戯言的政治観察

なんでも小泉時代に話を持っていくのは気が引けますが、小泉政権が断行したの集中と選択の新自由主義です。結果として当時の不況状態をある程度克服しています。ただし選択と集中の本質は、富める者はますます富み、貧しいものはさらに貧しくの側面があります。良い様に言えば、選択と集中により富んで強者になったものが経済を引っ張る施策になります。

あの時代から現在にかけて、あの政策を取ってよかったのかどうかの結果論的な評価は今日はさておきます。ただ取った結果は一つ表れていると感じています。小泉時代の前の一億総中流時代から

  • 少数派のメリット享受者
  • 多数派のデメリット享受者
これが固定していく社会に変質定着していると見ています。選択と集中がもたらす一つの結果です。そういう状態が政治にどういう影響を及ぼしたかです。政権を取るためには多数派の支持が必要です。そして多数派はデメリット享受者にあります。政権奪取のためには多数派であるデメリット享受者の支持をかき集める必要があります。

一方で政権奪取後は、政権を維持するためにメリット享受者の支持が必要です。政権の旨みはすべてメリット享受者から与えられます。デメリット享受者からは得られないのです。ここをあえて整理しておくと、

  • 選挙で勝つにはデメリット享受者の投票が必要
  • 政権運営のためにはメリット享受者のカネが必要
選挙の時とその後では、必要とする層が乖離している政治状況が出現したと考えています。自民長期政権時代も基本的に類似はしていますが、小泉以前の自民時代は高度経済成長もあり配るべきパイは膨らみ続けており、利害調整政治の名の通り、選挙で勝つぐらいの範囲のメリット享受者層を作っていた見ます。自民長期政権を支えたのは、
  1. カネを出すメリット享受者層
  2. カネは出さないがメリットを享受していると感じている層
この2つの層が過半数を占めていたと見ます。これが選択と集中により「カネは出さないがメリットを享受していると感じている層」がやせ細ったのが今と考えます。


前々回の総選挙は自民圧勝でしたが、これは景気が良くなればそれまでの様にパイの配分があると期待し、さらにそうなるとの見事なアピールを行い支持を集めたためと考えます。集めて自民は圧勝したものの、経済構造が変わったためメリット享受者層が広がらなかったと見ます。そうなればデメリット享受者層は不満派に速やかに転換します。

前回選挙は不満派となったデメリット享受者層の期待と見ます。当然の様に民主はデメリット享受層への恩恵を約束しますし、これに期待したと言う事です。民主もそれをやろうとしましたが、その前提としてメリット享受者層への経済的な政策変換は行わないでやったのがポイントと考えます。小泉時代以来の経済政策はそのままにしてのメリット享受者層の拡大政策です。

つまり税金でこれをやろうと企画しましたが、国家財政は御存知の通り苦しく、どこかに振り分ければどこかかに大穴が開くセロサム、下手するとマイナスサム状態であり、何をしても大混乱で、どれも中途半端に収束せざるを得ない状態に陥ったと見ます。


政権を奪取するにはデメリット享受者層への恩恵を約束すれば支持が容易に集まりますから、選挙に勝つ事は容易な時代になっていると見ます。一方で、政権を維持するためには支持してくれるメリット享受者層が必要なのですが、これを拡大する手段が手詰まりのなのが一つの実相の様な気がしています。多数派であるデメリット享受者層の熱狂的な期待と急速な失望が政治を動かしている状態です。

そうなれば単純に考えるとメリット享受者層が多くなる、かつての一億総中流時代に戻すのが政権維持のためには望ましい事になります。自民はこれで長期政権を築いたわけです。でもそんなに簡単に戻れるかは疑問です。ここが大きな問題で、選択と集中新自由主義が歴史の必然なのかどうかになってきます。果たして一億総中流時代で今の時代に適応できるかです。


ここから先は私にはサッパリわかりません。自信をもって保証出来る人物なんていないんじゃないかとも思っています。ただ恩恵乏しいデメリット享受者層が選挙のすべてを握っていますから、政治状況が安定するとは思い難いところがあります。デメリット享受者層に広く恩恵を与える政策と、経済全体の運営が矛盾している時代に突入しているような気さえします。

海図のない冒険航海に漂うような気分になっています。