個人的にプロ野球の日本一の名監督は誰かを考察した事があります。このテーマの考察の難しいところは、残された成績では川上哲治がダントツで誰も及ばないと言うのがあります。優勝11回こそ南海を率いた「親分」鶴岡一人と同じですが、内容はあの9連覇があり、日本シリーズもすべて制しています。だから川上が日本一であるとの結論にケチが付け難いところがあります。そのため川上以外を日本一にしたいと考えると捻ったロジックが必要になります。
プロ野球名監督はおおよそ3つの流れがあります。
- 強豪管理型
- 魔術師型
- 強化育成型
プロ野球にはロマンが欲しいと思っています。臭いといわれようが浪花節的なロマンを私は好きです。弱小球団を育て上げ、強豪を見返すロマンです。野球マンガ、野球小説、野球映画の王道ですが、これを地で行ったのが西本氏ではないかと私は強く強く思っています。ですから誰がなんと言おうと西本氏こそ日本一の名監督と思っています。
西本氏は3つの球団を率い、その何れも優勝させています。これに辛うじて匹敵するのは「魔術師」三原脩だけです。三原も巨人、西鉄、大洋を優勝させていますが、惜しむらくは近鉄、ヤクルトでは優勝できていません。これに対し西本氏は全部優勝させています。とくに「灰色」阪急、「お荷物」近鉄を優勝にまで導いた手腕は現実に存在する野球ドラマそのものと言っても良いと思います。
西本氏が最初に率いたのが1960年の大毎オリオンズ。大毎が当時どれぐらいの強さだったかは古すぎて感覚をつかむのが難しいのですが、当時のパ・リーグは西鉄・南海の2強時代でしたから、その次ぐらいの位置付けとすれば良いでしょうか。そんな大毎を率いて監督生活1年目でいきなり優勝しています。ところが日本シリーズでは有利と言われながら、大洋に4タテを喰らいます。
当時の大毎のオーナーは「ラッパ」と言われた永田雅一で、シリーズでの采配を批判されて大喧嘩となり、優勝監督解任と言う大騒ぎになります。この日本シリーズに弱いと言う宿命は西本氏に生涯ついて回る事になります。
大毎辞任後、次に招聘されたのが「灰色」阪急です。阪急は1935年のプロ野球創設から参加している伝統球団ですが、優勝ゼロ。さらに西本氏が就任するまでの5年間の成績を記しておくと、
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'58・・・73勝51敗6分(3位)
'59・・・48勝82敗5分(5位)
'60・・・65勝65敗6分(4位)
'61・・・53勝84敗3分(5位)
'62・・・60勝70敗1分(5位)
これでパッと優勝させていたら魔術師なんですが、世の中そんなに甘くなく苦難の道程が待ち受けます。就任から4年間の成績ですが、
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'63・・・57勝92敗1分(6位)
'64・・・79勝65敗6分(2位)
'65・・・67勝71敗2分(4位)
'66・・・57勝73敗4分(5位)
その後7年間のうちに5度の優勝、'73に辞任し上田利治に引き継がれましたが、上田阪急も4連覇を含む5度の優勝を阪急は成し遂げています。ただ西本は悲運でした、プロ野球界は王・長島を擁する川上巨人が9連覇の真っ最中、5度の日本シリーズでついに巨人には一矢も報えなかったのです。阪急辞任後、これもまた「パ・リーグのお荷物」とまで酷評された近鉄監督に'74(S.49)就任します。ここの弱小ぶりは阪急以上にひどかったようで、当時の西本の心境として次のように書かれています。
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「このチームはブレーブスとは少し違う・・・ブレーブスの時はブルドーザーで一気に整地していけば良かった。荒涼地に落ちこぼれていく者は放っておいても、まともに整地する方が先だった・・・。しかしバファローズは違う。整地しながら横にこぼれる石ころも土もひとつひとつ拾いあげて行かなければならない。」
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'74・・・56勝66敗8分(5位)
'75・・・71勝50敗9分(2位)
'76・・・57勝76敗7分(4位)
'77・・・59勝61敗10分(4位)
'78・・・71勝46敗13分(2位)
西本が育て上げたチームには西本カラーといってよい特徴があります。簡単に言うとごついおっさんがずらっと並んでいるチームと言った感じです。当時パ・リーグはあまりにも地味だったのでわかりにくいところですが、強かった頃の広島に雰囲気が似ていると言ってもよいと思っています。今なら良かった頃の阪神の金本みたいな選手が1番から9番まで並んでいると言う感じで間違いないとも思います。さらにそのごっついおっさん連中を手取り足取り育て上げたのが西本です。
私の仰木彬の評価が少し辛いのはこの点を比較してです。仰木彬は「仰木マジック」と呼ばれる巧みな手腕で現有選手を短期間で鼓舞して成績を上げます。この手法はかつて三原脩が「劣等感を持つ選手達に暗示を掛け、力以上のモノを引き出す」ことで三原魔術とよばれたものの延長線上で、仰木自身も「師匠は三原監督です」と言っています。
ただマジックで強くなったチームは本当の地力が必ずしもついたわけではなく、魔術師が去ると魔法が解け元の弱小チームに戻ってしまう事がしばしばおこります。ちょうど博覧会のパビリオンみたいなもので、短期間で建設され、見た目は華やかですが、博覧会が終わるとすぐに壊されてしまう建物のようです。古くは三原大洋がそうでしたし、最近では仰木オリックス(一次政権時代)がそうではないでしょうか。一方で西本が育てた阪急、近鉄は荒地を切り開き、整地を行い、入念に土台つくりを行ったうえで、職人肌の大工が柱の1本1本まで丹念に仕上げた大建築と言っても良いと思います。
だから西本が辞任してもチーム力は落ちるわけではなく、上田阪急が良い例ですが適切な指導者に引き継ぎさえすれば西本時代とかわらぬ強さを発揮することになります。阪急や近鉄が優勝するまでの4年間、6年間は魔術師タイプの監督であったらとうに成果をあげて辞任するぐらいのサイクルですが、後任監督は華々しい成績は収めているものの内情はボロボロになったチームを引き継ぐことになります。ところが西本の流儀は時間はかかりますがいったん完成させれば無敵のチームになり、たとえ西本が去っても強豪チームにかげりを生じさせません。
ところで西本幸雄は監督としてかなりおっかない人だったようです。いい意味で熱血漢なんでしょうが、練習中・試合中を含めいつも無愛想な顔であったようです。星野仙一の鉄拳制裁は有名ですが、西本のは鉄拳制裁が日常過ぎるぐらいで選手の間で話題にもならなくなったてな話も残っています。采配も選手をうまくおだててのせていく様なマジシャン的手法とは無縁で、ひたすら自分が鍛え上げた選手を信頼し、真正面からぶち砕くといったものでした。正攻法で勝ち抜くためには必然的に分厚い選手層の鍛錬が必要になり、いったん強くなると長期の黄金時代を招きよせる事が容易になります。
西本阪急はついに川上巨人に日本シリーズで勝てませんでした。しかし当時の阪急を評して「もしペナントレースを行えば最強のチームである。それはV9巨人でもかなわない」と言った人がいます、私もそう思います。それと日本シリーズで西本が勝てなかったのは最後まで真のスーパースターに恵まれなかったためではないでしょうか。
スターはいました、「世界の盗塁王」福本豊、「史上最強のサブマリン」山田久志、「ガソリンタンク」米田哲也、「草根」鈴木啓示、「赤鬼」チャーリー・マニエル・・・・。ただし相手には日本球界が生んだ伝説的なスーパースター、この先も出現するかどうか分からない真の天才選手である王貞治、長嶋茂雄、江夏豊が最後まで立ち塞がりました。短期決戦の大舞台は悔しいですが真のスーパースターのための舞台と言う側面があり、より物凄いスーパースターがいるチームがやはり強いと言うところがあります。
西本阪急のラインナップ、1番福本、2番大熊、3番加藤秀、4番長池、5番森本、6番住友、7番大橋、8番岡村もそうですし、西本近鉄のラインナップ、1番平野、2番小川、3番佐々木、4番マニエル、5番栗橋、6番アーノルド、7番羽田、8番梨田、9番石渡なんてのも本当に地味なメンバーで、今時のFAみたいな派手な補強ではなく、ドラフトでなんとか拾ってきた(今以上にパ・リーグは嫌われ、とくに近鉄は嫌がられた)選手をひたすら鍛え上げて一級品にしていますので、ここに王・長島クラスのスーパースターが一人でもいれば巨人の9連覇なんて(日本シリーズで!)絶対にありえなかったと言えます。
日本シリーズで勝てなかったことで西本幸雄の評価を下げる人もいます。「もし」が許されるなら、西本幸雄が巨人を指揮していたなら川上哲治同様に9連覇をしていたかもしれませんが、川上哲治が阪急や近鉄の指揮をとっても逆立ちしても優勝は無理でしょう。どうしようもないぐらいの弱小チームを2つも真の強豪チームに作り変えた西本幸雄こそが、「闘将」や「悲運の名将」なんていう低い評価ではなく、間違いなく「日本一の名監督」であると断言します。
今日は旧作を訃報に際して流用しているもので、つながりが悪いところがあるのは陳謝させて頂きます。旧作はBGMが流れる仕組みになっており、当時選んだBGMが炎のランナーです。聞きながら涙が出てくるのを抑えられません。二度と西本氏のような名監督は現れない気がします。優勝するまで4年とか5年とか、ひたすら監督を信頼してチームを預けられるオーナーが出てくるとは思えないからです。
野球ドラマを地で実現させた伝説の名監督。昭和がまた一つ遠くなりました。享年91、謹んで御冥福をお祈りします。