政治システムみたいな話

専門家じゃないのでザックリした話です。

日本の政治は主権在民国民主権であり、主権者が選んだ代表が政治を行います。これは先進諸国であれば基本的に同じです。民主制と大雑把に呼んで良いと思います。学校の教科書ぐらいではもっとも進歩した政治形態ぐらいに覚えると思います。ただなんですが、進歩はしているかもしれませんが、欠点も多々あります。とにかく意思決定に時間がかかるです。下手すると紛糾を繰り返して何も決まらないがあるのが民主制です。

民主制の元祖は古代アテネ直接民主制とされる事が多いと思います。未だに理想の政治体制とする意見もありますが、古代アテネの民主制も意思決定の問題は常につきまとっています。意思決定に時間がかかるです。時間がかかっても平時ならさほど支障は無いのですが、非常時には困るです。古代アテネペルシャと言う大敵が隣接し、この問題は切実でした。

そこで非常事態対応のシステムをあれこれ摸索するのですが、1人の天才政治家が非常時システムの完成を阻み、古代アテネの衰退に導いたのではないかと見ています。古代アテネの全盛期はペリクレスの時代です。ペリクレスは非常に優秀な政治家でしたが、古代アテネの非常時体制が弱いという欠点をペリクレス個人の政治能力で補ってしまったと言っても良いかと思います。

そのため全盛期も招来しましたが、ペロポネソス戦争ペリクレスの政治に支障が生じ、さらに死亡するとスパルタに無残な敗北を喫します。ペリクレス後に訪れた民主制最大の弊害である衆愚制が起こったからです。


ギリシャの衰退と入れ替わるように台頭したのが古代ローマです。ここも基本的には民主制を取っていましたが、民主制の欠点である非常時の危機管理を重視した政治体制を敷きます。非常時には独裁権を発生させるです。独裁権は劇薬ですが有効に作用すれば非常な効果を発揮します。非常時には独裁権による副作用よりも効果の方が重要であるとのドライな割り切り方をしていたと思っています。

古代ローマもやがて大国に成長した時に、共和政ローマの一時的な独裁権から常時の独裁権の政治体制が必要になり帝政ローマに移行していくのですが、それは今日の本筋とは関係ないので置いておきます。


近世の民主主義はその政治システムの雛形を古代アテネ・ローマに置いていると私は見ています。それも古代アテネを究極の理想としながら、現実的には共和政ローマのエッセンスを取り入れた折衷体制です。ここも長々と書くと知識のアラが出るのでホドホドにしますが、政治体制に非常時の独裁権を可能にするエッセンスを取り込んでいるです。

アメリカもフランスも近世民主主義の本家みたいな国です。フランス革命アメリカ独立宣言は民主政治を覚えるときには絶対のモニュメントです。しかし本家と言いながら、大統領権力は強大で、非常時には事実上の独裁権を揮える様にしています。ではもう一方の雄であるイギリスはどうかですが、ここにも独裁装置が仕込まれています。議院内閣制です。

議員内閣制は立法府の多数を握ったところが行政府も支配できる政治体制です。イギリス選挙制度小選挙区制は二大政党を育みやすいとされますが、あれは日本で小選挙区制が導入された時に喧伝された政権交代を容易にするものではなく、常に立法府(議会)と行政府(内閣)の二大権力を握らせるためのものであると見ています。二大政党による政権交代はむしろオマケみたいなものです。

日本もイギリスを真似たような議院内閣制を敷いています。この議院内閣制なんですが、子供心に不思議だったのはこれも民主政治の基本原則である多数決との兼ね合いです。結局のところ多数決で決めてしまうのなら、審議はほとんど不要じゃないかです。実際のところ対立法案では最後に強行採決を日本でも行います。極論すれば全部強行採決すれば審議の必要性はなくなるです。

つまり極論すればを常に内在しているのが議会制民主主義であり、独裁権を秘めているです。


日本の政治は自民政権末期から延々と機能不全を呈しています。この原因は二院制にあります。二院制自体は多くの国が持っているのですが、日本では第二院である参議院が強大であるところです。衆議院参議院選挙制度に微妙な違いはあるものの、結局のところどちらも純粋な政党政治が行なわれています。多数を占めた政党が院を支配するです。

参議院衆議院カーボンコピーに過ぎないと昔から揶揄されていましたが、近年のネジレ国会による国政の停滞は参議院カーボンコピーでなくなってしまった事がすべてのような気がします。衆参が別の多数派党に支配されると国政は速やかに機能麻痺を起すです。

基本的には衆議院参議院に優越している部分はありますが、それ以外の部分で参議院が独自性を発揮すれば見事に動かなくなります。これは衆議院で2/3以上の圧倒的多数を握っても克服できないのは自民政権末期が証明しています。


強大すぎる参議院による弊害が長い間露呈しなかった理由は単純で、戦後間もなくからほぼ一貫して自民が衆議院参議院も支配していたからです。参議院衆議院カーボンコピーであるからこそ欠点が覆い隠されてきたです。ところが自民も衰え両院で選挙に勝つのが難しくなっています。政権交代を果たした民主とて同様です。両院を支配できる力を持つ政党が存在しなくなって、参議院の権限の強大さが政治の停滞を招いてしまっているです。

日本の首相の指名権は衆議院にあります。衆議院で多数派を握る政権が与党となり政権を握るのですが、本当に政権を握るためには参議院でも多数派である必要があります。つまり常に衆議院参議院の二つの選挙に勝ち続ける必要があると言う事です。さらに言えば衆議院は総選挙で根こそぎ入れ替えは可能ですが、参議院は3年毎の半数入れ替えです。

真に安定した多数派による政権運営を望んだら、総選挙で勝つだけではなく、参議院選挙で2回勝つ、つまり3連勝が必要になります。これは最短でも3年かかります。この3年と言う歳月の長さは、今の気まぐれな政治情勢では途轍もない期間であり、それだけの期間、人気を集め続ける政権なんて現在の政治情勢では想像するのも難しい状況になっています。


ここからは私案ですが、政治を安定させるためには二院制の改革。具体的には参議院のあり方を変える必要があります。求められる改革点は2つです。

  1. 衆議院の優越をもっともっと強くする
  2. 権限を制約される参議院には衆議院の独裁化を防ぐ権限を付与する
参議院衆議院のお目付け役程度に権限を縮小し、法案議決については事実上衆議院の決定がすべてに近いものにするです。そうなれば今度は衆議院で多数横暴みたいな勘違い政治家が出てくるので、それこそ内閣不信任案ぐらいの権限を持たせるです。持たせるためには参議院の議員選出も現在とは変える必要があります。

そこら辺までウジウジ考えたのですが、まあ妄想ですね。どんな形であるにしろ、参議院の権限の縮小を伴う改革には参議院の賛成が必要です。そんな事が出来るような政権が誕生するかです。たとえばかつての自民のように両院で多数を占める政権与党が誕生しても、両院で多数を握れば日本の二院制の弊害は覆い隠されます。つまり政権与党は参議院の猛反対を押しきってまで改革を断行するモチベーションが下がるです。

ではモチベーションが高まる現在のような政治状況では、それこそ何も決まらないです。両院を支配すればモチベーションが下がり、モチベーションが上る時には改革できる力が無いです。馬鹿な考え休むに似たりとは、まさにこんな事のようです。