしまえるのが、大監督、名監督として良いんじゃないでしょうか。