本来は「理想の研修病院 その3」なんですが書いているうちに趣旨が少々変わったのでタイトルを変えています。この話は情報を拾って行くと、トータルのキャリア・アップの一断面の部分が大きく、そこだけ見ようとする無理が出てくるからです。そこでもう少し先の過程を考え、「出来れば」そこから研修病院のあり方を振り返って見ようです。とにかく話を進めてみます。
モデルと言っても多種多様であり、私自身が研修の現場に居るわけで無いので独断と偏見がはいりますが、人生それぞれ様のコメントを参考にしてみます。
総合医構想はさんざんの評判ですが、医学生が前期研修病院を選ぶときには、やはり総合診療というか、common disease が多くて救急医や総合医がしっかり指導してくれるところを選ぶんですね。
そうして、後期研修では専門がしっかりしているところ(消化器や循環器であれば、内視鏡や心カテやEPSが数多くできるところ、外科系ではなんといっても手術のうまい上級医がみっちり教えてくれるところ、手技が忙しくない科では学術的なところ)を選び、学位や専門医資格を射程にとらえ、海外留学(大学院⇒基礎研究、臨床留学ルートのある研修病院⇒臨床留学)を織り込みながら、「そのあとどこに就職できそうか」をにらむ。
この辺が今時の優秀な研修医のキャリアパスでしょう。
人生それぞれ様のコメントを簡略化すると、
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第一ステージ:前期研修
第二ステージ:後期研修から専門医取得(プラスαで海外留学)
第三ステージ:望ましい就職病院を探す
ステージ | さらに分類 | 求めるもの |
第一・第二 | 研修ステージ | 医師としてキャリア・アップに有利な病院 |
第三 | 就職ステージ | 医師として働くのに相応しい病院 |
結局2つステージに分けましたが、当然連続したものであり、研修ステージの成果により進路や指向は微妙に揺れ動くと言うのはあると思っています。これは医療界の現実を肌身で知ると言うのもあり、医師として自分の能力を発揮したい分野、また何を望むかで様々なコースを辿っていくと考えます。
某所でやっと得た意見ですが、就職ステージの様相がこれからどうなるかは広い意味の注目です。つうのも研修ステージはかなり広く門戸が開かれています。あからさまに言えば公募もあり、研修医自身の意図や希望がある程度までは盛り込んでいけるです。しかし就職ステージがそうは行くかです。私もこの点は結構な疑問を持っています。
旧研修医時代やさらにそれ以前は、このステージでも医師のキャリア・アップのために異動は行なうべきだの意見が主流です。病院が変われば、患者も疾病傾向も変わります。また検査や治療などの得意分野も違ってきます。そういう経験を就職ステージ的な時期にも、特に初期は継続して積み重ねる方が望ましいです。幾つかの病院を経験した上で、真に一人前になった時点で腰を据える病院が見つかれば幸いみたいな感じでしょうか。
人生それぞれ様もそんな感じの就職ステージのキャリア・アップを考えておられるのではないかと勝手に推測していますが、そうは問屋が卸してくれるかどうかです。
ちょっと医師以外の人への説明をあえて加えますが、医局人事とは病院の医師の人事を医局が管理してしまうものです。つまり病院経営者側は独自に医師を雇う事もクビにする事も出来ないです。人事異動も突然で、医局からの指令を受けた医師が「代わります」の一言で、さも当然の事のように退職します。その代わり医局は後任を間違い無く確保する関係です。見様によっては院長まで含めて派遣社員で構成されている感じと言っても良いかもしれません。
こういうシステムがいつから成立したのかは私も存じませんが、わかっているのは「昔から」です。病院側からすれば医師は選べないが、その代わりに医師は常に供給されている状態を得られます。とくに公立病院などでは至極便利なシステムだったんじゃないかと思っています。そういう病院をジッツとかの隠語で呼ぶ事もありますが、今日は関連病院と表現しておきます。この関連病院は医局華やかなりし頃にはどの程度あったかですが、
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全国津々浦々
もう一つですが、関連病院網は決して都道府県単位でないことです。都道府県の境界を越えて存在します。これは医学部がもっと少ない頃に、医学部の無い県の病院に医師が必要であったためと考えればわかりやすいかと思います。ですから戦前からあるような伝統校ほど広範囲の関連病院を持っています。余談ですがそういう伝統校に入学し医局に入ったとしても、「こんな病院まで」飛ばされる話もまたポピュラーだったです。
医学部は一県一医大政策の時に増えましたが、それ以前からの他の都道府県の関連病院はほぼそのままです。これがどういう状況を起すかと言えば、ある県に立派な基幹病院があったとします。そこが他の都道府県のA大学の関連病院であれば、その県のB大学医局に属していたら就職は不可能と言う事です。その県の出身者が基幹病院に就職しようと思えば、
- 他の都道府県にあるA大学に進学し入局する
- B大学卒業後、A大学医局に入局する
こういう状況下では新設医大は有力な関連病院を持つ事は難しくなります。そのため設立以後に出来た病院を関連病院にする事が目標となります。この新病院の関連病院化であっても実は容易とは言えず、他の都道府県の医局が持っていったりもさほど珍しい話ではありません。新設医大では派遣する医師の数も、能力もどうしても劣ると見られたからだと考えています。
これは余談ですが、伝統校であろうが、地方医学部であろうと、三流私立であろうと国試に合格すれば同じ医師ですが、そこの大学がどれほど有力な関連病院を持っているかは大きな差になります。貧弱な関連病院しかなければ、研修するにしても、異動で就職するにしても「そこしかない」になります。合宿免許と割り切って他大学に入局しても、スタートは外様扱いのハンデぐらいは生じるです。
現研修医制度施行以来、医局の弱体化が進んだはあります。弱体化は多面的ですが、今日は単純化して、
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入局者が減る → 医局員が減る → 派遣できる医師数が減る → 派遣できる関連病院数が減る
- 他県の地方僻地病院
- 他県の中小病院
- 自県の中小病院
- 他県の基幹病院
- 有力病院を優先して残す
- 都市部病院を優先して残す
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地方 > 都市部
わかりますか? 研修医が就職ステージにさしかかり、一番希望が多いだろうと推測できる都市部の有力病院は今も医局人事の支配下に残っているだろうです。全部とは言いませんが、かなりはそうだとしても良いと思っています。医局の弱体化が進んだと言っても、
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有力病院のスタッフ枠は今でも医局人事支配下に厳然としてある
就職ステージの医師の考え方はこれからどうなるのだろうです。旧研修医制度時代では問答無用の医局人事による配置転換があったわけです。だから異動するのが当たり前でしたが、新研修医制度で医局の影響力が低下するとどう変わるかです。上では数の問題だけで単純化しましたが、もう一つ重要な側面は人事の命令権の強制力の低下は確実に起こっているはあるとされます。
これも濃淡はあるのですが、かつてのような電話通達1本で問答無用の時代はかなり終わっているです。医局が現在でも有力病院のスタッフ枠の人事権を握っているのは変わりありませんが、人事の流れとして、
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強制配置 → 希望スタッフ枠への就職斡旋
キリが切り捨てられ、中クラスからピンくらすに関連病院の構成が変わったからこそ、所属医局員の希望を聞けるようになったは側面としてあると考えています。キリ病院に強制配置したバーター人事の配慮の必要性が低下したぐらいの観測です。ここまで考えると就職先病院は次の様に色分けされると見ます。
病院クラス | 就職手段 | 別系統 |
ピン | 医局人事 | 独立系 |
中の上 | ||
中の下 | フリー | |
キリ |
独立系は例えば徳州会グループみたいなところとか、地域医療振興協会みたいなところが該当するかもしれません。
キャリア・アップのために異動すると言っても根本は
- ある病院の募集に応じて入職する
- その病院を退職して、他の病院の募集に応じて入職する
- 関連病院の人事を医局が掌握する
- 人事の掌握により、経営母体が違う病院間を、まるでグループ病院間の人事異動のように異動する
- あるグループから離脱する
- 他のグループに加盟する
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各種グループ外の病院に入退職を行う
就職法 | 具体的行動 | 異動 |
グループ加盟を考える | 入局や独立系グループ | グループ病院間の異動 |
フリーで病院を探す | 公募や斡旋会社 | 気分は永久就職 |
こうなると見れそうな気がします。フリーであっても異動は可能ですが、異動を前提とした入職と言うより、居心地が良ければそのまま永久就職にしたいと考えても不思議ないと考えています。
医師の就職ステージはグループ加盟か、フリーの選択があるとしましたが、グループ間の移動や、フリーとグループの移動は可能かどうかです。これは十分に可能と見ます。ただなんですが、キャリア・アップをどう考えるかで話は変わります。たとえばグループ内での出世を考えるのならどうかです。
医師の評価の基本は能力ですが、人事となると年功も幅を利かします。学術系ならともかく、臨床能力の評価はそうは目に見える差になりにくいところがあるからです。言い換えればグループへの貢献度の評価としても良いかもしれません。そういう時の一番単純な物指しは何年グループで過ごしたかです。そういう評価は確実に存在します。
キャリアとしてグループ間の異動を繰り返すは良い評価にはないりにくいとすれば良いでしょうか。脱退してフリーになり、また舞い戻るもプラス評価となりにくいです。そういうキャリアをもつ人間は、能力的にどこか問題があるのではないかの評価を履歴だけで下されやすいです。昨今の医師不足ですから戦力として受け入れはしても、出世としての評価はマイナスになるぐらいの感じです。
それとフリーでは中の上、さらにピンクラスの椅子はまず当たらないです。余ほどの能力による名声でもあれば別ですが、そうでなければ医局から切り捨てられたクラスの病院の椅子しかないです。その中でも比較的マシな椅子の奪い合いぐらいの様相でしょうか。それでは物足りないとグループ加盟を遅れて行うと、中途加盟のハンデは確実に負います。どれぐらいのハンデになるかは・・・少なくなっているとは言われますが、実態は存じません。目指す目標で影響は様々ぐらいの感じでしょうか。
医療もこの先は見通しがはっきりしない時代が続くと考えています。それも良くなると言うより、厳しくなる観測が多くあります。私のような開業医も先行きは厳しいのですが、病院もどうなるかはこの先は不明です。確実な流れとして、病床削減による病院数の淘汰整理と、病院の機能強化とそれに付いて行ける病院とそうでない病院の淘汰整理が両輪で進むだろうは、多くの者が予想しています。
キャリア・アップの一つの選択として、そんなにレベルの高くない中小病院の椅子で満足して過ごす選択は悪いとは思いません。私もそうしようとした時期があったと白状しておきます。ただそういう椅子が10年単位で考えて安泰かどうかは微妙です。淘汰整理は下のクラスの病院ほど風当たりがきついのも現実です。そういうキャリアが果たして安定なのかに疑問が持たれかけている時代になっているです。
現在の研修医気質の一つの側面に安定志向が強いと言うのはあると聞きます。この安定志向ですが、一概に言えないかもしれませんが、短期的な安定は重視しますが、長期的な意味での安定はそれほど重視しない傾向もあると聞きます。これは不況時代の申し子のためだの説がどこかにありましたが、不況時代では長期の観測に縛られても意味は乏しいの実感もあるんじゃないかと考えています。
長期の観測を行なうには、観測要因の中に「これは変わらない」とするものを入れますが、不況時代では変わらないと信じられていたものが、アレヨアレヨで短期間で消滅するのも実感的体験としてもっていると思っています。ですから安定志向の考え方も、比較的変化の乏しい数年先を指標に行われ、その先の事はその時に考えれば十分みたいな指向です。
良い悪いの評価の話ではなく、今日のテーマはそういう考え方の中でどう対応するかです。
断片情報のさらに伝聞情報ばかりで判断するのは無理があるのですが、現在の研修医気質は2面性が窺えます。
- 真摯な研修態度
- 長期展望の乏しさ
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物事を楽観的に考えない
- 見通しは比較的固そうな数年単位の短期計画を主体とする
- 常に選択枝を広く持てるようにしておく
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どこであっても構わない
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どうせ行くのだったら・・・
前期研修が終れば、過去に拘ることなく次の選択をドライかつクールに選択するです。受け入れ側が期待する前期研修病院の属地性は「なんか言ってる」ぐらいの感覚でしょうか。同じように、
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前期研修医大量確保 → そのまま地域の医師数アップ
就職に当たっても医局なり、病院グループに早めに属しておくほうが「先々有利」みたいな話も、今でもある程度通用するとしても、そこに固定されてしまうデメリットの方を重く見ると考えれば理解しやすくなります。その反面として、どういう状況になっても頼れるのは自分の技量だけであるのも良く知っており、研修も勉強も真摯であるです。
就職ステージで医局などの病院グループに早く属する方が有利であるとか、グループの出入が多いのは経歴上不利と見るのは、旧世代の古い常識であり、新しい世代が「気にしない」常識を作ってしまいそうにも見ています。そんなものは気にする人がいなくなれば、たいした話ではなくなるからです。むしろ、そんなものに拘る感覚自体が理解されなくなっている気さえしています。
ピン病院に就職したければ医局に入るのも、グループ系列に属するのも単なる便宜に過ぎず、利用価値がある内は利用し、利用価値がなければ見捨てるです。医師のキャリアの評価は医師が持つ技量そのものが価値であり、技量に欠けても長年の貢献度で評価するみたいな世界は「それ食えるの?」感覚があるみたいなところです。
そこまで考えれば理想の研修病院の条件は見方が全然変わります。前期研修病院の位置付けが、医師としての将来を決定付けるみたいなものでは決してないです。良い意味でも悪い意味でも医学部7年・8年程度のものしかありえないです。皆様に様々な意見を頂きましたが、とりあえずはこの辺りを結論とさせて頂きたいと思います。それとあくまでもマクロ的なお話であって、ミクロとの相違は多々あるのは御了承下さい。